こんにちは!Jimmyです。
働いている組織、地域社会、どこにいてもルールを守ることが求められます。
企業であれば、法令遵守というのは、近年では特に、重要なキーワードの一つです。
ルールを守らなければ、お互いが快適に暮らせる世の中にはなり得ません。
法律、条例、組織内の規則など、至るところでルールが厳しく適用されています。
しかし一方で、ルールを守ることだけが全てでもありません。
とにかくルールを守ることだけを考える、ルールさえ守っていればよいという考え方では、視野も狭くなり、自分自身窮屈になってしまうでしょう。
理想的な状態とは言えません。
今回は、ルール至上主義とも言える視野の狭い考え方の弊害と、ルールを守るよりも大切なことを示します。
ルール至上主義の弊害
まず、ルール至上主義とも言える、ルールを守ること自体が目的となってしまうことの弊害について示します。
本来の目的を見失う
ルールといっても、多岐にわたり、それぞれ目的があります。
大まかに言えば、それに関わる人たちが、お互いに尊重し合い、より効果的に、豊かになるためのものであるはずです。
しかし、ルール遵守というものが前面に出れば、とにかくルールを守ることだけが目的となる人も出てきます。
大きな組織では特にその傾向が強くなります。
会社の仕事であれば、社会に貢献するための一部の役割を担っていると言えます。
しかし、複雑化した組織ほどその実態が見えにくいため、目の前のルールを守ることだけに目が行きがちです。
そうなると、融通が利かない、がんじがらめ、お役所的と言われる人が増えます。
少しのことでもルールにないことは受け付けないのでは、効率も落ち、他者との連携もままならないでしょう。
「ルールに則っているのです」というのが命綱であり錦の御旗になってしまうようです。
逆に、ルールさえ守れば、成果を上げるために何をしてもよいという、モラルの欠如をもたらすケースもあります。
これは想像しやすいと思います。
また、ルールが責任回避のためのツールに置き換わっているケースも多く見られます。
組織としてトラブルがあったら、まず自分たちの行動にルール違反がないかを、いの一番に確認。
なければ、関係者や他の部署が困っていてもとりあえず安心、自分たちの正当性主張に備えるといった行動パターンです。
目的が、既にずれていることがわかります。
ここで、具体的な例を一つあげましょう。(フィクションということで)
銀行員をしていたときのことですが、焦げ付き(貸出先がお金を返せなくなる)が発生しそうだという状況が発覚した際のことです。
銀行にとって、貸出債権が焦げ付くことは、大きな損失をもたらす大問題です。
当然、力を合わせて迅速に状況把握をした上で、対策を練る必要があります。
ところが、ある中間管理職が開口一番、
と大きな声で叫んだのでした。
ルール上、そのような融資を決裁した上司にも責任が及ぶことになっていますから、何よりもまず自分の責任なのかどうか知りたかったのでしょう。
こっそり調べてくれればまだしも、大きな声で怒鳴りつけていましたので、その場も相当に白けたのを覚えています。
結局、その件は事なきを得たのですが、本来であれば、もっと迅速にするべき行動があったはずです。
その対応の差で、損失が出るかどうかが決まるケースもあるわけです。
その中間管理職は、自分の責任下にない案件だとわかれば、どこまで危機感を持って対応していたかは疑問です。
法(ルール)の多い国は傾く
世の中が複雑になれば致し方のないことですが、
次から次へとルールを新たに設けて、それを遵守させるという流れが加速している組織が目立つように思います。
ただ、春秋左氏伝の中にもある通り、
傾いている国、潰れそうな国ほど、法律や制度が多くなるものです。
紀元前のはるか昔からこのように言われています。
何でもかんでもルールを作ってそれを守らせるのがよいというものではありません。
国だけに限らず、組織でもそうです。
ルールに重きを置きすぎると、雪だるま式にルールの数が増えます。
私も、銀行員時代に実感しましたが、守るべきルールが年々増えていくため、一つの申請プロセスを完成させるのにかかる時間がどんどん増えていくのです。
追加の検証事項、追加の添付書類、システムに反映されていないルール対応などです。
そうなれば、処理忘れ、添付漏れも増えて、余計に効率が落ちます。
そればかりでなく、「ルールだから対応しなければ」というプロセスが増えると、そもそもの作業の目的を考えなくなる傾向にあります。
ルール自体が目的になってしまう流れに拍車がかかるということです。
ルールを守り、ルールに守られるよりも大事なこと
ルールを守ることだけに躍起になっていたり、責任回避して安心したりしていては、人としては少し悲しいというのが正直なところだと思います。
ルールを守る、法令遵守は基本ではありますが、やはりそれだけではうまくありません。
個人の成長や、発展、ひいては幸福感にとっても、ルールを守るよりもさらに重要なことがあります。
以下に示します。
人の真価はルール以外で何をしたか
ルールを守っているだけでは、魅力的な人、つまり人を動かす人、圧倒的な成果を出す人、理想的なリーダーにはなれません。
決められたこととは、規則、法律といったルール以外に、広義で考えれば、上司の指示・方針、リーダーに求められると一般的に考えられていることなども含めて考えます。
営業成績の優れた人は、課されたこと以外に、何か自分で工夫していることが多いでしょう。
課されているのは、1日5件の訪問のところ、努力工夫をして1日10件訪問すれば成約する確率も上がるでしょう。
