こんにちは!Jimmyです。
今回は、「後悔していること」から、人生で大切にするべき重要な指針を考えます。
人生と後悔についての本や教訓は非常に多いことに気づきます。
一度しかない人生、誰も後悔したくないに決まっているため、当然のことかもしれません。
私も、この手の本は何冊も読んできました。
そのような中で、ふと今の自分が後悔していることを考えてみました。
すると、たびたび記憶が蘇ってきては、胸を締め付けるような思いになる出来事を思い出します。
人生を左右するような大きな出来事でもないのですが、なぜ、いまだに何度も思い出すのか。
そこに、大切な生き方のヒントがあるように思います。
死ぬときに後悔することを大別
「後悔しないための人生の過ごし方」という類の本や教えはたくさんあります。
その中で、印象に残っているのは、大津秀一さんという医師の方が書いた「死ぬときに後悔すること25」という本です。
人生をまさに終えようとしている終末期の患者と寄り添った経験から、実際の声をもとに人生で後悔することをまとめられています。
人生を総括できるのは人生が終わるときですから、実際にそこで発せられた声からは考えさせられるものがあります。
行動・挑戦しなかったことへの後悔
本書にも他の著書にも共通して言えることですが、
最も多く見られるのは、やろうと思ったことに「挑戦しなかった」ことへの後悔です。
- 夢を叶えようと努力しなかった
- 自分の正直な思いに従って動けなかった
- 家族との時間を持とうとしなかった
- 感謝や思いを伝えられなかった
- 行きたい場所に旅行しなかった
仕事に忙しくしていてできなかったのか、リスクや恐怖を感じて動けなかったのか、ケースは様々です。
いずれにしても、行動をしなかった、挑戦しなかったことを人生の最後に悔いる内容です。
ポイントは、意を決して行動した結果失敗し、それを後悔するような人は見当たらないことです。
だからこそ、後悔しないためには、自分のやるべきこと、あるべき姿を考えることが必要になります。
さらに、行動し続けること、挑戦し続けることが重要になってくるわけです。
この教訓については、他の記事でも何度か書いてきました。
挑戦しない人生にならないように、以下の記事も参考にしてみてください。
あわせて読みたい
参考図書
内なる自分の人間性への後悔
多くの事例を見ていると、内なる自分、人間性への後悔を感じさせるものも少なくありません。
- 謙虚になれなかった
- 感謝できなかった
- 悪に傾いてしまった
- 人に優しくできなかった
- 感情に振り回される人生だった
実際に、人生を終えようとしている人たちが、このような感覚になるということは興味深いことです。
損をしたことや、騙されたことなどを後悔しているという話は見たことがありません。
自分のあり方、そして、そこから出てきた言動に対して後悔をしているのです。
そこにあるのは、感謝、謙虚、優しさ、正しさのように、私たちが小さい頃から当たり前のように教えられてきた基本的なあり方です。
後悔しないために、日頃から、仕事のスキルやお金を稼ぐことばかりではなく、正しい人間性を身につけて、維持して貫くということの大切さがよくわかります。
自分で振り返ってわかった!後悔する他人への言動
後悔することについて、2つに大別してみましたが、今回注目するべきは、
2番目の、内なる自分の人間性についての後悔です。
人生も終わろうとしているのに、そのようなことに多くの人が後悔しているのは意外に思えるかもしれません。
内なる自分ですから、今自分がしている後悔について考えてみることが有効です。
そこで気づくことは、他人への言動の重要性です。
他人への言動は、私自身考えてみると、少なくない後悔のウェイトを占めていることがわかりました。
人生を終えようとしている人が、自分の内なる人間性に後悔することと繋がるように思います。
生活していれば、失敗すること、恥ずかしい思いをすること、嫌な思いをすること、憤りを覚えることは日常茶飯事です。
それに伴う後悔も出てくることでしょう。
