我慢するべきではない3つのこと

我慢の必要性

こんにちは!Jimmyです。

日本人は特に、我慢を美徳とする価値観が強くあります。

耐え忍ぶという言葉もよく知られています。

関連することわざや格言も多くあります。

 

石の上にも三年

辛くても努力していれば報われることのたとえ。

鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥

機が熟するまで辛抱強く待つことが大事であることのたとえ。

韓信の股くぐり

大きな目的を実現するために、小さな恥辱を受けても我慢することのたとえ。

 

これらを見ればわかる通り、将来の大きな成果のためにという視点に立っています。

将来に果たすべきことがあるから、現在の困難や目先の誘惑に負けてはならないという戒めになります。

そういう意味では、我慢することは成功のためには必要不可欠と言えます。

 

一方、どんなときでも我慢すればよいかというと、そんなことはありません。

トイレを我慢していてよいことは何もありません。

これは明らかな例ですが、自然の摂理や道理に合わないような我慢はするべきではないということです。

今回は、するべきではない我慢を3つ示します。

するべきではない我慢とは?

自分の人生を歩むこと

自分の人生であるはずなのに、他人に言われた通りの人生を、我慢しながら歩む人がいます。

失敗してはいけない、うまくやらなければいけない、世間一般に恥ずかしくないステータスを手に入れなければならない。

このような感覚を持っている人は少くないと思います。

その結果、狭い枠の中にとどまり、やりたくないことでも、無理やり納得して取り組んでいるように見えます。

「現実は甘くはない」という言葉のもと、自分の人生を考えることに蓋をしてしまいます。

 

世間一般の正解や、目先の安定のために、自分の人生を我慢するのは大変もったいないことではないでしょうか。

自由に挑戦するからこそ、その先に大きな喜びがあり、幸福感があるはずです。

示された道を歩んでいる中で得られる、達成感や満足感はいかほどでしょうか。

私の経験上、驚くほど小さいというのが正直な感想です。

 

もちろん、家族や周りの人に励まされ、その時々の楽しみに癒され、少しずつ前に進むことは可能でしょう。

しかし、それは、自分の人生を我慢することの代償にはなり得ません。

 

自分の人生を我慢していると、自分に対してだけではなく、家族や大切な人、周りに対して貢献できる、与えられるものも小さくなります。

自分の人生を思いっきり生きている人を見ると、そのエネルギーの強さに驚かされます。

 

大きな視点で考えれば、人はそれぞれ何かしらの使命を持って生まれてきたはずです。

自分の人生を生きようとすることは、自然(宇宙)の法則に従っていると言えます。

一時の社会の潮流が生み出した、小さな常識にとらわれるべきではありません。

 

個人として正しくあろうとすること

同じく、正しくあろうとすること、正しさを考えることは、生きていれば当たり前に繰り返すことです。

誰もが正しくありたい、正しく生きたいと考えているはずです。

様々な矛盾の中にありながら、人間社会を少しでも良い方向に向かわせようと努力するのが人の営みです。

 

一方、個人ではなく、組織として動いていると、時に人としての正しさと組織としての正しさが相反することがあります。

集団心理の中では、組織としての正しさに重きが置かれることがほとんどですが、これが間違っていることもよくあります。

冷静に見れば、おかしなことだと気づくことはできるのですが、組織の中でその思いは押さえつけられることが多いのかもしれません。

結局、自分の中の正しさではなく、組織基準の正しさに寄せていくことになりかねません。

 

個人的には、正しい行動ができているのか違和感を覚えながらも、自分の感覚に従えないという人も少なくないように思います。

組織の方針だから仕方ないと思う人が多いからこそ、集団心理はより強固なものとなり、時に大きな過ちを発生させます。

 

組織論が様々なところでとりあげられている現在ですが、根本にあるのは、個人個人の正しさです。

組織として動くことは当然必要であり大切ですが、自分の中で正しさを考え、正しくあろうとすることを制限するべきではありません。

正しくないことをしていると思えば、その考えに従い動いてみる、時には組織から離れる勇気も必要です。

自分の正しさを捨てて、他者や組織の方針を受け入れることは、もっとも避けたい状態です。

 

無思考の我慢

冒頭に示したことわざのように、大事を為すための我慢は大切ですが、最終目的がはっきりしない我慢はするべきではありません。

「何のために我慢しているのか」と考えた時に、何もないのではただただ辛いだけです。

 

我慢を美徳とする考え方から、苦労は買ってでもするべきとする考え方など、困難を積極的に受け入れることには何かしらの意味があります。

その意味を考えるからこそ効果的なのであって、何も考えなければ、ただただ耐えるという習慣しかつきません。

そこには、幸福感へ繋がる要素はありません。

「我慢していればそのうちいいことがあるさ」と言うのであれば、どんなよいことがあるのかをしっかりと描いておくべきです。

それがないのであれば、やっている事自体を見直してみるか、意義を考え直す必要があります。

本来、もっと活躍できるはずなのに、ただただ我慢することに慣れてしまい、輝きを失っているような人も多く見てきました。

我慢そのものに価値があるとする考え方は危険です。

 

最後に

我慢強いというのが、日本人の特長の一つでもあると言われます。

しかし、我慢自体に価値があると考えるべきではありません。

現代では、社会構造上、自分の人生を生きることを諦めている人、個人としての正しさを考えずに、集団心理に飲み込まれている人、無思考に我慢を受け入れている人が少くないように感じます。

そのような人の多くは、違和感を持ちながら、幸福感を感じられずに過ごしているのではないかと思います。

目的のはっきりした、するべき我慢と、道理に合わないするべきではない我慢をしっかり見極めながら、自身の成長を考えたいものです。

 

以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

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