生きづらい世の中を変えるためにできること【カントの道徳から学ぶ】

こんにちは!Jimmyです。

生きづらい、息苦しいと言われることが多い世の中です。

様々な原因があると思われますが、私が思う大きな原因の一つは、道徳観の衰退です。

 

わかりやすい、誰が見てもよくない行いをする人はいつの時代もいますが、

近年急激に増えているのが、表面上は道徳的に見えるものの、見えないところ、腹の中では異なるケースです。

「ケース」とわざわざ書いたのは、特定の人ではなく、ほぼ誰にでも起こり得ることだからです。

 

仕事をしていても、サービスを受けていても、相手に対してどこか薄気味悪い印象を覚えることはないでしょうか。

それぞれが立場に応じて、表面的な道徳者として行動し、生きづらい世の中の構成員になり得るということです。

 

これを認識して、少しだけでも「是正」する努力が、幸福感を持って生きていく上で必要なことではないかと思います。

 

今回は、カントの道徳からヒントを得て、現在の生きづらい世の中の原因と、するべきことを考えます。

非常に厳格な道徳観で有名なカントです。

カントが描く社会になることはほぼ不可能だと思いますが、取り入れるべき視点、大変重要な気づきも豊富に含まれています。

あまり概念的にならないように注意しながら、必要な考え方を示していきます。

カントの厳しい道徳

カントの道徳の考え方を簡単に示します。

哲学者ということで、とっつきにくい印象もあるかもしれませんが、ポイントをおさえれば、大変役に立つ学びとなります。

 

見返りを求めての行為は道徳的ではない!

「なんであの子を助けなきゃいけないのー?」

「彼らを支援することで私たちに何のメリットがあるのですか?」

 

よく聞く言葉だと思いますが、子供が言ったか大人が言ったかの違いで、本質的には同じことを言っています。

 

「なにか見返りはあるのか?なければする意味がない。」ということです。

つまり、子供であろうと大人であろうと、このような損得という価値判断で動くのが基本になっています。

 

確かに子供に対しては「困った人には手を差し伸べるものだ!」と言う人はいます。

しかし、親本人が普段そういう行動を取らず、損得で判断して動くことが多いため、子供も自然と、そのような考えになっていきます。

 

カントは、そのような見返りを前提とした、道徳的行動を否定します。

自分の評価につながるから丁寧に接する、お金をもらえるから助けるというのは、道徳的な行動ではないということです。

同じ「助ける」という行動をしたとしても、見返りという動機があれば、道徳的ではないということになります。

 

一見まっとうな主張のように見えますが、実際には非常に厳しい道徳観です。

 

上記の例ならまだしも、

「私も人にやさしくしてもらいたいから、周りの人にたくさん親切にするの!」

と言っている子がいたとしても、カント流で解釈するなら、不合格の烙印を押されることでしょう。

やさしくしてもらいたいからと考えている時点で、道徳的ではないのです。

 

「寄付をしている自分が誇らしい、ボランティアをしていると自己肯定感が上がるんだよね」

このように、ある種の快感を目的にしている場合も、カント流では道徳的ではないということになります。

 

正しいことは、見返りのあるなしに関係なく無条件にする、義務のようであるというのがカントの考える道徳です。

少し現実離れしている感じもしますが、重要な考え方ではあるので、今しばらくお付き合いください。

 

仮言命法と定言命法

先ほど示したような例を、カントの用語で示すと、仮言命法定言命法という言葉になります。

 

例えば見返りを前提とした教え、

「人に親切にしてほしければ、あたなも人に親切にしなさい」。

これが仮言命法です。

「もし〜ならば〜しなさい!」の形です。

「親切にしてほしければ」という部分が条件であり、一番欲しい目的の部分、つまり見返りになります。

 

そうではなく、無条件にするべきというのが、定言命法です。

「人に親切にしなさい。以上」。

見返りも条件もなく、ただ「〜せよ!」と言っている形です。

 

つまり、道徳的行為は定言命法によってなされた行為であると言っているわけです。

 

善意志と道徳法則への尊敬

もう少しだけ補足します。

では、正しいことを見返りもなくするのに、そもそもの正しさの基準と、人がそれに向かうことができる理由は何か、ということになります。

 

