こんにちは!Jimmyです。
相手を思いやることは、人と関わる上で必要です。
一方で、相手を思いやること、共感することは簡単ではないと感じることも多いでしょう。
思いやりの程度が低すぎてもダメで、高すぎてもそれはそれで問題があるということです。
さらに、人によって、相手によっても異なるというのが現実だろうと思います。
今回は、ちょうどよい加減の思いやりについて考えてみます。
相手を思いやる共感力が欠如するケース
最もよくあるのが、「足りない」ケースでしょう。
相手を思いやる気持ち、共感力が欠如するケースです。
複雑化した組織ではよく見られます。
今更述べるまでもないことかもしれませんが、以下に示します。
根本にある構造上の問題
これには現代社会の構造上の問題が一番にあります。
与えられた役割、指示された仕事は、歯車の一部でしかないため、どうしても横断的に人と深く関わる機会も少なくなります。
距離感は遠くなり、無機質な関係になりやすいと言えるでしょう。
また、歯車であるが故に、ムチを打たれながらお互いが競争している関係でもあるわけです。
相手を思いやる余裕がなくなるどころか、いかに相手に勝つか、出し抜くかという視点を持つことになります。
お互いの利害得失の中で、合従連衡を繰り返すようなイメージです。
自分にとって損か得か、利用する価値があるかないか、そのような判断軸で動いているケースが多いでしょう。
いつの間にか、相手はコマであり、道具であるような感覚になっている人も少なくないように見受けられます。
資本主義の世の中とは、そのような”風”がどこにでも吹いていると考えるべきでしょう。
大事なのは、その風に乗っていることに気づくことです。
気づかず盲目的になり、これが正しい当然のあり方であると考えることが最も危険です。
普遍的なものではありません。
なお、思いやりと似て非なるものに、上の人に対するこびへつらい(忖度)がありますが、これができる人は多くいます。
自分の利害のためにやっているわけですから、当然の話かもしれません。
リーダーにとって思いやりは必要不可欠
多くのリーダーシップ論でも指摘される通り、部下を持つ立場であれば、相手を思いやるという能力は不可欠です。
しかし、これができる人は多くありません。
前提となるのは共感力ですが、部下に共感なんてしている暇はないと考える人が多いのではないでしょうか。
それもそのはず、もっと手っ取り早い統率の方法があるからです。
それが権力です。
共感力よりも、組織から付与された権力を存分に発揮し、統率するリーダーが多いのが現実です。
上司と部下の関係が悪化する大きな要因です。
実際には、今の世の中、権力だけで人を従え、さらに望ましい結果を出すことは難しくなっています。
そのため、リーダーシップ論などでも盛んに共感力が叫ばれるようになっています。
実際、多くの働く組織では、相手を思いやること、共感力が見られにくいのが現状でしょう。
逆に言えば、何も考えることなく組織の方針に従っていると、思いやりや共感力のない人になりやすいということです。
この点、特に注意が必要です。
これからは、ますます一人一人の考える力、発想力が大事になってきます。
それに伴い、共感力、思いやる力も今よりも必要になってくるでしょう。
時代の変化も頭に入れて、真剣に向き合う課題であると思います。
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相手を思いやる意識が強すぎるケース
思いやりのない、共感力のない空気に世界中が覆われているかと言えば、実はそうでもありません。
世知辛い世の中と言われていますが、依然、家族や親しい関係であれば、人間味のある関係が基本にあるものです。
「なんだ!それならよかった!」
・・・とはならないので続けます。
「自分ごと」と「自分ごとのように」は違う
厳しい社会になっているからでしょうか。
家族や、親しい友人関係においては、特に思いやりに溢れた人間関係を見ることができます。
しかし、そこにも注意が必要です。
思いやること、共感することは、言い換えれば相手のことを「自分ごとのように」考えることです。
つまり、相手の立場に立って、相手のために真剣に考えるということです。
家族のこと、特に、パートナーや子供のことであれば、労力を惜しまず考えることができるという人がほとんどでしょう。
そこには、損得勘定など入らないものです。
しかし、ここに落とし穴があります。
相手を守りたい、何とか良い方向に向かわせてあげたい、幸せになってほしいという思いは疑いようもないほど強いと思います。
そのような時は、「自分ごとのように」ではなく、完全に「自分ごと」になってしまうことがあります。
自分のことですから、自分で何とかしたい、変えたい、よくしたいと思うはずです。
本当に自分のことなら、思った通りに自分で動けますが、「相手」は自分の思い通りには動きません。
だから、思い通りにならずに、怒りを感じることやストレスを感じることにも繋がるのです。
また、自分ごとですから、共感、感情移入の度合いが他人事とは全く違うレベルまで上がります。
だから、何かあれば相手と同じように不安に感じ、怒りを覚え、冷静さを欠く可能性も高くなります。
パートナーや子供が辛い思いをしていれば、自分も同じレベルで辛い思いになります。
知り合いの相談であれば、冷静に客観的に考えることができる人でも、自分の家族のことになるとそうはなれない人が多いものです。
それは、完全に自分ごととして考えているからです。
先ほどは、組織で働いていると、相手との明確な利害関係があるという話をしました。
一方でこの場合は、相手が自分と同一になってしまったことで、苦しみや辛さ、悩みが同じレベルで降りかかってくる、
まさに一心同体の関係で考えているということです。
