忖度文化を否定しよう!世界にバカにされない日本人になるために

こんにちは!Jimmyです。

日本人社会では、正しい大局的な目的意識を持つということが簡単ではありません。

なぜなら、お手本となる人が少ないからです。

 

例えば、会社組織。

ある問題を解決することが目的であるはずなのに、どんどん目的が入れ替り、小さくなることがよく起きます。

目の前のどうでもよいことで右往左往している光景は日常茶飯事でしょう。

 

根本的な原因を突き詰めれば、自分の生き方を考える力や信念の話(当ブログが主要に扱うテーマ)になるのですが、今回は、そこまで遡りません。

間接的に関係している、巨大化した組織の「忖度文化」に原因の一端を見出して考えてみます。

長らく日本社会に息づいていた、というより猛威をふるっていた忖度文化を、そろそろ終わらせる時がきたのではないかと思います。

 

忖度文化の脱却は、すなわち他者に正解を求める考え方から自分で正解を見つけていく考え方へのシフトです。

そのようなパラダイムシフトは既に始まっています。

諸外国からバカにされる日本の忖度官僚

忖度文化の発信源であり、今でも中心地になっているのが官僚的な組織です。

高級官僚などはもとより、大企業組織などでも当たり前となっている文化です。

元々、忖度という言葉は、相手を慮るという中立的な意味を持ちますが、流行語大賞に選ばれたときには、

地位の高い者にこびへつらう、迎合するというネガティブな意味合いで取り上げられています。

今回扱う忖度文化も、このネガティブな意味合いで考えています。

 

ファイブアイズから指摘された強烈な一言

悲しい現実だなと思いました。

このような記事を読んだからです。

米中対立が深まる中で、情報管理やスパイ活動への対策について、日本の甘さが指摘された記事ですが、以下の部分がそれ以上に気になりました。

(※ファイブアイズは英・米・豪・加・ニュージーランドの五カ国。)

ただ、ファイブアイズの政府関係者によれば、日本の官僚は機密を守るというモラルは低くないものの、もっと根源的な問題があるという。ファイブアイズが情報の重要性を「国家の安全保障を脅かすかどうか」という点で判断するのに対し、日本の官僚は「他省庁と情報を共有したくない」「首相官邸や与党政治家に怒られたくない」という判断で情報を守ろうとするからだ。

引用元:Forbes Japanの記事より

 

海外主要国からも、日本の官僚は低次元な意識しかないということを言われているわけです。

「怒られたくない」とは、随分子供じみた言葉で言われていますが(訳し方の問題かもしれませんが)、ここに何となく蔑みの感情を感じ取ることができます。

要は保身の意識が強いということでしょう。

 

自分たちの任免権を持つ人たちの意向を忖度することに必死になっている。

そのため、「国家の安全保障」という本来対峙すべき問題がどこかにいってしまっている。

海外からも、実際にこのように思われていることがわかります。

 

コロナ対応:ダイヤモンドプリンセスで

コロナ対策で日本の対応が注目を集めたのは、大型クルーズ船、ダイヤモンドプリンセスでの感染問題についてでしょう。

岩田医師の告発があって、官僚主導の船内対策の実態が明るみに出ました。

当然、海外からも厳しい批判の声が相次ぎました。

 

それもそのはず。

  • 感染病の専門家であれば、絶対にやらないことを平気でやっている
  • 安全地帯とそうでない場所が全く分けられていない
  • 外部専門家からのアドバイスや支援を拒否した
  • 挙げ句、上級官僚が岩田氏のことを気に入らないという理由で船から追い出した

などなど、目的意識がおかしいと思わざるを得ない、にわかには信じられない事実が報じられました。

 

実際には、アドバイスを受けて、これに従った方がよいと心の中で思った官僚もいるのではないかと思います。

と言うより、誰でもそう思うはずです。

 

それでも、省や上司の方針や意向を忖度して、このような信じられない事態でも進言できない、ルール以外のことはできないという悲惨な姿になるのではないでしょうか。

本来あるべき目的意識を完全にはき違えている事例です。

忖度が的中してドヤ顔するサラリーマン

忖度

官僚の例を挙げましたが、忖度文化は官僚だけではなく、大企業を中心とした会社組織にも根付いています。

 

どんどん低くなる視点

会社であれば、基本的には社会に存在する問題を解決することで利益を得ているはずです。

社会起業家の記事などを見ていると、その事業をする意義、問題意識が書かれています。

それを読んで感心することが多いのですが、会社の存在意義を考えれば、ある意味当然のことなのかもしれません。

 

つまり、社会のための問題意識から始まっているわけです。

ところが、組織が細分化されれば、そのような意識は薄まっていきます。

ある程度は致し方ないのですが、度が過ぎると、目的意識が完全に変わっていきます。

 