しかし、私自身よくよく振り返ってみると、後々まで心の中に残って引っかかるような出来事には共通した特徴があったのです。
それが他人に対してとった感情的な言動についてであるということです。
他の失敗や後悔と比較して見ていきます。
悔しい思いはいつか力に
これまでを振り返ると、失敗するようなことは当然たくさんありました。
仕事がうまくいかなくて、契約が取れなかったり、顧客を怒らせてしまったり。
会議でトンチンカンなことを言って恥ずかしい思いをしたり。
自分の仕事のやり方や準備不足を後悔することもありました。
それがわりと大きな失敗であれば、昔のことでも記憶には残っています。
一方で、このような失敗からくる悔しさは、それをバネに改善していくことができれば、失敗は生きてきます。
いつまでも、うまくいかなかったことを後悔することもなく、いい思い出にすら変わっていることに気づきます。
今では顧客を怒らせてしまったことも、間違えたことも、思い出してみても悪い気分にはなりません。
考えた挙句の意思決定は冷静に反省
後で振り返ると、自分が下した意思決定がよろしくなかったと後悔することもあります。
仕事でもプライベートでもそうですが、間違った判断だった、謙虚さが足りなかった、言っていることが矛盾していた、まだまだ人間ができていないなと思うようなことはたくさんありました。(今でもありますが)
一方で、当時の自分が考えて出した結論であれば、間違えていたとしても、いつまでも後悔はしないものだと感じます。
冷静に反省して、次に同じようなことがないようにしようと思えます。
私は大学時代は特に、おバカな学生でした。
様々なおバカエピソードがあります。
普段、移動に原付バイクを利用していたのですが、
ある日、駐車スペースがなかったため、正規の駐輪場以外のところに駐車しました。
後で気づいたことですが、その場所は、ある企業の敷地だったらしく、
帰ろうと原付のところまで行くと、違法駐車である旨、注意書きが貼ってありました。
「しまった!」とは思ったのですが、白い紙全面に強固に接着剤を使って貼ってあるため、敷地主側の怒りを感じました。
バイクのボディにしっかり張り付いていて、簡単には剥がせそうもありません。
おバカな学生である私は、しばらく考えて、このような結論に至りました。
「間違ったのはこっちだけど、こんなに剥せなくなるまでベタベタに接着剤で貼らなくてもよいではないか!」
どうしたかというと、まさかのクレームに突入したのでした。
「敷地内に駐車したのは謝る!だからと言って、ここまで悪意のある貼り方をしなくてもいいだろう、剥がしてくれ!」
と言ったわけです。
実際、すぐに撤去されてもおかしくなかった、注意書きで済ませてくれて御の字のはずだったのですが、今考えると呆れるしかありません。
行動自体は反省し、当然二度とそのような行動をとることもないでしょう。
ただ、後悔しているかといえば、正直に言えばそうでもないのです。
この記事を書いている時、たまたま思い出したエピソードで、15年以上も思い出すことはありませんでした。
間違ったことはしましたが、当時はそうするべきだと本気で思って行動した結果だからでしょうか、おそらく死ぬ前に思い出すこともないでしょう。
意外と忘れられない他人への言動
記憶などは薄れていくものです。
記憶が薄れていくと同時に、その時抱いていたはずの強烈な感情も忘れていきます。
しかし、何年経っても記憶に残っていて、ふとした拍子に蘇ってくる出来事もあります。
人生を左右するような大したことではありません。
それでも、記憶にしっかり残っていて、今思い出しても胸を締め付けられるような感覚を伴い、苦々しく思う、
今になっても悔やまれる思いが湧き上がってきます。
それは、感情に振り回されたり、その場の恐怖心などから出てしまった言動です。
イライラから出た、他人を攻撃するような言葉。
冷静さを失い、大きな声で怒鳴ってしまったこと。
また、恐怖心から、立ち向かえず、逃げてしまったようなこと。
仲間の味方をしてあげられなかったこと。
社会人になってからのことも、学生の頃のことも、はるかに昔の子供の頃の記憶まで鮮明に残っています。
