地方出身者が感じた都会との違い
先日、久しぶりに地元の小中学校の先輩と話す機会がありました。
育った環境がほぼ一緒で、田舎の小中学校を卒業した後、県下の進学校、そして東京の大学に進学したという共通点があります。
昔のことを話していて問題になったのが地方と都会の情報格差※です。
※IT知識がある人と無い人の情報格差(デジタルデバイド)ではなく、単純に、地域によって得られる情報の量と機会に差があるという意味です。
世の中、たらればを言い出したらキリがないのは承知の上で、もし、田舎じゃなくて、都会の学校に通っていたら、少なくとももっと情報に触れる機会はあったよね、という話になりました。
二人に共通することは、進学するたびにカルチャーショックを受けてきたことです。
私たちは、中学校までは、1学年60人程の小さな学校に通っていました。
私立の小中学校にお受験するという文化が無く、近所の子はみんな同じ小学校、中学校に通います。
小学校は授業後は外で元気よく遊び、中学校は部活動に勤しみます。
道を歩いていても、興味を引くものは特にありません。
寄り道して買い食いができるようなところもありません。
人口は多くないので、伸び伸びとした雰囲気です。
車で少し走れば、一通りのものは手に入りますし、とても暮らしやすく良いところなのですが、狭い町社会で、閉ざされた環境であったことも確かです。
生煮えの情報では意味がない!
そんな環境で、私と先輩は、各々の学年で1番の成績をとっていました。
同じ部活に所属しており、練習もそれなりに厳しかったですが、両立させていました。
それが高校に入ると、当然周りにもっと勉強ができる人がいます。驚きます。
「こんな人がいるんだ!」とカルチャーショックを受けます。
文武両道は何も特別なことではないということを認識しました。
そこから新しい環境に馴染んで、追いついて、二人ともめでたく大学に入学しました。
東京に出たのですが、そこでもまたカルチャーショックです。
田舎者が都会の洗練された感じに物怖じします。
本当に今までに見てこなかったものがたくさんあるのだと感じました。
また、自分よりも数段努力してきた人、才能を持った人、全く違う人生を歩んでいる人と知り合い、こんな生き方もあるんだなーと考えさせらえることもありました。
もっと早くこんな人と知り合っていれば、と思うこともありました。
例えば、部活についての考え方です。
先ほど、私の中学の時の部活について、「それなりに厳しかった」とさらっと書きましたが、当時は、「世界一厳しい部活なんじゃないか」と本気で思っていました。
全国大会を目標にするチームでしたので、休みも少なく、練習内容も先生の指導も他校よりも厳しかったのです。
毎日の練習はとても苦しかった記憶があります。
しかし、大学や、会社に入って知り合った人たちの話を聞くと、私が所属していた部活なんて優しい方だと思えるようになりました。
甲子園、花園の常連校や、各競技で全国屈指の強豪校に所属していた人たちの話を聞いたからです。
練習量、特に走る量、そしてプレッシャーのかかり方が私のそれをはるかに凌駕していました。
何より、そのような人たちが、どのような思いで部活に臨んでいたのか、意識の高さに感心しました。
私の部活への取り組み方は、自主的に考えない、やらされる部活だったのでうまくなるはずないのだということが後になってわかりました。
自分の目の前にいる人が、そんな過酷な練習に耐えて、甲子園に行っていたのだと思うと、自分が経験した部活が苦しかったなどとは言えませんでした。
もし当時、知り合いに自分よりもはるかに過酷な環境で上を目指す友人がいたら、受けた影響は大きいと思います。
部活に対する考え方、取り組み方も変わっていたかもしれません。
当時私が見えていた部活という世界は、同じ学校の部活と地域の他の学校の部活くらいしかありませんでした。
自分はその中で最も過酷な状況にいるのだと思い込んでいました。
笑われそうですが、事実そう思っていたため、それ以上の厳しい環境など想像もできなかったのです。
「なんて自分は厳しい環境に身を置いて努力しているのだろう、健気だ、素晴らしいじゃないか!」と本気で思っていました。
今考えれば勘違いも甚だしいのですが。
中にはこう思われる方もいるかもしれません。
「学力のことで言えば、例えば全国模試を受けていれば、自分より上の学力がある人がいることくらいすぐわかるじゃないか。」
「都会では色々な人がいて、色々な生き方があることだってTVや雑誌を見ればわかるでしょ。」
「甲子園を見ていれば、厳しい練習なんだろうなって想像くらいつくでしょう。」
確かにその通りです。
でも、実際に知り合ったり、話したり、直接関わっていない人は、現実味がありません。
架空の人物と同じです。
言ってみれば聞くだけの情報は「生煮えの情報」なのです。
口に入れて消化する(価値ある情報として取り込む)ことは難しいのです。
