人生とはやり直しがきくものなのか
こんにちは!Jimmyです。
人生は一度きり、有意義に過ごしたいものです。
今の生活に何かしら不満や不安を抱えている人、このままで良いのか迷いながら、なかなか新たなステージに進めない人は少なくないと感じます。
今就いている職業や、生活パターン、考え方、週末の過ごし方、人生には様々な要素が詰まっています。
長年続けてきたものがあるとすれば、それを変えていくのは困難を伴う場合が多いと言えるでしょう。
抵抗感を感じてしまう人も少なくありません。
「人生やり直し」とまではいかないような少しの変更、転換についてもためらってしまい、動けない人が多いように感じます。
今回紹介する玄秀盛さんは、「どんな人生でもやり直しがきく」という信念のもと、日本一多様な人が行き交う町、歌舞伎町にて「日本駆け込み寺」を開設されました。
前科のある人や、債務トラブル、DVに悩まされている人など、性別、宗教、国籍関係なく、悩み相談に乗り、ときには更生するための手助けをするという仕事をされています。
何かしらの事情で、行政や警察に相談しにくいような相談も数多く寄せられているようです。
そんな玄さん自身、日本駆け込み寺を開設するまでの人生は、180度違ったものであることに驚かされます。
180度変わりながら、ご自身の今までの経験を活かして人の役に立つことを実践されていること、
何よりその変わりっぷりが大変興味深く、著書などに目を通すようになりました。
30代でも40代でも、変わろうと思えば、大きく変わることができるということをまさに実践されてきた人だと思います。
私たちの多くは、ここまで極端に変わることを求めていないのに、変わることに臆病になり、そのまま時間だけが経過してしまうという例が多いように思います。
玄さんの事例と、考え方からは学ぶべきことが多くあるように感じます。
これから一部を紹介していきたいと思います。
驚くべき玄秀盛さんの180度人生転換
玄秀盛さんは、1956年、大阪市西成区に在日韓国人として生まれました。
両親の離婚もあり、4人の父親、4人の母親のもとを転々として過ごすという複雑な子供時代を送っています。
小学生の頃は、在日韓国人であることから、嫌がらせを受けるようなこともあり、中学に入る頃には、恐喝、シンナーなどで何度も補導されるような典型的な非行少年になっていました。
中学卒業後は、職を転々とし、やがて日雇い労働者の派遣業を営むようになります。
その後も不動産業、建設業、貸金業など次々とビジネスを立ち上げますが、金に固執し、訴訟や、反社会的勢力との金銭トラブル、騙し合い、逮捕拘留などを経験します。
守銭奴と呼ばれ、犯罪すれすれの行為を金儲けのためだけに長年続けていたようです。
いわゆるアウトローな生き方で、さらに完全なる拝金主義者だったと言えるでしょう。
一方で、不思議なことに、1990年に、天台宗の酒井雄哉大阿闍梨の元に通うようになり、僧籍に入るという行為もしています。
著書の中では、特に仏門に入りたいとか、人生を変えたいといった目的は無く、下界を離れ、酒井大阿闍梨の話を聞いていると気持ちがすっきりするから行っていた、非道な金儲けスタイルをやめようとは全く考えていなかったという趣旨のことが書いてありました。
2000年、44歳の時に、白血病ウイルス保菌者であることが判明、もし発症したら1年ほどで死に至るという状況を知り、当初は、その当時恨んでいた人たちを殺害してから自分も死のうと計画していたようです。
ふと我に帰ったときに、人から守銭奴、鬼と呼ばれた人生、最後も殺人で締めくくってよいのか、一体何のために生きてきたのか急に虚しくなった、何かにすがりつきたい気持ちだったと振り返られています。
そこで、人を救うことで、自分が生きた証を残せるのではないかという考えに至り、ご本人曰く日本一けがれた街である歌舞伎町で、人を救うための駆け込み寺を始めたという経緯です。
人助けが無性にしたかったと話されているのが印象的です。
これまでは、いわゆる金のためなら他人の命もかえりみなかったような人が、病気の可能性をきっかけに人生を考え、最終的には、人助けが無性にしたくなるというこの転換。
この考えに至るには、酒井大阿闍梨から聞いた教えも間違いなく影響しているとは思いますが、教えを請いに足を運んでいたときには、すでに生き方について無意識的にも迷いが生じていたということなのだと思います。
日本駆け込み寺は、相談無料となっており、利益を上げるための団体ではありません。
運営していく中で、仲間に裏切られたこともあるようですし、何より資金確保が大変なことは想像できます。
苦労が絶えないようですが、なんと開設してから18年以上経つ現在も続いています。
よほど強い思いがないとできないことです。
自分の生き方を見直し、人生を180度転換してやり直した稀有な人だとは思いますが、どんな人でも、自分が他の人の役に立てる使命を探しているように感じます。
死を強烈に意識させられたときに、このような善行に傾くのは、人間全体に共通していることなのかもしれません。
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酒井大阿闍梨の教えはこちらをご覧ください。
それぞれの使命を考える
玄秀盛さんの場合、歌舞伎町での駆け込み寺を通して、人の役に立つ道を選びました。
駆け込み寺のことを師匠である、酒井大阿闍梨に報告したときに、「そこがお前の居場所なんだろう」と言われたようです。
歌舞伎町に相談に来る人は、はっきり言って一筋縄ではいかない事情を持った人がたくさんいることは容易に想像がつきます。
相談者の問題解決のために、反社会勢力の事務所に乗り込んでいくことや、暴力夫を呼び出して話をつけるようなこともあるそうです。(ときには恫喝も交えるそうです。)
玄さんの今までの経験を総動員しなければ、相談に乗ることができないような案件ばかりです。
”いわゆる通常の生き方”をしてきたような人では、対応できないことばかりなのです。
助けたくても、対応できません。
これこそが、酒井大阿闍梨が仰るところの、「居場所」なんだろうと思います。
言い換えれば、それが使命だということでしょう。
40代まで散々、金儲けに走り、多くの人を裏切り、切り捨て、犯罪まがいの行為を繰り返した人が見つけた使命、そして180度の人生転換。
誰にでも、その人でないとできない使命があるということを考えさせられます。
後悔しない生き方とは
どんな人生でもやり直しはきく。
玄秀盛さんが仰る通り、ご自身が実践されてきたことがそのまま言葉になっています。
金儲けや、自分の欲得のことばかり考えていたような人でも、自分の使命に気づくときには、結局世のため、人のために何ができるか、という考えに行き着いているように思います。
そこにはまだ行き着かない状態で、巨万の富を得たような人が、果たして幸せな人生を送っているかどうか、それは非常に疑わしいことです。
尽きることのない欲求に突き動かされていては幸福感は得られないでしょう。
どんな人でも人生やり直しがきくということは、どんな人でも新しいことに挑戦できるということです。
そしてどんな人にも使命というものがあるはずです。
180度人生を変えるようなことも自分の思い一つで道は開かれていきます。
玄秀盛さんのような180度の転換をしている人もいます。
現在、自分自身のことを考えたときに、世のため人のためなんて大きなこと考えられない、大それたことなんてできる人間ではないなどと最初から決めつけないことが大切です。
人生の転換点に、この先思わぬところで遭遇することになるかもしれません。
そんな時、流れに乗れるのは、自分が変われること、そして自分には何かしらの使命があると信じている人だと思います。
以上、ここまで読んでいただいてありがとうございました。
参考:玄秀盛さんの書籍
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