こんにちは!Jimmyです。
野球好きな私は、高校野球、プロ野球、アメリカのメジャーリーグなどをよく見ます。
ふと野球を見ていて考えることがあります。
日本の野球が強いのはチームワーク、チームプレイのなせる技なのか?
野球に限らず、日本人の強みはチームプレイ、チームのためにという精神だと言われることもしばしば。
実際、そう考える人が多いと思います。
身体能力や身体の大きさからして、メジャーの選手たちは日本選手を上回ります。
しかし、本当にそうなのか? と疑問です。
メジャーリーグの選手は、個人主義で契約社会の中にいるため自分勝手と言われることもあります。
しかし、試合を見ていると、チームとしてよく機能しているように見えるのです。
少なくとも、自分のことだけを考えているようには見えません。
バリバリのメジャーリーガーが日本に来ても、
「チームのために」と言っています。
結論は、自分を確立して初めて、チームプレイは存分に機能するということに尽きます。
日本人に多いチームプレイは、自分があやふやなままで、チームのためにと言っている状態です。
この違いは小さくありません。
考え方を変えていくべきではないかと思います。
そういうわけで、今回は、日米の野球と企業の実態を見ながら、
チームプレイ、チームワークのあり方について述べていきます。
メジャーリーグのチームプレイ・チームワーク
上原浩治さんの言葉
以前、元プロ野球選手の上原浩治さんのインタビュー記事を読んだことがあります。
上原さんは読売ジャイアンツ、メジャーリーグのボストンレッドソックスなどで活躍、ワールドシリーズ制覇も経験された、日本を代表するレジェンド投手の一人です。
記事の中で、チームプレイについて、上原さんは日本とメジャーリーグを比較されていました。
メジャーに行く前は、日本の方がチームワークがよいだろうと思っていた。
しかし、実際に行ってみると、メジャーの方が「チームで戦っている」という意識を強く感じたそうです。
デビット・オルティーズのようなメジャーを代表するスター選手が、公私にわたって他選手を引っ張る姿を見てきたそうです。
移動中の時間からオフシーズンまでというのですから、気まぐれのサービス精神や義務感ではできません。
雰囲気もよく、チームで戦うという意識が強くなったと振り返っておられました。
さらに、日本の野球界について、「チームのためにという意識が強すぎるのでは?」
という発言がありました。
メジャーリーガーも、上原さん自身も、「チームのために」よりはまず「自分のために」が先。
自分のためにやった先にチームへの貢献があるという考えです。
オルティーズの場合も、まずはとことん自分と向き合い、ひたすら自分のために努力して、結果を出したはずです。
その上で、チームのために、公私にわたって貢献することが必要だと感じ、自発的にできるようになったのでしょう。
上原さんの、「監督を男にしたい!」という前に「自分が男になる」べきという言葉が印象に残っています。
<記事の出典元>
自己確立なくして自己犠牲なし
チームプレイと言えば爽やかな響きをともないますが、実際のチームプレイには自己犠牲がつきものです。
自分を犠牲にするわけですから、簡単にはできません。
むしろ、よほど強い自分がいないと、継続することはできないでしょう。
ですから、自己犠牲ができるということは、自己確立していることでもあると考えます。
自分のあるべき姿を自分で腹に落とし込んでいるからこそできる行動なのです。
契約社会のメジャーリーグでも、チームの勝利のための自己犠牲の精神が見てとれます。
ポストシーズン(優勝決定のために成績上位者同士で争われる試合)で、怪我のリスクを承知で、チームの中心的な投手が連投を志願することもあるそうです。
監督から請われて、仕方なく投げるわけではなく、自分のあるべき姿、あるいは個人としての信念に基づき、自己犠牲を買って出ているのです。
もちろん無理をして怪我でもすれば、誰もかばってはくれません。
相手チームに打たれれば、容赦なく批判されるでしょう。
大きな損害、場合によっては即引退の可能性もある厳しい世界です。
そのような行動は、単にチームプレイが大事だからという理由では到底できないでしょう。
どのような矜恃を持っているのか、人それぞれだと思いますが、
メジャーリーグでは、自分のために努力してきた結果としての自己確立が前提にあるようです。
自発的なチームプレイ精神
これは、日本の一部のスター選手にも言えることだと思われます。
言われてやる、空気を読んでやるのではなく、自発的にチームプレイを実行する心境になっているのでしょう。
繰り返しますが、とことん自分のためにやってきたからこその自発的なチームプレイです。
自分の役割を認識し、そこに信念を持っているからこそ、惜しみなくチームプレイができるとも言えます。
そこには、単に勝利至上主義やチーム内の生き残り競争といった概念を超越した力強さを感じます。
また読売ジャイアンツの例になってしまいますが、外国人選手にパーラとウィーラーという選手がいました。(2020年度の話)
チームのメンバーが打って、喜んでいる姿がとても自然に映ります。
外国人枠という競争枠があるため、日本人以上に厳しい環境にありますが、チームメンバーが活躍しているのを、心底飛び上がって喜んでいるような印象を持ちます。
とことん自分のために努力した結果としての自己確立、それが自発的なチームプレイにつながっている。
だから、楽しむことができているのだと思います。
日本人のチームプレイとは?
