こんにちは!Jimmyです。
「中庸」(ちゅうよう)という言葉があります。
元々儒教の用語ですが、今でも、「偏りのないこと、中正なこと、調和が取れている」という意味で使われています。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」
これは、論語にある有名な言葉です。
何事もほどほどがよいという意味で、中庸の教えの代表格的な存在です。
こう見ると、人間出過ぎたまねはよくない、どっちつかずの立場が許されるかのようにも理解できます。
しかし、そんなことはありません。
今一度、中庸の考え方として持つべき視点を解説します。
解釈は色々あり、絶対的な正解もありませんが、現代人が都合よく解釈してしまうのは危険です。
今回は、4つの重要なポイントに分けて解説します。
中庸とは「陰陽」の考え方が基本
中庸という考え方の基本には、陰陽があります。
陰と陽です。
まず、陰陽と聞くと、陰はよくない、陽の方が優れているというイメージがあるかもしれませんが、
陰と陽に優劣はありません。
表裏一体で欠くことのできないものです。
物事は、大別してこの2つの極に分けられるという考え方です。
例えば、次のような分類です。
それぞれ陽と陰になります。
これらが影響しあい、私たちの世界は刻々と変化をしていくということになります。
見ての通り、どちらかが全く無いなどということはなく、どちらも必要であり、優劣の問題ではないことがわかると思います。
そういうわけで、中庸の、偏りがないこととは、まず陰と陽の両極端のどちらかに偏ってはいけないというふうに考えればよいでしょう。
昼があれば夜もあるように、膨張(拡大していく)もあれば収縮(縮小を選ぶ)も必要であるということです。
最近、とにかく積極的に動いているという場合は、時には一人でじっくり考えることも必要である。
そのような感覚で考えればわかりやすいかもしれません。
中庸の教えの根底には陰陽の考え方がある。
陰陽は表裏一体で、優劣はない。
目立ってよい!もっと大きなバランスの中で考える
陰と陽の考え方が基本にある中庸は、どっちつかずの位置にいて、出過ぎたまねをしないことを良しとする意味ではありません。
むしろ、時には極端なことや、目立つようなことがあって当然です。
その時は極端でも、もっと大きなバランスの中で適切な位置を保っていればよいのです。
複数の人でバランスを取る
もちろん、一つの事象について、バランスを考えることが大切になる時はあると思います。
新たな企画の会議で、積極的な考え方だけに注目するのは危険であり、リスクについて考えることも必要です。
外を向くことと、内を向くこと、両方が必要ということです。
参加する全ての人が、リスクばかりを考えていれば、革新的なアイデアや、新しい発想が生まれそうもありません。
奇抜な意見や、常識を疑う視点も必要です。
「悪魔の代弁者」のような、敢えて問題を提起する人も必要です。
だから、ある人は、とことん内向きにリスクの所在や、危険な点を洗い出し、ある人は、とことん前向きなことを考えたりすることが現実としてあるわけです。
企画が変われば、役割が変わることもあるでしょう。
そこで、しっかり議論がなされるか、もしくはそれを取り仕切る人が、バランスを取ればよいのです。
個人の人生の中でバランスを取る
また、個人の人生においても同様に、長いスパンでのバランスを考えるべきでしょう。
ひたすら突っ走る時期も必要ですし、ひたすら抑えて考える時期も必要です。
ひどく怒りを覚えるときがあれば、何かに立ち向かう勇気も湧くかもしれません。
失敗して学ぶこともあるでしょう。
また、リスクのある決断が必要なときもあるかもしれません。
世の中を動かしてきた人は、皆そのような人たちです。
中には異端児と呼ばれる人たちも数多くいます。
人生のどのステージでも、常に行動、発言にバランスをとり、落ち着いていればよいというものではないと思います。
それでは、ほとんど何も成し遂げることもできないでしょう。
多くの人が、それは肌感覚でわかっているのではないでしょうか。
出過ぎた言動も、激しく主張することも、極端なことも、時にはあって構わないということです。
そのような経験があってこそ、熟練した時に、個々の事象について、自然と中庸を維持するような振る舞いができるようになるのではないかと思います。
ずっと同じではダメ!変わる必要性
陰陽の考え方に基づけば、状況は刻々と変化します。
それに合わせて、自らの動き方や、立ち位置も変えていく必要があります。
繰り返しますが、いつ何時でも、偏らない、中間の姿勢を保つのがよいわけではありません。
陰もあれば陽もある。
その状況、その時に応じて変わっていくことが求められます。
関わる人や状況が変われば陰にも陽にもなる
例えば、夫婦であれば、男性が陽、女性が陰となります。
