自由な生き方と安定した生き方は対極ではない時代が来た

自由な暮らしと安定した暮らしは対極関係ではない!

こんにちは!Jimmyです。

人生80年(私たちの時代は90年、100年でしょう)、どんな風に働き、生活していきたいと思いますか?

 

既成概念や周囲の目を気にすることなく、自由な生き方をしている人を見て、

「生き生きとしていて幸せそう」と思う人もいれば、「不安定で危なっかしい」と思う人もいるでしょう。

 

一方、「安定的な職業といえば?」を問われれば、公務員や大企業のサラリーマンと答えると思います。

「堅実で老後の心配も少なくて良い」と思う人もいれば、「堅苦しい、面白くない」と思う人もいるでしょう。

 

自由な暮らしと、安定した暮らしは、ある意味対極のように考えらることが多かったと思います。

 

自由な暮らしを望む人は、

「人と違っていても自分のやりたいことをして生きていきたい、その代わり不安定なのは覚悟の上だ」

このように言うでしょう。

 

安定した暮らしを望む人は、

「生活のことを過度に心配したくない、リスクは少ない方が良い、その代わりにあるていど縛られた環境でも致し方ない 」

と言うことでしょう。

 

今回テーマにするのは、今まで当たり前のように考えられてきた、自由と安定(安全)の対極関係が崩れている現状についてです。

 

自由に生きることでリスクが小さくなったり、必ず安定が得られたりということは今後もあり得ないと思いますが、

一方で、安定を求めていれば、リスクが小さくなって安全なのかというと、そうでもないと思うのです。

自由と安定、トレードオフの関係はもう成立しない

ハイリスクハイリターンとは、一昔前に流行った言葉です。

大きなリターンを得るためには大きなリスクを背負う必要があるという意味です。

ビジネスの現場では、当たり前のように使われてきました。

 

ビジネスに限らず、大きな変化を伴うようなことをしようと思えば、必ずリスクは大きくなります。

 

これまで多くの人と関わる中で私自身感じたことですが、日本人は特に、リスクに敏感で、嫌う傾向にあります。

 

人と違うことをするのがよくないことだと教えられてきた人も多いと思います。

また、人と同じでないと「怖い、不安」と感じる人も少なくありません。

 

言い換えれば、多くの人と同じであれば、とりあえず「安心」なのです。

 

ビジネスで言えば、規模の大きな会社に雇用されることで安定を得るものの、行動には制限がかかることを承知するという構図に需要があります。

言動に関する自由と引き換えに、安心を得る感覚でしょう。

 

しかし、現実はどうでしょうか。

年金問題、雇用問題はじめ、生活に関して、将来の不安要素はたくさんあります。

大企業でも倒産することもある時代です。

年金問題が指摘されて久しくなりました。

所得格差は広がる一方です。

一部では、ベーシックインカムの導入なども議論にあがっているほどです。

 

自由な生き方も当然安全ではありませんが、自由を犠牲に得た安定的な仕事も、本当に安全なのかは疑問です。

 

他国を見渡せばわかる通り、労働者による過激なデモや反政府運動が各地で繰り広げられています。

それだけ、一般的な国民(大多数に属する人)の生活が逼迫している証拠です。

 

日本は今後も大丈夫だと言い切れるでしょうか。

GDPは辛うじて世界3位を維持していますが、一人当たりGDPでは20位台まで落ち、すでに多くの国に後塵を拝しています。

相対的に見ても、もはや日本人はお金持ちではありません。

 

国内を見渡せば、年金の受取年齢はどんどん上がっていき、税金も増えています。

国債を毎年発行し続け、国としての借金が膨らんでいます。

十数年もすれば、日本人の個人資産合計額と言われる1800兆円に届く勢いです。

 

冷静に考えれば、安定や安全を得られる保証などどこにもありません。

 

それでも、「他の人と同じだから、自由にやっている人よりは安全だろう」と考えている人が大多数なのです。

とっくに、自由と安定のトレードオフの関係が成り立つ時代は終了したことを認識するべきではないでしょうか。

 

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自由を放棄することは思考を放棄すること

「自由とは、自分で考えて行動を決められること」と改めて定義し直します。

安定を求めてきた結果として、多くの人が、大きな組織の中で、雇用される立場になっています。

そうなると、就業時間や、出社日、理念、経営方針、社内ルール、人事配置、副業、服装、行動指針など多くの制約を受けることになります。

自由が認められる場面は少ないと言えます。

 

ある意味、巨大な流れの中で、流されていくこと、染まることが求められます。

 

そのため、多かれ少なかれ、自分の将来や、人生の使命について考える機会や意欲は減ります。

(もちろん、雇用される立場にあっても、それらを必死に考え行動する人もいますし、使命感を持って生きている人もいることは承知しています、少なくなる傾向にはあるということです)

 

一昔前は、その先で”得られるもの”がある程度見えていたからよかったと言えます。

継続的な雇用、漸増する賃金、社会的地位、年金による老後資金、これらがほぼ確約されていたため、自由を犠牲に働いていれば、安定した生活が手に入ったのです。

会社がライフイベントの全てにおいて面倒をみてくれていたという日本独特の雇用システムです。

 

18世紀、アメリカ独立の立役者であり、また発明家や実業家でもあるベンジャミン・フランクリンの言葉が思い出されます。

まさに行動し、考え続け、自由を勝ち取った人の名言です。

安全を得るために、自由を放棄するものは、そのどちらも得られないし、得るに値しない。

 

人生を自分で考えて行動することを放棄すれば、自由だけでなく、安全も得られないということです。

 

当時でいえば、目先の安全を求めて、独立に向けて立ち向かわない、考えない、行動しなければ、安全すら得られないよ、ということを主張しています。

さらに「得るに値しない」とまで言っています。

強烈なメッセージです。

 

アメリカの独立期もそうであったように、現在の私たちも、間違いなく時代の過渡期にいます。

 

未来のことはわかりません。

正確な予測は預言者でもない限りできません。

ただ、大きな変化が起ころうとしていることは至るところで議論されています。

何より過去の歴史が証明している通り、時代の変化には、制度、価値観、生活などで大きな変革を伴います。

 

今、自由と引き換えに得たように見える安定だけを頼りに生きているとすると、

自由はおろか、安全をも保証されない現実を突きつけられることになるかもしれません。

 

自由に好き勝手に生きることを提唱するつもりはありません。

 

しかし、自由な発想で自分の人生や仕事を考え続けている人には、失敗することももちろんありますが、時代に適応した生き方、もしくは時代をリードする生き方ができる可能性も持っているのではないでしょうか。

組織の中で働く場合でも同様です。

 

安定(安全)を求めるなら組織任せ、政府任せ、人任せではなく、自分で考えて行動する人生を歩んでいく必要があります。

今はそのような時代だということを認識し、自分の行動指針を考えてみることをお勧めします。

 

以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

 

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