なぜ大相撲の功労者 白鵬は嫌われ、叩かれるのか?

横綱に求められる品格

こんにちは!相撲ファンのJimmyです。

今回は、大相撲の横綱白鵬(※当時)が、なぜ世間から叩かれるのかについて書いていきます。

(※2021年9月に引退)

 

横綱になって数年経ったあたりから、白鵬はことあるごとに批判されるようになりました。

協会の親方衆、横綱審議委員会、ファンの一部から苦情やバッシングを浴びせられることが毎場所のようにありました。

 

横綱としてふさわしくない相撲の取り口、振る舞いを指摘されるケースが多いのですが、

これには大相撲の横綱に求められる「品格」が関係します。

大相撲の成り立ちや伝統も背景にあるのです。

 

まずはじめに、白鵬は大相撲における大変な功労者と言って間違いないでしょう。

記録については、優勝回数を筆頭に、幕内での勝利数、通算勝利数も歴代1位に輝いています。

 

この記録達成の途中では、賭博問題、八百長問題に揺れた時期もありました。

本場所は中止となり、技能審査場所となるという前代未聞の事態が発生しました。

 

強い横綱が育たない中、一人横綱の時代が長く続いたこともありました。

土俵の外では、子供達のための相撲大会である「白鵬杯」を設立し、相撲の発展に寄与しています。

八百長騒動の冤罪で、長く土俵に上がれなかった力士に対して、積極的に稽古をつけるなど、人間性もしっかりした人物です。

 

しっかりした人間性がなければ、ここまでの記録を打ち立てることはできなかったでしょう。

しかし、白鵬は土俵上での取り組みの仕方や、土俵外での言動について、度々横綱にふさわしくないと叩かれています。

相撲という日本の国技を引っ張ることは、大変難しいことなのだと改めて感じます。

スポーツと明らかに一線を画す相撲

「国技」と書きましたが、相撲はスポーツの部類に入れて良いのかどうか、はっきり言って微妙です。

相撲の起源はスポーツではありません。

 

よく日本の伝統的なスポーツと混同され、武道のようなイメージを持たれることもありますが、

相撲は武道とは関係ありません。

 

相撲は、日本の伝統宗教である神道と深く関わりがあります。

起源は神事です。

 

定期的に天皇皇后両陛下が観戦されるのも、そうした伝統が背景にあります。

(ちなみに天覧相撲の時は、土俵入りや結びの一番の行事の言葉が普段と違うように設定されています)

 

神事として執り行われたのが相撲であり、「横綱」というのはその神事において、「神の依り代」(よりしろ)であることの証とされています。

神が宿る場所、御神木のようなイメージです。

 

そのため、強さと同等、それ以上に「品格」が重要視されるのです。

 

相撲協会の横綱推薦における条文を見ると、

「横綱に推薦する力士は、品格、力量が抜群であること」

と明記されています。

 

では品格とは具体的にどんなものなのか、相撲協会で一応定めはあるのですが、非常に抽象的です。

社会に対する責任感常識ある生活態度、などがあったと思いますが、具体的に示されているものではありません。

 

相撲は、他の「スポーツ」とは明らかに一線を画しています。

それを理解し、完璧に振る舞うことは大変難しいことです。

ましてや、白鵬は外国出身です。

 

次に、相撲の特殊性について具体的に書いていきます。

品格=寡黙!?最初から最後まで声を発しないスポーツ

世の中には、たくさんのスポーツがあります。

日本で馴染みのあるスポーツといえば、野球、サッカー、バスケ、個人競技で言えば、卓球、柔道、剣道などでしょうか。

 

好きなスポーツを観戦しているところを思い浮かべてください。

選手はどのように振る舞っているでしょうか。

集団競技であれば、お互いに声を掛け合いながら動いています。

良いパフォーマンスが出れば、観客の声援に応えるように笑顔で手を振ったり、ガッツポーズしたりする姿が浮かぶと思います。

当たり前のように、感情を露わにして、それをファンも楽しんでいます。

大きな声を発することは、気合を入れるのにも役立ちます。

瞬時に出すことのできる力をアップさせる効果があることは、様々な研究で立証されています。

個人競技であっても、剣道柔道などは、気合のためか、大きな声を発している人をよく見かけます。

 

直接の相手が舞台にいないフィギュアスケートのような競技では、声に出さない分、全身で感情を表現しています。

競技が終われば、その瞬間から、観客の声援に爽やかに応えています

 

