なぜ今の大相撲は日本人横綱が誕生しにくいのか

昔と今の横綱

こんにちは!相撲ファンJimmyです。

 

大相撲における横綱という地位は別格です。

横綱には、他のスポーツとは一線を画した独特の重みがあります。

 

最近数年の事例では、稀勢の里が横綱の地位につきましたが、怪我の影響が大きく、すぐに引退してしまいました。

長年、横綱の地位にいるのはいつも外国人力士という状況が続いています。

なぜ、日本の伝統である相撲に、日本人横綱がここまで誕生しにくい状況になっているのか今回考えてみたいと思います。

 

ハングリー精神の不足

よく言われるのが、ハングリー精神の欠如です。

日本は、戦後復興から高度経済成長を経て大変豊かな国になりました。

大相撲で活躍している日本人力士の中でも、食べるのに苦労して大相撲の道を志したという力士は今ではほぼいないと思います。

 

活躍している日本人力士は、学生横綱を中心とした相撲エリートが多く、闘争心に欠けているという指摘は、近年の成績を見ると否定できません。

 

昔の力士はハングリー精神に溢れていたというのは疑いようがありません。

戦後間もない時代に入門して、横綱にまで駆け上がった力士たちの入門経緯をみてみるとそれがよくわかります。

 

45代横綱 初代若乃花(昭和21年入門)

昭和21年に入門した、初代若乃花。

稽古の鬼としても有名で、当時でも決して大きくない105キロという体重で横綱まで上りつめた人気力士です。

 

10人兄弟の長男で、戦後間もない貧しい暮らしの中、家族に楽をさせてあげたいという思いで、家族の反対を押し切り入門を決意します。

 

3年で関取(つまり給料をもらえる地位に上がる)になるという約束をして必死に努力した人です。

稽古の量は相当なもので、若乃花につかまると、あまりにも稽古が長く、ボロボロになるまでしごかれるので、横綱になってからは、若乃花を怖がって誰も稽古をつけてもらいたがらなかったというエピソードがあります。

 

48代横綱 大鵬(昭和31年入門)

「巨人、大鵬、卵焼き」

昭和30年代、子供の好きなものの象徴として挙げられていた言葉です。

白鵬が抜くまでは不滅の大記録と言われていた、幕内優勝32回の記録を持つ大横綱です。

 

戦争中に生まれた大鵬は、出生地はロシア領サハリンです。

命からがら5歳の時に日本(北海道)に帰ってきました。

 

戦後で貧しい時代、女手一つで3人兄弟を育ててくれた母親に楽をさせてあげたいという思いはいつも持っていたと、大鵬自身が語っています。

 

モンゴル人力士

昭和(戦後期)の大横綱2名の例をみても、ハングリー精神に満ちていたということは間違いなさそうです。

 

先述の稽古の鬼、初代若乃花が、後輩の日本人力士を見て、稽古をしなくなった、ハングリー精神がなくなったと嘆く一方で、昔の自分によく似ていると言ったのが、朝青龍です。

 

目をギラギラさせて、何としてでも強くなりたいという思いに満ちている力士だというのです。

朝青龍の相撲を見て、怖いほどの気迫と勝利への執念を感じたことのある人も少なくないと思います。

ちょうど、稽古相手がいなくて、自分から探しに行って、下の力士たちに怖がられるという状況はよく似ています。

 

モンゴルが社会主義の終焉を迎えたのが1992年のことです。

豊かではない生活の中で、ハングリー精神を持った少年時代を送った人たちが次々と日本の相撲界にやってきては、上位に駆け上がっているのも頷けます。

 

モンゴルに限らず、他の外国人力士も、目標を達成せずに祖国には帰れないという並並ならぬ思いでやってきます。

外国人力士の活躍の背景には、こうしたハングリー精神が関係していることは間違いなさそうです。

横綱

横綱の重みと責任は今も変わらない

横綱には、他のスポーツと違った大変な重みがあります。

もともと横綱という地位は、名誉を含ませた称号であり、最高位は大関でした。

横綱という番付が正式に採用されたのは明治42年です。

長い相撲の歴史の中でも比較的最近のことなのです。

 

横綱は、神と同一視されるほどの存在です。(神の依り代)

その地位にいること自体が、大変な重圧であり、それに耐えられる人だけが横綱になることができます。

浮かれるとか、調子に乗るということができない地位なのです。

 

降格がない厳しい地位

横綱に降格という概念はありません。

抜群の力量と品格を兼ね備えた人だけがその地位に座る資格があるとされ、成績を残せなければ引退という道しかありません。

 

全盛期を過ぎて、代打要員として活躍するようなことはありません。

調子が悪いから2軍で調整、ということもありません。

J2などの下部組織で、若い人たちの手本となりつつ現役を続けるという選択肢もありません。

 

四番に座ったら、ずっと四番、エースストライカーになったら、ずっとエースストライカーでなければならないのです。

 

品格も厳しく見られているため、どこに行っても何をするにも、横綱でなければなりません。

怪我をして、何場所も連続で休場すれば、いずれ引退勧告が出されます。

完治するまで休むわけにもいきません。

 

