こんにちは!Jimmyです。
自分が所属している会社の同僚、先輩、上司は、なぜか嫌な奴ばかりだと感じていませんか?
地域や趣味で会う人たちは「いい人」たちなのに、会社には嫌な奴ばかりいる。
同じように感じている人は少なくないと思います。
仕事をする場所だから仕方ないと諦めつつ、転職の機会を伺っている人もいるかもしれません。
今回は、マックスヴェーバーが唱えた支配三類型を参考にしながら、
会社は嫌な奴ばかりになる理由と、よりよい組織になるために目指すべき方向を考えます。
一般的に言われていることとは、かなり異なる主張内容になりますが、こんな考え方もあるかもという参考になればと思います。
マックスヴェーバーの支配三類型
マックス・ヴェーバー(1864年〜1920年)(ウェーバーとも)は、ドイツの社会学者、政治学者、経済学者です。
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』などの著書をはじめ、現代の社会学に大きな影響を与えた人です。
昔、学校の授業で出てきたのを覚えている人もいるかもしれません。
今回紹介するのは、支配の正統性についてです。
支配(命令・管理)したい人がいても、それに服従してくれる人がいなければ支配は成立しません。
つまり、服従する側が、なぜ服従するのか、服従の動機が必要になります。
冒頭にも少し書きましたが、相手が嫌な奴でも、「仕事だから」という理由で従う人がほとんどでしょう。
しかし、ここはよく考える必要があります。
なぜ、そんなに嫌な奴に協力して従っているのか?
そこに、会社が嫌な奴ばかりになる原因があります。
人が支配を受け入れる、服従するには正統性が必要ですが、
ヴェーバーは、3つの正統性の形があると考えました。
ヴェーバー自身は、国家の支配のあり方を念頭に置いて考えていたと思いますが、一般的な組織についても当てはまることが多いと思います。
歴史的な正統性
昔からある権威や、秩序が神聖化されたような場合は、服従する動機となり得ます。
伝統的な家父長制などが典型です。
昔の支配体制なら、江戸幕府の将軍は代々徳川家です。
歴史的な正統性を誰もが受け入れていたため、「徳川」であることに絶対的な権威があったということです。
現代で言えば、世襲制が伝統となっているオーナー企業などでしょうか。
経験も少ない創業家の息子が、社長になるということはよくあります。
それでも、何十年もの間、先代を支え続けてきた専務などが、新社長を手厚くサポートするのは、このパターンに則っていると言えるでしょう。
カリスマ性
もはや誰もが知っているカリスマという言葉ですが、現代の意味で最初に使ったのは、このマックスヴェーバーだと言われています。
カリスマとは「天与の資質」と、小難しい言葉で定義されていますが、今の使い方とほぼ同じです。
つまり、カリスマ的な支配者には、人は服従する動機を持ち得るということです。
昔でいうところの預言者などの特殊能力を持ったような人、ナポレオンのような救国のヒーローが典型でしょう。
現代の組織でいえば「カリスマ美容師」や「匠」と呼ばれる存在として考えることができます。
その人の持つ魅力に人が集まり、喜んで従うという構図です。
次に説明する「規則によって付与された権限」がなくても、カリスマ的支配者は人を従えることが可能です。
一方、その人の魅力がなくなれば、支配関係も崩れることになります。
合法性
3つ目が、合法性による支配です。
ルール、規則に正統性を求める考え方です。
ルールにより、支配する権限の範囲を決めて付与します。
決められたルールに従わなければ罰則があるため、人が服従する動機となり得ます。
官僚制はその典型です。
そして、現代にある組織のほとんどが、この合法性によって支配を正当化していることになります。
つまり、ほとんどの人が、組織のルールに従うべきだと考えるから、権限者に従うわけです。
属人的なものではないため、合理的、形式的に安定した運用が可能になります。
会社は嫌な奴ばかりと感じる理由
上に示した、マックスヴェーバーの支配三類型をもとに、会社が嫌な奴ばかりになる理由を考えます。
ポイントは、合法性による支配に偏っているということです。
合法性によって正当化された支配に頼っているから、会社は嫌な奴ばかりになってしまうということです。
合法性に頼らざるを得ない現状
歴史的な正統性、カリスマ性、合法性。
支配を正当化するため、服従する動機を持つための3つの形があることを説明しました。
三類型それぞれに長所短所はありますが、これらの要素を同時に兼ね備えることも不可能ではありません。
むしろ、複数兼ね備えていた方が、より盤石になるでしょう。
しかし、現代私たちが生きている社会では、ほとんどの組織が、合法性による支配のみで運営されています。
まず、歴史的な正統性を持つ組織は、非常に限られます。
そもそも過去は変えられないため、私たちが歴史的な正統性を今から備えることなどできないのです。
(たまに自分の出自を捏造して、歴史的正統性を得ようとする人もいますが)
歴史的な正統性は強いと言えますが、残念ながら今生きている人にはどうすることもできません。
次に、カリスマ性による正統性ですが、こちらも限られていると言えるでしょう。
限られた人しか持ていない魅力だからこそ「カリスマ」となるわけです。
多くいるはずはないのです。
支配を正当化する要因の2つは、非常に限られた人にしか当てはまらないことがわかりました。
一方で、近代から現代にかけては、会社組織が爆発的に増えました。
会社組織1つとってみても、トップだけでなく、部門長もいれば、課長も必要になります。
平社員は課長に従う必要がありますし、課長は部門長に、部門長はトップに従うという階層があることで機能している面もあります。
つまり、支配(命令・統率)する人が、大量に必要になっているのが現代社会ということです。
支配する人が大量に必要なのに、歴史的正統性とカリスマ性を持った人はごく一部。
そのため、ほとんどの人は合法性に頼るしかありません。
組織の数が増えて、複雑化すれば、官僚的な組織が増えるのは必然と言えるでしょう。
合法性による正当化の問題は何か?
