言いたいことが言えない人へ送る考え方【自分ができなくても言ってよし!】

こんにちは!Jimmyです。

日本では特に、自分の言いたいことが言えない、思ったことを主張しにくい環境が広がっています。

職場であれば、次のようなことを一度は言ったか、言われたことがあるでしょう。

(相手が上司であれば、心の中で思ったこともあるかもしれません。)

 

「生意気な、分をわきまえろ」

「一人前にできるようになってから言え」

「お前が言うな!」

 

つまり、自分が十分にできないようなことは言うべきではない!という価値観です。

 

しかし、このことを気にしていれば、発言するということのハードルが高くなるに決まっています。

十分という基準も曖昧です。

言った人が損をするような印象すら持っている人もいるかもしれません。

 

言いたいことが言えない状況が続くと、言わなくてよい、考えなくてよいという方向に向かいやすくなります。

これは避けたい状況です。

 

今回は、もっと堂々と言いたいことを言えばよいという趣旨の話です。

自分ができないことを言わないという考え方は、当然一部には当てはまります。

しかし、原則はむしろ、「できなくても言えばよい」のです。

その理由と考え方を解説します。

自分はできなくても言ってよい理由

言いたいことが言えない

そもそも、自分のできないことは発言しない方がよいのでしょうか?

全く、そのようなことはありません、むしろ必要です。

後半に説明しますが、一部注意しなければならない状況があるだけで、基本的には何を発言してもよいのです。

計測したわけではないですが、世界中でなされる意見や提言のほとんどは、自分ではできない人によるものです。

 

それで世界は回っています。

 

以下の例で、そのことを再認識し、自分ができないことであっても、堂々と意見する、主張すればよいという思いを持っていただきたいと思います。

 

教授も教師も社長も私たちも!

考えてみれば、世の中は分業体制であるため、できないことに言及することなどは当たり前です。

大学教授

商学部、経済学部系の大学教授は、日々の研究から経営理論を組み立て、

時には企業に対してアドバイスをしたり、経営のための本を執筆したりしています。

 

説得力のある分析だからこそ、経営者も耳を傾けるのでしょう。

では、その大学教授が実際に経営したらどうなるかというと、まずうまくいかないでしょう。

おそらく大多数の人が、大学教授に経営ができるとは思っていません。

 

つまり、経営はできない(経験がない)のに、経営手法に対してあれこれ言っているのです。

ただ、事実として、その意見は時に重宝され、必要とされています。

 

学校の先生

子供相手だからでしょうか。

学校の先生も、高邁な理想論も含めて、とても自分ではできないだろうと思えることまで堂々と子供に言っています。

 

「自分の正義を曲げるな!周りがいじめをしていたから自分も加担したなど最低の行為だ!」

 

その通りだと思います。

しかし、その数分後の職員会議で、校長先生に反対意見を言えずに「おっしゃる通りであります!」

と揉み手でくねくねしている先生もきっといることでしょう。

 

それでも、子供に対して、自分の正義を曲げないことを伝えるのは必要であり、教師の大切な役割かと思います。

 

経営者

社長(経営者)は、会社の意思決定の最終責任者です。

当然、意思決定はあらゆる分野に及びますが、一人の人間が全てを熟知しているはずはありません。

それでも社長は、自分より知っている各部門の担当者に対して耳を傾けるばかりでなく、意見も言えば指示も出します。

これを不思議に思う人はいないでしょう。

 

日常生活

さらに考えれば、私たちは日常、ニュースなどを見ながら、あれこれ批評を繰り広げています。

政治的手腕や専門家ほどの知識、経験はありません。

それでも、

「あの政治家は不適格だ、この問題はこうするべきだ」

などと政治批判をするものです。

 

これも、自分には到底できないことを言っているのですが、

民主主義社会では、このように政治に関心を寄せ、批判的な視点で見て考えることは必要なことです。

 

およそサービス精神のなさそうな消費者が、

「この店は無愛想だ、サービスというものが全くわかっとらん!」

と怒っています。

 

それでも店側は通常、そのような意見でも改善のための意見として受け入れます。

自分のことは棚に上げて、繰り出された一見面倒なクレームの中に、改善のヒントが詰まっているというのはよくあることです。

 


教授、先生、社長、日常の私たちと、様々な例を示しましたが、

こうしてみると、できないことでも言うのが当たり前であること、

むしろ、言いたいことが言えない環境の方が、社会として機能しにくいのではないかということがわかると思います。

 

なぜ言いたいことが言えない社会なのか?

では、なぜ私たちの職場や社会では、言いたいことが言えない、少なくとも自分のできないことは言わないという雰囲気になっているのでしょうか。

端的に言えば、組織に抑圧されているだけです。

 

例えば、分をわきまえる、身の程を知るという概念。

古典や偉人の言葉などでもたびたび出てきます。

自分のやるべきことを全うすること、そのために自分の使命を知ること。

(封建社会では、身分に応じた役割についても論じられることがありましたが、今は身分などないですね)

 

このような趣旨で使われてきた言葉が、現代組織では「意見するな!」という意味で使われています。

つまり、都合のよいように使われているだけで、教訓的な説得力を伴うものではありません。

 

組織の統制にとって便利であるため、そういう空気(もしくは文化)を作り上げているのです。

だから、職場のような上下関係が強く出る環境では、特にこの傾向が強いと言えます。

 

普段、民主主義国家の一国民として、市場経済における一消費者として、一人の魂を持った人間として、言いたいことを言えるはずなのに、特定の環境になると、自分にできないことは言ってはダメとなる。

このようなおかしな状況になっているのです。

完璧でなくても、自分ができなくても言えばいい!