正しさの基準は、「善意志」と呼ばれる絶対的な善であるとカントは言っています。

この世の中でも外でも絶対的に通用する法則ということです。

 

では、その絶対的な善である「善意志」に向かおうと人を動かすものは何か、

それが道徳法則への尊敬の念です。

人間に必ず備わっていると言われています。

 

難しそうな言葉が出てきましたが、それほど難しい考えではありません。

例えば、殺人をしてお金持ちになったものの、幸福感は感じられず、殺人を犯したことを後悔する思いから逃れられない感覚。

これこそが、「道徳法則への尊敬の念」であり、殺人をしてはいけないという絶対的な法則が「善意志」という説明になります。

そして、これらをわきまえて、自分なりの行動指針を作っていくべきということになります。

カントが指摘した弊害が現代社会そのもの

厳しい道徳観を持ったカントの考え方を簡単に示しましたが、では、なぜこのような考え方が生きづらい世の中を変えるのに役立つのか。

それについて、18世紀生まれのカントが指摘した、見せかけの道徳、仮言命法で動く社会の弊害が、現代社会に大きな問いかけを発しているように思います。

 

利己主義と打算に満ちた世界に

現代人は、見返りを求めて、損得に基づき動くのが基本になっていることは先ほども触れました。

つまり、当たり前に、仮言命法に基づき判断し動く世の中であるということです。

成熟した資本主義社会も大きく影響していることは間違いありません。

 

しかし、この見返りありきの考え方は、過度な利己主義と保身、打算的な人を育てると、18世紀の時点で、カントは警告しています。

 

「もし人に評価されたければ、誠実に接するべき」。

この場合、誠実に接するという行為ではなく、条件の部分、つまり評価されたいというのが一番の目的になるでしょう。

道徳的行為の裏にある下心が主眼になっているということです。

評価されるために、しかたなく誠実さを装うということになるかもしれません。

 

同じく、「成功したければ努力するべきだ」。

この場合も、成功したいというのが目的で、努力が手段になります。

すると、手段は選ばないという発想が出てきます。

 

つまり、策をめぐらし他人を陥れることに奔走したり、ずるいことをして有利にすすめる術を覚えたりすることにも繋がります。

それでも、成功をおさめたときは、努力が報われたと主張することになるでしょう。

 

カントが指摘するような光景が、まさに今の時代では散見されることに気づきます。

まさに道具としての道徳です。

自分に有利になるように、道徳の仮面や毛皮をつけたり取ったりすることにせわしない人は少なくありません。

だから、その人の本当の姿がよくわからない、何を考えているのかよくわからない、軸が見えないというケースが本当に大量発生しているのです。

 

動機による道徳教育が及ぼす深刻な副作用

「自分が得をしたければ、〇〇しなさい」

つまり、こうすれば、あなたは得をすることができるという言い方。

これは、相手に伝わりやすい、非常に即効性のあるやり方です。

 

子供に対してはもちろん、大人に対しても当てはまることでしょう。

義務としてやるよりも、褒美をぶら下げられるほうがやる気になるものです。

 

しかし、カントは、即効性のある薬は必ず大きな副作用が伴うと警告しています。

 

見返りを前提とした道徳教育や行動指針は、短期的に見れば即効性もあり使い勝手が良いように見えます。

一方、長い目で見れば、成果をあげないどころか、逆効果をもたらすという指摘です。

 

まさに、今の時代で、その逆効果を実感しているという見方もできるでしょう。

先ほど述べた、過度な利己主義により、打算的な仮面をかぶった人が増え、生きづらい世の中になるという弊害もそうです。

 

さらに、カントは、人の道徳基盤を建築物の基礎にたとえています。

外見、見栄えだけを重視して、基礎を疎かにし、長い間放置し続ければ、あとになって倒壊したり、修復が難しくなったり、建てる前よりも何倍も大変なことになると指摘しています。

 

