こんにちは!Jimmyです。
人生は、自分探しの旅であるとよく言われます。
もちろん比喩として使われているのであって、ずっと旅をしていればよいというものではありません。
ただ、仕事をしていても、家族といるときも、常に人生の中で自分探しの旅を続けているようなものであると言えます。
「人生を通して」という長いスパンですから、非常につかみどころのない気の遠くなるような話です。
そうなると、自然とわかりやすい、見えやすい方向へと誘われやすいのが人間の性です。
自分探しなどど言っていないで、現実を見ろというのが、スタンダードな考え方になっているのかもしれません。
しかし、本当にそれでよいのでしょうか。
その結果、人生迷子、自己喪失をしてしまう人が大量発生している現実があるように思います。
今回は、自分探しの旅にこそ、人生で本当に価値がある!という主張になります。
大いに自分探しをするべきということです。
現代人の多くが直面している問題を示し、自信をもって自分探しに邁進できるよう背中を押すことができればと思います。
自分探しの旅よりも優先されていること
今回取り扱う自分探しの旅とは、物理的な旅ではありません。(念のため)
自分探しという意味は、自分の人生の意味、信念、可能性を、様々な経験、学びを通して考えるということです。
自分探しの旅ができる範囲が爆発的に拡大
一度は聞いたことがある「人生は自分探しの旅である」という言葉。
まず、注目すべきは、近年になって旅することができる世界が、以前よりもはるかに広く複雑になったということです。
だから、あまりにもつかみどころがなく、途方に暮れてしまうことになりやすいと言えます。
これは、一言で言えば、資本主義社会の進展が背景にあります。
いつでも、世界の様々な情報や価値観にアクセスできる世界。
そして、自分の生きる道を自分で選んでよい”自由な”世界。
既存の優位性がすぐに覆る、変化の激しいチャレンジングな世界。
江戸時代の封建社会の中に生きていたら、このような広い次元の旅はできません。
武士に生まれたら、武士であること以外はまずあり得ません。
いかに武士らしく生きるか、というところからスタートするはずです。
得られる情報も近所の出来事か、近くの藩の事情、藩校で習う儒教思想が中心、そのような世界です。
それに比べると、今や何でもありの世界です。
ただ、「そこまでよいことばかりではない」ということも誰もが承知しているところです。
自由と言う名の「自己責任」のプレッシャーの中で生きることになります。
成功する人がいる一方、競争に敗れて行き詰まれば、容赦なく社会からは疎外されるような、冷たい風が吹いています。
だから、目の前に広がる広い大草原や大海原に飛び出して、冒険してみる勇気が持てないという人が多い現状があります。
今多く見られるのは、そのような武器のない、装備のない状態の人であり、これこそが大きな問題です。
結局、誰かに案内してもらうか、決められた比較的安全な道を集団で進むということしかできなくなります。
世界は広がったのに、結果としては、ほとんど旅せずに(自分とは何者かを考えずに)人生を過ごすという図式です。
手っ取り早い方法を煽り続ける現代社会
先ほど、広い世界を旅して回るのに、コンパスや武器を持っていないという話をしました。
何も持たずにサバイバル体験をすることを思い浮かべるか、
ドラクエなどのRPGで、何もないまま敵の城に突撃することを想像してもらえればわかると思います。
無謀と言えます。
だれもそんなことはしません。
もう少し細かく分解すれば、生きる目的であり、情熱であり、使命感、行動指針です。
それがないと自分の人生を進むことはできません。
すぐに惑わされ、迷い、わからなくなります。
しかし、実際行われているのは、この特定の狭い場所に多くの人を案内することです。
特定の道具を持つよう促され、その中で努力したり、競争したりするようになります。
与えられた場所、限られた場所の中で通用する道具を手に入れ、使い方を覚えます。
そして、その場所で上に上がっていくことに邁進するようになるでしょう。
広い世界の中には、無限の可能性があります。
怖さもありますが、自分が心地よく、自分らしく生きられる生き方があるかもしれません。
だから、武器を身につけて、それらを入れ替え強化しながら少しずつ先に進んでいきます。
困難な場所で弾き返されることもありますが、より強い武器を見つけることに繋がるでしょう。
しかし、そのように少しずつ武器を集めて、強化しながら一歩一歩進んでいくのは、遠く辛い作業です。
もとより、次に何があるかも、今いる場所が正解かどうかもわかりません。
つまり不安になります。
そこで、手っ取り早く、道を示して導いてくれる、しかもわかりやすく、やるべきことを教えてくれて、道具もくれる。
そんな情報に人は集まりやすくなります。
具体的に言えば、「安全」、「王道・鉄板」、「すぐに稼げます」、「簡単に儲かります」、「この資格があれば強い・安泰」などの誘い文句に踊らされてしまうということです。
誰もが持つ、表面的な欲求に焦点を当てた謳い文句です。
