強者の理論で動く世界で考えるべき問

強者の理論で動く世界

こんにちは!Jimmyです。

世の中は、様々なルールや法則によって動いていますが、最近は特に、強者の理論が強くなっているようです。

強者の理論とは、簡単にに言えば、弱肉強食の原則に基づき、強い者の考え方が正しいとされ、尊重されるような価値観です。

 

よくあるシチュエーションとしては、「生活が苦しい、生きづらい」と悩む人に対して、必要な努力をしてこなかったからだと、自己責任論で一括するような考え方があげられます。

資本主義において、成長や競争を前提に考えると、どうしても強者の世界の色が濃くなっていくと言ってよいかと思います。

格差が発生する仕組み

資本主義ではなくとも、格差が発生しない集団の実現というのは、簡単なことではありません。

5人で、集団生活をはじめたとして、各々が炊事や掃除、貨幣獲得のための労働などを担うとします。

各人の役割は違えど、同じだけ対価を得る(得たものを平等に分配する)としたらどうでしょう。

そのうち、不満を口にする人が出てくる可能性が高いでしょう。

 

「自分は外で厳しい労働をしてきたのに、あの人は掃除をしているだけだ」

反対に、

「自分は、いつも家をきれいにしているのに、あの人の労働時間は短い」

と考える人もいるかもしれません。

 

また、村などの小さな共同体において、同じ労働をしている者同士でも、

「あの人よりも、私の方が多くの物を作っているのだから、分け前が同じでは納得いかない」となるはずです。

 

「自分は、他人よりも多くを得たい」と考えることは、人間であれば通常の感覚かと思います。

そのような人たちが、新たに集団を作ったり、より高度なことを考え出したりすれば、集団間、もしくは個人間で、得られるものにも差が生じてきます。

 

社会主義であっても、一見平等に見えて、支配層には絶大なる権限や富が集中したりするものです。

 

もともと平等でスタートしても、または平等でもよいはずだと考える人が一定数いても、

結果的には何かしらの競争が発生し、差がついていくのが自然の流れなのでしょう。

 

競争があるからこそ、生産性も上がり、成長もしやすいというのは、既に証明されていることかと思います。

今の社会を考えれば、強者の理論で動く社会の仕組みになっていることがよくわかります。

手放しの称賛は正しいのか

強者の理論で動く社会である前提で考えれば、強者が称賛されることはあっても、弱者が称賛されることはほぼありません。

競争に勝利できるような商品、仕組み、サービスを生み出すこと、そして実際に勝利すること、成長をもたらすこと、

すなわち強者になることで称賛されるようになっています。

ですから、平等や低成長をよしとするような考え方が、広く受け入れられるようなことはありません。

 

成長至上主義や、行き過ぎた利益獲得競争などに対して違和感を覚えている人も多いですが、

知らず識らずのうちに、手放しの称賛を強者に送っているということもあるかもしれません。

 

このような背景を考えると、すでに固定観念として、私たちの中に強くあるのが強者の理論なのです。

気づかないうちに、これを当たり前のこととして判断していることが多いということです。

 

違和感を覚えつつも、強者の正しさを認め、ときに称賛を送る現状について、よくよく考えてみると少し不思議な感覚にならないでしょうか。

自己責任論と弱者の保護のバランス

先程のたとえ話でもありましたが、基本的には努力した分はしっかり認められたいと誰もが思っています。

つまり、自分よりも努力が不足している他者が、自分よりも受け取りが少なかったとしても、それは自分の努力の結果であって、正当な評価の結果であると思うはずです。

この考え方が、間違っているわけではないでしょう。

一方、それが加熱すると、自己責任論が強化されていくことも事実です。

 

現在では、明らかに個人の努力の範疇を超えて、どうにもならないことがあります。

毎日当たり前に、世界中から集められた様々な美味しいコーヒーを私たちは楽しんでいます。

日常生活から、コーヒーがなくなれば困る人は少なくないでしょう。

 

こうしてみると、コーヒーを作っている人たちは、現時点でも大きな貢献をしていると言えます。

つまり、ある程度の還元があってしかるべきですし、それだけの貢献(働き)をしているわけです。

しかし、実際にはコーヒー作りに駆り出されている労働者の多くは、美味しい食事の後や、おやつタイムに、コーヒーを楽しむという生活をすることができません。

少なくとも、分配に偏りがあると言わざるを得ない状況です。

 

敢えて、ここでこのように紹介しなくても、多くの人が知っている事実でしょう。

しかし、そこに多少の違和感を覚えつつも、自分が安くコーヒーを楽しめる現状を変えたいとは、なかなか思えないものです。

自己責任論と弱者保護のバランスを取ることが、いかに難しいことであるかがわかります。

過度な自己責任論を快く思っていない人もまた、さらなる弱者の上に生活が成り立っています。

正しさに対する問を考える必要性

強者の理論で動く社会の現状を述べてきましたが、大切なことは、正しさについて、自分なりに考えることです。

これを考えないと、世の中で発生しているアンバランスに気づきにくくなります。

多くの人が気づき、考え方を変えるからこそ、世界は変わることができます。

一昔前には、サステナブルや環境配慮を念頭に商品を選ぶなど、考えられなかったでしょう。

環境に対する正しさ(認識)が、変わっていったからこそ、今多くの消費者が環境保護を意識するようになっています。

結局、自分はどう生きるのか。

どう正しく生きていくのか。

これを考える際に、強者の理論で動く社会でどう考え生きていくかを考えることは、一つの有効な手段ではないでしょうか。

 

以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

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