日本人が人と比べる理由
こんにちは!Jimmyです。
何をするにも、他人と比べてしまう日本人は大変多いと言えます。
他人と比べて、同じようなことをしていれば安心、劣っていなければ嬉しいという判断を、多くの人が毎日のようにしています。
さらに、ある他人が、多くの人と比べて常識外れと思われる言動をした際には、必要以上に攻撃的になる傾向があります。
これには、日本の歴史上、地形上の理由があります。
他人と比べてしまうことは、偶然形成された日本人の特徴ではなく、その必要性があったのです。
一方、現在では、昔の村社会とは異なり、多様化が進んでいます。
背景や前提が変わっているにも関わらず、人と比べる性質だけが残ってしまい、他人と比べて、悩み、時に理不尽な感情に苛まれています。
他者の言動や状況に過敏に反応し、出る杭は打ち、時に非常に批判的、攻撃的になります。
そこで今回は、他人と比べてしまう癖を克服する方法について紹介していきます。
まずは、他人と比べてしまう理由と、比べることでもたらされる感情について記載し、
その後、他人と比べる癖を克服する考え方について書いていきます。
侵略された経験のない稀有な国
ご存知の通り、日本は島国であり、歴史的にも、過去に他の民族、国家から侵略されたことはありません。
日本人の95%は古来の大和民族です。
当然、日本の中でも、民族の問題という視点は忘れてはいけませんが、ここでは、欧米列強や古くは中国のような大国から侵略されたことはないという意味で説明しています。
そして、外国人との関わりも比較的少ない期間が長く、今でも日本で生活をする外国人の割合は2%ほどと相対的に低い状況です。
欧米諸国などは、多くの民族が共存している上に、外国人の割合も日本よりも高い状況にあります。
日本は、昔から今に至るまで、周りには同じ民族、同じ背景を持った人ばかりだったという稀有な特徴があります。
由来は農耕民族の村社会
さらに、日本が伝統的に農耕民族であったことから、集団生活を古くから密に営んでいたことも関係しています。
村社会を作り、協力して生活を営んでいく必要があったため、村社会から追い出されることは、生きていけないことを意味します。
追い出されないため、他人と歩調を合わせ、協働するということ、周りを見ながら自分の立ち位置を決めるということが不可欠な状況だったのです。
村社会という基盤が、生きていく上で必要であり、多くの人がルールを守り、同じような感覚を共有しました。
その後、外国、他民族からの侵略を受けることもなかったため、そういった日本人の特徴は、延々と引き継がれることになりました。
現在では、日本という明確な国家が存在し、どこの地方に行っても、同じような見た目の日本人が暮らしています。
昔の村社会という小さなくくりは、今でも村、町、市レベルで残っていますが、日本全体としての大きな村、集団とする感覚も私たちには既に当たり前のように備わっています。
実際に、「日本人なら」という感覚で、多くの人がどこの地方に行っても共通の背景や考え方を持っていると考える場合がほとんどです。
はっきりとした「ウチ」と「ソト」の区別
そのような理由から、日本という大きな村社会が出来上がっているのです。
村社会の中にあっては、村人は同じルールを守り、協調的である必要があります。
異質な者は、批判され、村人としてあるべき姿になることを求められ、それができなければ村から排除しようとするのが原則です。
日本人は、概ね同じ背景を持った村社会の村人です。
ですから、日本人は、日本人同士、他人と比べて自分がどうなのかを非常に気にします。
会社、自治体などの集団においては、異質な存在を大変嫌います。
組織に止まらず、最近では毎日のように、芸能人、有名人の個人的なスキャンダルや不祥事に対して、過剰なくらい激しいバッシングを浴びせている光景を目にします。
もちろん、広い意味では国民の生活に影響するような、例えば税金絡みの不祥事については、ある程度批判を受けるのは致し方ないとは思いますが、それにしても連日ニュースのトップにくるような話ではありません。
ましてや不倫騒動や薬物疑惑、さらには犯罪でもない私生活における発言に対してSNSが炎上することについては、叩きすぎなくらい叩かれていると感じます。
一方、外国の人に対してはどうでしょうか。
日本から離れた、村のソトの存在です。
村人ではない人に対しては、日本人はそこまで比べることはありません。
そのため攻撃性もあまり見られません。
海外の有名人の不倫ニュースを聞いてもそこまで批判的に騒がれることはありません。
海外の大富豪が庶民を馬鹿にするような発言をしたところで、日本人の多くは叩く気にすらならないのではないでしょうか。
それは、「村のソト」の人だからです。
違って当たり前、比べる対象にはならないので、怒りや妬みもそれほど湧いてきません。
逆に言えば、日本人は、日本人(村のウチの人)であるというだけで、基本的にはいつも、比較と批判の対象にされているということです。
他人と比べることで出てくる感情とは?