社会に目を向けていたものが、目の前の顧客、自分たちの部署、上司、個人の昇進、保身と段々目的の対象が変化します。

最終的に、忖度して、うまく立ち回ること自体が目的となってしまうのです。

当然、個人としてのあり方や、信念、生き方なども確固たるものがありません。

不安になりながらどこに向かっているかもわからず、お金を求めてさまよっているだけになります。

相当に強い意識を持っていない限りは、視点はどんどん低くなります。

 

忖度文化は思考停止を生む

そのような組織になると、現場発信で方針を変えていくという動きができなくなります。

上の意向を忖度するようになれば、当然の結末です。

与えられた条件が全てで、その中で結果を出すことしか許されません。

 

結果が出ないまま意見しようものなら、

結果が出てから言え!

言い訳するな!

努力が足りない!

みんな同じ環境でやっているんだ!

という言葉が返ってくるでしょう。

現場も次第に、現場発信で変えていくことを考えなくなっていくものです。

 

いかに振る舞うかの勝負

高い視点に立つことと、改善への意欲が低下した先にあるのが、いかに振る舞うかという問題です。

組織の中で、優位な立場に立ち、よい評価を得るためには上司から評価される必要があります。

 

そこで、上司の指示しそうなことを先回りして考えるという能力が必要になります。

例えば、営業成績が伸びないという問題にぶつかったとします。

 

やるべきことは、原因を分析して、改善のためにできることを幅広く考えていくことです。

しかし、もはや高い視点にも立てず、現場発信で体制を大きく変えるような議論が許されない状態では、いかに見せ方を工夫するかということを考えるようになります。

 

すなわち、次のような動き方です。

  • 営業成績がよくないから、間も無く上司から指示がくるだろうということを予測する。
  • 先んじて、現状分析と、実現可能性はさておき、形だけの打開策(言い訳資料)を作成する。

多くの場合、中間に位置する管理職が機転を利かせ、指示を出します。

 

そして、上司に言われる前に、自ら会議を開いて上司を呼び、作った資料をもとに、深刻な顔で打ち合わせをします。

「今成績がよくありませんが、これだけ必死に考えています、苦しい中でもこれだけ策を考えているんです!」

というアピールをするわけです。

”いかに見せるか”

これが「できるサラリーマン」だと、私も教えられたものです。

 

愚の骨頂事例

いろいろな人が、それぞれの立場で忖度するようになれば、負のスパイラルの完成です。

実際にサラリーマン時代に、このようなことがありました。

似たようなことは、多くの現場で発生しているのではないでしょうか。

 

現場責任者のBさんは、管轄する現場の営業成績が上がらず、トップに会議で叱られました。

落ち込むBさんが電話をかけたのは、会議で一緒の場にいたAというトップの補佐をする立場の人でした。

 

Bさん
怒られちゃいました。どうしたらいいですか?

 

AさんはBさんにこう進言します。

 

Aさん
トップが気にしているのは、施策をちゃんと考えているのかどうかだろう。だから毎月、トップに直接、その月の動きをメールで報告するべきだ!

 

もちろん、トップは何も言っていません。

Aさんが勝手に忖度したのです。

 

Bさんはそのアドバイスに従い、トップに報告するようになりました。

実は、定例会議で報告する場はあるのですが、わざわざ別に資料を作り込んで報告することにしたのです。

 

Bさん
トップが求めているのはどういう報告なのか?
Bさん
もしかしたらこっちの内容が気になっているのかもしれない。。
Bさん
たしか、この前こんな発言をトップがしていた、報告に入れるべきだろう。。

 

今度はBさん自身もさらに忖度し始めます。

気になってしかたがないため、また別の人に相談してアドバイスを求めます。

 

その結果、部下を巻き込んで資料を作成させ、

その上で、Bさん自身、その報告メールのために、丸一日以上かけて作成し、提出するようになったのでした。

 

Bさん
部下たちよ!この資料を作ってくれ!あのデータもほしい!その件の進捗も詳しく教えてくれ!気が狂いそうだ!

 

忖度が忖度を呼んで、トップは何も要求していないのに、報告資料に膨大な時間をかけることになったという事例です。

 

なお、その渾身のメールと資料は、議論を深めるのに使用されることはありませんでした。

よくて、トップから直接一言添えられて、読了メールが届いて一安心といったところでしょう。

 

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日本の労働生産性が低い理由、10年働いてわかったこと

 

外国人からの感想は無視

このような忖度文化によって、無駄な作業は多く発生しています。

外国人社員もいるような会社であれば、「おかしい」、「無意味」と率直な感想も聞かれます。

しかし、そう言われても日本人の多くは、日本の文化をわかっていないとして、変えようとは思わないことが多いのが現状です。

 

日本にいる外国人の多くは、この点非常に冷ややかな目で見ています。

 

