信念とは何か?なぜ今の時代に必要なのか?
こんにちはJimmyです。
今回のテーマは、「信念」です。
信念が今の時代なぜ必要なのかを説明し、その後私自身の経験も踏まえて、信念の見つけ方について書いていきます。
信念とは、「堅く正しいと信じている心」のことです。
信念を持った生き方とはつまり、
「自分はこれをするために生きている」、「これが使命だ」とはっきり認識して生きることです。
まずは、今の時代こそ信念が必要な理由について以下に示します。
個人の時代だからこそ信念レベルの考え方が必要
今の時代を生きる個人に必要なもの、それは信念レベルの考え方です。
一昔前の時代、例えば高度経済成長期などは、典型的な「集団の時代」であり「成長の時代」です。
企業は、物を作れば売れる、
個人は、明日はもっと良い生活ができると希望を持っていた時代です。
経済も会社も個人も同じで、調子が良い時であれば、それほど深く考えなくても、
一生懸命にやってさえいればうまくいくようになっています。
「努力すれば結果は後からついてくる」という言葉がよく当てはまります。
努力した結果、どんどん物が買えるようになり、それが豊かさの象徴となり、人は幸福感を感じることができました。
しかし、現代のように閉塞感のある時代はうまくいきません。
昔のように、日本を覆う明確且つ共通認識としての希望と価値観は無くなりました。
多くの人は、ただ何となく将来に不安を感じ、お金を求めてさまよっているような状態です。
結局どこにもたどり着かず、明確な考え方も倫理規範もありません。
他力本願、無気力、不寛容、拝金主義がますます蔓延するようになります。
当然、幸福感からは遠ざかります。
これからは「個の時代」だと言われています。
もっと言えば「個人がそれぞれの信念を持って考える時代」です。
そうでなければ、さらに無関心、不寛容、拝金主義は進みます。
信念がなければ、簡単に流されます。
流されながら幸せを感じられる時代は、先ほど述べた通り、終わりました。
会社の方針を金科玉条として、圧力に従った結果、組織として不正や犯罪をしてしまう事例は大企業でも珍しくありません。
個人の働き方が多様化しても、信念がなければ、様々な情報や誘惑に踊らされ、結局は拝金主義に行き着きます。
個人の信念を考え抜く必要があるのがこれからの時代です。
✅閉塞感のある現代は、無気力、不寛容、拝金主義が横行。
✅個人の働き方が多様化しても、信念が無ければ行き着く先は同じ。
「自燃性」の人こそ人を惹きつけ大成する
別の記事で愛読書として紹介していますが、稲盛和夫さんの「考え方」という本があります。
その中で、「自燃性」という言葉が出てきます。
人間には、「可燃性」と「不燃性」と「自燃性」の3種類が存在しており、その中でも自ら燃える「自燃性」の人であるべきだと稲盛さんは仰っています。
多くの人は「可燃性」に当てはまると思われます。
自分では燃えないものの、誰かから言われて、勇気付けられて燃えることができる人です。
中には何を言われても燃えることのない、不燃性の人もいます。
何かを成し遂げようと思えば、誰かに言われて燃えるのではなく、自分自身で燃えなければならない、
つまり自燃性の人でなければならないというのが稲盛さんの考え方です。
「自燃性」の人になるためには、自分がやっていること、仕事であれば自分の仕事を好きになることが一番だと稲盛さんは仰っています。
自分の好きな仕事を見つけるか、もしくは嫌いな仕事でも、努力して好きになるか、ということです。
はっきり言って、目の前の仕事を好きになるということは簡単なことではありません。
嫌いなものを好きになるにしても、自ら動いて見つけにいくにしても、自分と向き合い続けることは必須になります。
そこで軸になるのが自分の信念です。
信念がはっきりしなければ、「仕事を好きになる」ことを一時的に達成したとしても、困難な状況次第ですぐに揺らいでしまいます。
自燃性の人は人を惹きつけ、前向きな気持ちを他人にもたらします。
そのような人は、必ず自分の信念を持っています。
✅自燃性の人間を目指すためには、自分と向き合い続けることが必須。
✅その際、自分の考えの軸にするべきなのが信念である。
リスクを取り、困難に立ち向かう勇気は信念から
何かをしたい、変えたい、こんな生き方をしてみたいと思うことはあっても、実際に踏み出し、実現する人は多くありません。
新たなことを始めるにあたり、それが大きなことであるほどリスクも大きくなり、直面するであろう困難も増えるはずです。
不安に苛まれ、動く決心がなかなかつきません。
