こんにちは!Jimmyです。
今回は、自意識過剰の原因と直し方についてです。
自意識過剰とは、他人が自分のことをどう思っているのか、必要以上に気にしているという状態です。
はじめに結論を申し上げますと、一番の問題は、自意識は過剰なのに自己認識は不足しているということです。
いきなり禅問答のようなことを言わないでほしいと思われるかもしれませんが、自己認識が不足しているとこのような状態に陥ります。
自己認識をしっかりすれば、自然と他人の目はそこまで気にならなくなり、より重要なところに焦点を当てることができるようになります。
自意識過剰の原因
自己認識が足りない
冒頭に書いた通り、自意識過剰の一番の原因は、自己認識が足りないところにあります。
自己認識の最終目的地は、自分の価値観を認識し、それにしたがって生きるということです。
これができていれば、他人のことを必要以上に気にすることはなくなります。
堂々と他人の目を気にせず生きている人は、自分に自信がある人や、有無も言わせないほど能力が高い人ではなく、自己認識ができている人です。
自分に無いものとあるもの、自分が手に入れたいものと捨てるべきものをはっきりと区別する物差しを持っています。
だから、ある面では他人からよく思われなくても、あまり気にせず、向かうべき方向に集中することができます。
比べる目線や見るべきものも変わります。
一瞬で、この地点までたどり着くことは難しいですが、他人の目が気になり過ぎるという人は、自己認識が不足しているかもしれないということを、まずは自分で疑ってみる気持ちが必要です。
意識の持ち方は後半で解説します。
他者理解も足りない可能性あり
自意識過剰で他人の目が気になる人は、他者理解も不足している可能性があります。
他者理解と言っても、深く相手の性格を理解するというものではなく、他者に対して完璧な「見る目」を前提に考えていないか?ということです。
他者も人間ですから、その日の気分によって見え方も変われば、リアクションも変わります。
気になることがあって、何も頭に入ってこないという日もあるでしょう。
通常時でも、いくつもの固定観念やその人なりの色眼鏡を持っていることが普通であり、正しく物事をとらえることを期待するべきではありません。
相手に正しく見てほしい、または、正しく見てくれるだろうという前提は無くした方がよいでしょう。
悪いことばかりではない
自意識過剰であることは、決して悪いことばかりではありません。
他人を気にし過ぎていて、自分の内なる価値観に注目できないのは問題ですが、他者によく思われたい、よくなりたいという思いは、改善のモチベーションにもなります。
他人に無関心になるよりは、相手が自分に対してどう考えるかという目線を持った上で自己認識を進めれば、より魅力的な人間になる可能性が高くなるでしょう。
ひたすら自分の道を突っ走る人の中には、唯我独尊系の人もいますが、
他人の目が気になるという人が、自己認識をしっかりして自意識過剰を脱却すれば、共感力の高い人になります。
相手と協働しながら目指すべき方向へ向かうことができるようになるでしょう。
自意識過剰の直し方:認識編
以下の3つのことをまずは認識するべきです。
意識を変えるというよりは、事実として認識することです。
これだけでも見方は変わり、心持ちは変わるのではないかと思います。
誰もが持っている「平均より少し上」という認識
自己認識の初期段階として、誰もが陥ってしまう認識のワナを紹介します。
それは、実績に裏付けされるような、自分が飛び抜けて能力の高い分野を除いて、人は自分の能力を過信するということです。
反対に、本当に飛び抜けて能力の高いことについては、自分の能力を過小評価する傾向にあるということです。
これをまずもって認識しておくべきです。
例えば、ピアノのコンテストで賞を争うような実力を持っていたとします。
そうであれば、当たり前ですが、平均の人よりは飛び抜けてピアノは上手と言えます。
しかし、そのような状態にある人ほど、周りがよく見えており、自分の立ち位置もよく理解しています。
周りにはもっと上がいて、どちらかというとそのような人たちと比べるため、自己評価は低くなる傾向にあります。
実際に、ある実験では、成績がトップ10%に入っている人は、自分の実力をトップ20%くらいだと評価しています。
一方で、そのような飛び抜けた位置にいないようなことについては、人は自分を過大評価します。
例えば、車の運転です。
カーレーサーなどのプロでもない限りは、運転技術の差などは、実際のところ大してありません。
そもそも、車の運転技術に優劣をつけることは一般的に行われていないため、それに関する順位や指標もありません。
しかし、車を運転する人の95%は、自分は平均よりも運転が上手であると思っています。
技能だけにとどまりません。
ある大学で、自分の性格と平均的な人の性格について100点満点で評価するという実験をしました。
26の性格項目のうち、なんと23項目において、自己評価が平均点よりも上回っていたという結果となったそうです。
なお、自己評価が低かった項目は、攻撃性や芸術に関する項目。
自己評価が高かった項目によると、自分は平均よりも誠実で協力的で知的で信頼されていると答えたということです。
これが人間の特性であり、誰にでも備わっているものと考えるべきです。
自分の評価とは、こうあるべきと自分が考える正当な評価です。
しかし、現実には多くの場合は自己評価の方が高いため、他者からは、自分が期待したような評価や反応が得られません。
そこにギャップが存在しています。
だから、もっとよく思われなければおかしいという思いが無意識のうちに湧いてくるのでしょう。
それが、よく見られたい、悪く見られたら恥ずかしいという意識となって、他人がどう見ているかを必要以上に気にするようになります。
