こんにちは!Jimmyです。
日本は、精神論や根性論が大好きな国であると感じます。
そう言いながら、私はそれ自体が間違っているとは思いません。
むしろ、非常に大事であり役に立つこともたくさんあると思います。
注目すべきは、使いどころがよくないということです。
時代遅れの間違った精神論・根性論を振りかざしていては、やる気も成果も出ない、最終的に望ましくない結果をもたらします。
機能しなくなった精神論の実態と問題点を今回整理します。
日本組織的精神論・根性論が決定的に間違っていること
精神論が持ち出される時とは?
日本の組織では、何かあれば精神論、根性論に頼る節があります。
論理的なことや科学的なことは、もちろん重視されています。
基本的には、整理された規則と、方針によって動く世の中と言えるでしょう。
問題は、困難にぶつかった時の対応、もっと言えば人を動かすときの方法です。
やる意義も明確で、労力も相対的に大したことなく、見返り(リターン・給料)が高ければ、誰も文句は言いません。
積極的に前を向いて動くでしょう。
しかし、そのバランスが崩れると、人のやる気は基本的には減少します。
ある程度給料があっても、それに見合わないほどハードな仕事は、積極的にやろうとは思わないでしょう。
また、給料が高くても、やる意義に疑問を覚えれば、モチベーションが高くなることもありません。
社会においては、そのようなバランスがうまく取れていることばかりではありません。
時には無理をすることも必要になってくるのですが、そのような時に頼られるのが精神論・根性論ということになります。
押し付けの精神論・根性論
決定的に間違っているポイントは、根性論を”振りかざすこと、押し付けること”です。
つまり、「根性を出せ!」と相手に言うことです。
- 「根性があれば、どんな困難な問題でも乗り越えられる!」
- 「気が緩んでいるからそんなミスをするんだ!気を引き締めろ!」
- 「最終的に根性のある者が勝つ!」
上司が部下に押し付けたり、集団心理を利用して、同じ方向に仕向けたりします。
その結果、「やる気のないものは去れ」と言う雰囲気になり、「やる気重視、姿勢重視」の評価体系になるわけです。
このように言われて戸惑ったことがある人も多いのではないでしょうか。
さらに、そのような思いを経験しながらも、自分の部下や後輩に同じことを言ったことがある人もいるかもしれません。
そのようなやり方で示されるやる気は、本当のやる気であるはずはありません。
仕方がないからやる気があるふりをするか、自分を騙して何とか奮い立たせたに過ぎません。
無理くりですが、周りと合わせて尻を叩かれながら走らされることで、とりあえず動くことにはなるのです。
そこには、個人としての意見や考え方が抜け落ちています。
さらに言えば、自分の軸や信念を背景に、「やる気が湧き出る」という経験が圧倒的に不足することになります。
そこにあるのは、脅迫観念や恐怖心により、もしくは自分を騙すことにより、無理やり動かされるだけの状態。
一番大切な自分の内なる思考を停止させた状態です。
本来、やる気は内なる自分の情熱に基づきます。
それが、発想力や視野の広さ、粘り強さをもたらし、困難を乗り越える力を与えます。
それが本当の根性と呼ばれるものに繋がるのです。
人から言われてやること、人参をぶら下げられて走るのでは長続きせず、結局望ましい成果も出ないことは多くの人が知っているはずです。
そのような当たり前の法則を無視したやり方が、今の時代でもまかり通っている現状があります。
それでは、人の真のやる気も成果も出るはずはないのです。
事実、日本企業の労働生産性は先進国の中で何十年も連続で最下位です。
詳細は以下の記事をご覧ください。
なお、日本のやる気のある社員の割合は6%という悲惨な結果もあります。(米ギャラップ社調査結果)
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押し付け型精神論・根性論の黄金時代
人のやる気について、完全に間違ったやり方で精神論・根性論が認識され、押し付けられている現状を紹介しました。
ではなぜ、そのようなおかしな状態が当たり前のように浸透しているのでしょうか。
それには、日本がたどってきた歴史的背景が関係しています。
押し付け型が機能した背景
国家主義の時代
明治維新を経て、第二次世界大戦期における日本は、まさに国家主義的な考え方に支配されていました。
この時代では、国家のための個人という考え方が当たり前でした。