合法性による正当化には問題があります。
それこそが、「嫌な奴」と感じる人が増える理由です。
正統性(権威)が、その人自身とは別のところにあるということです。
歴史的正統性、カリスマ性であれば、その人自身の存在が服従する動機になります。
匠の腕に惚れ込んで師事する人であれば、「この匠でなければダメだ」という思いでいることでしょう。
先ほどの世襲制企業のように、「坊ちゃんを一人前の経営者にするのが私の使命です」と言ってくれる専務さんもいるのです。
ところが、合法性による支配の正当化は、人ではなく組織のルールによるものです。
もっと言えば、罰則があるから従っているのです。
考えてみれば当たり前のことですが、これこそが、多くの人が会社で辛酸を舐める思いで服従している理由です。
人ではなく、ルールに従っていると言えるでしょう。
尊敬しているわけでもないのに、組織のルールによって、従わざるを得ないというのは気分はよくないものです。
人格的な魅力や権威を感じていない人から、命令されたり支配されたりすれば、人は無意識的にでも嫌悪感を覚えます。
そうなれば、自然と嫌な奴だと思うでしょう。
そして、権威の根源である、役職を虎視淡々と狙うか、嫌な奴が転勤していくのをじっと待つことになるのです。
上司だけではない服従の機会
服従するのは人ではなくて組織のルールである旨述べてきました。
こうなると、さらに面倒なことに遭遇することになります。
それは、上司ではなくても服従しなければならない時があるということです。
会社組織であれば分業化が進んでいます。
役職の上下はなくても、ルールに則って、仕事をこなす必要があります。
例えば会社で経費清算の仕事をしているとします。
横柄な人であろうと、人を見下すような態度で接する人であっても、ルールに基づいて、その人たちが持ち込んだ領収書を経費清算してあげる必要があります。
会社では、このように規則に基づいて動かなければなりません。
逆にいえば、ルールに則ってさえいればよいということでもあるのです。
だから、ルールを盾に要求する、主張を通すということがあちこちで行われているわけです。
その結果、会社の中で関わる人は、上司でなくても嫌な奴だと感じる場合が多くなるのです。
これは私個人の見解ですが、それが大きな落とし穴であり、合法性による支配に偏っていると、自分の人格を高めることの大切さを蔑ろにしてしまうという傾向があるように思います。
合法性に正当化を頼りすぎると人格が退化する
合法性に正当化を頼りすぎるということは、役職や権限にしがみつくということです。
その結果、人格や本来磨くべきスキル、達成すべき成果は二の次になるケースが散見されます。
ずるいことをしても、自分の立場を保つということに注力するようになります。
なぜなら、人から嫌な奴だと思われても、権限と役職があれば人は従ってくれるからです。
逆にどんなに「いい奴」でも、スキルがあっても、権限がなければ、自分の言うことを聞いてはくれないのです。
会社組織での目標を役職の獲得や維持に定めていると、得てして人格は退化する方向へと向かいます。
実際にサラリーマンを12年間経験した中でそのような人をたくさん見てきました。
確かに、経験は積んで、組織のお作法もわきまえています。
一見できる社員に見えるのですが、肝心な実力が伸びているわけでもなく、人格的には年々退化しているように見えるのです。
こうして、上役への忖度と立ち回り、社内調整能力だけに特化した人材が育っていくわけです。
新人の時を知っている同期社員が、10年も経てば立派に仕事をこなす存在になっていることは珍しくありません。
しかし、「昔よりも人格が備わったな、魅力が増したな」と感じる人はあまり多くはいませんでした。
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最後に 目指すべき組織のあり方
支配する人に服従する動機について述べてきましたが、歴史的な正統性とカリスマ性は、誰でも持てるものではありません。
それを踏まえて、目指すべき組織のあり方を考えます。
あるいは、自分が転職する前提でいるとすれば、「こういった組織に行くのがよいかも」という視点で見ていただいてもよいかと思います。
フラット型の組織を目指す
まず、近年巨大化して、階層のピラミッドが縦長になり過ぎている組織が目立ちます。
そうなると前述したとおり、人格や能力に問題のある人が、組織のルールによって権限が付与され、命令する立場に立ちます。
つまり嫌な奴が増殖することになります。
そうならないためには、組織を出来るだけフラットにすることです。
一昔前までは、考えられなかったようなフラットな組織が実際に世界各国で誕生しています。
常識を疑い、上意下達の体制を最小限に抑えて、従業員の創造性や自主性を高めている企業も出てきています。
大きな組織でなければ競争に勝てないような時代ではなくなりました。
カリスマ性に近づく努力
歴史的正統性は、努力して得られるものではありません。
そうなると、カリスマ性に近づく努力という選択肢が残ります。
天与のものという定義に従うのであれば、誰でも持つことはできない資質ですが、
実際には現代でカリスマと呼ばれる人の中には、努力で勝ち取った人も少なくありません。
カリスマ美容師も、生まれつきのカリスマとは限りません。
カリスマ性を育てるような教育が必要ではないかと思います。
現代組織では、合法性に基づいた統治も不可欠ではあります。
一方、それとあわせて、人に人がついてくるといった、現代人が疎かにしがちな価値観をしっかり取り戻す必要があります。
今のように、組織のルールや規定、それによって付与された役職と権限だけに従うと、嫌な奴と感じる人が増えてしまいます。
以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。
なお、現実問題として、なかなか理想的な職場は少ないかもしれません。
職場の嫌な人との接し方などについて、具体的に書いておりますので、以下の記事も参考にしてみてください。
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