他人を「頭が悪い人」だと言うことに全く意味がないと断言する理由

こんにちは!Jimmyです。

他人に対して「頭が悪い」という表現を使う人が増えているように思います。

頭が悪い人と一括りにすれば、攻撃する側としては便利な言葉なのかもしれませんが、

言われた方からすれば、人格全体を攻撃されたようなものです。

頻発されているのには違和感を覚えます。

結論、自分に不安がある人や自己認識が欠けている人ほど、このような攻撃に走る傾向にあると言えます。

私見になりますが、以下に詳しく解説していきます。

「頭が悪い」は優劣の線引き、人格攻撃

頭が悪いという言葉は、あえて使う必要はない、

言われたら間違いなく、どんな人でも不快になる言葉です。

「バカ」、「知識・理解力が足らない」、「勉強ができない」とは違います。

 

「頭が悪い人」と括ってしまうのは、随分乱暴な区分けです。

多くの場合、その人の一部や、一つの言動を見て、「頭が悪い人」と人格全体を攻撃することになります。

よく考えてみれば、かなり理不尽な言い方なのです。

 

頭が悪いと言った時点で、意味することは、

「自分よりも相手が低レベルである、議論として成立しない、話す価値がない」ということになります。

 

昔から、「バカ」という言葉がよく使われてきましたが、頭が良い悪いとは直接的な関係はありません。

使う側も、それを認識していることでしょう。

ニュアンスの違いと言えなくもないのですが、人格ではなく行為に対して使うこともできますし、故意にバカになるということもあるわけです。

面白いという意味でも「バカだねー」という使われ方はされるため、使われ方によっては色々な解釈があります。

 

同じように、勉強ができない、理解力が足らないという言葉は、人格全体ではなく、言動や能力の一部分を指しているため、頻発するのはよくありませんが、一応評価としては成立しています。

 

よく自分のことを「俺はバカだけど、、、」という言い方を耳にしますが、

ここで言われている「バカ」は、物事を知識として知らないということです。

これが、言っている本人の主な主張であって、自分の人格がダメであると言っているわけではありません。

 

「頭が悪い人」という言葉は人格攻撃であって、どんな人でも言われたら不快になる。

不安があるから優劣に主眼を置いて相手を否定する

随分乱暴な人格否定の言葉であると説明しましたが、優劣をつけるには都合がよい言葉にもなると言えます。

つまり自分の正当性確認のためにうってつけであるということです。

頭が悪いから話をしても無駄ということでシャットアウトし、人格の優劣を勝手につけてしまっているわけです。

 

では、なぜそこまでして優劣をつける必要があるのか、

それは、自分に不安があるからに他なりません。

頭が悪いという言葉は、もはや議論の方向性や相手を動かす、伝えるという本来の目的を放棄して、相手を攻撃して優劣をはっきりさせることに主眼を置いています。

人をそのように駆り立てるものは、怒りであり、焦り、自信のなさなのですが、その背景にあるのが「不安」です。

 

コロナ禍の状況を思い出せばわかりやすいと思いますが、不安がたまると人は攻撃的になります。

攻撃しても意味がないとわかっていても、それでも攻撃せずにはいられません。

 

「地球の周りを太陽が回っているんだよ!」と言ってくる人に対して、敢えて「頭が悪い」と攻撃するでしょうか。

出来の悪い部下を何とか引き上げてあげたいと工夫する中で、「君は頭が悪い」などという言葉を選ぶでしょうか。

部下に脅威を感じていたり、自分の立場を守ろうとしていたりする人が使いそうな言葉ではないでしょうか。

 

何としてでも自分が優位に立ちたい理由があるから、わざわざ攻撃をしかけて、優劣をつけたがるということです。

 

