こんにちは!Jimmyです。
多様性(ダイバーシティ)を推進する動きは世界中で見られます。
日本も例外ではなく、企業でも多様性が叫ばれるようになって久しいと言えるでしょう。
確かに、意識の部分においては、多様性への注意力は高まっているのかもしれません。
働き方改革も行われています。
一方、もっと根本的なところで、画一性から抜け出せていないようにも感じます。
むしろ、今進められている多様性が、表面上の見せかけのもののように思えることもあります。
徹底的に画一化された時代の遺産が、まだまだ残っているのかもしれません。
今回は、日本人に多いと思われる画一性への執着と危険性について考えます。
ダイバーシティ推進なのに画一的
ダイバーシティ推進というのが1つのキーワードとなっています。
その結果、多くの大組織は、画一的にダイバーシティ対応をしているように見えます。
- 女性活躍を宣言して、女性管理職比率の改善を掲げる。
- 育児・介護休暇制度の充実を図る。
- 残業時間の削減や在宅勤務制度の改革を行う。
他社の取組事例などを注意深く研究しているのでしょう。
遅れを取らないように、かと言って革新的になりすぎないように調整しているのではないかと思うほど似通っています。
多様性を認める動きを活性化するのに、周りを見ながら画一的な動きをしているという根本的な部分での矛盾に気づきます。
理由は明確です。
画一性の中で育成された人が推進しているからです。
学生が大企業に吸収されていく光景
アメリカの学生の就職希望先は、企業、NPOなどの非営利団体、公務員に大体均等に分かれると聞いたことがあります。
さらに、起業を志す人も、日本に比べはるかに多いことはよく知られています。
一方、日本の場合は、大部分が企業への就職を希望する人で占められています。
最近では、官僚志望者が減っている背景もあり、東大の学生も、約8割は民間企業に就職しているようです。
毎年時期が来ると、一括採用が当たり前のように行われます。
学生も、それに合わせて、就活の準備をして臨むことになります。
知名度が高く、人気ランキングの上位を占める大企業に、面白いように吸い込まれていく光景が広がっています。
敢えてこのような書き方をするのは、学生が、迷わないような画一的な流れができていると思うからです。
私自身、学生時代にこの流れに乗り、ふわふわとしたまま、銀行に行き着きました。
よく考えてみれば、恐ろしい話です。
幼い頃から、勉学に励んできた人、多くは文武両道で競争にも勝ってきた人。
周りから優秀と評価され、受験に成功し、能力が高いとされてきた人。
そのような人から、順番に大組織に吸い込まれていきます。
まるで、そのようにプログラムされている生産ラインのような動きです。
大組織に適応した人を、画一的に育成するプログラムです。
画一性に甘んじることで失うもの
上記のプロセスを経ている多くの人は、すでに画一的な人生を長い間歩んでしまっているわけです。
どの会社に属しているか、どんな職種に就くかで他者と比べたりしますが、組み込まれたラインの上での比較でしかありません。
意欲を持ち、自分に厳しく仕事に取り組んでいるという人もいます。
しかし、実は狭い枠の中に留まり、その中で自分を守りながら恐る恐る仕事をしているというケースも少なくありません。
攻撃的な人が多くなるのは、その証拠かと思います。
大きな組織にいれば、社会的地位や、給料水準などから、一定の満足感とプライドがもたらされることも事実でしょう。
しかし、大きな組織ほど、自分を見失う危険も大きくなります。
組織という歯車が大きいほど、自分の役割は相対的に小さくなるのは当然です。
画一的な流れの先頭集団にいた人ほど、生気を感じない、どんよりとした雰囲気と目をしている人が多いように思います。
自分の軸を見失うと、人はそのような表情になります。
私自身、サラリーマン時代、自分の表情にぞっとしたことがありました。
人気企業に入り、組織が求めていることだけをして、評価され、給料を多くもらい、安定を手にする。
一見何の問題もない光景に見えますが、組織の方針に従い自分の行動を決めるということに、疑いを持つことも必要です。
サラリーマンという働き方は、歴史を見ても、ごく最近のものであり、普遍的なものではありません。
サラリーマンという働き方が、日本の画一性とマッチして、個人の軸を作らせない役割を果たしていないでしょうか。
自分の生き方を見失った結果、幸福感から遠のいてしまった人も少なくないように思います。
現状の日本文化を認識してから歩き始める
真っ先に吸い込まれていった人が集まる大組織においては、画一性のもとで、自分の軸を持てない人が多いように思います。
これまでの時代は、経済成長の中で、その弊害が目立たずにすんでいたのでしょう。
個を犠牲にして仕事をしていても、金銭的、物質的な豊かさを享受することができ、満足感をもたらしてくれていました。
ところが、低成長時代となり、画一的かつ大きな組織構造に無理が生じているようです。
幸福感やモチベーションを感じられる人は、驚くほど少ないのが日本組織の特徴です。
何度も本ブログでは指摘しましたが、意欲のある会社員の割合は、わずが6%です。(ギャラップ社調査による)
それどころか、これだけ物質的に豊かな世の中なのに、精神的な疾患を患う人が増え続けているのはもはや異常です。
表面的な多様性推進を受け入れる前に、今の社会構造自体、画一性の塊であり、そこに自分も身を置いているという意識は必要です。
部分的には、多様性を意識しながらも、画一性という大きな箱の中にいる。
これを認識しないと、真の多様性推進など達成されるはずはありません。
個人としては、この矛盾を受け入れた上で、少しでも自分の生き方とは何かを模索することが必要です。
そうでないと、簡単に迷い不安になります。
わからなくなり、不安になれば、行き着く先は、周りと同じ、画一的であることの安心感しかありません。
主体的な思考というよりは、周りについていくというスタンスです。
そこに待ち構えているのは、「搾取」ではないでしょうか。
搾取は、無思考、無抵抗なところから行われやすいと言えます。
資本主義が続いている以上、そのような構図はどうしても発生することです。
すでに、成長期は過ぎ去り、1億総中流の時代も終わり、日本でもそういった光景が多くなるように思います。
画一性の危険性を認識し、自分の人生を歩く時代かと思います。
画一性の中で、先頭集団を走ってきた人ほど必要な認識です。
視野を広げて見ると、大きな組織以外にも様々な魅力ある場所の存在に気づくはずです。
社会構造や、常識を疑う視点、自分の生き方を考えるには、過去の思想や歴史から学ぶことが有効です。
以下の記事も参考にしてみてください。
以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。
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