サイボウズの働き方改革 会社が激変
こんにちは!Jimmyです。
突然ですが、会社とはどんなところでしょうか?
きつい、辛い、つまらないところだと思う人が多いのではないでしょうか。
先月の日本経済新聞で気になる記事がありました。
サイボウズの青野社長の記事です。
サイボウズといえば働き方改革で注目を集めている会社です。
以前から、当社の働き方改革に興味を持っていたので目に留まって読み始めました。
今回の記事で、青野社長は、「会社人」という表現を使われています。
その前にほんの少しだけ、サイボウズの紹介です。
当社は1997年に設立されたソフトウェア開発会社です。
以前は長時間労働、休日出勤が当たり前、仕事は辛いのは当たり前という考えのもと運営されていたようです。
社長曰く、楽しそうに働く人はほとんどおらず、離職率も高く、実に4人に1人が離職するような状態だったようです。
辛くてつまらない会社で生き生きと働く人はいません。
それに危機感を感じた青野社長は働き方改革に打って出ます。
「100人いれば100通りの人事制度」という方針のもと、社員一人一人の個性や状況を考えた制度を作っていきました。
例えば、一人一人が働く場所と時間を選べるようにしたり、副業も認めたりと、かなり大胆な制度改革を行いました。
結果、離職率は7分の1になり、生き生きと働く社員が増えたとのことですが、
最も注目すべきところは、社長自ら率先したことだと思います。
青野社長は会社トップでありながら育休を3回取得されたそうです。
そうすれば、社員も休みをとりやすくなりますし、部下を休ませたくない上司も社長が率先しているのだから何も言えません。
ここで記事の内容に戻ります。
「会社人」の話でした。
青野社長は自らを、「社会人ではなく会社人だった」と振り返っています。
社会人であるはずなのに、会社のことしか関わらない。
ずっと会社のことばかりをやっている状態だったようです。
育休を機に、地域行事や、子供の保護者との接点が増え、そこで新たな学びを得て、それが経営にも生かされていると仰っています。
実績のある人がこのように発信されることは大変意味があると思いますし、私自身も、自分を振り返るよい機会となりました。
会社は仕事をするところであり、つまらないことばかりであるのが当然という考え方は、まだまだ根強く残っています。
多くの会社員は社会に関わっていない!?
「会社人」という言葉を見て、まさに自分もそうであったと思いました。
狭い世界に閉じこもって働いていたのです。
長時間労働の会社は、以前は今よりももっと多かったと聞きます。
長い時間、会社で働いていれば、他のことをする時間も意欲も減少します。
特に強いプレッシャーに晒されている人の場合、帰宅後も仕事をしたり、仕事のことを考えることも少なくありません。
会社がつまらないとか楽しいという感覚すらなくなっていき、今いる会社に属していることに何の疑問も持たなくなります。
たまに会社関係以外の活動があっても、仕事のことが頭から離れなかったり、面倒くさがって行かなかったりする人も多いのではないでしょうか。
そして、会社とは全く関係のないところにいる場合でさえ、自身を「株式会社〇〇の△△です」と名乗る人が少なからずいます。
意識の中では、どんな場所にいようとも、会社の人間ということが全面に出ているのです。
それで自分の存在を正当化しているのかもしれません。
悲しいことに、そのような意識が強すぎると、会社以外のコミュニティから取り残されてしまいます。
居場所がなくなるということです。
会社を通して、社会に貢献しているはずが、社会から置き去りにされてしまうのです。
会社に時間を費やすことで他との接点が薄れる。
そして、「自分は会社のことだけをやっていればいいんだ」と思うようになる。
ますます狭い社会しか見えなくなるという流れです。
大げさなことではありません。
会社の仕事のこと以外、何もできない人になっていく可能性が高くなります。
子供の学校、地域社会、趣味、家事、政治、他の国で起こっていることをどれだけ興味を持っているでしょうか?
どれだけ知っているでしょうか?
積極的に情報を取りに行っているでしょうか?
会社をつまらなくする「会社のために」という言葉
いつでもどこでも名刺を出す人は、法人と自身を同化させているのでしょうか。
法人という字には「人」がありますが、人ではありませんし、守ってくれるものでもありません。
会社のために、とよく言いますが、会社とは何でしょうか?
