「怒りは敵と思え」を実践するために必要な心構え

「怒りは敵と思え」

こんにちは!Jimmyです。

今回のテーマは、「怒りは敵と思え」です。

怒りの感情との向き合い方、考え方を示します。

有名な言葉として、徳川家康の遺訓があります。

家康自身、まさに辛抱して勝ち取った天下人なのですが、怒りは身を滅ぼすことについて強く意識していたようです。

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心に望みおこらば困窮したるときを思い出すべし。堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。勝つことばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるより勝れり」

確かに、自分自身のこれまでの行いを振り返ってみても、怒りに任せた言動をして、よかったことは何一つないことに気づきます。

人間ですから、全く怒らないことなど、生きていれば現実的ではありませんが、それでもできる限り少なくしたいものです。

怒りは敵と思えの実践

6秒ルールが当てにならないときもある

怒りとの向き合い方を考えたときに、最近では「アンガーマネジメント」が注目されることもあるようです。

その中で、6秒の法則というものがあります。

怒りを感じたときには、6秒数えましょうというものです。

怒りのピークは6秒ほどで過ぎ去ることから、まず6秒を乗り越えることで、怒りを抑えることができるということです。

 

怒りを感じたときほど、深呼吸をしようと促されることがありますが、似たような効果を期待してのことでしょう。

これらは、突発的な激しい怒りを、感情任せに相手にぶつけることを防ぐ効果としては、かなり期待できます。

怒りが最高潮のときに感情をぶつけてしまえば、人間関係に与える影響も甚大になるため、そこを抑えることは重要です。

 

一方、6秒が過ぎたとしても、怒りはなくなるわけではありません。

ピークは過ぎても、もう一度事の顛末を考え直す、あるいは冷静に振り返って考えることもあると思います。

むしろ、忘れようとしても、考えてしまうものです。

多くの場合、考えているうちに、またふつふつと怒りが湧き上がってくるものです。

激昂する(いわゆるキレる)ようなピークの怒りにはなりませんが、イライラや不満はしぶとく残ります。

100度の沸騰した状態ではないにせよ、60度〜80度くらいのやけどする状態で往復し続けてしまうことはよくあります。

この状態では、さらに6秒数えたところで、あまり効果があるとは言えません。

 

コントロールする対象は相手ではなく自分

では、なぜ80度近辺を行き来してしまうのかと言えば、相手の非を考えるからでしょう。

相手が取った言動を思い返すたびに、怒りがこみ上げてくるはずです。

「なぜ、あの人はあんな非常識な行動が取れるのか?」

「何を考えているんだろう?」

そんなことを考えていれば、次第に、

「信じられない、どう考えてもあり得ない、許せない、あーまたイライラしてきた!!!」

となっていくコースを私たちは何度も通っていると思われます。

相手のことを考え出すと、この繰り返しになります。

 

しかし、他人のことはコントロールもできなければ、完全に心の内を理解することもできません。

そのため、相手のことを考えることで、怒りが解決することはないと考えたほうがよいでしょう。

何よりこの状態は、自分自身、そして自分の周りの大切な人に対してよくありません。

 

まず、精神的によくありません。

気分もよくない上に、周りの雰囲気を悪くすることは容易に想像がつくかと思いますが、それだけではありません。

 

中村天風さんをはじめ、多くの先人たちは、怒りが身体へ及ぼす悪影響を指摘します。

たしかに、怒っているときというのは、心臓の鼓動が速くなったり、身体が震えたり、息苦しくなったりします。

恐怖や不安についても言えることかと思いますが、身体にはよくなさそうです。

最近では、心筋梗塞や脳梗塞などにも深く関係しているという科学的な研究もなされているようです。

 

つまり、自分自身の心身にとって、大変よくないという事実に、大いに注目するべきということです。

相手に対して怒り続けていても、相手は変わりません。

それどころか、自分の心身が悪くなっている、病気のリスクまで高まると考えると、自分の方に目を向けるようになるはずです。

損得だけで片付けるのもよくありませんが、端的に言って、自分にとって「大損」なのです。

 

怒りの感情が強いと、ついつい相手に非を認めさせたい、改めさせたい、ぎゃふんと言わせたいという思いも強くなります。

そんなときほど、相手をコントロールすることはできないこと、自分にとって大きな損であることを思い出すべきでしょう。

 

余談ですが、たとえぎゃふんと言わせることができたとしても、その達成感は驚くほど一瞬でなくなります。

また、時として、虚しさだけが残ることもあります。

復讐の後に虚しさだけが残ったということは、映画などを見ているとよくあるシーンかもしれませんが、これこそ本質ではないかと思います。

集中するべきは、自分の考え方です。

 