覚えておくべきは、このようなものに従い生きていることの危険性です。
特定の場所から外に出ざるを得なくなった時、そこには通用する武器が何もない、何もできない自分が残るのみということです。
つまり実社会で言えば、組織がなくなったり、もしくは追い出されたり、自ら去ろうとしたり、ということになります。
実際にこのような状況に陥る人は、今後さらに増えていくと思われます。
可能性も大きく、自由な世の中だからこそ、強く持たなければならない自分を放棄してしまう人が多いという現実です。
それで幸せなら哲学もないでしょう
自分の生きる目的や、信念を持たず、つまり武器を持たないまま、限られた示された世界で与えられた道具をもとに生きる。
誰もが幸せであれば、百歩譲ってそれでもよいかもしれません。
しかし、実際問題、変化の激しい世の中、その限られた場所がなくなるようなケースも多くなっています。
また、その場所の中にいても、生き方迷子、自己喪失、さらには精神疾患を患う人まで大量発生している現状があります。
もはや無視できない大問題のレベルです。
当然の結末と言えばそれまでですが、
個性や人それぞれが、持っているものと向き合わず、十把一絡げに同じような人生マップを歩けば、合わない人、違和感を覚える人、どうしてよいかわからない人が相当数発生するものです。
さらに、経済環境までよろしくない昨今です。
前向きな話題も少なくなります。
拍車をかけて、人生に絶望する人、そこから動こうにも、武器がなくて動けない人が増えました。
思い出すべきは、これほど複雑な世の中になっていない時代から、哲学は存在したということです。
世界がどのように構成されているのか、という存在に関する問もありますが、もう一つの大きな問が、人はいかに生きるべきかという大きなテーマです。
過去からずっと、生き方について人が迷いを感じてきたからこそ、研究されてきた分野です。
科学が進化しても尽きることのない問なのです。
そして、その問を考えていく過程で、武器が手に入るからこそ、あらゆる世の中で、テーマとしてあり続けたとも言えます。
今の複雑化する世の中では、より一層必要なテーマであるはずです。
時代を変えてきた人、人々をリードしてきた人、大きな成功を収めてきた人、幸福感のある自分の人生を送っている人。
これらの人は皆、自分自身の内なる使命感、価値観、信念を形成し、それに基づき行動してきた人たちです。
また、決して他人によって流されることなく、自分で自分の人生を考え切り開いてきた人たちです。
時間をかけてでもするべき自分探しの旅とは?
これまで見てきた通り、本来、可能性の広がった大きな世界で自分の人生を考えるべきです。
しかし、パッケージ化された人生を促し、特定の場所でしか通用しない道具を与え、人の思考を無効化してしまう社会が広がっているという問題点を指摘しました。
自分探しの旅などと言わずに、現実を見ろというのが、昨今では多く見られる考え方かもしれません。
しかし、それでは何の武器もないまま、限られた狭い世界で閉じ込められるようなものです。
自分自身でじっくり考えるからこそ、未知の世界に踏み出せる視野が開きます。
そして、自分探しの旅をしながら、より強固な武器を手に入れることができるという好循環をぜひとも獲得したいところです。
内発的動機を見つけるのに不可欠な自分探し
時間をかけてじっくり考えるということが疎かにされています。
小学校から、受験対策、学力向上を目指す傾向が強い世の中です。
見事に大学に進学すれば、今度はよい会社に就職しようという流れに乗って、スーツを買って就活市場に飛び込んでいく。
見事に会社に就職すれば、今度は、その中で勝ち抜こうと、組織のお作法をわきまえ、身の処し方を覚えていく。
見事に昇進昇格すれば、今度は組織内で自分の立場をより強固にしようと考えていく。居心地も良くなっていく。
このような人は、学校内、社内で通用する道具はあっても、人生を考える、挑戦のための武器は残念ながらありません。
その武器は、繰り返しになりますが、信念と呼ばれるものです。
信念は、わかりやすい金銭的な欲求や会社のブランド、名誉欲などの外発的動機だけに焦点を当てていても手に入りません。
遅ればせながらでも、危機感を持った時点で、始める必要があります。
自分の意志次第です。
間に合わない、遅すぎるということはありません。
時間をかけてでもするべきこと
自分探しの旅などは、人によって、進め方、探し方、感性に至るまで実に様々です。
ただ、何も例を示さないのもわかりにくいため、一例として提示しようと思います。
まずは、自分の立ち位置に気づく
これまで、与えられた、示されたレールの上だけを歩き、その範囲で考えてきたという人は、まずはそこに気づくことからです。
今は、仕事も経験を積んで、スキルもあって、それなりに自立しているという自負が形成されているかもしれません。
ただ、それは一旦置いておいて、「示された範囲を超えて自分の可能性やあるべき姿を考えてきたことがあるか?」。
この一点についてのみ問いかけてみます。
意外と、受験(よい学校に行く)→就活(よい会社に行く)→組織でどう生きるか(社内のお作法)の流れに乗ってきた人が多いのではないかと思います。
