こんにちは!Jimmyです。
自分の努力は、当然自分自身がすべて知っています。
一方、他人の努力は、ほとんど知る機会もありません。
そのため、自分だけが苦労している、認められていないという思いにとらわれることがあります。
他人を羨んだり、妬んだり、機会や能力の不平等に不満を持ったり、そうなれば精神的にもよくありません。
やる気を失って、自分の努力も放棄することになりかねません。
今回は、前向きな気持ちでいるために、他人の見えない努力の存在を知ることが有効であること、
そして、自分自身も見えない努力の価値を認識することが大切である、という趣旨になります。
自分だけが・・と不満に思う時
生きていれば、不平不満を抱くこともありますが、それはどんなときでしょうか?
様々な状況が考えられますが、多い事例としては、自分は不当な苦労をしている、認められない、損をしているという感覚に陥ったときではないでしょうか。
- 自分は努力しているのに、あいつは運がいいから恵まれた環境にいて成果を出している、ズルい。
- これだけ努力しているのに、なぜ、そのプロセスを見て、評価してくれないのか。
- 不利な状況を押し付けられても、努力しているのだから、周りはもっと感謝するなり、気遣ってほしい。
こんな思いになるときです。
自分では、はっきりとは気づきませんが、思考としては、「自分だけが」不当に苦しい立場にいるという心境になっているはずです。
しかし、この考え方にこそ、注意が必要です。
世の中には、誰からも気づかれない、評価されない努力、つまり「見えない努力」のほうが圧倒的に多いという事実に気づくべきでしょう。
そうすれば、不平不満ばかりを並べて、わざわざ自分の気持ちをマイナスの方向に振れさせることは少なくなるはずです。
誰かの努力で成り立っている当たり前
日常を少し考えるだけで、自分が恩恵を受けているのに、見落としている他人の努力がたくさんあることに気づきます。
つまり、見えないところで努力している人たちの存在に、ほとんど気づかないということです。
朝、仕事や会議のことを考えながら出勤する道中、きれいに掃除された道路は、朝早くに掃除してくれた人がいるからでしょう。
乗っている電車の安全性を疑ったことがないのは、夜間に人知れず、レールの点検や修理をしている人がいるからです。
忙しい日常で、そこに思いを馳せて、感謝することはほとんどないのではないでしょうか。
もしくは、当たり前のこととして認識されているとも言えます。
また、ほとんど人が通らないような山道にも、整備された跡を見つけることができますが、そこを通るわずかな人のために、誰かが汗を流した証拠でしょう。
こちらも、ほとんど誰も気づかない、その道の存在すら認識されていないと考えられます。
それでも、確実に必要で、誰かの日常を支えています。
他にも、恩恵を受けているのに見逃している努力の例をあげればきりがありません。
つまり、社会を支える努力は、ほとんどが見えない努力によって構成されていると考えられます。
給料をもらってやっている仕事がほとんどだとは思いますが、
仕事でやっていても、努力していることは認めてほしいというのは誰でも同じです。
それでも努力している人たちの存在を考えれば、自分だけが不当な苦労をしているという思いになることはまずなくなるでしょう。
そして、そのような日常に対して、感謝の気持ちも芽生えるきっかけになるのではないでしょうか。
めったに見られない一流の努力
視点を少し変えます。
世の中には、自分のパフォーマンスが、多くの人から注目されるような人も少数ですが存在します。
有名人や成功者、一流のプロスポーツ選手といった人たちです。
このような人たちは、見られようと思えばいくらでも見せることができると思いますが、見えないところで努力していることが圧倒的に多いように思います。
評価のためだけに努力するのではなく、自分が強く掲げる目標のために努力しています。
そのため、わざわざ努力をアピールしたり、よく見られるための点数稼ぎをしたりするインセンティブは、相対的に極めて低くなります。
視野も広くなり、様々な分野で、すぐには効果としては表れないものに挑戦してみたり、知識を得ようと勉強を始めたりといった選択ができます。
そのような人に対しては、「才能があって羨ましい、才能だけで勝負している」という声が上がることが多いでしょう。
ただ、「天才」などはほとんど存在しません。
大部分の一流と呼ばれている人は、見えないところで、想像を絶する努力をしているはずです。
イチローさんが、そのように自身を振り返っていることは有名な話です。
野球の話に偏り申し訳ないですが、阪神やメジャーリーグでも活躍された新庄剛志さんなどは、センスの塊と評され、努力をしないイメージがあります。
ところが、実際には見えない努力を続けてきたことを後になって本人が語っています。
新庄さんに限らず、努力を見せたくないという人のほうが多いのではないかと思います。
経営者にせよ、他の成功者にせよ、一流と言われている人は、努力を見てほしい、認められたいという思いだけでやっている人は皆無と言ってよいでしょう。
自分の使命や、大きな目標を見据えて、信じられないくらいの見えない努力を続けている人たちであると認識しておくとよいでしょう。
自分の努力の方向を見直す参考にもなるはずです。
すぐに日の当たる努力ばかりを考えない
世の中には、見えない努力、敢えて見せない努力が大半であることを認識すると、考え方も変わってきます。
まず、自分ばかりが苦労しているという「自分だけが」という感覚から、脱しやすくなるでしょう。
また、すぐに日の目を見るような努力ばかりを考えていてよいのだろうか、という問も出てくるはずです。
企業であれば、目の前の業績と自分の評価を求めて、近視眼的な考えにとらわれてしまう経営トップもいます。
大変難しい選択であると思います。
組織によっては、社内政治や忖度、アピール技術が、努力の対象としてみなされている現状すらあります。
ただ、近視眼的な視点が、良い結果をもたらさないことは周知の事実です。
見えない努力を標準装備とすることで、気持ちが余計な方向に暴走することを妨ぐ効果もあります。
見えない努力こそ、本来の自分が持つべき生き方に直結するはずです。
今、目の前で評価されなくても動じない、先を見据える力も同時に養うことができるでしょう。
まとめ
世の中には、誰からも気づかれない「見えない努力」のほうが圧倒的に多いのが現実です。
誰かの努力のおかげで、私たちの当たり前の日常が維持されていることにも、普段は気づくことは少ないでしょう。
そういった努力の存在を考えれば、自分だけが努力している、苦労をしているという思いになることはまずなくなるはずです。
そして、当たり前の日常に対して、感謝の気持ちを意識するきっかけにもなります。
さらに、一流の成功者やプロスポーツ選手ほど、見えない努力をしているという傾向が強くあります。
他人からの評価や雑音に惑わされることなく、自らの掲げる目標や、あるべき自分像に向けて、ひたすら走り続けることで、大きな成果を出していると言えるでしょう。
すぐに日の目を見る努力ばかりを考えるのではなく、見えない努力を続けている数え切れない人たちの存在を認識し、自らも見えない努力を意識することが、前向きな人生を歩む上で大切になります。
以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。
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