こんにちは!Jimmyです。
アメリカでのBLM(Black Lives Matter)問題を機に、再度人種差別問題がクローズアップされています。
相次ぐ警察官による発砲が映像で収められていたこともあり、大規模なデモや、スポーツ選手によるボイコットにまで発展しました。
この問題に関して、在米の人からは、日本人には理解できないだろうと言われることがあります。
実際にその通りで、根深い問題について、アメリカ人と同じような意識を持っている日本人は少ないと思います。
環境が違うため当たり前なのですが、日本は日本で考えなければならない問題でもあります。
今後、日本でも、外国人の増加や移民問題と向き合う可能性があるからです。
コロナ問題で、国境を越えた移動が制限されましたが、今後移民政策の進展や他国からの就労者が増加する可能性は大いにあります。
より多様な人との関わりについて、日本人の特性を踏まえて、考えていく必要があります。
今回は、日本人が持つ人種差別問題に注目して考えます。
日本も外国からの移住者が増える可能性
日本は、多民族を抱えるような国ではなく、外国人の比率も2%程度です。
そのため、他国で起きている、人種間、民族間の争いなどに対して比較的理解が追いつかない部分もあると思います。
しかし、今後はどうなるかわかりません。
日本人の人口減少は、避けられない傾向と言えるでしょう。
外国人労働者を受け入れる政策が拡大する可能性もあります。
最近では、香港の一国二制度の問題を巡って、香港人が大量に国外移住を検討するという事態も発生しました。
(日本を目指そうとする人は多くありませんでしたが)
民族問題、紛争、異常気象など様々な事情により、難民の増加が今後も予想されます。
そのような中、難民受け入れ人数も、認定率も他の先進国と比べて日本は著しく低い水準にあります。
それについて、批判されることもしばしばです。
内的外的要因によっては、予想もしない形で、多様な人が行き交う場所になっていくかもしれません。
そうでなくても、多様性理解が重視される時代です。
多様な人と関わる姿勢は身につけておくべきでしょう。
日本人の差別意識の根底にある「無知による恐怖」
日本では、あまり身近に感じている人が少ない人種差別問題ですが、日本人に人種差別意識がないかというとそんなことはありません。
日本人に特徴的な差別意識、それは「無知による恐怖」が根本にあるということです。
憎悪感情はないものの・・
宗教上、民族上の問題であれば、敵対心や憎悪感情が伴います。
歴史も長く複雑なため、解決を難しくしています。
現に、中東にせよアフリカにせよ、お互い理解できないまま、争いが繰り広げられている光景が続いています。
欧米においても、白人至上主義者は存在しており、白人が先天的に優れているという感情を持っています。
日本人にはそのような感情は希薄なため、一部では日本人は人種に対して寛容だと思われがちです。
しかし実際には、多くの外国人、多様な人が生活圏にいるという経験をしていないだけと考えた方がよいでしょう。
言い換えれば、経験していない、つまり知らないからこそ、「恐怖」という感情が強くなるということです。
無知による恐怖
恐怖が、直接差別意識とつながっているわけではありませんが、差別の根本には恐怖があります。
どこで起きている人種差別でも、「これは人種差別だ!」と主張するのは差別された人たちです。
差別する側は、あまり意識していないことも少なくありません。
外国人と接する経験が少ない日本人の場合は、外国人に対して、「怖い」という感覚を持っている人が少なくないと思います。
- どこかで聞いたニュースやイメージだけで、外国人は犯罪者が多いと思ってしまう。
- 考え方や倫理観が日本人とは違うから何をするかわからない。
- 外国語が話せないから、コミュニケーションが取れなくて不安。
- 文化が違うから、どうせ分かり合えないだろうと最初から諦める。
こういった日本人が持つ「怖さ」の結果として、
外国人に対して接客しない、施設などに受け入れない、グループから疎外する、遠ざけるといった行動が出てきます。
憎悪や侮辱の意識などなくても、外国人からしたら「人種差別だ!」と言われてもおかしくありません。
子供の頃大相撲観戦で
一方で、このような無知の恐怖を持つ人を責めるわけにもいきません。
無知の恐怖は、生まれてから身につく後天的なものではないからです。
私が初めて、大好きな大相撲を観に連れて行ってもらったのは4、5歳の時でした。
父から、好きな力士に直接声をかけてみようと言われて、意気揚々と走っていったそうなのですが、
小錦(当時の幕内最重量力士です)を前にして、固まってしまい、何も言えなかったそうです。
この場合、今まで会ったこともないくらい大きな人を前に、恐怖で固まってしまったのですが、
知らないもの、経験していないものに対する恐怖は、習わずとも、全ての人間に備わった感覚と言えるでしょう。
生きていく中で、身につけたステレオタイプや、偏見などは修正させることはできるかもしれませんが、本能に近い感覚は変えようとしてもできません。
だから、恐怖を背景とした差別をなくすことは、簡単ではありません。