我慢はいつか限界に達する

冒頭の徳川家康の遺訓を見ると、堪忍(我慢すること、耐え忍ぶこと)が大事であると書いてあります。

つまり、怒りについても、我慢しなさいという戒めとして解釈できます。

一方、それは徳川家康のような大変我慢強い人だからこそできる業であるとも言えます。

多くの人が知っている通り、耐え忍んで耐え忍んで、最後に天下を取ったのが徳川家康であり、ある意味特別な人です。

 

一般的には、怒りを我慢をし続けていると、どこかで限界を迎えるように思います。

怒りを我慢するというのは、いくらでも積み重ねられるものではないという点、注意が必要です。

よほどの強い野望や信念によって支えられていない限り、我慢の反動がやってきます。

その反動は小さくないことが多いでしょう。

「キレて」突発的な行動に出てしまったり、心身に明らかな異常をきたしたり(病気)、そういった例は少なくありません。

 

怒りを我慢して抑えるという感覚を想像するよりは、先ほど述べた通り、あくまで自分の無事平安、幸福のために「怒らない」という選択を心がけるべきです。

自分をコントロールすることと先ほど述べましたが、目指すべきは、むやみに「怒らない」という自分像でしょう。

 

長期的スパンで実践する

結局、自分のために、自分の大切な人のために、むやみに怒らないことが理想です。

ただし、怒りは敵だ!今日から怒らないようにしようと試してみたところで、おそらくすぐに失敗するはずです。

怒りは敵とわかっていても、怒らないで過ごすことはほとんど不可能です。

複雑な世の中にあり、関係する人も多く、日々様々な利害関係の中で私たちは生活しています。

どこに行っても、怒りを駆り立てるようなことで溢れています。

 

真面目に仕事をしているつもりでも、上司からは全く認められずに悔しい思いをすることもあるでしょう。

自分が精一杯話したつもりが、簡単に反論され、笑われたり馬鹿にされたりすることもあるかもしれません。

自分の主張が聞き入れられないこともあると思われます。

 

怒りは敵だと本で読んで共感した。

だから、怒らないように日常生活で試してみたけれど、とても無理だった。

その結果、怒らない試みをやめてしまうというのは実によくある流れです。

本来、一気にできることではない、長期的スパンで考えるべきテーマなのです。

一歩一歩の成長が必要です。

 

子どもの頃は、泣いたり怒ったりすることで、保護者や周りの大人の注意を引きつけます。

これは、子どもが安全に生きていく上で不可欠な行為です。

これ以外に、子どもができることはありません。

自分で説明できないため、感情を出して気づいてもらうしかないわけです。

 

それが、大きくなるにつれて、少しずつできることが増えていきます。

説明すること、主張すること、交渉すること、誘導することなどを覚えていきます。

相手を慮った上で、自分の考えを整理することもできるようになります。

つまり、人格的にも、スキルや能力的にも成長することで、怒りに訴えずにすむ力を身につけていくということです。

この成長過程は、大人になってからもずっと続きます。

 

意見を聞き入れられず、悔しい思いもして、失敗もして、後悔もして、そのような経験を繰り返し、反省していれば、着実に成長していきます。

若いときは、このような怒りを感じる場面は多いでしょう。

その後、実力や実績がついてくれば、発言力も上がり、注目してもらえる確率も上がります。

 

多くの人に尊敬されているような人を考えればわかりやすいと思います。

そのような人の発言は、大きな声を出さなくても自然と注目され、重要視されることが多いでしょう。

多くの人に必要とされ、認められているため、外野から来る多少の理不尽な批判などにも動じなくなります。

余裕を持って対処することもできるでしょう。

つまり、怒る必要や機会も自然と少なくなるということです。

 

数々の失敗を教訓として、人格も実力も成長させる。

人格と実力の成長によって、そもそも怒って注目を集める必要もなくなる。

すると、一層人格者として尊敬され、自分自身もそれに応えようと努力し実力もさらに上がる。

そして、注目をさらに集めることになるという好循環が発生します。

 

大変な修行をされてきた偉いお坊さんなどは、考え方がすでに常人とは違うとも言えるのですが、

そもそも、そのような人に無礼なこと、偉そうなことを言って攻撃する人は、ほとんどいないというのも事実でしょう。

つまり、偉いお坊さんほど、怒りを誘発される機会も少ないのです。

 

むやみに怒らない自分を作るためには、今失敗を重ねながら、真摯に反省し、人格と実力形成に励むこと。

そうすることで、少しずつ、言葉や雰囲気で周りに影響を与えることができるようになり、怒る必要もなくなるのだろうと思います。

途中であきらめてやめてしまえば、怒りによって注意を引きつけることしかできないままになります。

「怒りは敵」として怒らない自分を実践することは、考え方の転換に加えて、実力と人格を高める努力をするという長い道のりに他ならないということかと思います。

 

以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

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