自分に嘘をつくことでもたらされる決定的な弊害とは

こんにちは!Jimmyです。

多くの人にとって、嘘をつくことは気分がよいものではありません。

以下は、ニーチェの言葉です。

日常生活で、人々がおおむね正直なことを言うのはなぜか。神様が嘘をつくことを禁じたからではない。それは第一に、嘘をつかないほうが気楽だからである。(ニーチェ)

 

良い悪いといった問題以前に、単純に嘘をつくことで、何らかの精神的なストレスになるということでしょう。

神や道徳を否定するニーチェらしい言葉ですが、確かに実感するところでもあります。

特に、自分自身に対してつく嘘には注意が必要です。

他人への嘘と自分への嘘

嘘の善悪についての議論は、数多くありますが、事実として嘘は至るところにあります。

本質的には、嘘をつかないほうが、気楽でいられるのが人間であると思います。

しかし、他人との関わりがある以上、相手が期待することもあります。

他人への配慮を目的とした嘘は、必要な部分もあるでしょう。

 

身近にいる人が、新しく買った服を着て、ご機嫌な様子で感想を求めてきました。

ところが、ファッションに興味のない人もいると思います。

正直に答えれば、「何とも思わない」となってしまいますが、それは言うべきではありません。

 

話を合わせていれば多少疲れますが、相手に喜んでほしいという気持ちもあれば、さほど苦にはならないでしょう。

このように、他人への嘘は、ほとんどの場合、自覚して言っていると言えます。

 

一方、自分への嘘は、表面的な自覚を変えてしまう可能性があります。

不本意な状況や結果を、何とか受け入れるために、無理やり自分に言い聞かせるケースが多いかと思います。

仕事であれば、以下のようなイメージです。

 

「これでいいんだ、これが社会人のあり方だ・・・」

「仕方ない、そうするしかない・・」

「家族のためになっているんだ、必要なことだ・・」

「みんな同じような思いをして乗り越えていったんだ・・」

 

自分の本来の考え方との間で葛藤が生じています。

同じようなことを、必死に自分に言い聞かせてきた人も少なくないと思います。

私自身も経験しましたが、ここで発生するマイナス影響は甚大です。

不本意な状況を受け入れ続けてしまい、結果、自分でも気づかぬうちに、膨大なストレスが蓄積することになります。

 

相田みつを氏の詩にも、印象的なものがありました。

にんげん一番いやなことは じぶんがじぶんに うそをいうときだ

自分につく嘘で自分を見失う

自分につく嘘により、自覚がなくなっていくと、気持ちをリセットすることができません。

自分についた嘘が、消えずに積み上がっていきます。

そうなると、自分を見失うという危険性が跳ね上がります。

根本的なストレスの原因を解消することもできません。

自分を見失うと、以下のような状態が増え、幸福感からは遠ざかります。

気づかぬうちに自分を見失う人は、現代社会では少なくないと思います。

一度チェックしてみることをお勧めします。

 

自分の意見も希望も言えなくなる

自分に嘘をつき続けると、自分の意見も言えなくなります。

希望すらわからなくなると言ってもよいでしょう。

表面的には、あるべき論や、自分自身の正当性を話すことはできるかもしれません。

しかし、それは自分についた嘘で覆われた、一種の言い訳に過ぎません。

 

本当に好きなこと、本当にやりたいこと、本当に達成すべき目標。

これらについて、自信を持って言えるでしょうか。

まさに、自分一人で決めてよい、本来難しくないテーマのはずです。

しかし、誰にでもあるはずのこのような項目でさえ、自分に嘘をついていると、自信を持つことができません。

 

そうなれば、必然的に、挑戦する意欲もわかなくなります。

大きな達成感を感じる機会もなくなってしまいます。

 

正しいことがわからなくなる

自分の本来の希望がわからない状態では、正しさという判断軸が揺らぎます。

他人の価値観や軸で考えてしまうため、自分の正しさという軸がありません。

極端に聞こえるかもしれませんが、珍しいことではありません。

 

自分だけ先にワクチン接種をしてもらおうと、画策する社長の指示に従ってしまう人もいるわけです。

むしろ、社長に指示されたときに、意見具申できる人がどれだけいるでしょうか。

組織の命令だから仕方ないと考える人が多いように思います。

 

しかし、それこそまさに、嘘を積み重ねてきた結果、自分を見失っている状態と言えるでしょう。

言い分はあるにせよ、小学生でもわかる正しさの判断を、大の大人ができないという結果です。

 

根拠のない根性論に頼る

我慢するしかない、根性で乗り切るしかない。

戦時中から、日本でよく用いられるのが、根拠のない根性論です。

とにかく我慢すべきとして、無理を強いる方法です。

 

明確なゴールのない我慢、根性論は間違いなく疲弊をもたらします。

ゴールのないマラソンを走らされるようなイメージです。

しかし、自分を見失っている人の中には、ここに一種の正当性を見出そうとする人もいます。

思考停止のまま正当化するには、ある意味便利な手段なのかもしれません。

まとめ

自分の希望は何か、本当に好きなことは何か、何をして生きていきたいのか。

まずは、生活を確立するという課題はあるにせよ、具体的な希望として、誰もが持つべき問であり答えです。

これに対して、全く自信がない、明確なものがないという場合、自分に嘘をついてきたことを疑うべきかもしれません。

自分の人生を生きるためにも、自分に嘘をつく弊害は強く認識しておきたいものです。

 

以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

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