まさに今の時代も、基礎が手抜き工事のままで、外見だけが立派で、人の目を引く建物が乱立している状態、

つまり、道徳の基礎がしっかりしないまま、見せかけの道徳で生きている人が大量発生しているということです。

そんな家に暮らしていたら、そんな人と接していればどうなるか、想像に難くありません。

考え方を柔軟に持つ 善の実行

カントの指摘する、見返り前提の道徳観、損得勘定の弊害を紹介しました。

今の生きづらい世の中に、少なからず影響を与えているように思います。

一方で、カント道徳は、そのまま実行できるものでもありません。

 

ただ、哲学の世界では極論として考えることも必要です。

例外を許さない議論になりますが、実生活ではもう少し柔軟に考え、実行できるものと思います。

 

資本主義社会という社会システムの中に生きている以上、様々な立場で、様々な人と接します。

ある程度の仮面は必要なこともあります。

金銭的な損ばかりしていては、生きていけないというのも事実です。

 

一方、過度に進みすぎて歪が生じているような、利己主義と打算的な社会は、修正が必要ではないかと思います。

そこで、一人一人の個人レベルでも実践できる、気をつけるべきポイントを整理します。

 

「〜にもかかわらず」の精神を一つは取り入れる

一日一善という言葉があります。

一日に一つは善いことをしようという教えです。

多くの人が、日々誰か他の人のためになることを実行できていると思います。

それを進化させて「〜にもかかわらず」の善を日常に取り入れることを提案します。

 

定言命法、つまり無条件に実行する道徳というのは、しばしば、「ばかをみるにもかかわらず」「何の得にもならないにもかかわらず」という意識を伴うとカントは指摘しています。

 

損得勘定、メリットのないことは無駄という価値観が当たり前の今日では、なかなかできる人は少ないかもしれません。

だからこそ、少しでも取り入れていく努力が必要ではないかと思います。

 

毎日は難しくても、一ヶ月に一回でもそのような行動ができれば、それに救われる人、感銘を覚える人、影響を受ける人が出てくるはずです。

その輪を広げていくことが大切です。

 

細かく考えれば、自分の満足感との折り合いをどうつけるのかという問題もありますが、そこまで厳密に考える必要はないと思います。

 

利害関係などとは関係なく、「〜にもかかわらず」の行動を受けた側の人(対象が人の場合)は、深く記憶に焼き付くものです。

 

私自身も実感したことがあります。

学生時代、真冬の夜に、夜通し交通量調査のアルバイトをしていて、あまりの寒さに凍えていたときのことです。

通りかかった見知らぬ方が、コーヒーと肉まんを差し入れてくださったのでした。

深く感銘を受け、大変印象に残っています。

「何の関係もない、義務もない、お金を払うにもかかわらず」の行為です

 

その約十年後、真冬の交通量調査員を見かけた時、思わず差し入れをしている自分がいました。

 

これが職場であっても、地域活動であっても、「〜にもかかわらず」の道徳的行為をするチャンスはいくらでもあります。

狙ってやるものでもありませんが、頭のどこかに意識を置いてみてはいかがでしょうか。

まとめ

生きづらい世の中と言われます。

職場や社会の人間関係に底しれぬ不気味さを感じたり、息苦しさを感じることがある人も少なくないでしょう。

その原因の一つに、道徳観の衰退があるように思えてなりません。

 

今回は、道徳と言えば「カント」ということで、道徳についておそらく地球上誰よりも考えたであろう哲人の考え方にヒントを得て、現代日本が陥っている状況、そして改善のためにできることを考えてみました。

 

カントが指摘する、道徳の崩壊の弊害が、まさに今の社会で現実になったように思います。

資本主義社会というシステムの中にいる私たちが、定言命法としての善を毎日のように実践するのは難しいのはたしかです。

それでも、見返りありきの判断から一歩離れて、「損するにもかかわらず」、「何の得にもならないにもかかわらず」という状況で善を実行する心がけが大事になってくるのではないでしょうか。

 

以上、ここまで読んでいただきありがとうございました!

 

道徳や、生き方の指針となる考え方について、以下の関連記事も参考にしてみてください。

 

『論語と算盤(渋沢栄一)』が現代に突きつける警告

利益追求やコンプライアンスよりも前に道徳を修めるべき日本人

四書五経とは何なのか?簡単なまとめと現代人が学ぶ意味を考える

人を見る目があるという過信は捨てたほうがよい理由

 

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