『論語と算盤(渋沢栄一)』が現代に突きつける警告をまとめます

こんにちは!Jimmyです。

以前の記事でも、所々で日本資本主義の父・渋沢栄一の主張を抜粋したことがありました。

今回は、その渋沢栄一をテーマにします。

 

代表作「論語と算盤」がありますが、今の時代に大変重要な警告を放っているように思います。

約100年前に書かれた本ですが、私たちが受け取るべき強烈なメッセージがいくつもあります。

それらを6つのポイントにまとめて示します。

論語と算盤とは

論語と算盤(ろんごとそろばん)

渋沢栄一(しぶさわ えいいち)著

1916年発行

著者の渋沢栄一について

渋沢栄一(1840年〜1931年)は、明治維新以降の日本の実業界の発展をリードした実業家です。

500社の企業設立に関わったことで知られています。

現在も残っている企業もたくさんあります。

 

生まれは江戸時代の終わり、農家に生まれます。

幼い頃から、文武両道の教育を受け、両親の商売にも関わることができた一方、当時の武士階級の非生産的な支配体制に疑問を抱くことになります。

幼少期から論語を学び、そして商売にも触れることで、思想の根幹が作られたようです。

 

この少年時代の経験は、徳川昭武に随行したヨーロッパ視察で大いに開眼します。

先進的な社会システム(特に株式会社という組織)に感銘を受け、日本が目指すべき姿として認識します。

帰国後、一時は官僚の職に就くも、やがて辞職し、実業家として数々の企業の設立、発展に寄与します。

 

道徳(論語)と経済(算盤)は表裏一体!

渋沢の代表作である、論語と算盤。

 

最大の主張は、世の中の発展には、経済と道徳の両方が大事、必要不可欠ということです。

 

両者は表裏一体で、バランスが取れてこそ豊かになれる、片方だけでは衰退するということになります。

 

国が豊かになって、人が幸せになるためには、経済を回すこと、お金を稼ぐことが必要。

お金を稼ぎ、国を豊かにするのは政治ではなく、実業によるところが大きいことから渋沢は実業界に身を投じたということです。

 

しかし、利益だけを求めるのであれば、長くは続かない。

道徳をわきまえてこそ、長期にわたる成長と、発展を享受することができるということです。

その道徳の基本となるのが、孔子の教えである「論語」の考え方です。

 

本書が書かれた大正時代には既に、近代化が進む中で、利己主義に走る日本人への警告がなされています。

まして、資本主義がさらに進展した現在においては、この主張が大変重要なメッセージとなっています。

 

渋沢の言う道徳とは?

道徳が大事とは言うものの、渋沢の言う道徳とは何なのでしょうか。

渋沢自身、論語をバイブルとしている通り、儒教の道徳が中心になります。

 

簡単に言葉にすると、仁・義・礼・智・信(五徳)や、忠・孝・悌、といった概念になりますが、

つまりは、他人への思いやり、利他の精神、利得にとらわれない、礼儀正しい、道理をわきまえる、誠実である、真心を持って、親や年長者を大事にするということです。

 

このように、昔から私たちも散々言われてきた教えとなんら変わりません。

これらを、価値観の軸に置いてこそ、人格を修養できるということになります。

 

渋沢自身、経済発展が必要と考え、実業をもってそれを支えました。

方針を決める際には、まず道理にかなうかを考える。

次に、その道理に従えば国や社会の利益になるかを考える。

そして最後に、自分のことを考える。

この順番を徹底していたようです。

 

経済ですから、競争も当然発生しますが、

そこに、騙す、邪魔をする、貶めるといった悪意の競争は一切排除し、正当な競争のみに励むことが、商業道徳であるとも言っています。

 

あわせて読みたい

論語を中心とした儒教の教えとはどんなものなのか、それは四書五経と呼ばれる書物にまとめられています。

興味のある方は、こちらの記事もご覧ください。

四書五経とは何か?儒教の教える道徳とは?

「論語と算盤」が現代に発する強烈な警告

ここからは、論語と算盤が、現代の私たちの社会に対して発している警告について示していきます。

内容は若干重複するところもありますが、以下の通り6つの警告に分けて説明します。

 

  1. 精神教育の衰退は国家の危機!
  2. ずる賢い人が尊敬される社会秩序の劣化!
  3. 富に対する考え方が圧倒的に間違っている!
  4. 形式主義・利己主義の蔓延!
  5. 信念のない生き方では迷う!
  6. 人生の価値を成功失敗で片付けない!

 

精神教育の衰退は国家の危機!