では、相撲はどうでしょうか。

声を発すること、パフォーマンスをすることは厳禁です。

手を振って、笑顔になって観客に応えることもできません。

これは、他のスポーツでは考えられません。

 

以前、朝青龍が優勝した時、(思わず)ガッツポーズをして大ひんしゅくを買いました。

パフォーマンスをしたことが、横綱の振る舞いとして問題視されました。

 

琴勇輝(当時)という力士は、取り組み直前のルーティーンで、大きな咳払いをして気合を入れることで知られていました。

横綱ではありませんが、番付が上位になるにつれて、注意されるようになり、やめました。

(賛否両論あり、楽しみにしていたファンもいましたが)

 

一方、貴闘力(かなり昔になりますが)という力士は、よく相手を挑発し、勝負気を煽り、時間前に相撲を始める力士でした。

(力士同士の呼吸が合えば、時間前に立っても問題ないルールです)

それについて、批判する人はいませんでした。

声を出してないからよいのでしょうか。

 

また、多くの大相撲ファンの記憶に焼き付いている、貴乃花対武蔵丸の優勝決定戦。

小泉元総理の「感動した!」が飛び出した取り組みですが、武蔵丸を投げた瞬間、貴乃花は阿修羅のような形相で感情を爆発させました。

 

会場中が感動に包まれましたが、もしあそこで貴乃花が大きな奇声を発していたら大問題になっていたかもしれません。(貴乃花に限り絶対にあり得ませんが)

 

一方白鵬は、勝って懸賞金を受け取った時の仕草が横綱の品格に欠けるとして批判されることが何度かありました。

「どうだ!」と見せつけんばかりに受け取った腕で懸賞を振り上げるような動作が問題視されました。

声は発していません。

 

もちろん私は、日本人として、何となく許せる許せないの判断はわかる気がします。

白鵬の行動に批判が集まるのもわかります。

 

しかし、この辺の善悪の判断基準は、日本人の美徳感覚によるものが大きく、明文化できません。

何となく、寡黙であることがよしとされている感覚です。

強い力士ほど、静かに、勝っても感情を出さないことを、日本人の相撲ファンが力士に求められていることは感じます。

 

つまり品格とは、寡黙なことであると言えるのかもしれません。

 

足を引きずって、途中満足に蹲踞(そんきょ)も出来ない貴乃花は、優勝インタビューで足の痛みについて聞かれ、

「特にありませんでした」と答え大歓声を浴びています。

この感覚は、日本人の独特な感性が基本となっていますので、外国人が理解するのは大変難しいことであると思います。

見た目のルールは簡単だが奥が深い「求められる力士像」

相撲は見る側にとって、大変わかりやすいルールと言えます

勝敗は素人が見てもわかりますし、勝敗を決するまでの時間は、平均すれば数秒です。

 

途中の作戦タイムやポイントなどもなく、土俵から出るか投げられれば「勝負あり」です。

そのため、小さな子供からお年寄りまで多くの人が観戦して楽しめる競技です。

 

しかし、スポーツとは一線を画す相撲は、勝敗のわかりやすさとは裏腹に、相撲の取り口についても難しい要求があります。

横綱であれば変化はよろしくない、受けて立つのが横綱という暗黙の見解があります。

 

もちろん、変化して勝つのはルール上、何の問題もありません。

白鵬の場合は、立ち合いの「かちあげ」、「張り差し」が問題視されていました。

これも横綱としてふさわしくない相撲であると、協会筋から苦言を呈され、ファンからも非難されました。

 

ルール、上問題はありませんし、かちあげや張り差しをするリスクやデメリットもあります。

よく言われるのが、立ち合い時に、脇が空くことです。

 

一部の親方も指摘していますが、逆にチャンスと捉えて対策すれば、白鵬もやらなくなるでしょう。

かちあげや張り差しで他の力士が屈するから、つまり勝てるから続けていたのだと思います。

 

強いからこそ、大横綱であった千代の富士、貴乃花の姿と比較し、そのようにあってほしいという願望もあるのでしょう。

やがてその願望は、「そうなければならない」という概念に変わってしまったのかもしれません。

 

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批判された白鵬からしてみれば、ルール通りにやっていて、横綱の責任として勝つためにやっているのに、なぜここまで非難されなければならないのだと思うでしょう。

立ち合いの変化で優勝を決定した取り組みでも、大変な批判を浴びました。

 

