「一日一生」酒井雄哉 生き仏と呼ばれたお坊さんに学ぶ人生の真理

こんにちは!Jimmyです。

今回は、生き仏と呼ばれた天台宗の僧侶、酒井雄哉(さかいゆうさい)大阿闍梨から学ぶ人生の真理を紹介します。

 

一日一生とは、文字通り、一日を一生だと思って生きることを言います。

忙しい日常生活は、欲望や焦り、不安、イライラなど、様々な感情を私たちの心の中に引き起こします。

 

そのような環境の中にいると、どうしても忘れてしまう大切なことがあります。

それを思い起こさせてくれるのが酒井大阿闍梨の言葉です。

 

その言葉を胸に、「今この瞬間を正しい方向に向かって真剣に歩んでいこう。」

読者の方がそう思えるよう、酒井大阿闍梨の教えとともに、学びの要点を紹介していきます。

一日一生の著書紹介

酒井雄哉大阿闍梨

1926年生まれ、2013年に逝去されるまで、「生き仏」と称され、多くの人を導いた天台宗の大阿闍梨(僧侶)。

40歳で仏道の道を歩み始めるまでの人生は、苦難の連続。

少年期は、勉強が苦手で、学校の成績が落第確実であったことから、当時(太平洋戦争時)の予科練に志願。

 

終戦後は、営業マン、株屋、ラーメン屋など職を転々とするも、成功せず。

結婚したものの、妻が2ヶ月で自殺するなどの憂き目に遭う。

 

偶然連れて行かれた比叡山の住職との出会いをきっかけに、仏教の道を志し、40歳で得度。

その後、修行に打ち込み、「千日回峰行」をはじめとする大変過酷な修行を行い、大阿闍梨という称号を得る。

温和で気さくな人柄と、どんな人も拒まず、受け入れる姿勢から、多くの人が教えを求め、「生き仏」として慕われた。

 

著書概要

愛蔵版 一日一生
酒井雄哉
(朝日新聞出版より2017年4月発行)

こんなとき、こんな人に

  • 人生に迷っている。
  • 日々神経がすり減り、心が消耗している。
  • 生きる意味を考えたい。
  • 豊かな生活の中でも虚しさを感じる。
  • 幸福感を持てずに生きている。
  • 何を大切にして生きるべきかわからない。
  • お坊さんの言葉に耳を傾けたい。
  • 正しく生きていきたい。

 

大阿闍梨が経験された過酷な修行2例

過酷な修行の中でこそ、人間や人生の本質がわかるようになると言われています。

だから、過酷な修行を成し遂げてきた大阿闍梨の言葉には力があり、人を惹きつけます。

その修行の内容を一部紹介します。

常行三昧

阿弥陀仏の周りを、ひたすら念仏を唱えながら歩き続けるという修行です。

座ったり横になったりして休むことは許されず、1日2時間だけ許される仮眠も、専用の縄床という椅子のようなものに、もたれかかるように休まなければなりません。

これを90日間繰り返すという気が遠くなるような修行です。

 

千日回峰行(比叡山)

約7年間かけて、比叡山中を1000日間歩くという修行です。

合計すると4万キロ、地球1周分の距離になります。

はじめは1日30キロほどから始まり、年数が経つに連れて距離は長くなり、もっとも長いときは85キロを1日で歩きます。

台風があっても土砂崩れがあっても、怪我をしても、病気でも決して休んではならず、万一修行の途中で断念することになった場合は、自害する必要があります。

この修行で最大の難関である「堂入り」という行は、不動堂に9日間籠もり、

食べない、飲まない、横にならない、寝ない状態でひたすら不動明王の真言を唱えるというものです。

なお、この千日回峰行を終えてすぐに、酒井大阿闍梨は2回目の千日回峰行に取り組まれ満行されています。

 

酒井大阿闍梨から学ぶ大切なこと

一日一生

今が一番大切

一日が一生、だな。今日失敗したからって、へなへなすることない、落ち込むこともない、明日はまた新しい人生が生まれてくるじゃない。

それには、今日を大切にしなかったら、明日はありませんよってことでもある。今が一番大切ってことだよ。

今自分がやるべきことを全力でやることの大切さを説かれています。

 

