和して同ぜず 難しい世の中だからこそ際立つ必須の考え方

こんにちは!Jimmyです。

今回は論語より、「和して同ぜず」をとりあげます。

今の世の中に必須な考え方である理由を解説します。

 

8月は、戦争(第二次大戦)のことを思い出す季節でもあり、メディアでもよく取り上げられています。

まさに、敗戦を招いた日本政府、現場の司令官の多くは、これの真逆を行っていたように思います。

「同じて和せず」ということです。

 

重大な決定が、属人的な思惑によりなされ、階級が上の者への意見は封じ込められる。

その結果、状況が乱れに乱れ、挙句責任の押し付け合い。

 

同じような状況が、現代の組織でも当てはまります。

言うは易く、行うは難し。

だからこそ、今一度「和して同ぜず」の格言を思い起こし、必要性を認識する機会になればと思います。

 

和して同ぜずの意味と語源

孔子と弟子の問答集である論語の中の一節にある言葉です。

子曰、「君子和而不同。小人同而不和。」

子曰はく、「君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず。」

 

現代語の解釈

君子(人格者・徳のある人)というのは、人と協力し協調関係を築くが、むやみに同調したり従ったりしない。

小人(人格・徳のない人)は、むやみに同調するが、真の協調関係は築けない。

 

小人というのは、一般人という意味ではなく、現代語で平たく言えば「ダメな人」という意味で対比されていると考えればよいでしょう。

和すること、協調的な姿勢であることは大切ですが、自分の意見もなく、何でも同調したり従ったりすればよいというものではない。

そんな教えになります。

 

孔子自身、生涯のほとんどにおいて、自分の理想とする政治が実現することはありませんでしたが、むやみに他の意見に寝返ることはしませんでした。

そのおかげで、その後2000年以上にわたり、学ばれ、影響を与えている儒教の礎ができたということです。

 

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どんどん難しくなる「和して同ぜず」の実践

和して同ぜず

社会や組織が複雑になれば、人との関わり方も複雑になります。

自分の思い通りに振る舞えない機会もあることでしょう。

さらに、情報量も昔とは比べ物にならないほど増えました。

それぞれに対して、自分の意見を持つということ自体が難しくなっています。

 

そういうわけで、現代社会で、この「和して同ぜず」を実践することは簡単なことではありません。

特に、企業などの組織では、大変難しいとも言えるでしょう。

そもそもの企業の本質的な姿勢が、「同ぜよ!同ぜよ!」と言っているわけですから。(もちろんそうでない企業もありますが。)

 

第二次大戦時と、さほど変わりがありません。

 

比較的フラットな人間関係ならよいのですが、

上意下達のピラミッド型で、上から同調を求められることも多い組織では、それなりの立ち回りが自身の処遇を左右したりします。

評価されるためにはアピールが必要で、ある程度上の意向に沿う必要性は強く認識されていると思います。

まさに、「和して同ぜず」などは机上の空論に成り下がっている感もあります。

 

「和して同ぜず」が今必要な理由

むやみに同調しないためには、当たり前ですが自分の考えを持つことが必須です。

自分の意見や立ち位置が不明確なまま同調して流されると、そのまま自分を見失うことになります。

その結果、どこかで壁にぶつかったときに、どうしたらよいのかわからなくなる人、精神的に追い込まれてしまう人、希望が持てない、不安でどうしようもない人が増えていくことになります。

各種統計やニュースなどを見ていれば分かる通り、そのような事例が社会問題になっていることは明らかです。

そんな状況にならないために、

自分を持つこと、上司の意見を鵜呑みにしないこと、本当に正しいのかを自分で考えるということを改めて意識することが必要です。

 

自分の意見を見失う人が大量発生

自分の意見を持たないまま生活している人が少なくありません。

現代ならではの背景があります。

 

他人の意見を自分の意見と思い込む現象

自分の意見を持てずにいると、はっきり認識している人もいますが、そんな人はごく少数でしょう。

もっと深刻なのは、自分の意見を持っていると疑わない多くの人たちです。

 

他人の意見をそのまま使っている、権威のある人が話した意見をそのまま自分の意見として語る。

そして、それを自分の意見だと思い込んでいる。

これはよくあることだと思います。

 

一端の社会人であれば、世間の流れや常識を把握していなければ恥ずかしいと思っている人が多いでしょう。

ですから、例えば政治経済などの分野で意見を求められれば、大概は、専門家やニュースで得た知識を、自分の意見として話す人が多いと思います。

 

テレビニュースで見る、街中インタビューで答える人のほとんどはそうではないかと思います。

もちろん、中には、興味ない、知らないと答える人もいるのでしょうが、新橋でスーツを着て歩いている時、政治経済のことを聞かれれば、何かしら答えなければという意識が強くなるのです。

そんな意識があるものですから、自分の意見であるかのように思い込む傾向につながるわけです。

 

会社の中でも同じです。

例えば、方針をAにするべきかBにするべきか、

自分の意見を考えているようで、上司の以前の発言から考えたり、より上の上席者が賛成しそうな方を無意識に選択して、もっともらしい理由をつけて説明することもあるでしょう。