事実、この時代は、列強の脅威にさらされ、国の存亡をかけて戦うという事情がありました。
自分の国が、知らない文化の人たちに侵略されて嬉しいはずがありませんので、誰もが危機感を覚えます。
そして、創意工夫の上に、何とか薄氷の勝利を重ねていったのが事実です。
日本のような小さな国が、中国(清)やロシアのような大国に勝ったというのは、日本にとっても自信になりました。
実際には、他国が日本の実力を甘く見たり、油断したりした中で、日本は他国の分析を怠らず、作戦を考え抜いた結果です。
ところが、なぜか抽出された箇所は精神論の部分であったのです。
やがて、日本は「神の国」だと言われるようになり、不敗神話というものが蔓延することになります。
第二次大戦に入る頃には、的確な分析や戦略策定ができていなかったと言わざるを得ません。
そこで、戦力や不利を補充するために精神力が叫ばれたのです。
市民の生活においても、戦地においても、作戦においても、そのような精神性が入り込んでいました。
結果は誰もが知る通りですが、この時代には精神論・根性論ばかりが根付いていたと言えます。
高度経済成長期
終戦により、国家主義的な考え方はなくなりました。
そこから日本は、敗戦国としては考えられないほどの勢いで復興を遂げることになります。
朝鮮戦争での需要や、冷戦構造などの影響で、日本は高い成長を何十年も続けることになりました。
戦後の焼け跡から、怒涛の勢いで成長するのですから、基本的に人手も設備も足りません。
需要が供給を完全に上回っていました。
これが、作れば売れる時代です。
会社はいかに人手を集めるか、設備投資をして規模を大きくするかが課題でした。
ここで重要なのは、やり方(正解)はアメリカに既にあったということです。
アメリカに追いつけという構図があるため、基本的には進んだ製品ややり方を真似すればよいのです。
当然改善はしますが(これが日本人の得意分野)、いかに決められた路線で効率的に作るかということに集中すればよかったわけです。
そうなると、どのような人材が必要とされるでしょうか、
答えは文句を言わずに従順に従ってくれる人、平均的な技能を兼ね備えた人が大量に必要だったということです。
とにかく、人を投入して作らせる、言われた通りにやらせる、営業であれば、ひたすら顧客回りをさせる。
量をこなすことが絶対的な価値でした。
それが、会社の生産性にとって理にかなっていたのです。
そこには個人の発想や思いは必要なく、意見する者も変わった考え方をする者も要らなかったのです。
精神論・根性論を振りかざして動かすことが、会社としても個人にとっても恩恵をもたらすものであったため、押し付け型の根性論はうまく機能したと言えるでしょう。
経済成長が続くことで、人々の暮らしが目に見えて良くなっていきました。
とにかく個人の考えは無視され、精神論・根性論で動かされますが、個人としても、やっただけのリターンはあったのです。
つまり思考停止で動いていても、自分の暮らしが良くなり、豊かになっていくことに大きな喜びと幸せ、誇りを感じることができたということです。
事実、それで成果を出し続けた結果、ジャパンアズナンバーワンと呼ばれた時期が到来したのでした。
根底には精神論・根性論をもとに働く考え方、「24時間働けますか」の世界があったのですが、それをこなすに値する成長があったのが事実です。
時代の変化に求められる考え方
上に示した2つの時代背景を考えれば、現代には、まるで合わない考え方であることがわかります。
国家主義的な考え方は、もちろんありません。
また、押し付けられた根性論で、何とか耐えてやっていれば成果も出て、生活も良くなり、自然とやる気が湧くような時代でもありません。
低成長の時代で、会社のために身を粉にしても雇用すら見通せない状況と、モノやサービスが売れない時代、
さらに、変化とイノベーションをもたらす発想力が必要な時代です。
そのような時代に、押し付けられた根性論では、やる気も成果も出るはずはありません。
ですから、上司から「気合が足りない」とか「やる気のない者は去れ」と言われて違和感を覚えることは、当たり前と言えば当たり前なのです。
最近の若者は根性がないという主張は、本質的ではありません。
根性で成果が出るような状況でもなければ、ひたすら思考停止状態で動いて給料が上がり、やる気がでるような環境でもないのです。
押し付けるような根性論、精神論は、もはや役に立たないことを認識しなければなりません。
日本の精神論・根性論はどこから来たのか?
