こんにちは!Jimmyです。
イライラして、つい身勝手な言動をしてしまったり、八つ当たりをしてしまったりすることはないでしょうか。
多くの人が経験していると思います。
ちなみに、そのような言動をとってしまうのは誰に対してでしょうか?
大事な家族であったり、会社の後輩や部下であったりすることが多いのではないでしょうか。
「人間ですからそんなときもある」とも言えるのですが、日常で頻繁に発生してしまうのであれば、どこかで考え方の修正が必要かもしれません。
今回は、イライラを他人にぶつけてしまうことが多いと感じている人が、イライラを抑え、他人へぶつけないようになるための考え方を紹介します。
イライラをぶつける対象を意図的に選んでいる!
「イライラをぶつけて”しまった”」という言い方をします。
そこには、とっさのことで、つい反射的にしてしまったというニュアンスがあるように思います。
だから「制御しにくい」、若干「致し方ない」といった雰囲気になりがちです。
しかし、実際には、つい出てしまったのではなく、相手を見て、しっかり選んでから発しています。
イライラをぶつけてしまう相手というのは、ほぼ決まっています。
家族の中か、もしくは上下関係がはっきりしているような関係においてでしょう。
相手が上司やお客さん、友人だったら?
よくイライラを他人にぶつけてしまうという人でも、上司やお客さんを前にしたときはどうでしょうか。
そのような言動になることはまずないでしょう。
制御するからです。
もし制御しなければ、とんでもないトラブルや面倒に発展することはわかっています。
そこまで考えなくても、イライラを見せるべき相手ではないことは脳に完全にインプットされているでしょう。
だから、相当に気分が悪くても、お客さんや上司、先輩の前ではニコニコ、ハキハキができるのです。
友人関係であっても、好き勝手に振る舞えるわけではありません。
相手がどう感じるかということも、しっかり考えられる人が多いのではないかと思います。
相手が家族だったら?部下後輩だったら?
ところが、相手が家族(親、子供、配偶者、兄弟)、上下関係が一目瞭然の部下後輩であったりすればどうでしょう。
イライラを抑えられずに、言動として出ている人、思いっきり他人にぶつけている光景を見るのは日常茶飯事です。
家族や後輩には、「たらたら歩いてんじゃねーよ!」
と言えても、相手が大事な取引先や先輩であれば、まず言わないでしょう。
「もう少し急ぎましょうか、少し速度をあげられますか?」すら言えません。
それどこから、歩いている間に相手を退屈させていないだろうかと、あれこれ気を使ったりするものです。
このように、イライラをぶつけるとは、とっさに出てしまった反応ではありません。
とっさの反応というのは、溺れている子を見た瞬間、助けに飛び込んだといった類の話です。
人は事前に、ぶつけてよい相手とぶつけてはいけない相手をしっかり選別しています。
自らイライラをぶつけるGoサインを出しているようなものです。
なぜイライラをぶつけてしまうのか?気づくべきこと
イライラをぶつける、身勝手に振る舞うという行為。
これらは、ついつい出てしまったものではなく、意図的に、選別された相手に対してなされているという話をしました。
それを踏まえて、身近にいる大切な人に対して、イライラをぶつけることを抑えるために、気づくべきこと、持つべき考え方を示します。
自分への甘えに気づく
気づくべきは、イライラをぶつけることは自分への甘えであるとういことです。
何かしらの理由を探すよりも、解決に向かうのであれば、まずは甘えが原因だと考えるべきでしょう。
イライラをぶつける相手は、家族や部下後輩です。
確かに、家族であれば、よほどのことでもない限り、家族のままです。
すぐに離れていくような関係にはならないでしょう。
また、家族だから何でも言い合わなければと、都合よく解釈することもできます。
部下後輩であれば、自分に役職と権限がある限り、相手は言うことを聞いてくれるでしょう。
組織で働く以上しかたないという認識を、相手も持っていることが想像できます。
そこに安心を見出しているからこそ、好き勝手なことを言えるということです。
もし、安心できるような背景がない相手であれば、自然と慎重に対応するようになるはずです。
自分に遠い存在や、脅威の対象ほど、丁重に対応し、
自分によくしてくれる人、近くにいてくれる大事な人ほど、イライラをぶつけてしまうという本末転倒。
こう考えると、自分のしたことに後悔を覚え始めるのではないでしょうか。
まずは、この甘えの存在に気づくことで、冷静に考える土台を作ります。
弱い者いじめと思うことで恥ずかしさに気づく
結局、相手をコントロールできる、もっと言ってしまえば支配できる立場という状況になってはじめて、ついイライラをぶつけてしまうという行動が成立します。
相手が子供であったり、相互に依存関係がある配偶者であったり、自分に評価される部下であったり、議論が苦手な人であったり、相対的に弱者となる立場の人。
こう考えると、弱い者いじめをしているような感覚にならないでしょうか。
実際に、立場を勘案して使い分けているわけですから、弱い者いじめと言われてもしかたありません。
相手の行動がよくなかった、水準が低い、間違えだと考える以前に、立場が弱い者だけにイライラをぶつけている、身勝手に振る舞っている自分に焦点を当てます。
本来、強い相手に向かっていく、そして自分の家族や部下を守るかっこいい自分であるはずなのに、
実際の自分は、弱い者にしか強く言えない人間なのだと考えると、はっとします。
後悔と反省を、難なくできるようになるでしょう。
正しさも正当性もないことに気づく
イライラをぶつける原因として考えられる理由ですが、これらはイライラをぶつけてよいという正当性にはなり得ません。
家族に対して、あるいは部下に対してであれば、注意したり、改善に向けてアドバイスをする正当性はあるでしょう。
時には、厳しく言うべきということもあるでしょう。
冷静に考えれば誰でもわかりますが、これとイライラをぶつけるということは、何の関係も脈略もありません。
ですから、「自分がイライラをぶつけてしまったのは、相手が悪い」という考え方は誤りであり、見直さなければなりません。
「イライラさせるようなことをするな!」と考えるのは、自分にもっと気を使うべきだと要求していることと変わりません。
当たり前のように聞これる話かもしれませんが、実際には回避できずに、家族や、部下後輩に対してイライラをぶつけるという光景は本当によく見られます。
まとめ
今回は、イライラをぶつけてしまう、身勝手に振る舞ってしまう原因と、それを改善するために気づくべきシンプルなことを紹介しました。
私自身、これを考えたのは、妻に対してイライラしている自分を反省したことがきっかけでした。
外では当たり前のように、相手を尊重し、考え方の違いを受け入れ、気も使っているのに、
一番自分の近くで、よくしてくれる妻に対しては、なぜかよくない接し方をしているという本末転倒。
そこにあったのは、甘えであり、なりたくなかったかっこ悪い自分像そのものでした。
意外と、現代社会を生きていると見逃してしまうことなのかもしれません。
そういうわけで、自戒の思いを兼ねて書いてみました。
以上、ここまで読んでいただきありがとうございました!
なお、イライラを避けるというテーマは、非常に幅広く、幸福感をもって生きる上でも重要なものになります。
以下に、様々な角度で、イライラを避ける、克服するヒントとなる記事を書いています。
こちらもぜひ参考にしてみてください。
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