お礼メールを送るルールのところを、直筆で紙面に書けば、手間はかかりますが、相手へのインパクトは大きいでしょう。
さらに、既存のルールを改善するべく、新たな案を提案するということもあるでしょう。
優れた経営者なども同様です。
そもそもトップに対するルールなどは少ないのですが、できることは多くあります。
一般的に考えられている以上に、とことん社員のために考えたり動いたりすれば、社員も気づくものです。
そのようなトップの行動から、モチベーションの高い組織が生まれるものだと思います。
私は銀行員時代に、数多くの経営トップの方とお会いしてきました。
尊敬されるリーダー、成功している経営者の多くは、並外れた責任感と使命感をもっています。
日々、誠心誠意、社員のこと、事業のことを考えておられて感銘を受けた記憶があります。
従業員の立場ではどうでしょうか。
もちろん法律遵守は重要であり、ブラック企業の味方をするつもりは一切ありません。
それでも、「サービス残業は一秒たりともしません」と宣言するよりは、急ぎで困っている同僚がいれば、残業ルールがどうかではなく、手を差し伸べてあげればよいかと思います。
その良心につけこまれ、その後もなし崩し的に残業が入るようになれば、そこでまた対応すればよい話です。
最初からガチガチにかまえる必要はないでしょう。
何より、困っていた同僚にとってはありがたいでしょうし、望ましい協力関係がそこに生まれるはずです。
意外性に心が動くと言われますが、その通りだと思います。
私も、会社員時代のことで今でも印象に残っている、感謝していることの多くは、そういったことをしてくれた人だったりします。
- 締め切り時間を大幅に過ぎていても、特別扱いで受け付けてくれた、他部署の人
- 責任のない、かばう必要のないところなのに、リスクを冒してかばってくれた上司
- 何の得もないのに(むしろ嫌われる可能性もある)、耳の痛いことを正直に批判してくれる後輩
徳のある人は徳に救われる
ルールを守る人はルールに守られると言われます。
その通りだと思います。
ルール違反で処罰されることはないということです。
ただ、それ以上はありません。
それよりも大事なことは、
その前に、世の中実力が全てだと言う人もいます。
誰も手がつけられないほど圧倒的な実力を誇示し続ければ、それもまた可能なのかもしれません。
ただし、人間ですから、永遠に圧倒的なものを維持できるはずはありません。
野球などのスポーツを見ていてもそう思います。
実績があり、今でも十分活躍できると評されている自由契約の選手が、なぜかどのチームからも声がかからないことがあります。
一方、年齢的にもかなり限界に見えるものの、人格やチームへの影響を評価されて、声がかかるという例はよく耳にします。
苦しい場面、助けが必要な場面では、実力があるだけでは、手が差し伸べられないケースも多々あるということです。
古い話ですが、企業関係で言えば、山一證券が倒産した時の野澤正平元社長の会見を覚えている人も多いと思います。
こういった趣旨の発言を号泣しながら訴えた会見は、多くの人の記憶に残っています。
実際の状況として、倒産したのは、野澤氏が社長に就任してからほんの3ヶ月ほどのことです。
以前の経営陣たちが残したつけを回された形であったことがわかっています。
責任という意味では、野澤氏によるものではない部分がほとんどであったと言えるでしょう。
(事実、その後野澤氏は、刑事訴追されませんでした)
ある意味粛々と、ルールと慣例に則り対応することもできたはずです。
しかし、そうはせず、責任の所在を自分にありと宣言し、言い訳せず、トップとして社員のために訴えたのです。
口先だけではなく、その後も2年間にわたり、自分のことは後回し。
そんな野澤氏の行動により、元社員たちの再就職が決まり、一段落したわけですが、
人柄と能力が評価され、野澤氏本人の元には、その後、経営を任せたいという要請が各所からあがりました。
多くの企業、機関が野澤氏の人格を求めていたのです。
第一線を退かれてからも、元社員との交流も残り、講演などの依頼もあるそうです。
まさに、徳を守る人は徳に守られ救われる典型であると言えるでしょう。
そもそも、親切や善行、徳といったものにルールなど存在しません。
先ほどの銀行のフィクションの例で出した、焦げ付き疑惑発生時の中間管理職を覚えているでしょうか。
ルール上は、責任範囲から免れて安心しても、信頼と人格は地に落ちているわけですので、徳や善意に救われることはないでしょう。
人としてどうなっていくべきなのか、するべき選択は明らかなはずです。
まとめ
複雑な世の中になり、ルールをしっかり守らないと、思わぬところで足元をすくわれることになりかねません。
ルールを守るものは、ルールに守られるというのは、その通りだと言えるでしょう。
一方、ルールだけに執着していると、ルールを守ること自体が目的となり、本来の目的を見落としてしまいかねません。
ルールを守ることは、基礎の部分であって、全てではありません。
人の真価は、ルールなどで明確にされていないところで、何をしたか、どう振る舞ったかによって決まります。
そして、徳を守った人は、最終的に徳によって守られるという法則を念頭に置くべきでしょう。
ルールが複雑で難しい世の中だからこそ、今一度思い直す機会が必要ではないでしょうか。
以上、ここまで読んでいただきありがとうございました!
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