契約社会で、個人に徹しているイメージのあったメジャーリーガーですが、自分のためにやってきた先に、自主的なチームプレイの精神を持つことができるという話をしました。
では日本のプロ野球の場合どうなのか。
もちろん、日本のプロ野球でもチームワーク、チームプレイは当たり前のこととされており、誰もが意識しています。
日本で行われているチームプレイについて考えてみます。
個を捨てチームのためにという意識
日本のプロ野球、ひいては高校野球などもそうですが、チームプレイとほぼ同義にとらえられているのが、個を捨てるという概念です。
チームの勝利のために、個を捨てること。
個人ではなく、チームのためにという意識で考えることを、まず最初に求めます。
名監督と呼ばれている人たちでも、このような考えの人が少なくありません。
つまり、入り口が、自主的ではなく、強制的なチームプレイなのです。
さらに、「個を捨てろ」とまで言われるわけです。
自主的なチームプレイと強制的なチームプレイ。
メジャーリーグと大きく違うところは、ここかと思います。
窮屈そうに見える
そのためか、日本のプロ野球選手、特に若手選手などを見ていても窮屈そうに見える時があります。
高校野球などは、(一時期よりはよくなりましたが)怖い監督に言われるがままのようなチームもあります。
上原浩治さんも指摘する通り、チームのためにという意識が強すぎるのでしょう。
本来の自分のスタイルを探し求めることや、自分らしく振る舞うことができていないように思います。
せっかく素質のある選手なのに、小さくまとまってしまうことが少なくありませんが、周りの圧力で、自分を確立できなかったのかなと思わずにはいられません。
野球が好きではなくなった人も多いのではないかと思います。
もちろん、チームが試合に勝てば嬉しい、報われた思いもあるのでしょうが、終始周りや監督の顔色を伺っている印象が先立って入ってくるのです。
自分を確立できずに震えている(ように見える)
自分を確立できない状態では、プレッシャーを受けると精神的にも辛いはずです。
そもそも、個を捨てろと言われているわけですから、無理な話ではあります。
そのようなプレッシャーに負けない人、もしくはそういった枠に収まらない人も、確かにいるようです。
しかしそれは、能力の飛び抜けている一部の選手だけ、もしくは天才肌の選手だけでしょう。
「まずは自分のためにやっていた」と仰る上原浩治さんも、まさにこの部類なのかもしれません。
何しろ、プロ入り初年度に20勝という偉業を達成してしまったわけですから。
画一化された組織力か意思ある組織か
メジャーリーグ選抜が本気になって日本プロ野球選抜と対戦することは、いまだに実現していません。
そのため、想像するしかありませんが、やはり実力の差はまだまだあると思われます。
その差は身体能力の差だけではなく、自主的なチームプレイ精神・チームワークの差でもあると思います。
自主的に考えるからこそ自由な発想が生まれます。
メジャーの選手は、率直に言って、変な投げ方、おかしな打ち方をしている選手がたくさんいます。
二番バッターに最高の選手を配置するのも、スターターという概念も、全部メジャーリーグからです。
いつも進化しよう、もっと良い方法があるはずだと模索しているように感じます。
日本では、選手一人一人のプレイは洗練されていて、意識統一もされています。
場面場面で非常に的確な判断がなされているように見えますが、これこそ、押し付けられたチームプレイの賜物でもあります。
全体としてみれば画一化された組織なのです。
(すごい技術なのだと思いますが)何か同じような右打ち職人、似たようなフィールディングの選手が多いように思います。
(もちろん、それが大きな強みとなることもあるのですが)
これだけ歴史も実力もある日本のプロ野球なのに、日本発信で世界の主流を変えていくという事例が一つもないのは、自主性、自己確立の違いと無縁ではないと感じます。
近年になって、日本でも、自主性を重んじるチームを作ろうとする監督も出てきているようです。
途中に壁はいくつもあるとは思いますが、そのようなチームが、真のチームプレイを披露してくれることを楽しみにしています。
会社におけるチームでも同じ
私たちの多くは野球選手ではなく、他のビジネスに携わっています。
ところが、今回野球を例に考えたチームプレイの違いは、多くの企業についても同じような特徴として現れています。
まさに、押し付けられた、強制的なチームプレイがそのまま当てはまります。