動き始めたとしても、予想を超えるような艱難辛苦を前に、進めなくなってしまうこともあるでしょう。
なぜそうなってしまうのか、一番の理由は、動機が弱いからです。
怠惰を求めたり、お金だけを求めたり、名声を求めたり(これらをまとめて外発的動機と言います)、
そのような動機では、よほどの能力か運に恵まれていなければ、大きな困難には立ち向かうことができません。
とことん自分と向き合い、信念を考え続ければ、不思議と”正しい”考え方に行き着きます。
外発的動機ではない、自分の中にある価値観の源泉です。
すなわち、社会貢献、利他、大義(内発的動機)といったものが自分の中にあることがわかります。
正しい考え方は、逆境に耐える力を人にもたらします。
金銭的、物質的な豊かさだけでは、これからの時代、幸福感を支えることは難しくなっていくでしょう。
不確かなこと、リスクの大きいことに挑戦する時ほど、信念を明確に持って生きることが必要です。
信念は迷わない人生をもたらします。
現在の世の中で成功し、長く活躍している人の多くは、明確な信念を持っていることに気づくはずです。
✅金銭・地位・名声などの外発的動機よりも信念に基づいた内発的動機は強い。
✅内発的動機は逆境に耐える力をもたらす。
私の信念の見つけ方
今の時代こそ信念が必要な理由について、長々と説明してきましたが、
では具体的にどうすればよいのか?と考えている人もいると思います。
次に、私自身の経験を踏まえて、信念の見つけ方について書いていきます。
サラリーマン時代考えたことと踏み出した一歩
周りに流されるように就職、とりあえずやってみた若手時代
自分の信念など考えたこともないまま、周りに合わせるように就職活動をはじめた学生時代を思い出します。
特に強い希望があったわけでもなく、銀行に就職しました。
正確に言えば、起業して成功したいという朧げな夢を抱いていたものの、
自信も具体的な戦略もなく、”とりあえず”就職を選んだのでした。
どちらかと言えば、与えられたことをとにかく一生懸命にやりなさいと教えられてきた私です。
まずは「石の上にも三年」のごとく、職場に慣れて、求められた成果を出すことに注力しました。
いわゆる「稼ぎまくる、デキる営業マン」になりたいと思っていました。
それが「かっこいい」と思っていたからです。
「上司や関係部署は使うもの、使い倒すもの」、
「文句は成果を出してから言え、成果の出せない者に権利はない」などという言葉を聞いて、その通りだと思ってやっていました。
モチベーションの低下と人生の転機
幸いなことに、入社して5〜6年ほど経った頃には、大企業から中小企業まで様々な会社を担当させていただき、海外勤務も経験することができました。
ちょうどその頃から、急激にモチベーションがなくなり、憂鬱な日々が続くようになりました。
端的に表現すると、銀行の仕事に喜びは見出だせませんでした。
そろそろ自分の人生を切り拓く時だと思いました。
しかし、相変わらず、自分が何をして生きていくべきなのか、見当もつかない状態でした。
更にその頃、結婚をして、ローンを組み、立て続けに人生に変化が起きました。
家族ができて責任も増えました。
そのため、新しい道に進むことについては慎重に考えて、具体的な勝算を見込めるようになったら動こうと考えるようになりました。
ところが、その後数年間、考えても一向に進捗しなかったのです。
仕事のやる気はどんどんなくなっていき、うまくいかないことが増えました。
現実逃避を考え、将来を考えるどころではない日も多くなりました。
一歩を踏み出したきっかけ
そんな憂鬱な日々の中で、唯一考え続けていたのは、自分の価値観について、なぜ今ここにいるのか、何のために生きているのかということでした。
就職活動をしたときは、時間もない、何より意味がないと思って、真面目に取り組まなかった「自分の歴史を振り返ること」を自然と始めていました。
様々な書籍を読み、会社で経験したこと、考えたことを踏まえて、考えを巡らせていきました。
結果的にこのことが自分を認識し、会社を辞める決断をすることができたきっかけだったと思います。
具体的な事業計画や、自分のこれまでの経歴を活かした金融畑にとらわれず、あるべき自分像に向かうとい一点のみで会社を辞めることにしたのです。
自分史を”本気で”振り返ると見えてくる価値観
無謀にも思える決断をどうしてすることができたのか、
自分史を振り返る中で具体的に考えたことの一部を以下に書いていきます。
参考になれば幸いです。
尊敬する人となりたい人物像
新人時代、稼ぎまくるデキる営業マンになりたいと思って突き進んできたはずでしたが、すぐに疑問が湧きました。