その一番で白鵬が負けていれば、日本人期待の星である当時大関の稀勢の里に優勝の可能性があったことも一因となり、大きなブーイングが発生していました。

気持ちとしては察する部分もあります。

外国出身の白鵬に対する相撲協会の責任

外国人だから(外国出身だから)批判されている、悪役にされているという面もあるでしょう。

よく思い出すのは若乃花(貴乃花のお兄さん)対曙です。

曙はハワイ出身の横綱です。

 

当時、曙と平成の大横綱である貴乃花が優勝争いをすることが多かった背景があります。

いずれも横綱でありながら、若乃花は、時折、立ち合いで変化をして曙を下していました。

 

優勝争いをする貴乃花の援護射撃になるケースも多く、この時は、立ち合いの変化を批判する声はごくわずかだったと記憶しています。

 

相撲は、他の競技に比べ、外国人に対して差別的でもあるのです。

白鵬とすれば、相撲道に努力してきた功績を差し置いて、悪役にされているのに忸怩たる思いがあるのは、むしろ自然なことでしょう。

 

白鵬はモンゴル出身です。

引退後、親方となり部屋を持つためには、日本国籍を取得する必要があります。外国人のままでは権利すら与えられないのです。

これも理解に苦しむところでしょう。

(なお、2019年に、白鵬は日本国籍を取得しました)

 

相撲人気が低迷傾向にあれば、強い新弟子はなかなか入ってきません。

部屋としては死活問題です。

そこで、モンゴルはじめ、外国から有望な若者をスカウトしてくるわけです。

 

15、6歳の少年を連れてきて、相撲部屋の生活をスタートさせます。

当然モンゴル語を話せる先輩や親方などはいるはずもなく、言葉すらわからない生活がスタートします。

 

食べ物も、生活スタイルも、言語も全く異なる環境に入り、そこから這い上がっていくのです。

親方はじめ相撲協会は、少年を預かるわけですから、責任を持って教育する義務があります。

 

これまで書いてきたような、日本の相撲に対する考え方、求められる力士像、そして人間力を育む場でなければなりません。

背景が全く異なる少年に、「見て覚えなさい、理解しなさい」というのは無理です。

 

日本人であれば、感覚的なことは言われなくても、何となくわかりますし、空気を読みながら覚えていくことはできます。

しかし外国人にとって、それはあまりにも酷です。

 

白鵬は、自分なりに勉強してきましたが、部屋や相撲協会の教育が十分であったとは思えません。

想像で判断するのはよくないですが、師匠に対する白鵬の反応や、相撲協会の隠蔽体質を見ていれば、

人材教育がしっかりできているとは到底思えないのです。

 

優勝インタビュー時の万歳三唱、三本締めは、やるべきではないでしょう。

白鵬も一度注意された時点で認識したはずですが、2回目(三本締め)の時は、相撲協会に対する不満や抗議の意味合いもあったのではないかと私は見ています。

まとめ

白鵬がここまで叩かれるのは

1番の原因 : 品格に欠けるから

付随する原因 : 外国出身だから、強いから

です。

しかし肝心な品格についての定義が曖昧で、外国人力士(外国出身力士)にとっては、日本人と同じような水準で理解できるものではありません。

 

その上、外国人(外国出身)であることが不利に働くことを多く経験しています。

少なからず、日本相撲協会に対して鬱憤のようなものが溜まっていることも、白鵬の行動をエスカレートさせた原因であると考えます。

 

少なくとも、横綱になったばかりの頃の白鵬は、相撲研究に熱心でした。

過去の偉大な力士の相撲を何度もビデオで見て研究し、考え方を自分なりに学び、それを土俵上で活かそうと努力していました。

わからないなりに相撲道を考え、至る所で発言していたことを思い出します。

真面目でひたむきな白鵬の性格をうかがい知ることができました。

 

しかし、白鵬の言動、振る舞いは変わりました。

白鵬の品格は、白鵬自身にももちろん責任がありますが、相撲協会が作り上げてきた部分も大きいのではないでしょうか。

 

外国出身力士を教育するのも、守ってあげるのも相撲協会の役目です。

 

相撲は日本が誇るべき伝統だと思っています。

今後の相撲の発展のためにも、力士教育は欠かせません。

 

以上、ここまで読んでいただいてありがとうございました。

一相撲ファンとして、相撲の楽しみ方を書いています。是非以下の記事もご覧ください。

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