隷属、命令、押し付け
今でも、一斉に開始される就職活動が日本の特徴です。
同じ時期に採用した新入社員を一堂に集めて、兎にも角にも、愛社精神醸成のための研修に取り掛かります。
個人としてのあり方よりも、会社としてのあり方を学ばせ、考えさせます。
この時点で強烈に、強制的なチームプレイ精神を徹底させます。
自己確立からは遠ざかります。
経験とスキルは高まりますが、いつまで経っても、自分の生きる道、信念を見出せず、いつしか会社に隷属するだけの存在になってしまう人が多いのです。
その証拠に、「これが私のあるべき姿だ!」という力強い言葉を言った人を私はほとんど知りません。
「これがサラリーマンとしてのあるべき姿だ!」というセリフは耳にタコができていますが。
チームプレイ・自己犠牲は難しい
チームプレイには自己犠牲はつきもの、そして、「自己確立なくして自己犠牲なし」である旨書いてきました。
愛社精神教育によって育てられた社員は、本当の意味で、自己犠牲などできない人がほとんどなのです。
身を粉にして会社のために働いている、会社のことを第一に考えているという反論も聞こえてきそうです。
しかし、自己犠牲だと思っていることは、結局自分を守ろうとしていることに他ならないのです。
第一、身を粉にしているといっても、言われたことをやっているに過ぎないことがほとんどです。
第二に、損得勘定、忖度ありきの発想で動くことがほとんどです。
「献身的な社員だと思われるだろう、評価が上がるだろう、上司がそれを求めているから空気を読んでやっておくか」という感じでしょうか。
もっと悪く言えば、チームプレイを標榜して、皆でやって、何かあったら責任を他者に押し付けよう。
自分だけのせいにはしない、責任の所在を不明確にしよう、そして成果があればできる限りアピールしよう。
そのような考えもあるでしょう。
本当のチームプレイは、全く逆です。
責任を引き受け、矢面に立って、明確にチームの目指すべき方向に向かわせるからチームプレイなのです。
私はプロ野球選手ではありませんでしたので、野球については上原さんの言葉から追体験するしかありませんが、
日本の企業については、実際にそのような光景をたくさん見てきました。
「会社のために」という言葉は自己正当化の言い訳として都合がよいときに使われ、ときに足の引っ張り合いに使われます。
先ほどのポストシーズンのメジャーリーガーのように、
敢えて大きな危険を冒して、求められてもいない、他者がやっている難しい仕事を引き受けようと直訴する人がいるでしょうか。
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最後に まずは自分を固める大切さ
今回は、日本の野球とメジャーリーグの野球を例にチームワーク、チームプレイについて考えました。
上原浩治さんが実際に体験された、メジャーのチーム意識と日本のプロ野球に欠けていること。
これは、日本の企業においてもよく当てはまり、実際に企業の力として、業績やイノベーションの寡多としても説明できます。
上原さんは、「チームのために」をまず先に口走る人は、自分から逃げているように感じると仰っています。
上原さん然り、当時のチームメイトのオルティーズ然り、自分のためにとことん努力した先にあるチームプレイです。
強制されるチームプレイではそこまではできません。
自分の生きるべき道、特徴、やるべきこと、やりたいこと、
その先にある自己確立。
これらが当たり前にある人が、日本には圧倒的に少ないのではないかと思います。
日本人は、チームプレイは得意なようで得意とは言えません。
言われたことをやるのが得意と言った方がよいでしょう。
それが力を発揮することもありますが、野球にしても、企業にしても、画一化された方法や戦略では、メジャーには勝てないでしょう。
会社のために、組織のために、チームのためにはもちろん大切ですが、まずは自分のために、自分のあり方を徹底的に探し求めるべきです。
その先に、本当のチームワーク、チームプレイが待っているのではないでしょうか。
以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。
日本人が当たり前に考えているよくない慣習や考え方について以下の記事も参考にしてみてください。
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