しかし、男の子の子供がいたとすれば、女性は親として陽となり、子供が陰となります。
そして子供が成長した時に、やはり男性である子供が陽となり、女性である母親が陰となります。
男性も、家庭では陽の存在でありながら、会社の組織においては陰の存在であるかもしれません。
あらゆる武術を嗜む武道家であれば、相手によって剛(陽)と柔(陰)を使い分けるでしょう。
そこそこ腕っぷしが強いからといって、ボクシングの世界ランカーと相対するときは、剛をもって制することはできないでしょう。
古い話ですが、伝説のボクサー、モハメド・アリと戦った時のアントニオ猪木のようなものです。
猪木が真正面からアリにぶつかっていけば、恐らく蝶のように舞われ、蜂のように刺されていたことでしょう。
(結果は、引き分けに終わりました)
何が言いたいかというと、正しく状況を捉えることも中庸に必要な要素ということです。
時を見て変わる
時を見るとは、よく経営に例えられます。
まだ会社が駆け出しの頃は、とにかく大きく目標を立てて、トップ自らが積極的に引っ張っていくことが求められます。
まさに陽の存在となって、会社を大きくしていくことになります。
一方、努力の甲斐あって会社が成長し、大きくなり、安定したところで、トップのあり方も変わります。
攻め一辺倒ではなく、守り(守成)も必要になります。
それと同時に、自分がいつまでも引っ張っていくのではなく、周りに任せる、育てる、一歩引いて見るという姿勢も必要になります。
自分が太陽であり、攻めの象徴であり、表舞台でスポットを浴び続けてきた人でも、
少しずつ陰の要素を取り入れていくことが必要になります。
そうでないと、下るスピードも速くなってしまいます。
時に合わせて自分のあり方、言動を変えていくことも中庸の教えの大事な意味であると思います。
中庸であるためには、状況と時を正しく捉えることが必要。
陰と陽は絶え間なく変化する。
中庸は、とにかく実践が難しい
中庸には、「調和の取れた」という意味もあります。
なぜ、中庸が大事なのか、これを実践する必要があるかというと、
孔子の言うところでは、中庸を身につけることが最高の徳だからです。
孔子が言うのですから、中庸の目指す徳には、言わずもがな儒教の道徳的精神を指します。
天命を知るためには、中庸の徳が大切、言い換えれば中庸の徳がある人こそ、天命を知って正しい行いができるということです。
現代風に言えば、自分の生き方、自分のやるべきことを強く認識し、世の中の役に立つ存在になるということでしょう。
ただし、最高の徳と言われるくらいですから、難しい、つまり最高難易度にあたるわけです。
簡単にできることではありません。
「中庸が大事だから意識しよう」という程度の感覚ではできません。
言わずもがな、AとZの意見があれば、中間のLとかMくらいを主張すればよいといったものではありません。
難しいことに対しては、数多く失敗し、考え、その繰り返しの中で、物事の道理を掴んでいくしかありません。
何もせずに理解し、実践できるようなものであれば、孔子も最高の徳などと言ったりはしないはずです。
そして、何千年も読み継がれるようなものにはならないはずです。
中庸の実践と理解は最高難易度。聞いて理解できるようなものではない。
何度も失敗して考えるべきもの。
まとめ
昔の文書を解釈するのは難しいものです。
中庸という言葉も難解で、いろいろな解釈の仕方があって然るべきでしょう。
考えてみると、非常に深い意味があり、人が生きていく、成長するのに重要な学びがあるように思います。
しかし、「偏りがないこと、調和が取れていること」という表面的な意味だけを捉えてしまうと、
「なんだ、極端にならずに、中間くらいの意見を言えばいいってことね!」
という反応になりかねません。
冒頭の、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」。
これは単に、「全く水準に達していない人もダメだけど、やりすぎる人もよくないよ!」と言っているのではありません。
時と状況を適切に捉えられないと、正しい行動にもならなければ、望ましい結果にもならないというふうに理解すべきでしょう。
先ほどの経営の例で言えば、会社が大きくなって、守りが必要な時期になっても、自分一人で何でも決断し、任せることができなければ、人も育たず、やる気のある社員も現れず、衰退していく。
そのようなトップの状態が「過ぎたる」であって、よくない結果(衰退)を招くということです。
中庸の考え方を一新すれば、自分の人生にもきっと生きてくるはずです。
以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。
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