なぜか、今でもたまに思い出すのです。
これこそが、自分のうちなる人間性を後悔することなのかと思っています。
先ほど、敢えて私自身のおバカエピソードを書きましたが、
そのような人間でも、感情に支配された言動によって、他人を傷つけた自分にひどく後悔するということが言いたかったのです。
影響の大きさを認識して改める
もちろん、人を本当に傷つけてしまったり、取り返しのつかないことなどあれば記憶からなくなることはないでしょう。
一方、それほど大きな事象ではない、どちらかというと日常のほんの一コマでも、今でも思い出すことがあるから不思議です。
さらに、他の大きな失敗や、ひどく怒られたこと、逆にひどく怒りを覚えた出来事などよりもずっと、思い出すと辛いのです。
しかし、そこにこそ、自分のうちなる人間性に対する後悔の一端を見ることができます。
自分に残るものなのだと実感しています。
試合で負けて悔しかったことや、権威的な上司に不遜な態度をとったこと、試験に落ちたとこや、恥をかいたことなどは、あまり後悔には繋がっていません。
そのようなことを今振り返ってみたところで、バツの悪い思いをすることもなく、前向きで爽やかな気分ですらいられることもあります。
しかし、内なる人間性への後悔は、思い出すと爽やかな気分ではいられません。
他人に対して、そのような言動をしていれば、後悔として残っていくことでしょう。
そうであれば、内なる自分の弱さを克服する必要があるのは明らかです。
何気ない出来事でも、他人に対してしてしまった感情的な言動は、後々まで自分の中に残ります。
後悔しない人生のために日常から気をつけることは、怒りや不安、恐怖などの感情に支配された言動が簡単に出ないように、自分を強く持つことだと思います。
もしかしたら、感情に任せて怒りをぶちまければ、その場はすっきりすることもあるかもしれません。
恐怖に任せて逃げれば、その時は危険をうまく回避できて得をしたと思うかもしれません。
しかし、それは大きな勘違いだと認識するべきです。
最終的に、大きな後悔となって、自分に返ってくるものだという意識が必要です。
多くの先人たちが、死ぬときになって、内なる自分について後悔しているという事実。
今の私には想像することしかできませんが、恐らくこのような言動の積み重ねではないかと思います。
まとめ
人が死ぬ前に話した、人生で後悔していることについて、大きく分けると2つの特徴があることがわかります。
- 挑戦・行動しなかったことへの後悔
- 内なる自分の人間性への後悔
挑戦しなかったことへの後悔は、何となく想像がつきやすいのではないでしょうか。
一方で、内なる自分の人間性への後悔については、少し意外であったかもしれません。
そこで、まだまだ人生半ばにも差し掛かっていないであろう自分自身を振り返ってみましたが、
何年も前のことで、さほど大した事象でもないことなのに、今でも記憶に鮮明にあり、しかもたまに蘇ってきて苦々しい思いをする出来事には共通点があることに気付きました。
それは、感情に振り回された他人への言動です。
大きな失敗や恥ずかしかったこと、チャレンジしてうまくいかなかったこと、自分でよく考えて決断したことであれば、大きな節目の出来事であっても後悔もしていなければ、苦々しい思いが湧き上がることもありません。
一方で些細なことでも、感情任せに振る舞って人を傷つけたことなどは、今でも思い出すと胸が締め付けられるような思いになります。
それこそが自分の内なる人間性への後悔の一端であり、そのようなことを積み重ねていくと、人生の最後に大きな後悔をすることになるのだろうと思います。
今できることは、そのような人生の法則を認識すること、そして自分を強く持つことの価値を見直すことではないでしょうか。
堂々と後悔のない人生を送るために、参考になれば幸いです。
以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。
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