『罪と罰』(ドストエフスキー)という文学との接し方

「罪と罰」とは?

こんにちは!Jimmyです。

今回は、名著との評価を確固たるものにしつつも、敬遠されがちな長編小説、「罪と罰」をテーマにします。

 

題名: 罪と罰 1866年

作者: フョードル・ドストエフスキー(ロシア)

 

ドストエフスキーは、19世紀を代表するロシア人作家の一人です。

「罪と罰」の他に、「白痴」、「悪霊」、「カラマーゾフの兄弟」などが有名です。

 

「罪と罰」は、世界中の作家に多大なる影響を与えた作品であると言われています。

ストーリーとしては、主人公が殺人を企てるところからスタートします。

舞台は、19世紀の帝政ロシア、サンクトペテルブルク。

頭脳明晰ながら、学費滞納のために大学から除籍処分を受けた主人公をはじめとした、様々な心の葛藤を中心に描かれています。

暗い、長い・・「罪と罰」をなぜ読むのか

私の個人的見解として、「罪と罰」を紹介します。

人間について考えさせられる作品

冒頭に、世界の作家に大きな影響を与えたと紹介しましたが、解釈は千差万別であって然るべきでしょう。

主要な登場人物について、様々な描写、心理的な葛藤が細かく描かれています。

人間の本質について、考えさせられるポイントを豊富に含んでいます。

 

近代化に向かう過渡期(混乱期)の19世紀ロシアが舞台になってはいますが、

「人間これでよいのか?」と現代についても共通した問題として、考えさせられる内容もあります。

そういう意味で、読むべき本、今こそ読む価値のある本と言えるかもしれません。

 

長くて暗いことは確か:心理的描写が際立つ

代表的文学作品として、「罪と罰」を読もうと考えながら、躊躇する人は少なくないようです。

私の場合もそうでしたが、なかなか手をつけられない、その理由は大きく2つです。

 

まず、長いということ。

翻訳者により、若干読みやすさは変わるかもしれませんが、多くは上・中・下巻で構成されており、長編であることが一目瞭然です。

 

次に、暗いということ。

紹介文などを読むと、すぐに殺人を題材にしたストーリーであり、重苦しい雰囲気になりそうなことがわかります。

端的に言って、気持ちとしては読んでいて沈みます。

 

さらに、実際に読んでみると、ストーリー展開が面白いというわけではありません。

(ストーリーの面白さなら、他に優れた小説は多くあります。)

上・中・下巻と大変長い作品にもかかわらず、場面(出来事)の変化、展開は、むしろ大変少ないのです。

そこが”文学”なのだと思いますが、ストーリーで読者を惹きつけるのではなく、読者に考えさせる内容になっています。

 

心理的な描写に多くの部分を割いています。

心のなかで考えていることから、手紙から、実際に言葉として話していることまで、どれについても当てはまるのですが、

誤解を恐れずに言えば、冗長と感じる部分も多々あります。

例えば、主人公の母親から、主人公への手紙が描かれていますが、現実的ではないほどの長さです。

 

ストーリー展開は少ないかわりに、心理的な描写は細かく、そして目まぐるしく変わります。

しかし、その心理的描写がポイントであり、人の心理をよく表しています。

 

暗くて長い、そして難解なイメージもあり、敬遠されがちな作品であると思います。

ストーリーとしての面白さを求めるのではなく、人間の本質を追求するつもりで読むと、引き込まれていく可能性は高くなるはずです。

(それでも序盤は、辛抱強く読み進める必要はありますが。)

 

憂鬱になりながら考えさせられたこと(一部)

内容を細かく示すことはできませんが、一部感想として、考えさせられたこと(問い)を記載します。

 

地位が意味するものとは?

当時の、混乱するロシア社会においては、身分的にも金銭的にも裕福であった人が、落ちていくことも珍しくなかったようです。

落ちぶれてしまった中にあっても、そういった人の主張は、自分がいかに良家の出身であったかということです。

「家族は〇〇に仕えていた、△等官だった」という発言を繰り返す人が登場します。

 

家柄、身分の正当性、それが自分を保つ誇りなのです。

過去のことであって、誰もまともに聞いてくれないのですが、当の本人はそこに執着している様子がたびたび描かれています。

現代の日本にも、似たような状況はあるのかもしれないと思いながら考えていました。

 

お金が意味するものとは?

また、貧しさについても、憂鬱な気持ちになりながら考えさせられます。

ある程度、お金に余裕がない、貧しい状態であっても気品を保ち続けることはできる。

しかし、極度の、どん底の貧困は罪なのである。

社会から追われる、ほうきで一掃されてしまう。

酔っぱらいの元役人が、このように語った言葉が印象的です。

 

その元役人は、働いてもすぐに辞めてしまい、家のお金をすべてお酒につぎ込んでしまうという人でした。

家に帰れば、当然のように奥さんから罵詈雑言を浴びせられる始末。

年中ヒステリックに陥っています。

ところが、ある日仕事のあてが見つかり帰ってくると、奥さんは見違えるような対応。

料理も、子どもたちへの言葉も、振る舞いもまるで別人。

性格が変わったかのような現金な対応が、貧困の罪を際立たせているようでした。

 

さらに、所々で描かれているのが、お金のための(もちろん最終的には愛する家族のため)自己犠牲です。

家族のために、お金のある人との結婚をすすんでしようとする。

家族の生活のために、自ら娼婦としての人生を選ぶ。

正しいかどうかの判断以上に、近代化以降の社会の問題についても考えさせられることが多くありました。

 

正義とは何か?

最後に、他の書評でもよく書かれるため、敢えて紹介するまでもありませんが、殺人について、正義とは何なのかについても考えさせられます。

一人の強欲な”金貸し老婆”を殺すことで、多くの人が救われるとしたら?

実際に主人公が考えていた問いの一つですが、人間の傲慢さ、正義や善悪についても、よく考えさせられる内容になっています。

 

繰り返しますが、この作品は、人それぞれの解釈があって然るべきかと思います。

人間の本質を考えるつもりで、一度チャレンジしてみてはいかがでしょうか。

 

 

以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

 

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