外国人かどうかという問題ではない
そもそも、この無知による恐怖は、外国人かどうかという問題ではありません。
そのような次元以前の問題です。
私は小さい頃、毎日保育園に母と歩きながら通園していたのですが、
その道中、たまに通りすがる、ある一人の男性に恐怖を感じていました。
今考えると、障害をお持ちの方だったのですが、そのような概念は当時は当然ありません。
いつも何やら独り言を言いながら、時に大きな声を出し、動き方も独特に感じたものです。
その方とすれ違うたびに、大きな恐怖を感じていたのを覚えています。
自分の知らない(認識を超えた)動きをする人に対して感じる恐怖の例だと思います。
自分を擁護するのもおかしいですが、小さい子供がそのように感じるのは致し方ないことであり、その恐怖を取り除くことは難しいでしょう。
その後、障害を持った人のことを適切に学び、理解し、さらに自分の身体が成長したことで、怖いという感覚はなくなりました。
つまり、学びと理解による精神面の成長と、単に身体が大きくなるという身体的な成長の両方を経て、
怖さも消え、結果として差別意識も持たないようになったということです。
教育・啓蒙による限界
後天的なものであれば、抑えることも修正することもできます。
しかし、無知による恐怖は人間に備わったものです。
そのため、普段から外国人と接する機会や経験のない人にとって、なかなか無知の恐怖は克服できません。
たとえ、教育で教え込まれたとしても、政府主導で人権強化の政策が取られたとしても限界はあります。
夜、人通りの少ない一本道を歩いているとします。
向こうから2人組が歩いてきます。
近づくに連れて、見えてきた姿が初老の男女だったら?
・・・
仲良く夫婦でジョギングしているのかな、と思うでしょう。
大して警戒感を持つこともないのではないでしょうか。
見えてきた姿が、ヤンキーファッションの若者だったら?
先ほどよりは警戒感は高まると思いますが、珍しくはない光景とも言えるでしょう。
では、2メートルクラスで、しかも筋骨隆々とした外国人だったら?
実際、外国で私は同じような状況に遭遇しましたが、正直かなり怖かったのを覚えています。
普段から人種差別意識などは全くないと思っていた私ですが、このような恐怖を感じたのも事実です。
よくないとは思っても、知らない人ですから仕方のない部分もあるのです。
当時、はっきり思いましたが、体格が違いすぎるのです。
先ほど、精神的、身体的に成長して恐怖がなくなったと示しましたが、身体的にこれだけ自分に不利な状況ではなかなか克服できないものです。
すれ違うだけならまだしも、もし自分が警察官で職務質問する立場だったら?
同じような心境で、上記に挙げた三者に対して対応ができるでしょうか。
違う対応をして、その対応を見ていた人から「人種差別だ!」と言われてしまえば、言い訳の一つもしたくなるのではないでしょうか。
頭では、差別撲滅の必要性を真に理解しているつもりでも、実際の状況によっては、意味をなさないこともあるということです。
一進一退 地道に事例を重ねるしかない
いくつか例を示しながら考えてきましたが、外国人や自分の理解が追いつかない人への関わり方について、
教育や啓蒙活動に加えて、どうしても実際に関わる経験をして理解していく必要があります。
無知の恐怖がある以上、いくら頭でわかっていても、それだけでは十分とは言えません。
上記の例ほど極端ではないにしても、知らず知らずのうちに、相手から差別されたと思われることもあるかもしれません。
恐怖心を持ちながらも、完全に遠ざけることなく、少しずつ理解を深めていくことで、多様な人と関わることに慣れていくしかありません。
アメリカやヨーロッパを中心に発生している人種差別に対する抗議デモや、諸問題は、日本も対岸の火事ではなく、真剣に向き合う日が来るかもしれません。
そのような時は、まず人間には無知の恐怖が備わっていることを認識した上で、実際に関わる中で理解を深めていこうとする姿勢が求められます。
歴史的な背景や、民族間の争いという複雑な事情がない日本人にとって、最も気をつけるべきは、知らないまま関わることを拒否することです。
そこに、人種差別の温床があると考えるべきでしょう。
最後に 多様な人との関わり方
日本人は特に、様々なステレオタイプで判断することが多いと思います。
そして、自分と違う点に注目して、苦手だと思う人も多いでしょう。
その結果、無知による恐怖を抱えたまま改善できないケースが想定されます。
ステレオタイプはマイナスのイメージとなることが多いと思われます。
一旦、アメリカ人はこうだろう、中国人はこうだろうというステレオタイプは置いて、関わる人自身に注目する意識を持つ必要があります。
ステレオタイプとは全く違う人格に気づくことになります。
多様な人と関わるにあたって、とにかく個人として接することから始めることが肝要です。
以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。
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