酒井大阿闍梨のこの言葉に説得力があるのは、先ほど説明した、過酷な修行を乗り越えた経験から来ている言葉であるからです。

 

例えば、常行三昧で、90日も連続で歩き続ける修行を始められた際、2日目ですでに足がパンパンに腫れたそうです。

まだ89日間もある、できるのか、とんでもないことをやると言ってしまったという思いが湧いてきたそうです。

もういつギブアップしてもおかしくない状況だと思います。

 

この尋常ではない修行を満行できた秘訣こそ、目の前のやるべきことに集中して、一生懸命にやるということです。

 

以前、ミャンマーで修行した際に教えてもらった呼吸法の大切さを思い出し、

ひたすら呼吸に集中し、そして念仏に集中することで、途方もない時間を、断念することなくやり通したという話です。

 

先の不安を考えれば、到底達成できなかった修行だと振り返られています。

大変な成果を成し遂げるために、「今」に集中することの大切さを考えさせられます。

 

私たちの日常において、先のことに対する不安や焦りにより、今を集中できなかったり、先の大変さや困難さを考えて今やめてしまったりということは少なくないのではないでしょうか。

とにかく今できることに集中して動くこと、その積み重ねが大きな成果であり、唯一の道だということを肝に銘じるべきということです。

 

過酷な修行で見えてくるものとは?

千日回峰行などでは、毎日、山道を何十キロも歩くわけですが、何故そんなことをするのか?と疑問に思う人もいるでしょう。

その答えは、過酷な修行の中で悟るものがあるからです。

言い換えれば極限状態の中で、真理に到達するということです。

 

酒井大阿闍梨も、千日回峰行の中で大事な真理を感じとっておられます。

 

毎日山道を歩いていると、1日として同じ光景はなく、植物も動物も日々変わっている、

自然の中ではたくさんのものが繋がって生きていて、いつかは死んで他の生き物を支える役割をするということを感じ、次のように仰っています。

行の最中、力尽きてここで倒れて死んだら、ぼくの体は小山の土になるんだなあと思った。

それがうれしいような気がした。

いろいろな生き物たちの栄養になれるなら、それは幸せなことだなあと。

やがてだんだんと感謝の気持ちがわき上がってくるの。

いま、地球の中にいて、空気を吸って水を飲んでいること。

生きて生かされているということ、すべてに対してね。(中略)

ひざまずくと、「ありがとうございました」という言葉もお経も、自然に出てくるんだよ。

 

過酷な修行を毎日繰り返すことで、真理に到達するという一つの例だと思います。

だからこそ、大阿闍梨の言葉を人は求め、感じ入るものがあるということでしょう。

地球の多くの生命の中の調和した一部であること、そして生かされているということ、それを感じることで生まれる感謝。

穏やかな心、正しい心の源泉はここにあり、と教えてくれているような気がします。

 

自分の持ち場

かといって、誰もがお坊さんになり、毎日修行するわけにはいきません。

人にはそれぞれ持ち場があり、役割があると大阿闍梨は仰っています。

 

自分の人生として、何をすべきか。

何か仕事をしていても、その仕事のなかで「自分の役割」は何かを考えて、自分が「これだ」と思ったことをしていくしかない。

どんな道でも一生懸命歩いていれば、おのずと自分の形ができてきて、自分の輝く道ができてくる。

 

自分の役割を考えて、これだと思ったことを信じて一生懸命にやること。

そういう人が増えれば、お互いにいい影響を与え合って、社会も良くなっていくと大阿闍梨は考えておられます。

大阿闍梨ご自身の場合、昔は勉強も苦手、実業もうまくいかずといった人生の中で、仏道という道を発見し、そこに全力を注がれた結果、生き仏と呼ばれるまでになり、多くの人々に影響を及ぼすようになったのです。

 

しんどいときは

便利な世の中になった現代ですが、心が荒んでいるような人も大変多くなっています。

その要因を大阿闍梨は面白い例えで説明されています。

 