法人は、資本主義社会で作られた、都合のよい概念ですが、人ではありません。
概念と書いたのは、実際、誰もが納得するような説明をできる人などいないからです。
少し前に、「会社はだれのものか?」という議論が頻繁になされていましたが、結論は出ません。
もちろん現在の資本主義社会で生きる以上は、会社の利益を最大限にするよう努力することは否定しません。
株主を無視して経営できるものではありませんし、無視するべきとも思いません。
ただし、「会社のために」という言葉は本当に都合がよく、行いを正当化するために使われがちなので、注意が必要です。
皆がお互いに首を絞め合って、どんどん会社をつまらないものにしていく効果があります。
「会社のためだ!」と言って、従業員に長時間労働を強いたり、意向に沿わない業務を強制させたり、詐欺まがいの行為で契約を獲得したり。
それが行き過ぎて、”行政指導”を受けている会社もあります。
ところが、法人は人ではないため、厳密に法人を処罰することはできません。
せいぜい、そのときに関係していた重役と社員の配置を入れ替えるくらいでしょう。
(その人たちも熱りが冷めた頃に、また復活するのですが)
そもそも法律上、法人は永久不滅です。
永久不滅な人など人ではありません。
会社のためにという言葉には、注意が必要です。
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つまらない会社を作った集団行動と日本人
注意するべきは、集団心理です。
どんどん、会社以外との関わりを奪う作用を持っています。
会社の飲み会、行事、付き合い残業で拘束時間を増やします。
そして副業禁止!
日本企業は、異質な人間をとことん嫌います。
横並びの同じような人間を採用し、さらに育成してきたというのが、日本企業の特徴です。
ダイバシティーの対極にあるのが日本企業であると私は考えています。
(正確には、体育会系気質のある大企業)
だから、多くの優秀な人材を抱えている有名企業であっても、
海外進出をして、まったくバックグラウンドの違う現地の社員とうまくやっていくことができないのです。
原因は、多くの場合、以下の二択です。
- 日本のやり方を強制して、優秀な社員が去っていくかトラブルになる
- 「外国人=理解できない」と諦めて、大いに緩んだ対応をする。そのつけを従順な日本人社員に押し付ける
例外的にうまくいっているなと思う会社を見ると、現地の代表者個人の力量によるものが大きいのです。
制度として考えられているわけではありません。
本社は何もわからない、でも現地にいる社長が現場の意向をくみ取り、社員のモチベーションを上げている。
結果、社長が変われば、途端に立ち行かなくなる、ということが起こります。
高度経済成長期の大量生産を目指した時代はそれでも機能したのでしょうが、今の時代、日本企業の弱点となっています。
会社の中しか見えていないと、自分が置かれている状況に気づかないかもしれません。
会社がつまらなくても仕事が辛くても、それで仕方ないと思ってしまうようになります。
これは本当に恐ろしいことです。
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こんなに違うんだ!を実感、生き生きした会社
私も実は、自分が社会との関りが少ないという感覚をもっていませんでした。
仕事はそこそこ忙しいものの、大いに社会とつながりをもっているものと思っていました。
何より、銀行員だったこともあり、他の業種のこともある程度わかっていると思っていました。
しかし、考えてみれば、定期的に参加するイベントや行事も、同じような境遇の人ばかり。
趣味のゴルフも、社内の人間かお客さんとばかりです。
非常に狭い世界だったのです。
地域の問題が掲示されていても、ほぼ無関心でした。(ゴミの出し方問題等)
そうしているうちに、考え方や価値観が会社にいる多くの人たちと似たものとなり、年齢とともに凝り固まっていくのだと思いました。
はっとした経験があります。
私が大企業を辞めて間もないとき、あるセミナーに参加しました。
エンジニア系の人が多く登録する、IT勉強会支援のプラットフォームを通じて申し込んだものです。
スタートアップ企業の人が登壇するセミナーでした。
私は12年近く銀行で営業をしていたため、IT関係は全くの畑違いです。
登壇者がいて、それぞれの経験等を話し、後に質疑応答するのですが、はっきり言ってかなりとまどいました。