「自分ごとのように」考えることは大変大事なことです。
しかし、それが行き過ぎると、相手のことなのに、相手を無視して「自分ごと」となってしまいます。
モンスターペアレント などはその典型ではないかと思います。
いくら大切でも相手は自分ではない
そのような行き過ぎた「自分ごと」は、結局相手にとってもよいことはありません。
家族関係のみならず、従業員、部下のことを真剣に考えているリーダーにも同じことが言えます。
従業員の苦しみや怒り、ストレスを同じように感じてしまえば冷静で客観的な判断はできないでしょう。
ここで注意するべきことは、コンパッション(compassion)とエンパシー(empathy)は違うということです。
「スタンフォード式最高のリーダーシップ」という本に、以下のようなことが書いてありました。
いずれも、日本語にすると、「思いやり」や「同情」という意味になるようですが、
コンパッションは、情熱のある強い共感であるものの、客観性のある思いやり。
エンパシーの方は、感情移入のニュアンスが強いということでした。
他人の悲しみや苦しみにエンパしーで共感していると、脳の悲しみや痛みを司る部分が活性化されます。
こうなると、本能的に苦痛を避けようとするため、真に相手を助ける行動はできないとされています。
相手を思いやるにも、エンパシーではなくコンパッション。
つまり、強い共感を持ちつつも、程よい距離を保つべき。
そこで生まれる余裕があってこそ、本当に他者のために動ける(客観的に判断し思考できる)ということです。
本書ではリーダーシップ論として、このことを指摘されていますが、
リーダーとしての立場ではない場面においても共通して言えることではないかと思います。
「利用する道具」と「自分」だけで世界を構成しない!
相手を思いやることは大切だとはわかっていながら、実際には、外に出ると相手は敵ばかり、身構えて、利用できる相手かどうかという視点で見てしまう。
家族や身内などに対しては、「自分ごとのように」を通り越して、エンパシーによる共感、つまり「自分ごと」として考えてしまう。
このような関係が多くなっているような気がします。
私にもそのような経験と反省があります。
部下に対して「自分ごと」になりすぎて、上司に対して敵対心と憎悪感が先に立ってしまった経験です。
どちらに対しても、相手を思いやる理想型からはかけ離れていました。
部下の思いがわかる人でありたい、現場の思いがわかる人でありたい。
そう強く思い、実際にそう公言してきたこともあり、色々と現状の悩みを相談してくれる人が増えました。
そこまではよいのですが、部下に対する感情移入が過ぎてしまったのでしょうか、
冷静で客観的な判断ができなかったことがありました。
「上に忖度するだけの無能上司のせいで、部下たちがこんなに苦しんでいる」
部下の悩みを解決したいという使命感も煽られましたが、このように上司に対する憎悪感が増していったのを覚えています。
解決するための客観的な対策が求められるのはわかっていながら、感情が先走ってしまいました。
当然、そうなると結果はよい方向には向かいません。
憎悪感からくる敵対意識により攻撃的になり、必要以上に、動かすべき相手に警戒感と対立関係を与えてしまったという反省があります。
部下に対しては、エンパシーで共感し自分ごと。
反対に、上司に対しては完全なる敵対感、ここではどう利用するかという道具を通り越して、諸悪の根源のような対象になっていたことを思い出します。
当然、そこに思いやりが入り込む余地などはありませんでした。
家族(妻)に対しても同様の反省があります。
「自分ごとのように」真剣に考えることは必要なのですが、完全に「自分ごと」として考えてしまうため、
相手が思うように行動できないと、心配や不安が強くなり、結果イライラするといったことがありました。
当たり前ですが、一人の人間として独立した存在です。
共感、理解しながらも、完全に自分ごとにしない、客観的に見ること、余裕を持つための工夫が必要であると痛感しています。
そうしないと、関係する人を簡単に敵・味方という単純な構造に落とし込んでしまうことにもなります。
そのようにして、世界を敵と自分だけで構成する、
つまり思いやりが入り込む余地のない対象と、入れ込みすぎて自分と相手を同一視してしまう対象が大半をしめるような状態。
これは、よくよく避けなければならないと身をもって体感しました。
まとめ
世知辛い世の中と言えばそれまでですが、相手を思いやるという行為が簡単ではないと感じます。
資本主義社会で生きている以上、多くの場合、働く組織の内外で、競争関係が成立します。
組織が複雑化すれば、役割も細分化され、マニュアル化、つまり歯車のような働き方になることも増えます。
人間関係の距離も遠くなるでしょう。
そのため、相手を利用する価値があるかどうかという判断基準で人を見ることになりがちです。
反対に、家族のような近い関係の場合、共感の度合いが高過ぎることも発生します。
本来「自分ごとのように」真剣に考えるべきことを、完全に「自分ごと」として同じように悩み、苦しみ、余裕をなくすという状態には注意が必要です。
思い通りにならないと、余計にイライラや心配が増える結果にもなりかねません。
複雑な現代組織においても、今後はますます思いやり、共感をもって人との関係を築くことが必要になってくることが予想されます。
権力や人の義務感に頼るやり方では、効率的で創造的なことはできないからです。
近しい人に対しては、自分と同一視しないこと、そして適度な距離感をもった共感を覚えることが必要です。
以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。
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