言いたいことが言えない

皆言いたいことを言っていればそれが普通になる

言い方には気をつける必要がありますが(次の項で書きますが)、

基本的にはよいと思ったことは、どんどん言っていくべきでしょう。

 

  • 自分が大事だと思ったやり方を提言すること。
  • 改善するべきことと改善策を提案すること。
  • こうするべき、やめるべきだという意見を発信すること。

 

統制目的、もしくは上下関係を知らしめる目的で、自分にできないことは言うなという雰囲気になっている環境下こそ、意識的に言うべきです。

そういう人が増えれば、「自分も言っていいかも」と思えるものです。

 

自由に発言する光景が多くなれば、そのうち誰もおかしいとは思わなくなります。

 

先ほど示したように、大学教授の企業経営に関するアドバイスを、多くの経営者や世間が受け入れているのと本質的には何も変わりません。

当たり前になり、疑問にも思わなくなるでしょう。

 

まだできていない、不完全だからこそ言おう

それぞれの立場で、意見や見解を言い合うことは、議論を活発化させる重要な要素です。

多様性のある集団で議論した方が画期的なアイデアが生まれやすいというのは、すでに知られるところとなっています。

各人の置かれている状況が違うからこそ、気づくこともあります。

 

既存のルール、やり方でミスを減らそうとした場合、

今まで、ミスをしなかった人だけで話し合うより、ミスをした人の意見を参考にすることも必要でしょう。

 

意見するなら、今のやり方で、ミスなくできるようになってから言えというのは、抑圧でしかありません。

 

何を当たり前のことを言っているのかと思われるかもしれませんが、同じような事例は組織ではよく見られます。

 

どうしたら組織として営業成績が上がるのかを考えるときなどは、現状のよくない点を、目標未達者が発言すると、

「偉そうに、口ばっかり達者で」などと言われるものです。

 

そういう考え方をする人は、組織には必ずいます。

議論する目的に照らして、いかに意味がない考え方であるかを強く認識しておくべきでしょう。

そして、堂々と言えばよいのです。

当たり前ながら注意するべき2つの態度

言いたいことが言えない

自分ができないことを話すときは、言い方(態度)には最低限注意する必要があります。

当たり前のことを書きますが、これを気をつけないと、相手を不快にさせたり、拒否反応を誘発したりと、よいことはありません。

逆に言えば、この当たり前のことができていないケースが多い結果、自分ができないことは言うべきではないという空気が強くなったとも考えられます。

 

他人への押し付けと批判

当然のように押し付けたり、強く批判したりすることは避けるべきでしょう。

自分も完璧にはできないものの、言うべきだと思うことがあるでしょう。

 

このようなときは、態度と言い方は、フラットでのぞむことです。

これさえ心がければ、大きな問題にはならないはずです。

 

特に注意すべきは、後輩や、部下に対して言う時でしょう。

表立って、不快な感情を表せない分、心の中で、反抗心や嫌悪感を増幅させることにもなりかねません。

 

何かを求めたり、アドバイスを送るときなどは、

「自分もできていないのだけど」

素直に言った上でフラットな態度で話せば、相手もそれほど嫌な気持ちにはならないものです。

 

ただ、この一言がなかったり、態度が高圧的であったりするだけで「お前に言われたくないよ」と人は思うものです。

 

上司や先輩に対して、自分のできないことを強気で主張する日本人は少ないとは思いますが、

堂々と主張することと、偉そうに言うことを混同しないように注意するべきでしょう。

 

あと、少し脱線しますが、知らない人に意見、あるいは注意する場合も、態度はフラットが望ましいでしょう。

知らない相手ということは、言われる筋合もないと考える人が多いものです。

それだけで、偉そうだ、偽善者だと余計に怒りを買うことになりやすいのです。

 

正しいことをするのは大事ですが、押し付けるような形にしないことも大事です。

若い頃、知らないおじさんに頭ごなしに注意された経験はありませんか?

 

どんなに相手が正しくても、大きな抵抗感を覚えるものです。

 

不用意な発言(差別や見下しと誤認されるような)

言いたいこと、言うべきことを堂々と言うのが基本ですが、不用意な発言には注意が必要です。

 

聞き手によっては、差別や偏見、見下されたと思う人もいます。

これは、何度も堂々と主張していく実践の中で、言葉の選び方や、さじ加減を覚えていくことが最短で最良の方法だと思います。

 

目の上のタンコブも少なくなり、注意する人もいなくなったようなベテラン政治家が、自由奔放に話して失言することがよくあります。

これは、若いときに、数え切れないほど言葉を飲み込んできたから、何を発言すべきかを選択する能力が低いままなのだと、私は勝手に想像しています。

 

堂々と主張する訓練を繰り返しながら、人の反応や気持ちを考えることも繰り返すことで、主張も話し方も上手になっていくのではないでしょうか。

まとめ

言いたいことが言えない、思ったことが言えない。

その背景には、「自分のできないことは言うな」という空気が蔓延していること、

そして分をわきまえる、身の程を知るという言葉の都合のよい解釈が少なからずあります。

 

言い方には気をつける必要がありますが、

言いたいことが言えない世の中は、よいことは何もありません。

ストレスも溜まりますし、気づきの機会も減ります。

 

本来、言いたいこと、思ったことは、自分のできるできないに関わらず言うべきですし、

様々な立場の人が発言するからこそ、議論も活発化するものです。

最低限の注意事項を守った上で、堂々と言いたいことを主張することを意識するべきです。

 

以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

仕事への向き合い方や、考え方について、他にも記事を書いていますので、こちらも参考にしてみてください。

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