時は大正時代なのですが、すでに道徳教育が疎かになったことによる弊害が指摘されています。

教育は、知識を詰め込むことに偏り、精神を鍛錬するのが疎かになったと渋沢は指摘しています。

 

教育において、最も必要なのが人格の修養。

 

しかし、明治以降は、実学が重視され、道徳教育がなくなった。

青少年は、道徳を古いと言って軽視する。

よって、青年の頃に人格を修養できない人が増えたということになります。

 

今の時代にもそのまま当てはまると思います。

利己主義に満ちているのも人格修養が欠けているからということです。

 

今の時代、日本はGDP世界3位ではあるものの、

渋沢が指摘する通り、道徳と経済のバランスが悪いために、人は精神的な豊かさ、幸福感を感じることができません。

そして、息苦しい殺伐とした社会になっていると言わざるを得ません。

 

武力にも権力にも屈しない人格を身につけること、人格の修養があってこその知識でありスキルです。

 

学校で教えられないのであれば、自分から学ぶべきです。

大人になってからでも遅くありません。

今の時代、本を探すことも、ネットから情報を得ることも、すぐにできることです。

意識さえすれば、過去からの学びの蓄積が大変多い分野であることに気づくはずです。

 

ずる賢い人が尊敬される社会秩序の劣化

人格の修養ができていないと、他者への評価も歪みます。

 

つまり、人を見る目が曇るということです。

 

渋沢の時代にも指摘されていますが、今の時代などはことさらに、お金を持っている人、人格が伴わずとも、事業を成功させた人が称賛される傾向が強まっています。

 

こうなると、利己主義が一層進みやすくなり、秩序が乱れます。

当たり前の結果として、現代のように、弱者の自己責任論と他者への無関心が広がります。

 

正しいことを考えている、思っているのに、人から評価されない、うまくいかないと思うことがあるかもしれません。

それは、思いがうまく行動に表れていないということが考えられますが、

逆に、志が曲がっていても、振る舞い方をよく演じることで、信用を得ているような人がたくさんいることも事実です。

 

お金を持っていること自体に信頼を置くことを、多くの人が無意識にしているのではないでしょうか。

羨ましい、自分も何かのおこぼれに与れないかと思う気持ちも相まって、見る目は曇っていきます。

 

お金の支払い能力や、契約履行の可能性という意味では信用できるとは思います。

しかし、人格や尊敬の対象は別に考えるべきでしょう。

 

人間ですから、完璧に人を見抜けない以上、このようなこともあるのは仕方ないのですが、

正しい人を見る目が、相互に機能しない社会では、道徳という秩序が揺らぎます。

 

何事も、ルール、法律に頼ることになり、そうなれば法の穴を掻い潜る人が現れます。

さらに、そのような中でお金を勝ち取った人が称賛されるわけです。

余計に社会は難しく、そして息苦しくなっていくでしょう。

 

正しいこと、正しい人を選んで評価する。

そのような基本的なことが疎かにされると、さらに不寛容社会は進み、幸福感も下がる一方でしょう。

 

お金・富に対する考え方が圧倒的に間違っている!

渋沢の主張の特徴は、経済活動は大事であり、お金を稼ぐことを考えるのは人が豊かになるために必須であるということです。

しかし、自分がよければそれでよい、とにかく利益を得たものが勝ちという考えではありません。

現代では、まさにこの考えでいる人が多いと言えます。

 

そこには、お金、富に対する基本的な考え方の違いがあります。

現代の多くの人は、自分の労働、あるいは努力、アイデア、挑戦の成果や対価であると考えます。

 

つまり、自分のおかげで得たものであると確信しているわけです。

 

言葉では、周りの人のおかげですと謙虚に振る舞おうとも、結局は自分のお金だという感覚でいるはずです。

 

渋沢は、金持ちには道徳上の義務があるとしています。

それは社会に尽くす義務です。

金持ちになれたのは、一人で成し遂げられることではないということです。

 

成功させてもらったのだから、還元する、社会のためにという意識がなければ、お金のよりよい循環はありません。

 

今、お金の循環が滞っているのは経済の低迷だけが原因でしょうか。

改めなければ、国力としても、今のように右肩下がりで競争力を失っていくのではないかと思います。

 

形式主義・利己主義の蔓延

明治維新期を経て、日本は日清・日露戦争を戦い勝利を収めました。

その頃から、形式主義が蔓延し始めます。

 

本来の目的を忘れて、形式だけを重視すればどうなるか、今の官僚組織や大きな会社組織などを見れば明らかでしょう。

 

目的を考えることをせず、形式にとらわれていれば、行き着く先は利己主義の蔓延です。

 

そこには道徳が入り込む余地はありません。

 

形式的に、知識を詰め込んだだけの人が、役職につき、権力にしがみつこうとするわけです。

人格のない、名ばかり管理職について、渋沢は当時から警鐘を鳴らしていました。

 

だからこそ、企業不正などが頻繁に起こるのです。

誠心誠意やっていれば、不正などは起きるはずはないと渋沢は断言しています。

 

私利私欲、損得勘定で動いているから、集団不正にまで発展するということです。

知識だけを身につけ、自分あるいは自分たちだけが儲かるようにと考えると、世の中に腐敗が蔓延します。

道徳価値を軽視している人は、正しい方法で利益を上げる方法を採用できません。

 

信念のない生き方では迷う!

