将来は親方希望 白鵬が帰化した経緯
こんにちは、Jimmyです。
今回は、モンゴルから日本への帰化申請を決意し、日本人となった白鵬について、そして外国人力士に対する処遇への私なりの疑問を呈していきたいと思います。
以前から白鵬は、引退後は親方となり、後進の指導にあたることを強く希望しています。
親方の中でも、現役時代特別な功績を残した者のみに許される「一代年寄※」を「モンゴル国籍」のまま襲名しようと画策していたのです。
相撲協会の規定によると、日本の国籍を持っていないと親方になることはできません。
そのような規定は以前からあるのですが、白鵬は自身の功績を考え、例外的にモンゴル国籍のまま親方になれる道があるのではないかと画策してきたわけです。
「年寄」とは親方になるための資格のようなものです。引退後も現役の四股名を名乗ることができる特別な資格が「一代年寄」です。過去認められたのは、大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花の4名のみです。
しかし、協会側は頑として認めない姿勢を貫いてきました。
貴乃花親方が廃業したことで、相撲協会にとっての不穏な存在は、言ってみれば白鵬だけとなりました。
優勝インタビューで三本締めをした行為に対し、わざわざコンプライアンス委員会に調査を委ね、けん責処分とするなど、溝は深まるばかりです。
ちなみに三本締めの何がいけなかったかについては、相撲協会規定にある「土俵上の礼儀、作法を欠くなど、相撲道の伝統と秩序を損なう行為」に該当する可能性があるということです。
以前、万歳三唱で注意したにもかかわらず、また同じようなことをしたということで、このような処分にしたのでしょう。
協会側は、白鵬を厄介者として考えている様子が伺えます。
白鵬が親方になって、モンゴル派閥のようなものを作って一大勢力になるのを警戒しているようです。
話が長くなりましたが、このような背景があり、
白鵬としては、今後どう考えても相撲協会からの例外的措置は望めないだろうと判断したのでしょう。
ついに帰化申請をするに至ったのです。(2019年9月、正式に許可)
日本国籍を持っていれば、堂々と親方への道を模索できます。
外国人力士、外国出身力士のルールと歴史
帰化することは、当然大きな決断です。
当人が有名で人気があればあるほど、本人にとっても国民にとっても大きな影響を及ぼします。
モンゴルからしてみれば、批判の声が上がるのも当然です。
それほど大きな決断をしなければ、親方になることができないのが現状です。
外国人力士にとっては、自分がずっと歩んできた道を、国籍を理由に諦めざるを得ない状況です。
外国人力士への処遇は厳しいものがあります。
現在、幕内上位には外国人力士が大勢います。
2019年3月場所の番付で見ると、幕内には42人中9人が外国人(もしくは外国出身力士)です。十両では28人中6人です。
力士全体からすると、外国人力士の割合は5%~7%程度です。
外国人力士が強く、上位に行くため、多く感じられるだけということです。
外国人力士の始まりは、戦前に一人、日系アメリカ人力士がいたようですが、多くの人に知られているのは、高見山でしょう。
愛嬌のあるキャラクターと独特の風貌で人気を集めました。
来日は1964年、最高位は関脇でした。
その後、1990年代に活躍したのが、小錦、曙、武蔵丸のハワイ勢です。
小錦は大関、曙、武蔵丸は横綱になりました。
そして2000年代からはモンゴル人の独壇場です。
相撲協会は、上位に外国人力士が多くならないように措置をとってきました。
1992年に、各部屋につき、外国人力士は2人までとする規定を設けました。
2002年からは各部屋につき1人とし、2010年には、「外国人」を「外国出身」と変更することで、帰化した人も外国人枠に数えられることになりました。
このような強硬策を取らなければ、外国人力士は、今よりも上位を独占していたかもしれません。
日本人力士が優勝できない場所が、何場所も続いた時期がありました。
2006年1月場所の栃東以来、2016年に琴奨菊が優勝するまでの実に10年もの間、日本人が優勝することができなかったという結果があります。
ご存知の通り、長年日本人横綱がいない時代が続き、強い日本人力士を相撲ファンは熱望していました。
稀勢の里が白鵬に勝つと、万歳コールが起きるような異常な状況でした。
稀勢の里が横綱に昇進したのが2017年ですが、その前に日本人横綱が誕生したのは、20年近く前まで遡り、1998年に横綱になった若乃花です。
このように、外国人力士は、1990年代以降、上位力士の常連に多く名を連ねるようになりました。
それとともに、外国人力士に対する人数規制は強化されていったのです。
なぜ外国人力士が増えたのか?