この時には、職場に「こんな人になりたい!」と思える人がいなかったのが事実です。
ではどんな人になりたいのか、もう一度よく考えてみる必要がありました。
成功者の自伝や、過去の偉人の本を読んでいて気づくのは、
必ずと言ってよいほど、素晴らしい「人」との運命的な出会いや、目標とする人の存在があったことです。
当初は、成功者は運命的な出会いや人生の目標となる人がいて羨ましい、ラッキーだったのだと思っていました。
しかし、考え方によっては、自分自身で運命の出会いに変えたと見ることもできます。
その考えに従って、自分が見落としていた目標とするべき人格とは何か、すでに出会ってきた人の中に、自分がなりたい人間像のヒントがあるのではないかと振り返り始めたのでした。
長年思い出すこともなかった自分の人生を振り返ると、なんと小学生のときに6年間通っていた少林寺拳法の先生に行き着いたのでした。
特に、話が上手いわけでも、天才的な武道家というわけでもありません。
言ってみれば、どこにでもいるような中肉中背のおじさんでした。
ただ、振り返ってはっとすることに、6年間通って、一度も先生が不機嫌な態度で子供に接したり、八つ当たりのような態度をとったりする姿を見たことがなかったのです。
昼間は他の仕事もされていて、夜にやんちゃ盛りの小学生を相手にするわけですから当然疲れているときも、気分が良くないこともあったでしょう。
子供は、そのような大人の感情には敏感です。
親や学校の先生の機嫌が悪い時などはすぐにわかります。
理不尽に怒られたことは誰にもある経験だと思います。
その少林寺拳法の先生は、実に淡々としていて、気持ちの良い方でした。
子供が怪我をしても慌てず、騒がず、叱るときも怒鳴り散らすようなこともありません。
少林寺拳法そのものが、人を育てるための武道でもあるのですが、まさにそれを実践されておられる方だったと振り返って気づいたのでした。
小学生の時に通った少林寺拳法の、そのような記憶がまだ残っていたということは、自分の奥深くに感ずるものがあったからでしょう。
このような人格者になりたいという思いが強烈に湧き上がってきました。
困難な状況でどう考え行動したか、意外な自分
多くの成功者は、信念の形成には、困難な状況を経験したなかで考えたことが起因していると語っています。
そこで、私もそんな状況を思い出してみました。
私が勤めていた職場では、営業目標に対するプレッシャーはそれなりに強いものがありました。
入社して数年の私は、困難な収益目標を達成するために、どうするべきかを考え、とにかく「数字を作ってやる」という思いでやっていました。
周りの多くの先輩も、なりふり構わずという姿勢だったと記憶しています。
日々、上司への報告に、叱責されることもあるため、尻に火がついた状態でした。
そんな状況下、なんとか厳しい目標を達成したとき、、、
当然喜びと達成感でいっぱいになるかと思ったら、実はそうでもなかったのです。
ホッとした気持ちはあったのですが、同時に虚しさの類も込み上げてきたのを覚えています。
少し無理矢理な金儲け(お願い営業や押し売り)は気持ちがいいものではないなと思ったものです。
収益にはならないだろうと感じながら(私の担当は法人業務)、息子さんの海外留学を控えて不安になっている社長夫人のために、海外でのお金の引き出し方と送金方法を調べてあげた時の方が充実感がありました。
結果的にそれがきっかけで、会社ともよい取引ができたのですが、プレッシャーの中でもそのように行動していた自分がいたのです。
憤りの理由を考える
自分の価値観を考える時に、納得できないこと、強く憤りを覚えたことを振り返るのも有効です。
「飲み会がだらだらと長すぎる、体育会系の雰囲気が嫌い、人員配置がおかしい、無意味な作業がほとんど!」
などなど、無秩序にあげればきりがないほど出てくるのですが、より根本的な憤りを考えていきます。
私がひどく不満を覚えて、また憤りを感じたのは、リーダー層、マネージャー層に対してでした。
能力も高く、組織を動かす要諦もよく把握されていて、素直にすごいと思えることもあったのですが、ことリーダーとしての人格を考えた時に、疑問を持たざるを得ませんでした。
1つの記事として書けてしまうほどの量になるので詳細までは書きませんが、端的に言えば
利己的で、ずる賢く、上ばかりを見ている姿勢に失望したのです。
組織人とはそういうもので、うまく立ち回ることも大事だと、色々な先輩に教えられてきました。
当然、人間ですから時には清濁併せ飲むことも必要であり、簡単な善悪の判断だけがあるわけではありません。
