極端な二者択一
こんにちは!Jimmyです。
今回は、できるかぎり多くの物事に対して、楽しく喜んですることを増やすべきという趣旨になります。
その理由と、持つべき考え方を示します。
喜んで、進んで行動するのはどんなことをするときでしょうか。
考えるまでもなく、好きなこと、楽しいことをするときでしょう。
休みの日に趣味に没頭する、デートに行く、美味しいものを食べる、ゲームをするなどがあげられます。
気分も高まり、笑顔も自然と生まれます。
一方で、気が進まないまま行動することも当然にしてあります。
多くの場合、義務的、半強制的にやらなければならないことをするときではないでしょうか。
仕事、勉強がこちらの部類に当てはまる人は少なくないと思います。
また、義務的ではないにせよ、将来の自分に有利になりそうなことであれば、面倒でも重い腰を上げて取り組むということもあるでしょう。
いずれにせよ、「しかたない」、「やらなければ」という感覚が強くあります。
ため息の一つでも伴いそうな雰囲気です。
私たちはよく、これらの選択肢の間で迷います。
どちらにするか。
一方は楽しいこと、もう一方はやらなければならない(楽しくない)こと。
年末の休暇になれば、喜んで、進んでテレビを見て寝転がってお酒を飲んでいたいものです。
その一方で、大掃除をやらなければならない、自分の一年の振り返りと、新年の計画を立てなければならないという思いもあります。
喜んでリフレッシュするか、重い腰を上げてやらなければならないことをするか。
このような、相反する二者択一となることが多いのですが、
本当は二者択一ではなく、「喜んで、やらなければならないことをする」のが理想です。
喜んで、楽しく振り返りと計画を立てればよいのです。
そのためには、考え方を意識的に変える必要があります。
今こそ!楽しく喜んですることを意識する
喜んで進んでやる好循環
喜んで、進んで取り組むことで、好循環がもたらされます。
義務感でやるよりも、気づきも思考も多くなります。
当然パフォーマンスも効率も上がります。
そうすれば、自ずと達成感もあり、気分もよくなります。
ただ休むという場合も、喜んで休んでいるのと、強制的に休まされているのでは回復度合いも異なります。
静・動関係なく、喜んで進んでするほうが、確実に心身にとってプラスとなります。
一つでも多く、喜んで進んですることを増やしたいものです。
ただし、人には得手不得手もあれば好き嫌い、性格によっては合う合わないもあります。
当然、全てに対して、喜んで進んで取り組むことはできません。
天地がひっくり返っても、好きになれない、合わないということもあるものです。
それでも、少し意識するだけで気持ちが変わることも少なくありません。
今まで、多くのことを義務的な気持ちで取り組んできたことに気づくことになるかもしれません。
喜んでする前に強制的に動かされる社会構造
現代社会に生きていれば、小さい頃から半強制的に動かされることが多かったことに気づきます。
物心がつく前から、社会のルールに従い行動させられることになります(もちろん必要な部分も大いにあるのですが)。
本人が望まないうちに、義務教育は始まります。
先生や親によって、行動パターンはある程度決められていました。
私の場合、小中学生の頃の記憶には、すでに義務感で行動していた思い出ばかりがあります。
必要な行動ではあるのですが、それでも義務感なのです。
朝7時前に起きることからはじまり、顔を洗うこと、歯を磨くこと、眠たいまま朝食を食べること、学校へ行くこと、部活をすること、掃除、宿題をすること。
これらはすべて、やらなければならないことに分類されていました。
喜んで進んですることとは対極にあります。
つまり、朝起きるのもしんどい、歯を磨くのも面倒くさい、学校の掃除などはいつもやっつけ仕事で、宿題などは意味がないと思っていました。
その結果、日常は苦行に満ちているという思いでした。
日常に占める、楽しく喜んですることの割合が大変少なかったのです。
実際、大した困難があったわけではないのですが、幼心にはすでに日常生活は、やらなければならないことで埋め尽くされていました。
意外と多い習慣や条件反射
上述した私の例は、少し極端かもしれませんが、似たような傾向は多くの人にあると思います。
言いたいことは、昔からの習慣や常識観念により、条件反射のような分類をしていないか、ということです。
幼い頃から、このような生活スタイルになると、大人になっても義務感で行動することが当たり前になります。
基本的に、朝起きなければ、、から始まり、
支度しなければ、、
会社に行かなければ、、
ちゃんとしなくては、、
家族サービスしなければ、、
貯金しなければ、、
しかし、習慣で「〜しなければ」と考えていることの中にも、
よく考えれば、そこまで嫌なものでもないと気づく行動は多くあります。
それを、是非見つけて再考したいところです。
上に挙げた例で言えば、「支度する」、「ちゃんとする」、「家族サービス」、「貯金する」などは、ポジティブに捉えることもできます。
少し意識すれば、喜んで進んでする行動に変えられます。
日常には、もっと喜んで進んでできる行動があります。
私の場合、朝起きた瞬間に憂鬱になるというのは、もはや定番でした。
長年の潜在意識が影響しているのでしょう。
(嫌でしかたなかった)銀行員生活を辞めたのは3年以上も前のことですが、当時は朝起きた瞬間、世界の終わりといった感覚でした。
「始まりという名の終わり」と呼んでいたのを思い出します。
そこから、むりやり身体を起こして、支度をして仕事に行くという行動をしていたわけですが、どうやらそのときの感覚がまだあったのでしょう。
明らかに、昔の記憶が条件反射のような作用を引き起こしていたと思います。
単純な話、朝起きて歯を磨く、支度をすること自体、なんの苦痛もありません。
起きたら、喜んで、進んで、朝日を浴びて、鏡の前でにっこり笑って、入念に歯磨きをしようと考えれば、意外とすんなりできるものです。
同じように、掃除をするにも、仕事をするにも、勉強をするにも、喜んで進んでできる余地は大いにありました。
習慣や、条件反射のように義務的に、いやいややっていることに対して、喜んで、進んでできないか、試してみる価値は大いにあります。
仕事も日常も変わる
特に再考すべきは、日常の細かい当たり前の行動と、仕事です。
朝、喜んで進んで起きることを意識します。
顔を洗うのも、歯を磨くのも、家の掃除をするのも、喜んで進んでやっているのだと意識します。
仕事で、そこまで嫌なことがあるわけではないのに、憂鬱になっていることもあるかもしれません。
是非、仕事についても、朝から喜んで進んでやるという意識づけを試してみてください。
(なお、いくら考えても、試しても、仕事のことを考えると一日も気持ちよく起きられないのであれば、仕事のほうに問題がありそうです。)
私は、本ブログについては、楽しさもあり、使命感もあり、ポジティブな気持ちで始めました。
しかし、開始して数年も経てば、ネタ不足にもなり、なんとか継続しなければという意識が強くなります。
絞り出す感覚です。
そうなると、もはや楽しさはなくなり、義務的になり、気持ちの入った記事も書けません。
続けることが難しい中でも、好きでやっている、喜んで進んでやっているという意識を必ず持つようにしています。
仕事、プライベート、日常生活を少しずつ、喜んで進んでやるものに変えていく意識が大切です。
その余地は思っている以上に大きいはずです。
以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。
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