✔️頭が悪いという言葉は、勝手に優劣をつけて相手をシャットアウトすることと同じ。人と関わる上での本来の目的を放棄している。

✔️不安がある時、人は本来の目的を忘れて攻撃的になる。

本当に優れた人はそのような言い方はしない

何かを話し合っている中で口論になり、先輩から、同僚から、知人から、「頭悪いのか?」と言われたことはないでしょうか。

議論に熱中するあまり、伝えたいあまり、腹が立っていたのかもしれませんが、明らかに自信がないことの裏返しです。

わかってくれるのか、従ってくれるのか、言い返されないか、そして自分が下に見られないか不安なのです。

 

だからこそ、強権的に出る上司や先輩は非常に多いと言えます。

そのように言われたことがある人なら、その言葉がマイナス効果しかないことがよくわかると思います。

 

周りの優れた人が、そのように言っていることを見たことがあるでしょうか。

言っているのは、いつも他人を攻撃し、身構えているギラギラした人です。

それこそ人格的な魅力のない人が多いことに気づくでしょう。

 

優れている人、本当に頭のいい人は、むしろ自分の有能さを隠す傾向にあります。

有能な人には、周りが提言したり、思ったことを口にしてくれない場合が多いからです。

 

中国史上最も安定した政治を行ったとされる唐の太宗も、敢えてあまり賢く見えないようにしていたようです。

部下からの諫言を得ることが、組織をよくしていく上で大変重要であるとわかっていたからです。

 

✔️本当に優れている人は、周りが意見を言えなくなるような雰囲気を作らない。

✔️意見をシャットアウトするどころか、誰もが言いやすい雰囲気を作ることに苦心している。

巡り巡って返ってくる

頭が悪い人だと他人に対して言ってしまう人は、巡り巡ってその評価が自分のところに返ってくることになります。

返報の法則と言われていますが、攻撃的に接すれば、相手も攻撃的になります。

たとえ、立場の違いがあり、その場では従ってくれたとしても、別のところで攻撃できる機会を伺っています。

 

繰り返しになりますが、人の言動の一部を見て、頭が悪い人と決めつけてしまうのは、人格攻撃以外のなにものでもありません。

自分が優れていると優劣を決めているのは自分だけであって、相手も相手の目線で評価していることでしょう。

 

そのことは薄々わかってはいるはずです。

だからこそ、余計に恐怖心や不安が積み上がり、さらに攻撃的になるという悪循環を生み出します。

返報の法則に気づくことなく、人を攻撃している人を、他者は「頭が悪い人」であると見ているかもしれません。

 

✔️相手に攻撃的に接すれば、相手も攻撃的になる、返報の法則が存在する。

✔️周りもそのような攻撃的な人を「頭が悪い人」だと評価しているかもしれない。

人は都合が悪いことは忘れる

別の角度から考えます。

人間の性質として、「忘れる」という機能が必ず備わっています。

忘れることができるからこそ、過去を引きずらず挑戦したり、気持ちを高めたりすることができるのであって、

生きていくのに不可欠な能力なのですが、しばしばこのせいで自分の過ちも忘れてしまいがちです。

 

たとえば、人のよくない行動やニュースを見て、非難したり信じられないと思ったりすることは日常でもよくあることでしょう。

しかし、意外と自分も似たようなことをしてきた、思ってきた過去があることも多いものです。

 

それを忘れて、自分はあたかも”それなり”に振舞ってきたかのように思ってしまうのです。

これは、悪気があるのではなく、「本当に忘れている」ということに起因します。

 

私にもそのような経験が数多くあります。

若者が周りの迷惑を顧みず大騒ぎしているような光景を見たときや、

ニュースで、理不尽なクレームをする迷惑客が取り上げられていたとき。

このようなときは、憤りを感じると同時に、「何を考えているんだ?」と思ったりもするのですが、そう思っている自分は、過去の自分を完全に忘れているのです。

 

学生時代、周りに迷惑をかけたこと、酔っ払って醜態を晒したこと、粋がった言動をしていたことが山ほどありますが、今となっては、すっかり思い出すこともなくなっているのです。

 

よくよく考えてみると、昔の記憶が蘇ってきて、「完全に自分のことは棚上げしていた・・」と苦々しい思いをすることになるのですが、それを思い出せば、簡単に誰かを「頭が悪い」と非難できるような立場にないことを認識することになります。

