ノブレス・オブリージュとは?
こんにちは!Jimmyです。
ノブレス・オブリージュという言葉を、時々見聞きすることがあるかもしれません。
フランスで生まれた言葉であり、権力、財力、社会的地位のある人は、相応の社会的責任、義務があるという考え方です。
慈善活動や富の分配などをするべきという一種の道徳観を示す言葉です。
もともとは、貴族のような身分の高い人が持つべき考えとして使われていたようですが、今でも欧米ではよく知られている概念です。
特権がある代わりに、戦争などの有事の際には、貴族は最前線で戦うということが一般的でした。
このようなカタカナ語は、インパクトもあるため日本人の耳にも残りやすいと言えるでしょう。
いつの間にか、たびたび目にする言葉となりました。
日本では馴染まない理由
日本では、ノブレス・オブリージュが浸透するのか、といったテーマで書かれている記事も目にします。
大切な道徳観だと思いますが、日本ではいまいち馴染まないような気がします。
エリート教育がない日本
そもそも、日本では欧米のようなエリート教育が行われていません。
受験勉強を勝ち抜いてきた人が、社会的地位を獲得するというケースが大部分かと思います。
つまり、権力、財力、社会的地位がある人であっても、道徳教育を人一倍受けてきたわけではないのです。
先般、フォーブスジャパンの記事で、日本の官僚の収入が割に合わないから、希望者も減っているといった論調のものがありました。
明治時代に日本を背負って立った志の高い官僚たちは、大手企業の3倍以上の収入を手にし、待遇もよかったそうです。
それに比べて、今の官僚は、大企業の役員と比べると収入面で魅力があるわけではありません。
さらに、組織も複雑なうえに、上級職になれば、国民からの批判の目にさらされることもしばしば。
非常に割に合わないため、メンタル面と、待遇(收入)の面での改善が必要であろうという趣旨です。
官僚に求められるノブレス・オブリージュは、組織論や理想論だけでは貫徹できない。エコノミクスとメンタルの充実こそが、「誇り高いがおごらない」官僚を生み出す。
「官僚に求められるノブレス・オブリージュは、組織論や理想論だけでは貫徹できない。」その通りだと思う一方、「エコノミクスの充実」はほどほどで何とかならないものかと思いますね。https://t.co/uwXJqO9cKb
— Jimmy@信念のある自分の人生を! (@JimmyOsuka) September 4, 2021
しかし、給料を増やしたところで、もしくは幾分かメンタル的な部分で改善がなされたとして、ノブレス・オブリージュが官僚に浸透するようには思えません。
先程述べた通り、道徳的な教育も十分になされていないことに加え、既存の組織は旧態依然としているため、新たな風が入り込む余地がほとんどないからです。
いくら、若い官僚たちの間で、ノブレス・オブリージュの機運が高まったとしても、浸透するには相当な時間がかかるでしょう。
一世代分(数十年)の時間が経過している間に、問題は深刻さを増し、取り返しのつかない状況にもなりかねません。
大衆レベルで考えるべき日本の道徳
逆輸入しなくても、もともとあった概念
わざわざカタカナ語で捉え直さなくとも、日本(東洋)にも昔から、似たような道徳観念は多くありました。
代表的なものが、利他であり、「おかげさま」という感謝の心であり、知足の感覚でしょう。
その中には、多くを得たとしたら、社会に還元することが必要であるという考え方も当然にしてあります。
これは、身分が高い人とか権力がある人に限らず、すべての人に対して説かれている教えです。
カタカナ語は、響きがよく、何となく抽象的で、権威的な印象ももたらします。
使っているともっともな感じもするのですが、理解をするなら、やはり昔からある概念のほうがよいでしょう。
高貴でなくても持つべき思想
明治以前の日本では、大衆文化の中に、道徳が散りばめられていました。
明治維新までは、封建社会だったわけですが、武士には武士道という道徳がありました。
農村でも道徳教育が盛んに行われており、儒教の素養を持っていた人も少なくなかったようです。
特に、身分が高くなくても、人として守るべき道徳、それは、権力や財力、社会的地位を得ようとも、根本は変わることはありません。
日本の社会には、こちらのほうが一般的であり、浸透しやすいのではないかと思います。
新しい概念ではなく、忘れられている価値を見直すという感覚。
特別な人、エリートだけが持つ道徳ではなく、誰もが持つべき道徳観ということです。
官僚の話で言えば、官僚組織だけで、志を高く持つように仕向けていても時間がかかるでしょう。
先程述べたように、世代交代するまでに相当な時間を要するからです。
それよりも、社会的な機運として、当たり前にある日本人の道徳意識、すなわち、利他、感謝、知足を呼び覚ますことのほうが大切ではないかと思った今日このごろです。
一部の人が組織の内部で変えていくのではなく、社会的な機運として変えていくほうが現実的です。
官僚の給料も、工夫の余地はあるのかもしれません。
一方、大学などの試験に、道徳の概念を大いに取り入れることのほうが必要なのではないかと感じます。
せっかく、基礎的教育レベルが世界トップクラスの国であるなら、基礎的道徳教育もエリートだけに絞る必要はありません。
以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。
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