先ほど、お金儲けをした人が無分別に尊敬され、称賛される現状について触れました。

渋沢は、そのような現状について、歴史的な慣習に理由を見出しています。

 

江戸時代の商売人たちは、商業道徳を学ぶ機会がないまま明治時代の変化を経験したとされています。

そこで、金儲けのための学問として、ヨーロッパのやり方が取り入れられました。

もちろん、ヨーロッパにも商業道徳的な考えはありました。

しかし、キリスト教が商業道徳的な役割も果たしていたヨーロッパとは、宗教的背景も異なる日本では、その部分は伝わりません。

結局、「お金を稼いだものが勝ち」という部分だけを当時の商人は学んだというのが渋沢の見解です。

 

商業道徳の核心は信念であると渋沢は断言しています。

 

その信念を養うには、精神修養、人格修養が必須です。

しかし、明治以降の日本では、道徳が疎かにされ、人格形成に問題がある人が増えたとされています。

 

最初からしっかりとした目的がなく、何となく学問をやった結果、

社会に出てから自分は何のために学問をしてきたのかと迷う人がかなりいるということです。

 

学問さえやれば偉くなれる、裕福になれるという迷信のために、自分の信念を考えずに、なんとなく勉強してきたという人たちです。

 

明治、大正時代の話とは思えないくらい現代と酷似しています。

 

人格の修養、意志の鍛錬は難しいため、迷うことはあると渋沢も言っています。

渋沢の場合は、論語を座右の書として、繰り返し考える中で自分の信念を構築しました。

 

信念があったからこそ、岩崎弥太郎から持ちかけられた、独占事業での儲け話の誘いを断ることができたのでしょう。

またとない大儲けのチャンスであったはずです。

事実、岩崎弥太郎の事業は三菱財閥の礎となりましたが、渋沢の目指す道徳的精神がなかったのでしょう。

実業界を独占する、自分たちが大儲けすることを主眼に置くことは、公益の観点からも、人格の観点からも、受け入れられない考え方であったことが想像できます。

 

今の時代も、お金だけを求めて、さまよっているような自己喪失者が目立ちます。

自分の信念を確立するために、一度人格修養について考え直す必要があるように思います。

 

人生の価値を成功失敗で片付けない!

誰もが、成功した人生を夢見ます。

失敗した人生など送りたいとは思わないでしょう。

しかし、ここでも渋沢は、成功失敗の概念を超えた価値軸を提案しています。

 

人間を成功か失敗かで見るのは間違いだと指摘しているのです。

 

まさに孔子の儒教の教え従っていると思われますが、大切なのは道理にそった生き方ができるかということです。

すぐにこの考え方が腑に落ちる人は少ないかもしれませんが、一つの視点として重要な意味合いを持つと思います。

 

渋沢(もしくは孔子)が示すのは道理に従った生き方です。

道理に沿って、徳をもって生きること。

人生はよいことばかりでも悪いことばかりでもない。

失敗しても、その道から外れず、努力を続けていれば、長い年月で見れば何が善で何が悪か、はっきりとわかるようになる。

つまり、天は必ず、道理に従っている人に味方して、運命を切り開くように仕向けてくれることに気づくはず。

 

反対に、長期的に見れば、道理に反するものは必ず滅ぶ。

道理に従って生きれば、一時の成功・失敗といった概念を超越した、それ以上に価値ある生涯を送ることができる。

 

若干難しい概念ですが、少なくとも、人生の良し悪しを、金銭的な基準だけで決めることは間違いであることを覚えておくべきでしょう。

まとめ

今回は、渋沢栄一の、論語と算盤をとりあげました。

100年以上も前の本ですが、今になって重要なメッセージとして受け取ることができます。

次の1万円札の肖像画に選ばれたのも、今の時代に必要な考え方であると政府も認識しているからでしょう。

 

資本主義で、豊かになるのは大事なことですが、精神的な豊かさ、すなわち人格の修養を蔑ろにしているのが今の日本の状況であり、渋沢が警鐘を鳴らしている状況そのものであると思います。

 

少なくとも、経済と道徳がバランスよく両立している状況にはありません。

日本という全体像だけでなく、自分自身の幸福のためにも、一度振り返って、見直してみる機会が必要ではないでしょうか。

 

大正時代の本ですが、現代語訳され、読みやすい本が数多く出ていますので、参考にしてみてください。

すんなり理解できると思います。

 

以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

同時代に活躍した福沢諭吉の考え方をはじめ、関連する記事もございますので、興味のある方は是非ご覧ください。

歴史上の出来事・人物からの学び

 

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