貴乃花、武蔵丸、稀勢の里然り、完治しないまま強行出場して進退をかけるといった横綱はこれまで何人も見てきました。

稀勢の里などは、引退からしばらくして、同部屋の大関高安(当時)と稽古をした際、現役大関相手に勝ち越していました。

怪力武蔵丸も、首の痛みが完治するまでは手に力が入らない状態だったのですが、引退してから握力がどんどん回復していったそうです。

 

横綱の地位を10年守り続けた力士は、戦後では、大鵬、北の湖、千代の富士、そして白鵬だけです。

 

横綱になったその日から引退のことを考える

横綱に昇進してすぐに、師匠から引退のことを聞かされるというエピソードがあります。

先述した通り、横綱に降格はなく、勝てなくなったら辞めなければなりません。

横綱という地位を汚してはならないのです。

 

そのため、去り際、やめ時は非常に重要ということです。

千代の富士も、横綱に昇進が決まってすぐに、当時の師匠の北の富士(NHKで辛口解説をしている北の富士勝昭さん)から、「やめるときはスパッと」と忠告されたようです。

 

その北の富士自身も、横綱に昇進してすぐに、当時の師匠から同様に、引き際について忠告され、一気に身が引き締まる思いになったと言います。

 

自分より上がいなくなり、あとは追われるだけの存在となります。

後から出てくる、勢いのある若い力士たちは、相当な脅威となるはずです。

 

北の富士が、輪島、北の湖に脅威を感じ、北の湖も千代の富士に、そして千代の富士も貴乃花に、というように、新しい力が出てくればそれが脅威となり、常に追われる状態であり続けるのです。

 

外国人横綱が受け継ぐ横綱の重みと責任

引き際の大切さ、責任、品格、力量、これらは日本人の美学と精神がよく表れた考え方だと感じます。

横綱の重圧は計り知れません。

 

強心臓と言われていた昭和の名横綱たちでさえ、横綱時代のプレッシャーと戦い続けていました。

あの大鵬ですら、横綱に昇進して浮かれた気持ちには全くなれなかった、いつも引退というものと隣り合わせだったと言っています。

 

そんな大鵬が、相撲道を一言で表現した際、「忍」という言葉を使っていました。

まさに我慢、耐えることの連続という厳しい地位なのだと感じさせられます。

 

一方、他の国から来た力士がこれらを理解して、先ほどから書いてきたような大横綱のように、相撲道に邁進できているのか疑問に感じる人もいると思います。

外国人で初めて横綱になったハワイ出身力士の曙は、横綱がどれだけ責任があるか、言葉では言い表せないと答えています。

特に一人横綱の時期は大変なプレッシャーだったようです。

 

横綱に上がったことで、満足という感情は全くなかったと話しています。

骨折していても、地方巡業で土俵入りを披露し、痛いなどとは言っていられなかったと振り返っています。

 

そして横綱になってからは、色紙に文字を書くときは、本人が知ってか知らずかはわかりませんが、大鵬同様「忍」という字を書くようにしていたそうです。

多少のことで心が揺れ動いていては、横綱は務まらないという思いからこの言葉を選んで書いていたと話しています。

 

外国人力士であれ、横綱という地位の責任と重圧は、身にしみて理解しているように感じます。

育った環境の違いがあり、時に、日本人の目に余るような言動をしてしまうことはありますが、彼らとて、相撲に人生をかけてきた人たちです。

横綱の重みとプレッシャーを感じないはずはありません。

 

品格という言葉で問題視されることはありますが、力量を持つために必要な、ただならぬ思いと精神力、そして覚悟という部分については、昔の横綱と全く変わらない強いものを持っていると言えるのではないかと思います。

横綱

なぜ日本人が活躍できないのか

今まで書いてきた通り、ハングリー精神が無くなったこと、外国人力士の台頭などが、日本人横綱が生まれにくい理由の一因になっています。

 

一方で、本当にそれだけだろうか?という思いもあります。

 

いくら昔の貧しい時代のような、目をギラギラさせたハングリー精神が無くなって、かつ外国人力士が来たからといって、それだけで日本人横綱がこれほど誕生しない(稀勢の里の前の日本人横綱誕生は、66代横綱若乃花で1998年)状況になるだろうかと疑問なのです。

 

むしろ他のスポーツに目を向ければ、近年では経済やスポーツ科学の発展に伴い、世界で活躍する日本人スポーツ選手がこれまで以上に増えているように感じます。

 

就職口としての魅力

よくよく、過去の横綱の相撲入門のきっかけを探してみると、そこにヒントがあるように思います。

現代ではにわかには信じられませんが、驚くべききっかけで、時代を作ってきた横綱たちは相撲部屋に入門していることがわかります。

 

大鵬は、もともと相撲に興味はなかったそうです。

たまたま、親戚のおじさんに連れられて巡業を見に行き、そのまま、おじさんが相撲部屋に預けてきてしまったそうです。

 

私の子供時代のヒーロー旭富士は、相撲部屋から、「東京に遊びに行くついでに、相撲部屋でも見ないか」と誘われ、おじさんと一緒に東京にいったところ、勝手に話が進んでいて、半分騙されたような形で入門することになったと語っています。