消化不良を起こします。
食事を残した時に、母親から「外国では、食べたくても食べられない子がたくさんいるんだから残さず食べなさい」と言われて、素直に聞く子がどれほどいるでしょうか。
反対に、実際に貧困に苦しむ国に趣き、飢餓に苦しむ子供と知り合ったら、どれほど強い印象が植えつけられるでしょうか。
食べ物を残さないどころか、募金や支援活動まで発展するかもしれません。
それほど生きた情報と接することは影響が大きいのです。
情報と接する機会が多い都会
大学で知り合った友人の中にこんな人がいました。
高校生の時に、親から100万円を投資してもらい、自分で株をはじめたというのです。(自発的にかどうかはわかりませんが)
「あそこ(我々の地元)にいたら、そんなこと考えられないよね!周りもそんな人いないし!」
と先輩とお酒を飲みながら話していたのですが、当時では別世界の話だったのです。
中には、堀江貴文さんのように、地方出身で周りに同類の人がいなくても、パソコンに興味を持ち独学でプログラミングを始め、時代の先頭を行く能力を身に着ける人もいますが、そんな子供は超少数派です。
都会で暮らしている人の方が新しい情報を入手する確率は高いです。
偶然の出会い、新しいものを目にすること、体験すること、知り合いから勧められる機会は多いでしょう。
周りにいる人の数が違います。
先のように、株投資をはじめた同級生が間近にいれば、自分もやってみようと思えるかもしれません。
最新のサービスを受けられるという情報が入れば、大概は都心で行われますので、都会に住んでいる人は、じゃあ体験してみようかとなりやすいのです。
アイドル、、、は詳しくないですが、多くは東京でスカウトされたり、最新のダンスレッスンを東京で受けて、周りのライバルと情報交換したり切磋琢磨したりするのではないでしょうか。
私の妻は上海出身です。
中国の中では経済が最も発展しており、様々な国の企業が進出する国際都市です。
そんな環境で育った妻は、中国の他の地域に行っても、「なんて遅れた地域!上海が一番進んでいるところだわ!」と思うことはあっても、私や先輩が感じてきたようなカルチャーショックを受けた記憶は無いそうです。
地方間の情報格差が全てなくなることは難しいのが現状かと思います。
インターネットを利用して自ら発信して繋がることはできる!
一方でインターネットがここまで発達したことは情報格差を縮める大きな可能性を持っています。
地方にいてもできることといえば、自ら発信すること、繋がること、求めることです。
今の時代、簡単に繋がることができます。
私たちが中学生のころと比べて一番変わったことはインターネット利用環境です。
当時は携帯電話など持っていませんでしたし、インターネットを通じて積極的に情報発信するということがまだ浸透していませんでした。
世界中の人とコミュニケーションが取れる時代ですからその恩恵を逃す手はありません。
逆に、田舎から都会に発信できることもたくさんあります。
田舎でしか経験できないこともありますし、地元の中学校だからこそ鍛えられたこともあります。
都会育ちで私立組の人にはわからない大事なこともあると思っています。
私立組の役に立ったかはわかりませんが、地元の暴走族の話などは、ウケが良かったです。
まずは発信することです。
新たな情報、出会いを求めることです。
子供のうちは、親の手助けが必要です。
前述の株の友人も恐らく親御さんの影響が大きいでしょう。
自分の考えや学んだこと、興味があることを発信するところまで導いてあげられれば、あとは無限に繋がる可能性があるのです。(犯罪に巻き込まれないよう監視は必要ですが)
都会の偶然の出会いが無くても、発信しているうちに、必然の出会いが降ってくるのではないかと思います。
それに触発され、次のステージに進むことができれば、そこに地域差は存在しなくなります。
おまけ:専用サイトの立ち上げ
私は、そんなコミュニケーションを手助けするサイトを立ち上げたいと思います。 子供のアウトプット専用サイトです。
子供が普段の学びから得たこと、感じたことを専用サイトでアウトプットします。 それを大人がサポーターという位置付けで、アドバイスを送ったり、疑問に回答してあげたりするイメージです。
私のような田舎者でも、例えば経済に興味があれば、経済界の第一線で活躍する人からアドバイスをもらえる可能性を作ることができます。アウトプットすることで、新しい発見や出会いに繋がるのです。
直接出会える訳ではありませんが、やりとりは実際の人間とのやりとりです。TVや雑誌で得る情報とは新鮮さと影響力が違います。
ベータ版はこちら、今後アップデートしていきます。
以上、ここまで読んでいただいてありがとうございました。
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