これまで、日本組織に特徴的な押し付け型の精神論が完全に時代遅れであるという話をしてきました。
一方、注意するべきことは、精神論・根性論自体がダメなのではないということです。
むしろ、成功を収めたり、変化を促したり、困難を乗り越えたりするために必要なものです。
気合や根性、忍耐などの精神論は、おそらく武士道精神に通じる部分があるのでしょう。
世界の他の国に比べて日本が誇るべき感覚であるとも思います。
資本主義社会では、しばしば道徳的なことが蔑ろにされてしまいます。
お金を持っていることが全てであるという考えは、現代社会にも様々な問題を引き起こしています。
武士道には、義、勇、礼、誠といった、倫理的、道徳的な価値観が強く反映されています。
そして、その精神は現代にも受け継がれ、大事にされています。
武士道とは何かを具体的に知らない人でも、日本人の生活には自然と入り込んでいます。
これは、日本人が失うべきことではない、忘れるべきではないことでしょう。
問題は、このような自分を磨くための精神論であるはずの考え方を、「忍耐」など都合の良いところを引っ張り出して、力任せに他人に押し付けるようにしたことです。
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今求められる精神論
成功するのに根性は必要
今の時代にあっても根性は必要です。
何か困難な時に、頼りになるのは自分自身であり、それはスキルでも知識でもなく、最終的にはどれだけ心を強く持てるかということです。
多くの成功者は、自分の能力のおかげで成功したとは語っていません。
どれだけそれを達成したいと思ってきたか、そして批判の声に負けず、いかにそれをやり通せるか。
このように話す人が多いように思います。
つまり、成功をもたらすためには精神力が不可欠であるということです。
最終的には能力やスキルではなく、思いの強い人が勝つということは、既に多くの事例からも証明されているように思います。
信念なくして精神論なし
精神論でも根性論でも、重要なのは自発的に出てくるものであるということです。
そのためには、目的意識を持っていなければなりません。
先ほどの武士道において考えるとわかりやすいでしょう。
倹約をするにしても、義を通すにしても、最終的な自分のあるべき姿が明確に個人個人の中に描かれているのです。
倹約が目的なのではなく、その先にある己のあるべき姿こそが目的なのです。
だからこそ、周りの状況や、損得に左右されずに自分を貫けるというわけです。
現代の企業勤めの人に圧倒的に足りないもの、それが自発的な精神力です。
一昔前のように、経済成長と生活の向上を背景に根性を出せた時代ではありません。
真にやる気を出して成果を求めるのであれば、自分の中の強い目的意識が不可欠です。
根性というものは、他者から出せと言われて、「ほい」と出せるものではありません。
仕事をやる目的、なりたい自分像、達成したい成果、全て自分でとことん考えます。
そして、強く思うことで、自然と困難な状況でも根性が出せるのではないでしょうか。
多様な考え方や生き方がある中で、正解と呼べる道はありません。
だからこそ、自分のあるべき姿を考え、それに向かっていくという軸がどうしても必要になります。
時にはがむしゃらに進むことも、リスクを承知でやってみることも必要になるでしょう。
そうした時に、根性を出せるかどうかは、自分の目的意識次第です。
おかしいと思いながらやっていることは、ここぞという時に根性を出すことはできません。
大変な時に心が折れてしまいます。
そして迷います。
これは、私もサラリーマン時代に実際に何度も経験しています。
やらされている仕事では、今の時代、やる気を出すことも成果を出すこともできません。
目的を見出せない状況、もしくはおかしいと思いながらも仕方なくやっている仕事は改めるべきです。
もしくは、すぐに辞めるべきと言ってよいほど重要なことだと思います。
同じ仕事でも、組織のシステムの歯車だと思っているのと、自分の人生の歯車を回そうと思っているのとでは全く違います。
他者の歯車の一部で本当によいのでしょうか。
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まとめ
経済が上向かない厳しい時代に、根性論、精神論で何とか人を動かそうとしている組織が、まだまだ目立ちます。
問題は、個人の目的意識や考えを無視した押し付け型の根性論であるということです。
「やる気がない者は去れ」の組織です。
そのような組織で、言われるがままに走らされ、思考停止に陥っていては、やる気も成果もでるはずはありません。
その人の精神力が足りないのではなく、自分の軸、信念がないからです。
精神論・根性論は、困難な状況を切り抜けるのに不可欠です。
それはスキルや知識にも勝るほど必要です。
根性を出すためには、どうしても自分の内なる情熱から出た目的意識である必要があります。
今、やらされている仕事、無理やり押し付けられた根性論で動いている人は、時間をかけてでも、内なる自分と向き合う必要があるのではないでしょうか。
以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。
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