行者によって歩き方は人それぞれで、大阿闍梨は小柄なので割とちょこちょこ歩くタイプ。

今の行者は体が大きいから歩幅を大きくとって歩いていけることを例にとってこのように仰います。

結局人は自分の歩き方でしか歩けないんだよな。

自分の歩き方で歩いていかなきゃしょうがないしな。

 

その上で、交通機関が発達して、人が歩くのと比べものにならないほど速く移動できることが可能になった現代に対してこう話しています。

そんな時代だもの。本当は人間の心の世界というものはそんなスピードについていけないんだけども、置き忘れられてしまっている気がする。

心がおっつかないから迷ったり、生きるのがしんどくなる。世の中だってぎくしゃくしてくる・・・。

もういっぺん振り出しに戻ったり、本来の姿を振り返る必要があるんじゃないかと思う。

 

本来の姿を振り返ること、すなわちそれは、人間の自然な姿、歩くことです。

何かに迷った時は、歩いてみること、歩くことがきっと何かを教えてくれるというのが大阿闍梨のアドバイスです。

 

交通機関に限らず、情報を処理するにも、物を扱うにしても、もしかしたら、本来人間が対応できるはずの量を化学の進歩によって超えてしまったのかもしれません。

心が追いつかなくなって、どうしてよいかわからなくなった時は、じっくり自分の足で歩きながら考えてみるということが必要であるということです。

 

正しい考え方を育てること

自分の中に仏様がいることを修行の中で大阿闍梨は感じておられます。

きっかけは、朝早くお勤めされていた時のこと。

東から朝日が見え、赤く輝いています。

また別の場所から景色を眺めると、今度は月が青く光っていました。

 

そこで大阿闍梨は気づきます。

いつもお参りしている中堂の真ん中には薬師如来があって、日光菩薩と月光菩薩が両脇を固めている。

今見ている景色はまさに両脇の日光菩薩と月光菩薩である、

すると、薬師如来はどこにいるのか?

 

日光と月光の真ん中にいるのは自分、つまり自分の中に如来(仏様)がいることを感じたのでした。

 

なるほどそうか、仏さんなんて探したっていないんだな、自分の心の中にあるんだな。

そう気づいてしばらく時間が経つのを忘れて突っ立っていた。

仏さんはいつも心の中にいる。自分の心の中に仏さんを見て、歩いていくことなんだな。

 

日常の忙しい中でも、自分の心の中にいる仏様を時には意識して、存在を曇らせることがないようにしておくべきだと感じます。

曇ってしまったときこそ、良からぬ考えが沸き起こり、心が荒んでしまう状態にあると言えます。

 

仏様がしっくりくる人は、仏様で、

神様や、他の大きな対象でも良いと思います。

自分の中にある正しい心の源泉を曇らせないこと、いつも意識することが肝要なのではないでしょうか。

一日一生

一日一生の大切さを知る多くの偉人

いかがでしたでしょうか。

これまで、酒井大阿闍梨の教えを書いてきました。

著書の題名にもなっている一日一生ですが、同じように、今を生きることの大切さを主張している人は他にも大変多く存在します。

 

スティーブ・ジョブズも大学の卒業式の講演で、「今日」の大切さを話しています。

私が他の記事にも書いている自己啓発の権威、デール・カーネギーもまさにその一人です。

また、同じ仏教の大阿闍梨で、千日回峰行を満行された塩沼亮潤大阿闍梨も、表現は違いますが、過酷な修行の中で酒井大阿闍梨と同じような境地を語られています。

(興味がある方は以下のリンク記事を参考にしてください。)

 

情報量も多く、複雑な世の中で、ストレスを感じたり、生き方に迷いが生じたり、誰にでも起こりうることです。

そんな時は、是非先人の大切な言葉に耳を傾けてみてください。

日常の視点よりも一段高い視点に立つことができます。

正しい考え方がブレないようにするために大変効果的です。

 

書籍はこちら

一日一生

 

以下の関連する記事や書籍の紹介についても興味のある方は是非ご覧ください。

 

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