 

多くの場合、本人は自分が似たような言動をしてきたことを、悪気もなくその時点で覚えていないのです。

後になってはっとすることがありますが、それを認めて反省できれば、改善の一歩を踏み出したことに等しいと言えるでしょう。

 

自分の都合の悪い過去の言動は、悪気もなく本当に忘れてしまうものであり、それが人間の性質。

頭が悪いと他人を攻撃する人は自己認識が欠如

以上を踏まえると、他人に対して頭が悪い人だと言ってしまう人は、自己認識の欠如が疑われます。

先ほどの私の例のような愚かな経験はないにしても、仕事であれば新人時代にしてしまったミスや、先輩の指示がわからずにあたふたした過去は誰にでもあるはずです。

しかし、多くの人は、普段はきれいさっぱり頭の中から消え去っているのではないでしょうか。

 

だからこそ、人は定期的に自分の言動、プロセスを振り返る必要があるのですが、

それを行わないと自分の都合の悪いことはどんどん忘れていって、反省するチャンスもなくなっていきます。

それが一番怖いことです。

独善的な人となり、本当の自分を認識することができなくなります。

 

記憶は美化されるものでもあります。

人に迷惑をかけたことも、常識外れの言動も、若気の至り、元気が有り余っていたなどと言って、少しやんちゃなエピソードとして脳に格納されていきます。

場合によっては「武勇伝」になってしまうこともあるでしょう。

本当に反省しなければいけないこと、忘れてはいけないことは、思い出されることなく記憶から消滅していくのです。

 

これに対処するには、定期的に振り返って、考えることをするしかありません。

ダメな言動をしてしまった自分がいたことを認識せず美化してしまえば、それこそ、自分は優れた人間である、もしくは常識的な言動ができる人間であることに疑う余地すらなくなるでしょう。

 

私自身、自分を振り返ること、自己認識を強化した経緯は意図したものではなく、かつて銀行員として働いていた自分に強い違和感と嫌悪感を覚えていたからでした。

経緯はどうであれ、必死に自分の言動や考えを振り返り、自己認識に努めたことで、見えてきたこと、思い出したことはたくさんありました。

自己認識の大切さを痛感しています。

 

✔️しっかり自分を振り返って反省しないと、間違った言動でさえ、若気の至り、やんちゃエピソードという美化された記憶になってしまう。

✔️それを防ぐためには定期的に自分の言動を振り返るしかない。

 

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まとめ

最近よく目にする、他人に対する「頭が悪い」という言葉。

一部の言動だけを見て、「頭が悪い人だ」と人格攻撃をしてしまう背景には、自分自身に潜んでいる不安があります。

優劣を勝手に決めつけて、話をしても無駄、価値がないと切り捨ててしまうわけですから相手を勝手にシャットアウトしてしまっているようなものです。

随分自己中心的な言葉と言えます。

本来他者との関わりの中で果たすべき目的(伝えること、理解を促すこと、動いてもらうこと)を自ら放棄していることになります。

 

この言葉を使ってしまうと、プラスの効果は何もありません。

返報の法則で、自分にも攻撃性が返ってくることもあるでしょう。

 

心がけるべきは、自己認識のために自分の言動を定期的にしっかり振り返ることです。

意外と自分の過去の言動を振り返れば、よからぬ失敗も少なからず重ねてきていることに気づくでしょう。

 

人の記憶は、都合の悪いことは忘れられていき、あやふやな記憶は美化される傾向にあります。

反省すべき言動も、美化された部分だけが残って、場合によっては武勇伝のようになってしまう可能性もあります。

 

そうなれば、自分を認識することも難しくなるでしょう。

頭が悪いという言葉を他人に使うようなことがあれば、自己認識が不足している可能性を考えてみる必要があるかもしれません。

 

本当に優れている人は、このような言葉は使わないということも認識しておくべきでしょう。

 

以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

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