自分では気づかぬうちに、周りの正解を探しているということです。

これでは、「和して同ぜず」を実践しているとは言えません。

まずは、他人の意見を自分の意見と思い込む可能性について認識することが必要です。

 

自分の心底の意見かどうかを考える

そう考えると、そもそも、自分の意見であるかどうかを考える機会は少ないことに気づきます。

だからこそ、敢えて意図的に時間をとって、考えてみる必要があります。

「これって、本当に自分の意見なのか?」と。

 

自分の意見でないことは、簡単に揺らぎます。

反対意見などを聞くと、すぐに不安になります。

より大きな権威に攻撃されればひとたまりもありません。

自分の意見の拠り所が、誰か他の人や権威だからです。

 

たとえありふれた考え方であっても、自分の内なる経験や思考を経て、自分で決定した考えは、想像以上に強いものです。

そう簡単に崩れることはありません。

当然自信を持って言えますし、反対意見に流されることもありません。

 

極端な話、「人を殺してはいけません。」というのは法律でも決められています。

しかし、誰かが決めた法律に頼らずとも、絶対にダメだという個人的な確信を通常の人であれば持っているはずです。

たとえ、たまたま知り合った人3名が、殺人を肯定するような意見であったとしても、同調するはずはないのです。

 

考えることを放棄する人が大量発生

他人や外部の意見を、自分の意見であると思い込む傾向とは別に、厄介な問題があります。

それは考えることを放棄するのを手助けする考え方に溢れているということです。

基本的に、自分の考えを放棄することは、弱さ、甘え、責任放棄の類と認識するべきです。

そして、自分の軸がなくなっていく危険性があります。

しかし、「そんなことないよ、考えなくていいんだよ〜」とささやく声もあり、考えることを放棄する人が大量発生しています。

このような状況下では、「和して同ぜず」を実践することは難しくなります。

以下に例をあげます。

 

素直さ

素直な人は伸びると言われます。

さらに、指導する側からすれば、素直な人の方がかわいいので、素直さを是とする人は多くいます。

その結果、特に上司や先輩などの言うことには、無条件に従う、逆らわないという行為が正当化されていきます。

自分で考えないことを棚に上げて、素直さが大事だからという言い訳をする人が出てくるわけです。

 

素直にやってみるのも大事ですが、その前に、自分の目的意識や基本的な立ち位置をしっかり把握する必要があります。

正しくない人の言うことを素直に聞いたところで、よい結果になるはずはありません。

聞くべき相手か、有効な助言なのか、まずはそこから自分で判断する必要があります。

素直さにも注意が必要です。

 

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謙虚さ

素直さと同じくらい言われるのが、謙虚であれ!ということです。

部下などが、何か異論を挟もうものなら、謙虚さが足りないと嗜める人もいます。

だから、「自分の意見を言うなんて偉そうだ」、「謙虚ではない」と言い訳して、考えを停止させる人が出てくるのです。

謙虚と、自分の意見を言わないことは全然違います。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

実るほど、つまり、実力をつけてから頭を下げればよいのであって、それでこその美徳です。

多くの人に必要なのは、謙虚さを意識することよりも、まずは自分の心底にある考えと向き合い、大きく実ることです。

 

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間違った協調の感覚

これについては「和」の拡大解釈と言ってよいでしょう。

「和」を尊重すると聞いて、まず思い出すのが、聖徳太子の十七条の憲法ではないでしょうか。

和をもって尊しとなす。

 

日本人は協調性を第一に考えていた根拠とされる出典ナンバーワンです。

あたかも、人に意見しないのがよい、空気を読むのがよいかのようにとらえている人もいるかもしれません。

和をもって尊しとなす日本人は、むやみに自分の意見を言い合うようなことはしない。

それが美徳ではないかと言っている人をたまに見かけます。

 

「和」や協調性の意味がそのまま、意見を控えると言う意味で考えてしまうのは勘違いです。

実際の意味はそうではなく、むしろたくさん議論をしようと言っているのです。

協調とは、たくさん議論する中での態度です。

 

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まとめ

和して同ぜず。

協調しながらも、むやみに同調しない、従わない。

むやみに同調しないためには、言わずもがな、自分の意見をしっかり構築することが必須です。

これを意識する必要性がますます高まっています。

なぜなら、自分の意見を持つことを放棄する人、他人や外部の意見を自分の意見だと思い込む人が今の世の中少なくないからです。

その結果、自分を失って苦しんでいる人、人生を楽しめていない人が年々増えているように感じます。

今一度、和して同ぜず、まずは自分の意見を持つことの大切さを思い起こすことが大切です。

そして、他人や外部の意見を自分の意見と混同している可能性を認識し、

ことあるごとに、本当に内なる自分の心底からの意見なのかを考えてみることをお勧めします。

意外と、誰かの言葉を何の気なしに、そのまま使っている、

権威のある人や上司の意向を踏まえて言葉を選択していることに気づくと思います。

 

以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

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