まず、受付で、
受付担当の方から、「サイトで登録された受付番号をご提示ください」と言われ、
慌ててスマホを取り出し探しました。
出席者一覧みたいな用紙に鉛筆でチェックすることを想像していた時点でかなり遅れているのかもしれません。
まずは軽くジャブをもらった感じでした。
そして、会場に入ると、そこには椅子がありません。
広大な人工芝が敷いてあり、参加者は思い思いの場所にべたっと座っているのです。
開始前の時間帯ですが、中には寝転がっている人も。
服装や髪型も様々でした。
「あの人寝転がってる!非常識な奴がいるなー・・」
「それにこの髪型と色は何だ!?学生か?」
と内心思いました。(思ってしまいました。。)
そしてほぼ全員がパソコン持参でした。
私は持っていきませんでした。
あとでその意味を知ることになったのですが、登壇者に対する質問の際、「sli.do」というサービスを使用していました。
会場からの質問を集めて表示するサービスのようです。
登壇者が話している時でも、随時質問可能となっていました。
いつでも、他の人の質問内容を見ることができ、よい質問だと思えば、そこに、「いいね!」をすることもできました。
後で回答する際、多くの参加者が興味のある質問に絞って回答することができ、便利であると感じました。
あと、全体を通して笑い声の絶えない和やかな会だったと記憶しています。
運営側も、誰かに監視されているような雰囲気もなく、自然体でした。
「こんなこと、わざわざブログに書くほどなのか?」という人もいるかもしれません。
しかし、畑違いで慣れない人間からすると大変新鮮なものなのです。
逆に言っておきます。
世の中、こんな和やかで緩い感じのセミナーばかりではありません!笑
私が銀行員時代に参加していたお客様のセミナーはこうです。
会場で名刺を受付の方に渡し、出席者一覧にチェックしてもらう。
会場に入ると机と椅子が整然と並んでいる、机の上には印刷された資料が置かれている。
ペットボトルの水と鉛筆、紙も用意されています。
席を確保したら、一応名刺を持って挨拶まわり。
スーツの人が多く、堅い雰囲気のセミナーが多かったです。
質問は挙手制で、「〇〇会社の△△と申します。本日は貴重なお話をありがとうございました」から始まり質問していました。
痛感しました。全く違う世界があるのだと、
こんなにもスタートアップの人たちが生き生きしているのかと、
そして自分がいかに狭い世界にいて価値観もお堅い銀行員になっていたのかと。
学生時代の自分であれば、人工芝で座る形式でも、横で人が寝転がって待っていても、金髪ボンバーでも、嫌悪感は抱かなかったと思います。
自然体で楽しそうにセミナーを運営する人、自由に発言する人を見て違和感があったのは事実です。
もしかしたら、このような人をたくさん集めるような催し物の運営側になるのであれば、緊張感を持ち、気を抜いてはいけないという12年間で凝り固まった固定観念があったのかもしれません。
つまらないことが仕事だと思っていた自分がいたのかもしれません。
普段から「銀行員なんて!」と毒づいていた自分が、銀行員のような堅い価値観に近づいていたのかと思い、はっとさせられた経験でした。
それだけ組織に属していると受ける影響が大きいのです。
会社は「辛い」「つまらない」があたりまえではない!
多くの実績のある経営者も認めている通り、「仕事が辛い、つまらない」があたりまえと考える時代ではありません。
会社という狭い集団しか見えていないと、古い考えに支配されたまま働き続けることになるかもしれません。
自分が生き生きと働ける場所を求めることをもっと貪欲に考えてもよいはずです。
当たり前ですが、人生は自分のためのものです。
自分を犠牲にして会社のためにばかり働く必要はありません。
今回参加したセミナーの運営なども見て、そしてスタートアップで働く人たちの姿を見ることで、仕事の様子も少し垣間見ることができました。
どちらが正しいということはないと思いますが、環境が変われば、考え方も、方針も様々です。
自分に合った環境は、探してみれば意外と近くにあるかもしれません。
一つの会社の中だけを見て、生きていくというリスクも考える必要があると思います。
以上、ここまで読んでいただいてありがとうございました。
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