動じない人は何が違うのか?
こんにちは!Jimmyです。
複雑な社会に生きている私たちですから、思いもよらないことによく遭遇します。
関わる人も一定ではなく、時には思わぬ攻撃を受けることもあります。
なおかつ、経済状況もよくない昨今です。
端的に言って、心が不安定になり、疲れることも多いでしょう。
そういう世の中だからこそ、心が強い人、動じない人になりたいと望む人も多いはずです。
今回は、動じない人から学ぶ考え方というテーマです。
心は強くはならない?
心が強いという言葉は非常に抽象的です。
確かに、何事にも動じない、心が強いと言われる人を想像すれば、数人の該当者を思い浮かべることはできます。
しかし、その人たちの心そのものや、鍛えている姿を見ることはできません。
肉体のように、筋力トレーニングで効果を確認することはできません。
頭脳のように、算数のドリルを何度もやって、計算力の向上を確認することもできません。
そもそも、心がどこにあるのかも、よくわかっていません。
中村天風さんは、心で受け止めていると、ダメージが大きすぎるから、腹で受け止めようということを仰っていました。
心を鍛えるというよりは、どのように受け止めることができるかが重要であると考えたほうがよさそうです。
いかに捉えるかで全く違う世界になる
辛い経験をした人ほど動じない強い心を持っている理由
心がどこにあるのか、どのように鍛えるのかは明確にできませんが、心が強いと言われる人にはある傾向があります。
それは、辛い経験、大きな困難を経験してきた人ほど、少しのことでは動じないという傾向です。
経験したどん底の状態に比べれば、大抵のことは大したことがないと思えるということです。
どん底を経験することで、これまでには気づかなかったことに感謝や幸福感を見出すということもあるでしょう。
つまり、発生したことに対して、捉え方が変わったということです。
多くの人が、怯んでしまう、大きなダメージを受けてしまいそうなことでも、余裕を持って受け止めることができる、
むしろ、そんな状況にも感謝ができるという人は、起きたことに対する捉え方が秀逸なのです。
心を強くするために鍛えるという考えよりも、どのように物事を捉えるかに注力するべきでしょう。
捉え方に限界はないことを知る
どのように捉えることができるか次第。
そう言われれば、たしかにその通りであると考える人は少くないはずです。
コップにある半分の水を見て、「半分しかない」と思うか「半分もある」と思うか。
どっちにも捉えることができそうですが、これにより、心持ちは大きく変わります。
失敗をしてしまっても、それは単なるミスではない。
辛いけれど、成長のために必要なプロセスと考えるべき。
このような考え方はよく浸透しています。
一方、多くの人の捉え方の選択範囲は、大変狭いと言わざるを得ません。
心が強い人、動じない人は、一見プラスには捉えられないような状況においても、プラスの捉え方ができます。
私が驚いたのは、病気になったことに対して、「おめでとう」とする捉え方です。
多くの人の常識で考えれば、病気になれば、悲しみや不安、場合によっては絶望的な気持になるのが普通でしょう。
おめでとうなどと言えば、不謹慎であると思われそうです。
病気が見つかったことに対して、例えば軽い症状であれば、早めに見つかってよかったという捉え方はできるかもしれません。
それでも、おめでとうと言う発想はなかなか出てきません。
「おめでとう」の真意はこういうことです。
病気になったということは、生活において何かしらの不自然さ、間違いがあったということです。
つまり、病気という形で、生活(行い、考え方)の正すべきことを、天(あるいは自然が)がわざわざ教えてくれている。
ありがたい知らせとして喜んで受け入れて、間違ったことを直す”チャンス”とする。
病気を利用して、もっとよい生活の仕方、あるいは心の状態を身につけられるという結論になります。
このような考え方をもって、ガンなどの病に対しても、前向きに、明るく対応し、乗り越えられた方もいらっしゃいます。
捉え方には限界はないことを思い知らされます。
自分で常識を勝手に作り、その中で考えていれば捉え方は広がらず、動じない人には近づけません。
自分のこれまでの経験から作られてきた常識、捉え方の枠が全てではない点、ぜひ認識しておきたいものです。
どのような苦難にも、プラスに捉えられる余地は必ずあるという考え方が有効です。
防衛本能があるから放っておけばマイナスのまま
プラスに捉えることがなかなかできないのは、人間には防衛本能があるためだと考えられます。
危険を察知し、回避することで生命の安全を確保するという無意識の機能は、当然にして人に備わっています。
そのため、何か予期せぬ出来事が起これば、防衛のために、マイナスの捉え方をするようになっているのでしょう。
つまり、特段意識しなければ、思わぬ出来後が起きたときに、プラスに捉えることはできないということです。
コーチングなどで人と話していると、よく遭遇する場面があります。
自身を、病気や症例に当てはめようとする行為です。
ネットなどで、わざわざ熱心に調べて、自分の心身の状態に当てはまる、何かしらの病名や症例を探すというものです。
「自分は心の病気ではないか、〇〇症というものがあって自分はこれだと思う・・」
と調べた結果を教えてくれる方は実は少くないのです。
病名や症例に当てはめることで、自分以外に原因を探し、自分のせいではないと正当化する意識を垣間見ることができます。
これも、自分を守ろうとする意識の一つです。
病気ではなく、たとえばHSPのような、「とてもセンシティブな人」を表す言葉が注目されたことがありました。
HSPの話を出すと、物事の捉え方がマイナスの状態にある人は、ほぼ例外なく「まさに自分のことだ!」とうなずきます。
このように、自分を守る意識のために、わざわざマイナスの捉え方に引きずられてしまう傾向にあります。
最後に
いかなる時も、積極的な心の状態を保つべきと、古今東西多くの偉人が言っています。
事実、幸福感を持って生きている人、大きな成功を収めている人はそのような方ばかりです。
実際には、いかなるときもプラスの状態でいることは大変難しいとは思います。
それでも、都度困難のたびに、捉え方は無限にあり、プラスの心持ちでいるべきだと強く自分に働きかけるべきでしょう。
肝がすわっている動じない人とは、そのような捉え方を、日常的に訓練し積み上げている人なのです。
仕事や生活の中で起きる大変な苦労であっても、プラスの捉え方をしている人は確実にいます。
普段からの、捉え方の習慣が大切です。
以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。
こちらもおすすめ