では、そもそもなぜ外国人力士が増えていったのでしょうか。
答えは簡単です。
新弟子不足で部屋存続の危機にあった多くの相撲部屋が、外国人力士に活路を見出したからです。
相撲の稽古、あるいは力士や相撲部屋に対してどんなイメージを持っていますか?
今でこそ協会の努力もあり、「スー女」なる相撲ファンの若い女性も増えてきたようですが、
私が幼かった頃、若貴ブームの前などは決してそのような明るい雰囲気はありませんでした。
相撲の稽古といえば、、
→ きつい、古い慣習、暑苦しい、時代遅れ
力士といえば、、
→ 太っている、醜い、まわしがかっこ悪い
相撲ファンを除けば、若者は概してこのような印象を持っていたと思います。
何しろ大相撲の大ファンである私も、年頃になると、まわしをつけるのは少し恥ずかしく感じたのを覚えています。
周りを見渡せば、かっこいいユニフォームを着て、若い女性から声援を浴びるスポーツがたくさんあります。
私の故郷愛知県蒲市は、元横綱、玉の海(1971年没)の出身地です。
活躍した時代が違うとはいえ、地元でも、あまり話題に出ることはありませんでした。
このように、相撲人気の低迷期があり、各部屋は新弟子不足に悩まされました。
相撲を選んでくれる、若くて強い日本人が少なかったのです。
相撲部屋にとって、強い力士の育成、新弟子の確保は部屋の存続をかけた一大事です。
相撲部屋の収入、運営は、協会からの各種補助金とタニマチからの支援で成り立っています。
力士の人数に従って支給される補助金もありますが、それだけでは不十分です。
十両以上(つまり関取)を輩出した部屋に支給される養成奨励金は、部屋の運営にとって重要な資金源でした。
また、強くて人気のある力士には、タニマチの支援も大きくなります。
そのため、強い力士を育てることは、部屋の絶対的な使命なのです。
しかし、時代が時代です。
将来性のある力士はおろか、新弟子の数すらままならない状態が続くことになりました。
毎場所前に新弟子検査が行われますが、人気低迷期は全部屋通して新弟子ゼロという場所もあったほどです。
そのような中で、注目されたのが外国人力士でした。
日本人よりも体格に恵まれ、何よりハングリー精神のある若者が海外にはたくさんいます。
そこで、各部屋が、競うように外国人力士の獲得に乗り出しました。
有望に見える、外国人の子供をスカウトするようになったのです。
そんな外国の子供たちの多くは、出世して親に楽をさせてあげたいという使命感に燃えていました。
厳しい練習や慣れない環境にも耐え、関取へと昇進していったのです。
つまり外国人力士が増えたきっかけは、相撲部屋の存亡の危機に際し、相撲部屋関係者自らが、スカウトして連れてきたから、ということです。
低迷する相撲界を支えた外国人力士
そんな外国人力士は、相撲界の発展のために大きく貢献しているといえます。
野球賭博問題や、八百長問題に揺れた時期がありました。
前代未聞の、「本場所取りやめ」という措置も取られる中、一人横綱として土俵を支え続けたのは横綱白鵬です。
迫力のある相撲を取る力士が少ない中、目の覚めるような気迫のこもった相撲で観客を魅了したのが朝青龍です。
また、外国人力士の活躍により、相撲の国際化(SUMO)、海外への認知、関心、外国人観光客の獲得にも大いに貢献しているといえます。
相撲の新たな楽しみ方をもたらしてくれたと私は考えています。
例えば、外国人力士同士の力比べの迫力です。
技術は褒められたものはないかもしれませんが、がっぷり四つで小細工無しの力比べをする相撲は、手に汗握ります。
最近でいうと、逸ノ城(モンゴル) vs 栃ノ心(ジョージア)などの取組です。
やはり120キロ台の力士同士の力比べより、200キロ級の力比べは迫力が違います。(引きつけ合い、押し合い)
体の大きさで小錦、突き放しで曙、怪力で武蔵丸、栃ノ心、スピードの日馬富士と、今までの日本人には無い魅力を持った力士を多く輩出しました。
帰化は必要?いいとこ取りは許されるのか?