自分の人生を徹底的に振り返る
そうは言っても、受験や就活をして企業に入って働くことで、すべての人が満足するはずはありません。
当たり前ですが、人はそれぞれ違います。
これまでの人生で起きてきた様々な出来事(特に10代20代の若い頃)の中に、必ず独自性、自分らしさが出ています。
そして、そこで感じたことから、確実に自分の価値観が形成されています。
人によっては、人間誰もが自分の生きるべき道を持って生まれてくると考える人もいます。
少なくとも、必ず、その人らしさというか、個性があることは事実です。
雑音が多く、本当の自分の価値観を振り返るのは骨の折れる作業ではありますが、時間をかける前提で、取り組むべきでしょう。
自分を本気で振り返ろうとしたときに、指針となる本を以下に紹介しています。
時間がかかりますが、自分を振り返るのに良い指針になると思います。
あわせて読みたい
自己認識のすすめ、幸福な人生への第一歩は自分と向き合うことから
人の人生(歴史)から学ぶ
自分を振り返る作業と同じく必要なのが、先人の人生や考え方から学ぶということです。
好きな歴史上の人物の本でも、注目を集める成功者の考え方が書いてある本でも、哲学書でも、何でもかまいません。
ポイントは、実際に過去に生きた人の生き方や、ターニングポイント、それぞれのステージで考えたことなどを学ぶことです。
自分が共感した人には何かしらの共通点があるはずです。
偉人や成功者が考え抜いたことを学ぶわけですから、生き方を探る重要なヒントになるでしょう。
歴史の後を生きる人間の特権です、活かさない手はありません。
目指すべき存在(師匠)から学ぶ
自分の周りにいる尊敬する人や、場合によっては人生の師匠とも言うべき人がいればベストです。
過去に、自分探しの旅をしてきた偉人たちの多くは、大事な場面で意見を求めたり相談したりする師匠が存在していました。
もちろん自分で考え尽くしてからのことと思いますが、相談できる人生の師匠という存在は力になります。
自分の人生を振り返れば、そのような存在はきっと一人はいるはずです。
有名人である必要はありません。
自分の中で人生の師匠を考え、その人から学ぶ意識を持って接する、聞いてみるというのがよいと思います。
世の中を動かす様々な分野から学ぶ
過去を振り返っているだけでは現代がわかりませんので、当然今起きていることにも目を向けるべきです。
多くの出来事が飛び交いますが、おそらく自分の仕事に関係していることであれば、誰もが注目して情報を取ると思います。
ただ、重要なのはそれ以外です。
世の中を動かすような、様々な分野で起きていることに興味を持ち、ニュースや書籍などから学ぶことが有効です。
「私は根っからの文系人間です」という人であっても、量子力学のあらすじを学ぶことがあってもよいでしょう。
逆に、根っからの技術肌の人であっても、経済や会計の仕組みの基本を学ぶことは意義があります。
そういった学びが視野を広げてくれます。
よくわからないからと言って、すべて敬遠するよりは、ある程度でいいから知っておこうという楽な気持ちでよいと思います。
世の中の流れに意見を持つ
先人の生き方や考え方を学び、今の世の中をリードする様々な分野に関心を持てば、そのうちに自分なりの意見が構築できるようになります。
自分の専門に関することであれば、当然のように意見が言えても、それ以外のことになるとさっぱりでは心もとないと考えるべきでしょう。
全ての情報を知って判断する必要はありません。
自分はどう思うのか、自分が知っている範囲で、こうあるべきではないかという意見を出すことが重要です。
世の中の流れや、それに対する意見を自分の言葉で処理する能力がついていきます。
自分のやるべきことを考える
そして、最後にまた自分のやるべきことを考えるというところに戻ります。
これの繰り返しです。
自己認識を深くし、世界の見識も視野も広げていき、武器を手にした上で、立ち返って自分のやるべきこと、生きる道を自分と向き合って考える。
このプロセスを経てこその、幸福感のある自分の人生と言えるでしょう。
まとめ
自分探しの旅だなんてバカげていると思っていなかったでしょうか。
現実を見ることが大人であって、それが地に足をつけることだと考えていなかったでしょうか。
しかし、自分探しの旅をせず、示されたレールの上を歩くだけでは、実際には何の武器も手に入りません。
所属する組織がなくなったり、何らかの都合で、組織の外に一人で放り出されることがあれば、そこには何もないことに気づくでしょう。
自分の人生を送るためには、自分探しの旅をするしかありません。
そこで得られる、確固たる考え方、使命感、情熱、信念こそが、人生を歩く武器となります。
武器のないまま、その組織の中でのみ使える道具しか持っていないという状況にならないために、
自分探しを堂々と宣言して、とことん自分と向き合いましょう。
以上、ここまで読んでいただきありがとうございました!
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