優越感と安心感
人と比べることが多い日本人の背景を書いてきました。
村社会に生きる上で、人と比べることは必要だったという話をしましたが、人と比べることで出てくる感情は、今も昔もさらに有史以前も人間が持つ感情はさほど変わらないと思われます。
まず、人と比べて優越感や安心感を得るということが挙げられます。
「Aさんよりも成績がよかった」、
「Bさんよりは自分の方がモテる」、
「Cさんよりも被害は少なかった」など、他人と比べて自分が優位にあることを確認するのです。
これも、やはり村のソトの人よりも、より村のウチに近い人と比べる傾向があります。
自信喪失、羨望、妬み、そして怒り
他人と比べて自分が何か足りなかったり、劣っている、恵まれていないと感じたりすれば、自信がなくなり悩むこともあります。
それを糧に、自分を見つめ直して、精進すればよい結果につながるかもしれませんが、
羨ましいという感情が、妬み、やがて理不尽な怒りに発展してしまうことも少なくありません。
怒りに発展すれば、非常に攻撃的になります。
同じ村の日本人のはずなのに、自分よりも優れていたり、恵まれていたりすることが許せなくなるのです。
実際に攻撃はしなくても、妬みや怒りの感情はマイナスの感情として心に作用するので、思わぬところで、他者に対して不寛容になったりするものです。
平均と比べるのが大好きな日本人
日本人は、本当に「平均」が大好きです。
平均と比べて自分はどの位置にあるのかを大変気にします。
平均年収、一日の労働時間、勉強時間、習い事にかける費用、食費などなど、どんなときも平均の数値を持った架空の人物と比べています。
生活が楽とは感じていなくても、平均年収を超えていればそれが慰めになります。
忙しい中、時間を有効活用して、懸命に資格などの勉強をしている人でも、平均勉強時間に達していないと不安になったり、努力が足りないと思ってしまいがちです。
「自分がどうありたいかの前に、他の日本人と比べてどのような位置にいたいか」が先に立つのが日本人の特徴です。
周りの状況や考えに左右されやすく、自分の確固たる目標や考えを持てない人がいるのも事実です。
他人叩きがエスカレート
昔の村社会とは異なり、今の日本国家という社会では、相手との関わりが無いか、薄い場合がほとんどです。
ネット上では、お互い誰なのかを知らずに繋がることができます。
日常生活においても、関わる人は、もう二度と会わない、お店とお客の関係だけであったり、
2、3年もすれば、異動して関わりがなくなる同じ会社の社員同士だったりするわけです。
古くからの村社会は、生きていく上で必要な多くのことを、毎日接する村人との関わりの中で実現してきましたが、今ではそんなことはまずありません。
そのため、無責任に、お互い批判しやすい、攻撃しやすい状況になったと考えられます。
昔の村社会であれば、感情に任せて他人を攻撃すれば、後でその人と協働していくときにやりづらくなります。
また、自分が何か間違えをしてしまった時は、同じように批判されるでしょう。
さらに、最近ではメディアが煽ることで、より一層他人叩きがエスカレートしている状態にあると言えます。
自分と比べて優れている人、恵まれている人に、スキャンダルや不祥事が発生したときには、寄ってたかって叩くのが今の日本人社会です。
他人と比べてしまう癖を克服する方法
もはや村文化は無い!日本人も外国人も同様に「違う人間」
これまで書いてきたように、日本の昔からある村社会の感覚は今も残り、日本人が他人と比べることが多い状況を作っています。
一方で、今は良くも悪くも、生きていく上で、村社会のような集団の必要性は少なくなっています。
地域密着社会の役割や、重要性を否定するのではありません。
それどころか、これからの時代、もっと重要になってくるとさえ思っています。
しかし、「同じ村社会の同じような人間」という感覚は、もはや持つべきではありません。
そもそも、村社会のような狭い集団と異なり、多種多様な考え方や生き方が広まり、見た目は同じようでも、育ってきた環境や背景、価値観も人それぞれなのが当たり前の時代です。
帰国子女のように外国の教育を受けた人もいれば、プロスポーツ選手になるための英才教育を受けてきた人もいます。
公務員になりたい人もいれば、資本家になりたい人も、社会起業を目指す人もいます。
つまり、全く同じではないのです。
比べる意味を考えればわかりやすくなります。