自分が平均よりも少し上だと思っている程度のことは、よく見られなくて当然であると認識するべきでしょう。
別の角度から見れば、人はわざわざその人の平均的な部分を注意深く観察したりはしません。(仲のいい友人や評価者・被評価者の関係でもない限りは)
本当に自分のことに集中している
基本的に、人は自分のことに集中しています。
自分のことや自分の家族のことについて考えています。
そうでなければ、好きで好きでたまらない意中の相手のことや、嫌いで嫌いでたまらない憎き相手のことを思い浮かべているでしょう。
あるいは仕事の対応について、取引先のキーマンが、どうしたら思い通りに動いてくれるだろうかと思考を巡らせることはあると思います。
その他の関係であれば、考えるのはせいぜい実際に会っている時くらいで、別れたらほぼ頭から離れるでしょう。
後で思い出すことは非常に稀です。
そして、会話の内容もほとんど忘れられていきます。
実際に自身のケースで考えてもそうではないでしょうか。
1年前に、栄誉ある社内表彰を誰が獲得したのか覚えているでしょうか。
半年前に、同僚がした仕事のミスをどれほど覚えているでしょうか。
1ヶ月前に、上司が会議でオナラをしたことを覚えているでしょうか。
会議でいきなりカツラが外れた、くらいの大惨事であれば覚えているかもしれませんが、それでも1ヶ月後にはわざわざ思い出すこともなくなっているでしょう。
特別な関係でもない限りは、人は他人に対して、それほど関心を持っていません。
他人の目が気になってしかたがない人は、このことを強く認識するべきでしょう。
最終的な責任は全て自分にある
他人の目を気にして行動しても、他人からのアドバイスに従っても、行動によってもたらされた結果に責任を負うのは全て自分です。
そして、その結果に対して、楽しむも悲しむも、プラスにとらえるもマイナスにとらえるも自分次第です。
他人の目は変えることはできませんが、自分の考え方は変えることができます。
そうであれば、他人の変えられない目ばかりを気にして、言動や服装、態度などを決めることが、いかに本質的でないかがわかると思います。
結局は、自分で満足の基準、あるべき自分像や行動指針を定めて、それに沿って決定することがもっとも自然であり、幸福感を最大化させるために必要なことではないでしょうか。
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自意識過剰の直し方:実践編
「気にし過ぎる自分」を活かして考える!
自意識過剰になっている、他人の目が気になってしかたないということは、自分に対しての改善意識、よくなりたいという思いが強いと言えます。
先ほども述べましたが、自意識過剰になっていることは、決して悪いことばかりではありません。
その思いを肯定的にとらえて、自己認識を強化することに振り向けるようにするとよいでしょう。
他の人がどう見るかを考える前に、自分はどうあるべきか、どう行動すれば自分らしいのか、そんな視点で考えてみるのもよいと思います。
自己認識を強化する!
先ほどの認識編でも触れた通り、自意識過剰の前に、もっとよく見られなければおかしい、恥ずかしいという思いをしっかり捨て去ることが大切です。
それが自己認識の第一歩であり、能力面の自己認識と言えるでしょう。
根拠のない自信は役に立ち、必要になる時があるのは事実ですが、
自分の進む方向や価値観、信念がわからない状態での根拠のない自信に推進力はありません。
根拠のない自信を持つ前に、内的な自己認識を強化することが必要です。
すなわち自分にとって本当に大切な価値観、自分がどういう人間でありたいのかについて、思いっきり時間をかけてでも考えるということです。
目指すべき自分像をしっかり把握できれば、何を大切にして、何を気にしなくてよいかがはっきりしてくるはずです。
自分はどのような人間であるべきか、或いはこういう人間を目指すという目標がしっかりしていれば、それに従って行動できたときは、自分に合格点を与えて、一旦は完結してしまうべきです。
その上で、他の人の意見を聞けばよいのであって、まず他人の評価ありきで考えることから離れることを習慣にするべきです。
目指すべき方向に向かって進み、努力を重ねるうちに、その方向における能力や自信も自然とついてくるでしょう。
自信と能力がつけば、もはや他の人の目が気になるということはなくなります。
もう少し高い目線での評価者やライバルの存在、そしてさらに上のレベルを目指すことになるでしょう。
自己認識をするための詳しい方法や考え方は以下の記事を参考にしてみてください。
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まとめ
自意識過剰であることは悪いことばかりではありませんが、他人の目を気にし過ぎていると、自分の軸を見失いがちになります。
気になりすぎるという人は、まずは認識編として、以下の事実を強く認識することから始めることをお勧めします。
- 自分が飛び抜けて能力の高いことを除いて、人は自分の能力を平均よりも上だと過信するもの。
- 人は皆、昼夜自分や自分の家族のことを考えている。
- 他人が何と言おうと、最終的に自分の人生に責任を負うのは自分だけ。
自分への自己評価で陥りやすい過信と、他者の基本的な性質について認識したところで、
やるべきことは自己認識を深くすることです。
すなわち、自分の内なる本当の価値観、なりたい自分とはどんな人間か、これについて時間をかけて考えることです。
その方向に向かって言動を形成することができれば、いつの間にか自信と能力が備わり、自然と他者の目も評価も必要以上に気にすることはなくなります。
以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。
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