こんにちは!Jimmyです。
今回は、自分の使命を考え話すことで、人生を前向きに変えることができるという趣旨です。
「使命」とは、与えられた任務という意味を想像する人もいるかもしれませんが、自ら考えるべきものです。
また、一部の人だけが持つような特別なものでもありません。
無論、組織の中でよく見られるような形式的な「ミッション」では意味がありません。
一人一人が当たり前に持ち、堂々と考え話すべき「自分の使命」です。
自分の使命にこそ魅力がある
ポイント
自分の使命を語っている人の顔は、清々しく輝いて見えます。
自分の功績を語っている人の顔は、自己愛と攻撃性があるためか、どこか尖って見えます。
(個人的な感想ではありますが・・)
人を惹きつけるのは、自分の使命を持っている人です。
自分自身の幸福感が高まる時は、功績ではなく、使命を語っている時です。
尖った社会構造の背景を知ろう
自分「個人」の使命を考え、確固たるものを持っているような人は、あまり多くないように思います。
組織の中では必要ないとみなされていることが、大きな原因の一つでしょう。
組織内の評価やキャリアプランという視点で考えれば、これまでの実績、組織への貢献、スキルが重視されます。
転職であっても、主に話すべきはスキルと実績、組織への貢献、適格性についてです。
若干大げさになるくらい、アピールするべきとされることが一般的でしょう。
しかし、組織論や自分の功績をアピールしているようなときは、幸福感を感じることも、人格としての魅力が伝わることもありません。
これは、意外な事実ではありません。
社会人であれば、ほとんどの人が経験していることではないかと思います。
仕事における人間関係では特に、組織人としての「あるべき論」や心構えを説く人は多くいます。
次に多いのは、自分の功績などを中心に話す人でしょう。
時には参考になることもあるかもしれませんが、十中八九聞いている側はうんざりすることになるでしょう。
わざわざ、組織のあるべき論を持ち出してきたり、功績をひけらかしたりするような人は魅力的に映りません。
加えて、話をする本人も幸福感を感じることはできません。
気持ちよさそうに話していても、その背景にあるのは、自分を守りたい、相手より優位に立ちたいという思いです。
自己愛、攻撃性、恐怖心が大きくなっているものです。
冒頭に、功績を語る人はどこか尖って見えると記したのはそのためです。
魅力(人格)と幸福感から遠ざかりやすい、このような組織構造、社会構造が現在広がっていることを認識しておく必要があります。
昔から、自分の功績や能力を誇示すべきではないという戒めのことわざや教えは、数え切れないほどあります。
無視すべきではない原則でしょう。
しかし、現在の仕事という場においては、大量の人の中から評価される必要があるため、アピールする必要性も出てきます。
今の組織構造では致し方ないことです。
ただ、それが絶対的な価値ではないということを忘れるべきではありません。
人として惹きつけられる理由
自分の使命を語っている人の顔は、清々しく輝いて見えるのはなぜでしょうか。
それは、使命とは自分以外のために動くものであるからです。
つまり、世のため人のためという目的意識によるものであるということです。
自分の功績やアピールに目を向けている人とは180度違います。
ここに、人格として惹きつけられるポイントがあります。
さらに、使命を持っていると、意欲と強い指針からくる一貫性をもたらします。
だからこそ、信頼されやすく、さらに人を惹き付けやすくなります。
経営の神様、P・ドラッカーもこのことを指摘しており、使命を重要視しています。
一方、功績を語る場合も、その功績に反応して人が集まるケースがあります。
むしろ、現在ではこのケースのほうが圧倒的に多いと言えます。
理由の一つは、実績として示されやすく、わかりやすいから。
もう一つは、自分もおこぼれに預かりたい、同じような成果を出したいという思いを駆り立てるからです。
しかし、それだけを目当てに集まった集団は、先ほど示した尖った社会構造の構成員そのものです。
実績は信用を補完するうえで重要ですが、それだけを前面に出すと、人格や幸福感からは離れることになります。
使命を難しく考える必要はない
現在の社会構造を考えると、普通に生活していれば、使命を語る機会は少ないと言えます。
目の前の与えられた目標を追いかけ、実績をアピールして評価してもらうという行動パターンが多いということです。
使命という言葉自体、大それたものであるようなイメージがあるかもしれません。
だからこそ、目線を変える必要があります。
使命は、自分の人格や幸福感を高める上で必須であると考えるべきです。
与えられた目標をクリアすること、称賛されるような実績を作ることで人格や幸福感が高まるわけではありません。
使命、つまり世のため人のためという視点を持って行動することは、利己的な行動指針よりも遥かに大きな幸福感をもたらします。
その使命を、日々強化していくことで、言葉やたたずまいにも力が宿り、人格が形成されていくことになります。
夢であっても使命であっても、それが達成された時ではなく、そこに近づいている感覚こそが幸福感でありモチベーションになります。
今回、夢ではなく敢えて使命にこだわるのは、自分以外のもののために何ができるかという視点を重視しているからです。
夢であれば、多くの人が考えたことがある身近なものであるはずです。
難しく考える必要はなく、使命とは、夢や希望の利他バージョンと思えばよいでしょう。
この視点を、少しずつ強化していくことが重要です。
言い換えれば、はじめは弱いものであっても問題ないということです。
使命を育てる
視点を変えることで、幸福感と人格的魅力に近づくこと、そして最初は弱い使命で問題ないということを示してきました。
大事なことは、焦らず使命を育てるということです。
いきなり、会社の経営者のような使命感を語ることができるはずはありません。
社会全体を変える、価値観を一新するというスケールとなると、現実味を感じないと思います。
使命は必ずしもそのような規模である必要はありません。
自分の経験を活かして、社会に役立つことは何かという視点が重要です。
自分が苦しんできた悩みを持った人を、一人でも減らすということでもよいでしょう。
大きな環境の変化を伴わなくても、実践できることはたくさんあります。
小さなことでも、心から思うことができれば、それについて話している時は表情に表れます。
ことの大小に関わらず、大変輝いて見えます。
自分自身の内に溢れる幸福感も実感することができるでしょう。
おそらく、使命など考えたことがない、話したことがないという人も多いと思います。
使命という言葉が恥ずかしければ、はじめのうちは敢えて言葉に出す必要はありません。
ただ、内容をしっかり話しているうちに、強化され、自信を持って話すことができるようになるはずです。
与えられたノルマや、示された目標に向かっているときと比べて、違いに気づくことができれば、使命を持つことの意義と効果をより強く認識できるようになります。
まとめ
今の社会構造は、多くの人が複雑に関わり合っています。
そのため、仕事をする上では特に、自分の功績や有能さ、権威を他者にアピールして評価してもらう必要があります。
ただ、それだけに集中してしまうと、人格や幸福感からは遠ざかります。
使命を、大それたこと、難しいこと、特別なことと考えるのは間違っています。
使命を持ち、話すことは、偉そうなことでも恥ずかしいことでもありません。
自分の人生のために必要なものです。
個人個人が自分の使命を考え、少しでも強化しようとする意欲こそが、幸福感と人格を育てます。
その先に、人を惹きつけ、さらに良い集団を形成する真のリーダーとしての役割が期待されます。
以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。
こちらもおすすめ