東京に遊びに行くだけなのに、故郷青森を出発する時に、家族が泣いている、友達からも声援を送られるのを不思議に思っていたところ、知らないのは自分だけだったという仰天エピソードです。

 

その他の事例を見ていても、昔から力士に憧れていた、目指していたという例はあまりなかったのが印象的です。

単に体が大きいからスカウトが来た、他のスポーツをやっていたら相撲部屋から誘いが来た、

特に興味はなかったけれど、就職を考えても、他にいい就職口は望めないから、相撲でもやってみるかといった具合で相撲部屋に入ったという流れが案外多いのです。

 

つまり、相対的に就職口として悪くなかった、ということなのだと思います。

昔から相撲力士を明確に志していた横綱は、北の湖と若貴兄弟くらいではないかと思います。

 

おじさんに半分騙された大鵬、旭富士然り、特に相撲以外の就職口や働き方に希望を持っていたわけではなさそうです。

 

スカウトされた力士にしても、他に稼げるような就職口の候補があれば、誘いを蹴っていたことでしょう。

今の時代、スポーツであれば、ゴルフに野球、サッカー、テニス、まだまだ少ないですが卓球、バスケットなどプロ選手として活躍できるフィールドは昔以上にあります。

 

そして、相撲のような伝統的な厳しさと独特の世界観も他のスポーツにはありません。

横綱などは、論外と言ってもよいほどの厳しさです。

スポーツではなくとも、就職口は昔ほど厳しくはありません。

就職口としての魅力が、相対的に下がってしまったということは大きな原因です。

 

最後に 日本人横綱を誕生させるためにできること

まずは、相撲人気を高める必要があり、世界に広める必要があります。

 

閉鎖的な傾向が強いですが、一層のこと、外国人力士の制限を撤廃して門戸を広く開くこと、そして、もっと海外にアピールすること。

同時に、選手寿命を考えて公傷制度の復活を検討するなどして、力士が相撲に取り組みやすい環境を整備することも必要です。

 

収入の魅力をもっとアピールしていくことも良いと思います。

メジャーリーガーやゴルフの世界レベルのプレイヤーを除けば、相撲力士の収入は現状でも悪くはありません。

年棒や獲得賞金ランキングのように、わかりやすい制度がないため見えにくいのですが、横綱であれば1億円を突破する人もいます。

 

国内のメジャースポーツでも1億円を超える人は多くありません。野球は例外としても、ゴルフやサッカーで1億円を稼ぐ人は一握りです。

テニスは、錦織選手や大阪選手のようなプレイヤーは何年かに1人の逸材で、多くの選手は他の仕事での収入が必要なくらいです。

 

相撲は、番付別の基本給の他に、懸賞金、優勝各賞の賞金、金星などに応じて支給されるものもあり、非常にわかりにくいのですが、大関、関脇クラスなら、年収にして4000万円ほどはあるのではないかと思います。

さらに人気があればCMなどの出演、懸賞の増加なども見込まれます。

 

力士でCM出演している人は少ないですが、もっと出てきてもよいといつも思います。

これまで、白鵬(住友林業)、遠藤、高見盛(永谷園)、栃東(何のCMかは忘れました、、、)などがCMに出てきました。

力士のイメージからして、相撲人気が復興すれば、強さ、誠実さ、伝統などを推していきたい企業からの引き合いも増えるのではないかと思います。

 

横綱のような、とんでもないプレッシャーがかかる地位ではなくても、かなりの高収入は期待できるでしょう。

十両力士などは、テレビ観戦している人からすれば、下位の力士に見えるかもしれませんが、立派な関取です。

年収にすれば1500万円ほどでしょうか、中には2000万円くらいは稼いでいる人もいるのではないかと思います。

 

とはいえ、やはり他のトップアスリートと比べると、見劣りするという事実も否めません。

人気復興と、国際化で相撲協会としての収入アップを本格的に考えていくべきでしょう。

 

伝統を守ることは大切です。

私も、相撲をスポーツとは思っていませんし、他のスポーツと一線を画した素晴らしい伝統だと思っています。

その美しさが、収益化や国際化の中で消えていくことは大変悲しいことです。

路線を変えることで考えられる、これらの懸念があることはよくわかります。

 

しかし、相撲ファンとして一番に求めるものは、強い力士を見たい、よい相撲を見たいということに尽きます。

強い力士の取り組みは、形容しがたい感動があります。

相撲ファンの多くの脳裏に焼き付いている数々の名勝負は、強い力士同士の意地と意地のぶつかり合いの賜物です。

 

相撲を選ぶ人が減っているというのが、日本人横綱誕生が遠ざかっているもっとも大きな原因です。

昔のように体格に恵まれた人や、スポーツ万能な人をスカウトできるような環境にはありません。

残念ながら他の競技に流れていってしまっています。

 

昔の大鵬や若乃花が今の時代に生きていて、相撲を選んだでしょうか。

時代を考えると、選ばれるための努力もこれまで以上にしていく必要があるのではないかと思います。

 

以上、ここまで読んでいただいてありがとうございました。

 

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