ある程度そのような要素も必要なことくらいはわかります。
ただ、”ある程度”というかわいらしいレベルではなく、行動源泉のほとんどではないかという印象でした。
そのような人格に落ち着いてはいけないという思いは消えませんでした。
さらに言えば、能力や頭の良さでは素直に勝てないと思うような人でも、リーダーとしてなら自分の方がもっと良いリーダーになれる、ならなければいけないという思いがありました。
自分がしている後悔を考える
大学生の頃は、ろくに何も考えずに遊びほうけていた自分に後悔し、
社会人になってからは、行動できなかった自分を悔いていたのですが、もっと昔を思い返して見ると、違った角度で意外な記憶がよみがえってくるものです。
10年以上思い出すこともなかったようなことでも、真剣に考えていると、奥深くに残っていた感覚が出てくるのに驚きます。
中学生の頃、先輩グループに呼び出され、殴られていた友達を助けられなかったこと(むしろ、止めに入ることもできなかったこと)、
また、別の先輩から、「あいつ(ある私の友人)生意気だからしめるけどいいよな?」と言われて、何も言えなかったこと。
いずれもケガを負うような大した事態にはならなかったのですが、今でも記憶に残っていて、パッと出てくるわけですから、強烈に後悔したのだと思います。
本当に大切なものにブレーキをかけてきたものとは
「社会で生きていくには要領よくやらなければいけない」、
「特に権謀術数ひしめく組織では、スキを見せればいいように扱われて終わりだ」
そんな話を幾度となく聞いてきたからでしょうか、
いつからか、自分の正直な気持ちにブレーキをかけるようになっていたことに気づきます。
新入社員時代、「とりあえずデキる営業マンになったら気持ちがいいから目指してやってみるか」
そう思って突き進んだものの、経験してみて自分が実際に得た感覚はそれとは違うものでした。
これまでの人生、あまり思いもしなかったことですが、時間をかけて振り返ると、
正義感、正しい行動と、高い人格を求めている自分が確かにいたのです。
表面的には、いつも弱肉強食、競争に勝利することに価値を置く発言をしていたものの、正直な自分は意外にも正反対なことを見ていました。
それまでは、心の奥にあった本来あるべき自分を、無意識的のうちに前面に出そうとはしなかったのでしょう。
なぜなら、恥ずかしさと怖さの両方があったからです。
周りも、ビジネス競争に勝ち残るために必死になっている、きれいごとなど言っている場合ではないという環境にいました。
「まだそんな夢みたいなこと言っているのか?」
「そんな子供のようなやつとは思わなかったよ」
そのように言われたくない、バカにされたくないという思いが強かったのでしょう。
しかし、自分史を振り返り、よく考えてわかった自分の価値観は明らかです。
一度くらいそれに思いっきり従ってみよう、その価値観に基づき行動した結果、きっと信念レベルの考え方が完成するはず。
そう思ってブレーキを取っ払ってみようと考えたわけです。
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まとめ
私の行動指針です。
公明正大、誠実に。正しいことを考え実行する。
その先にこそ幸福感があり、人格者であり良き夫、良き社会人であり続けられると考えています。
それほど上手くいく話ではないのですが、これを念頭に行動していれば、困難な状況でも迷うことは少なくなりました。
たとえこれが間違っていたとしても、後悔することはないでしょう。
個人の時代の到来と言われていますが、そんな時代だからこそ、個人が信念レベルで考えることが必要になります。
今信念が必要な理由
✅閉塞感のある現代は、無気力、不寛容、拝金主義が横行。
✅個人の働き方が多様化しても、信念が無ければ行き着く先は同じ。
✅自燃性の人間を目指すためには、自分と向き合い続けることが必須。
✅その際、自分の考えの軸にするべきなのが信念である。
✅金銭・地位・名声などの外発的動機よりも信念に基づいた内発的動機は強い。
✅内発的動機は逆境に耐える力をもたらす。
自分の信念の見つけ方
✅自分史をとことん振り返り、心の奥深くにある本当の価値観を探し出すこと。
✅そして、それに正直に従い動くこと。
考えていても、わかったとしても、それがすぐにお金になるわけでもなければ、スキルが高まるわけでもありません。
しかし長い人生を、前向きに幸福感を持って生きていくためには、必ず必要なことであると信じています。
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