先ほど例に出したように、外国人のスキャンダルや、横暴と思える発言を聞いて、心底怒り、ネットで誹謗中傷をするような人は少ないはずです。
考え方や価値観は違って当たり前だと誰もがわかっていますし、考えを押し付けることも不可能だとわかっています。
だから、批判、攻撃などする気も起こらず、ただ、そういう人がいるのだという認識になります。
そういう人とトラブルになったとしても、全てこちら側の道理に基づいて動かすことはできないと最初から認識した上で、お互い落とし所を探すでしょう。
違うことを前提にしているため、必要以上に感情的にならず、冷静に対応できることが少なくありません。
そうだとすれば、
似たような見た目をしている日本人ですが、違う人間であり、
育った環境(村文化)も価値観も全く違うと考えてみるべきではないでしょうか。
人生の目標や価値観が違えば、比べる意味も、それほど重要ではありません。
必要以上に他人と比べて、自分の現状を嘆いたり、また腹を立てたりすることも少なくなるはずです。
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情けは人の為ならず、巡り巡って返ってくる
他人と比べて、マイナスの感情を持ってしまい、批判的、攻撃的になることが多い場合に持つべき考え方です。
自分のしたことは循環するという法則に着目します。
他人と比べるということは他人の言動に関心を持つということです。
関心を持って他人の言動を見聞きしていれば、賛同しかねる言動も少なくないでしょう。
そんなときに、今はSNSなどのツールが発達しており、安易に他人叩きができるようになっています。
一方、良いことをしても、悪いことをしても、巡り巡って最終的に自分に返ってくるという一つの摂理があります。
短期間で見れば、悪いことをして得をしているような人でも、長期間で見れば、必ずその報いがあると多くの偉人が証言しています。
ネットで人を叩き、芸能人を叩き、お客様という立場を利用してお店の人に怒鳴り散らし、仕事の責任を他の部署に押し付ける人たちが多かった結果、今の日本の息苦しい社会が完成しています。
自分が仕事でサービスする側に立ったときに、少しのことでクレーム、罵詈雑言を浴びせられたり責任問題にされたりと、息苦しい社会だと感じたことはありませんか。
他人との比較で一喜一憂するよりも、目指すべき自分像を明確に持ち、良い思いが巡り巡って自分に返ってくる好循環を生み出せるよう努力した方が建設的と言えます。
心がけ次第で、物の見え方は随分変わります。
まとめ
今回は、人と比べてしまうという日本人に多い特徴について考え、克服する方法を紹介しました。
他人と自分を比べることで、自分に不足していることに気づいたり、励みになったりするプラスの効果があることも事実ですが、マイナスの感情に苛まれることも大変多いのが事実です。
一人では生きていけない、村社会という小さな同族意識が拡大していった結果、今の日本があります。
日本を一つの村社会のようにとらえているということです。
村のウチの人に対しては、比較の対象となり、さらに、批判や攻撃の対象にもなり得るのです。
現代は情報も価値観も多様化しています。
もはや、同じ背景、村の掟や常識で育った人の方が珍しい社会です。
そうであれば、「違う」人間であるという意識をもっと強く持ったほうが何かと無理はありません。
少なくとも、その意識が欠如しているために、人と少し違ったことをしている人に対して批判的、攻撃的になるのではないかと思います。
遠い外国の有名人の不倫騒動やスキャンダルに心底怒る人は少ないはずです。
感覚も考え方も違うことを受け入れているからです。
✅もはや日本は「村」社会ではない。見た目は同じでも価値観の軸や生きてきた背景は全く違う!外国人にそれほどムキになりますか?
✅情けは人のためならず。批判、攻撃していると、巡り巡って自分に返ってくる。息苦しい今の社会は他人を攻撃した人が多い結果。
人と比べることで悩んでいる、よくない感情を持ってしまうと思う人は、上記の考え方を是非参考にしてみてください。
以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。
他人に批判的になってしまう人が持つべき考え方について、以下の記事も参考にしてみてください。
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