がんじがらめの人間関係を避けるべき理由

こんにちは!Jimmyです。

今回は、がんじがらめの人間関係に警鐘を鳴らします。

何かを成し遂げる上で、協力者や人脈というのは大変重要な要素です。

しかし、際限なく増やせばよいというものでもありません。

ときに、自分が意図する発言や行動を制限する、鎖のような役割を果たしてしまうことには注意が必要です。

政治家の発言から見えてくる不自由さ

ダイヤモンド・オンラインにて、面白いコラムがあり、目に留まりました。

国会や記者会見において、質問に対してまともに答えない政治家が目立ちます。

呆れるような言い訳をしたり、あからさまにごまかそうと必死になったりする光景はよくあることです。

具体的な答弁の事例を題材に、政治家から「上手なごまかし方」を学ぶという風刺の効いたコラムです。

 

聞き覚えのあるようなフレーズもありますが、実際に文字にして眺めてみると、違和感は一層はっきりします。

「NTTから接待を受けたことがあるか? 」との質問に対する総務大臣の回答がこちら。

「国民が疑念を抱くような会食、会合に応じたことは一切ございません」

ダイヤモンド・オンラインより

YesかNoで答えるべき質問ですが、質問に対する答えにはなっていません。

そこで、もう一度、野党議員から、会食をした事実の有無を聞かれますが、同じ回答をしたそうです。

 

コラムでは、これらを題材に、

「聞かれたことに対して答えず一般論に持ち込む」、

「必要のない前置きをつける」、

「よくわからない結論で強引にまとめる」などのごまかし方が紹介されていました。

確かに、誰が聞いても、誠実さを感じられない苦しい答弁です。

 

上記のような接待疑惑であれば、やましいことがあれば当然苦しくなるでしょう。

 

しかし、やましいこともなく、自然に答えればよいはずの方針や意見についても、奥歯に物が挟まったような回答をする人が多い印象です。

質問に対して、まともな回答を見るほうが少ないのではないかと思います。

コラムの記者が示す通り、不要な前置きをしたり、一般論にしたり、聞いている方としてはすっきりしません。

 

政治家の発言は、なぜこれほどはっきりしないのでしょうか。

その背景には、派閥や人間関係のしがらみが大いに影響しているように思います。

 

個人的には批判するべき事案であると思っても、自分に目をかけてくれる先輩議員が関係していれば悪く言えないでしょう。

政治家として活動するためには、多くの人の支援が必要であると言われます。

さらに、利権を求めてすり寄ってくる人も多いでしょう。

地元、派閥、他の団体など、お世話になった関係者の数は増えていきますが、その分気を使うことも増えるはずです。

何かに対して意見表明をすれば、お世話になった誰かの批判に繋がりかねないという状況も生まれます。

(政治家になったことはないため、詳しくはわかりませんが、関係者が非常に多いことは事実でしょう)

 

はじめは、高邁な志を持っていたものの、気づけば、がんじがらめの関係に縛られ、自由に発言できない状況になるのだと想像します。

そうであれば、何を発言するにしても、できるかぎり曖昧にしようという意思が働きます。

関係者が多いと発言に困る

政治家の曖昧な答弁を例に出しましたが、企業組織であっても、個人であっても同様です。

人間関係のしがらみが多ければ、誰もがこのようになる可能性はあります。

 

苦しいときに助けてくれた恩人が、良くない行動をしていても、なかなか指摘はできないものです。

自分に益をもたらしてくれるような人が嫌いなものを、敢えて称賛することは控えるはずです。

お世話になった人、利益をもたらしてくれるような人、その人たちが大切にしている人。

その人たちの立場や状況を考えると、自分の思ったことを言えない状況は増えていくでしょう。

下手な真似はできないということです。

 

日常生活や仕事の場を考えてみると、誰にでも当てはまることはあるはずです。

さらに考えると、組織というのも人の集まりです。

組織のイメージに反するような言動を制限するというのは、どこの組織でも行われています。

 

一方で、これまで挙げたような関係者(人脈)が少ないと、そもそも事を成し遂げられないというのも事実です。

一人でできることはたかが知れています。

他者と協力することで、幸福感も高まるでしょう。

人脈を大切にし、相乗効果やご縁を大切にします。

だからこそ、気づいたときには、人間関係は多く構築したものの、関係に気を使い、自由さを大いに損なうことになりかねません。

 

がんじがらめの人間関係に縛られ、いつの間にか自分の意見すら見失う人もいるのではないかと思います。

政治家ほどではないにせよ、似たような状態に陥っている人は、組織の種類を問わず少なくないように見受けられます。

自分がわからなくなるという状況は、端的に言って苦しく、何かを達成したときの幸福感も乏しくなります。

もっとも避けなければならない状態です。

しがらみは少なくするという考え方

ここで、敢えて投げかけたい問は、

人間関係はどこまで必要なのかということです。

 

確かに、大きな組織として動くこと、人脈を多く形成することで、より大きなことを達成しやすくなります。

しかし、これまで見てきたように、がんじがらめの人間関係は幸福感をもたらしません。

自分の意見すら言えない状況を考えれば、想像しやすいと思います。

 

大きな組織、豊富な人脈は、素晴らしい力にもなりますが、自分を縛る鎖にもなり得ます。

 

芸能人が大手企業のテレビCM契約を取れば、大きな収入になるそうですが、その分、言動には気を使うことになります。

イメージを傷つけるようなことがあれば、損害賠償にまで発展します。

 

企業勤めの人であれば、企業が定める行動指針に則り行動することが求められます。

企業のブランドを使える反面、見た目から労働時間、SNS利用方針まで、しっかり制約を受けます。

 

個人的な関係であっても、お世話になった恩人が増えていけば、そのうち悪気はなくても「恩知らず」と思われることも出てくるでしょう。

大小問わず恩人が30人いたとすれば、何かあるたびに、全員に直接報告をしていては、なかなか先に進めないのも事実なのです。

 

そう考えると、しがらみはできる限り少なくするという考え方も有力になってきます。

人類学者のダンバーは、脳を研究した結果、人間が安定的に維持できる人間関係の数は150人程度であると分析しています。

個人差はあるとは思いますが、数百人の関係を維持するというのは、人間の脳からすれば、少々無理があるのかもしれません。

 

イノベーションに限らず、世界に新しい価値をもたらすのは、しがらみのないところからです。

しがらみがあるところでは、旧来の考え方を破壊、否定する必要があるため、どうしても進めにくいと言えます。

 

変化が必要な今の時代こそ、がんじがらめの人間関係で動けなくなることの弊害が大きくなります。

がんじがらめの人間関係にならないためには、小さく動くというのも一つの手です。

小さく動くとは、関わる範囲を限定するということです。

地域密着、少人数、ターゲットを限定するといったことが考えられます。

 

大きく動きたいのであれば、ある程度のしがらみを打ち破るだけの強い信念と思想の土台が必要でしょう。

それをもとに、がんじがらめの人間関係に縛られずに、自分を貫いている人も少なくありません。

正解のない時代だからこそ、信念と思想の土台が益々必要になってくることが予想されます。

 

他者と協働し、人脈を作っていく中でも、この土台の存在が、より重要になってくるでしょう。

そこで役に立つのが哲学なのですが、今回の趣旨とは異なるため別の記事を用意しています。

興味のある方は、以下の記事も参考にしてみてください。

あわせて読みたい

哲学を学ぶ意味ときっかけ【資格よりも必要な理由】

 

以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

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