もちろん、日本人社員の口からおかしいと言おうものなら、組織というものがわかっていない、経験が足りないと言われることでしょう。

(私も実際にそう言われました)

根付いた文化を変えるのは容易ではありません。

子供なのに忖度する悲しい体験 そういう教育文化

忖度

忖度文化が根付いているのは、言うまでもなく、日本の教育文化が影響しています。

思い返すと私自身も、忖度の芽を植え付けられていたことを思い知らされます。

 

スポーツ、部活

先ほど、日本の官僚に対する外国政府関係者からの手厳しい指摘を紹介しました。

ファイブアイズが情報の重要性を「国家の安全保障を脅かすかどうか」という点で判断するのに対し、日本の官僚は「他省庁と情報を共有したくない」「首相官邸や与党政治家に怒られたくない」という判断で情報を守ろうとするからだ。

 

怒られたくないという判断軸があるということですが、これは子供の頃から植え付けられた価値観に他ならないと思うわけです。

私も、自分の過去を振り返れば、同じような感覚でスポーツに取り組んでいたことを思い出します。

 

小学生時代に野球、中学生時代にハンドボールをしていました。

とにかく、コーチ、監督が怖いのです。

試合の勝ち負けや技術の上達などは正直二の次でした。

(当然、負ければ怒られ、罰が待っているため、その観点から勝ちたい、上手になりたいとは思っていましたが)

 

当然、子供ですから、やめたからといって、生活ができなくなるわけでも給料の差がつくわけでもありません。

それでも子供心に、当時は親を悲しませたくないという理由が大きかったことを思い出します。

 

そのため、「やる気のない者は去れ!」と言われてきましたが、やめられなかったのです。

「そんな指導で、やる気になれって方が無理だろう、何考えてるんだろう」と思いながら耐えていました。

いかにもやる気があるように振る舞っていたのを思い出します。

 

理由はビジネスマンや官僚と違えど、自分の軸がなく、目的意識を正しく設定できていない点は同じです。

やらされてやるだけでは、抜本的な解決策や技術の向上を本気で考えるようにはなれません。

結局、いかに怒られないようにするかを考えていました。

子供でもそう考えるわけです。

 

監督は今日機嫌が良いか悪いか。

監督が嫌いなプレースタイルは絶対にしない。

言われたことだけはきっちりやる。

違う子が怒られていたことと同じミスは避けたい。

極端な話、声を出していなくて怒られた子がいたら、試合そっちのけで声を出すことに注力していたわけです。

 

程度の差はあると思いますが、恐怖政治や根性論で動かされていた経験を持つ人は少なくないのではないでしょうか。

本来持つべき前向きな姿勢と、高い目的意識など持ちようがない状態であったことがわかるはずです。

 

先生に対してのよい子とは?

学校の先生と生徒の関係も似たようなことが言えます。

(現代の都市部では、先生の地位が相対的に低下していると言われており、状況は違うのかもしれません)

 

先生の言われたことをしっかりやり、言うことを聞く子がよい生徒とされてきたわけです。

テストでは一番でも、授業態度が悪くて、「5」の評価をもらえなかったという人の話をたまに聞きます。

 

多少なやんちゃエピソードはかっこいいため、誰もが少し誇張して語るものです。

しかし、ほとんどの場合、結局は言われた通り勉強して、試験でいい結果を出し、レールの上に乗って歩いてきた人たちが、官僚なり大企業社員になっていくわけです。

忖度文化を受け入れやすいのも、ある意味自然の流れなのかもしれません。

まとめ 忖度文化から脱却する時がきた

これまで文化として根付いてきた、忖度する日本人。

それは、そのような人を育てる教育体制と、企業が欲する人材ニーズが一致し、さらにうまく機能していたからです。

 

しかし、今はそういった文化が機能する時代ではなくなりました。

必然的に変化が求められており、実際にこの忖度文化をよしとしない人が増えています。

 

一方で、伝統的な社会の波に飲まれ、思考停止になっている人がいることも事実です。

今後、間違いなく現在の忖度文化は衰退し、本来の中立的な意味の忖度=配慮に戻っていくことでしょう。

 

そのような時代の変化を見逃すことなく、忖度文化から決別し、新時代を引っ張っていくのがこれからの世代の役割だと思います。

 

まさに今、パラダイムシフトが起きようとしています。

長くなりましたので、次回に持ち越しとしますが、このパラダイムシフトは、大きな転換になるほど時間を要します。

忖度文化に慣れ親しんだ人たちは、なかなかそれを否定できません。

 

パラダイムシフトは世代交代です。

これから起こるパラダイムシフトに取り残される側にならないために、必要な考え方を次回に解説します。

パラダイムシフトとは世代交代だ!取り残される側にならないための考え方

 

以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

こちらの記事も是非参考にしてみてください。

 

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