以上を踏まえて、私は疑問に思います。
親方就任のルールだけ、なぜ外国人はこんなに強硬に認められないのか?
モンゴル国籍であっても日本国籍であっても、白鵬の功績は何ら変わりません。
新弟子不足に悩んでいるときは、外国人を連れてきておいて、一定の成果を上げ活躍し、いざ親方になって後進の指導に当たろうと思ったら、外国人を認めないというのは理不尽です。
相撲協会は”いいとこ取り”をしているように思います。
伝統は守るべきではあると思います。
江戸時代からの伝統を受け継いできたからこそ、今の相撲の素晴らしさがあります。
それに異論はありませんが、国籍の問題で何が変わるのか疑問です。
ルールだからと言って、それでおしまいでは済まされません。
現にルールは、何度も実情に合わせて変えられています。
先ほども述べた通り、白鵬は白鵬です。
国籍を変えても変えなくても、おそらくやりたいことは変わらないでしょう。
外国人力士の環境改善や地位向上のために尽力したいという気持ちは当然あるでしょう。
そうなると、モンゴル勢が徒党を組んで白鵬を理事長に押し上げるようなことになったら大変だと協会側は考えているのです。
何が大変だと思っているのか。
それこそ、”何かが”変わってしまうことに対する不安に他なりません。
異分子を排除することに躍起になっている相撲協会は、自分たちの都合のよいように規定を作り、あるいは頑なに守ります。
白鵬の言動に、日本人として目に余るものがあるというのはわかります。
しかし、それをしっかり指導し改善して、日本の国技として、力士のあり方を理解させるのが、外国人を受け入れた側の責任です。
うまく言うことを聞いてくれないから、排除しようとするのは相撲協会のよくない体質です。
自分たちにとって、都合の悪い変化だけを受け入れないようでは、相撲界の未来は明るくありません。
外国人力士が台頭するようにしたのは、他ならぬ自分たちです。
そうであれば、外国人力士が思う存分活躍でき、平等な権利を与えることも当然の流れです。
伝統を守りながら、時代に合わせて変化を加えていくのがあるべき姿です。
今後、白鵬以降に活躍する外国人力士のためにも、このようなルールは変えていくべきだと考えます。
最後に ファンの期待は白熱した相撲
そもそも、相撲を観戦するのは、白熱した気迫のこもった相撲をたくさん見たいからです。
ファンであれば、それを一番に望みます。
もちろん私にも、日本人力士にもっと活躍してほしいという願いはあります。
早く、次の日本人横綱が誕生してほしいという気持ちもあります。
稀勢の里が白鵬の壁を超えられず、負けるたびに残念に思っていたのも事実です。
しかし、同時に、日本の相撲界を支えてくれた外国人力士たちには、感謝の気持ちも持っていますし、それなりの報いをするべきであるとも思います。
外国人力士に対する差別は避けるべきです。
相撲ファンであれば、素行の悪い外国人力士でも、よい相撲を取れば、素直に賞賛の拍手を送ります。
心無い罵声を浴びせているのは、本当の相撲ファンではないと思っています。
私は、外国人だけが差別的な扱いをされることは望みません。
功績を残した力士には、それが外国人であっても、同様の処遇をするべきです。
今後も、多くの名力士が誕生し、白熱した良い取り組みを期待しています。
長くなりましたが、本題は以上です。
相撲についての他の記事も書いていますので、是非ご覧ください。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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