「なめられたくない!」そう思ったときに思い出すべきこと

こんにちは!Jimmyです。

仕事や日常生活で、他人から「なめられたくない!」と思うことはないでしょうか?

ストレートな表現で書きましたが、言い方は色々あると思います。

ばかにされたくない、下に見られたくない、気軽な態度で接してほしくない、立場を考えてほしい、などでしょうか。

 

後輩、部下にとどまらず、友人、初対面の人まで、様々な状況で、相手に対して「なめられたくない」と思う人は意外と少なくありません。

 

ただ、この思いが強くても、ほとんどの場合、よいことは何もありません。

要らない考え方です。

(ちなみに実体験から得た教訓でもあります)

 

今回は、「なめられたくない」と思ったときに、思い出すべき考え方を紹介します。

前向きな気持ちでいるためにおすすめです。

弊害!対立・攻撃・不安・そして自分を見失う

なめられたくない

学生時代の若気の至りがあってもよい理由!

「相手になめられたくない」

まず、このような言葉を使うのは、中学生から20歳前後の若年層に多いと思われます。

 

学生時代、肩肘張って、自分を大きく見せようとしていた記憶がある人も少なくないでしょう。

強く見られたい、一目置かれたい、特別な存在でありたい、怖そうに見られたい。

(これは私の当時の心境)

 

ただ、自分自身思い返してみても、このような状態でいると、

常に他者と比べ、攻撃的になり、好戦的になり、周りが見えず、ときに勘違いしたまま突っ走り、よく悩み、疲れます。

 

だから、今振り返ると、多くの人が「あのときはバカだったな〜」と思うものです。

 

ただ、これこそ、自分について考える成長のプロセスで、意外と大事な期間と見ることもできます。

強さの定義を探し、自分らしさを探し、正しさを理解し、存在意義などの基礎を構築するときです。

これを目的とすると、手段として「なめられたくない」時期や、多少の無茶もあって問題ないのです。

 

まだ何者でもない若者同士が、フラットに、たがいに主張し合い、正解を探し合う。

お互いに失敗しながら急速に価値観を形成していくプロセスであり、他の時期にはできない貴重な経験です。

 

この次の項からは、「なめられたくない」と思う大人について、大変悲観的に書きます。

しかし、この青春時代とも言える時期は、社会人になってからとは全くステージが異なりますので、混同しないよう敢えて書くことにしました。

 

大人になっての「なめられたくない」は弊害だらけ

社会人になって、「なめられたくない」を前面に出すわけにはいきません。

先ほども述べたとおりですが、それでは精神的にも安定しません。

働くにせよ、地域活動をするにせよ、何をするにせよ、成果を出し活躍するためには、この状態はプラスに作用することはありません。

 

社会人になっても「なめられたくない」思いが強い人の、具体的な行動、特徴としては以下のような光景が散見されます。

かなりの弊害であると言えるでしょう。

 

  • 必要以上に他者に批判的、威圧的になり対立を生む
  • 権力を誇示し、YESマンを大事にする
  • 部下や後輩に対して配慮に欠ける
  • 反対意見を言われると烈火のごとく怒る
  • 自分の自慢話や成果を強調する
  • 弱さを見せられない、本音を言えない
  • 自分の責任になることを極端に恐れる
  • うやうやしく扱われないと機嫌を悪くする

 

30歳になっても40歳になっても50歳になっても、それ以上になっても、「なめられたくない!」という思いを持っている人は多いものです。

むしろ、ある程度の社会的地位を得るにしたがって増えているようにも感じます。

学生の頃とは異なり、責任、権力、組織力などが絡み合うため、フラットで爽やかなぶつかり合いは、あまり期待できません。

同僚ならまだしも、権力を使える上司であれば、周りに及ぼす悪影響も相当なものでしょう。

 

結局エゴに行き着く

なぜ、なめられたくない、なめられたら困るのでしょうか。

(組織をまとめる立場とすると)自分がなめられていては、部下を不安にする、組織としての成果が出せない、生産性が落ちる。

そのように答える人が多いかもしれません。

 

しかし、多くは建前でしかありません。

それらが真の目的であれば、上に挙げたような、おかしな特徴的行動とはまったく結びつくはずはないからです。

部下の不安解消や、組織の成果、生産性を考えるのであれば、どうして自分への責任や、自分の扱われ方ばかりに注目する必要があるでしょうか?

 

結局は、エゴの部分が大きいことがわかります。

 

自分が不安だから、自分を守りたいからそのような行動になり、後から正当化しているということです。

なめられたくないという思いは、エゴでしかないということはよく認識しておくべきでしょう。

先ほど示した中学生のときの思いと、本質的にはあまり大差はないのです。

エゴに振り回されて、本来の目的を見失うことになりかねません。

本来の目的を見失うということは、あるべき自分像からも遠ざかり、「人生迷子」になる可能性も高まります。

優れた人ほど「なめられたくない」という発想はない

なめられたくない

優れた人ほど真逆の発想

実際に、本当に人の上に立つべき、能力があり活躍するべき人ほど、「なめられたくない」という発想はほとんどありません。

恐れるに足らずということもあるでしょう。

また、対立軸ではなく、次に示しますが、目的に集中しているとも言えます。

 

むしろ、優れている人は、なめられたくない人とは逆のことを憂えています。

自分に対して、恐縮しすぎている、意見が言えない、距離を感じているのではないかということです。

 

これが現実です。

古くは、中国史上もっとも安定し、優れた治世と評される唐代の太宗の考え方が有名です。

自分に対して、人は意見が言いにくいという前提で考えています。

だからこそ、普段から怖い顔はしない、欠点をいたずらに叱責しない、広く意見を求めて聴くといった、

いかに言いやすい環境をつくるかに苦心していたことがわかっています。

1400年も前には、すでにこのように考えられていたのです。

 

ビジネスの世界でも、松下幸之助さん、稲盛和夫さんといったビッグネームに限った話ではなく(このあたりの有名人は言うまでもなく)、

私がお会いしてきた、優れた経営者の方には、「なめられたらいけない」という意識を持っているような方は皆無でした。

 

なめられるのが不安になるのであれば、それだけ自分はまだまだ未熟で、一目置かれるような存在ではあり得ないということです。

なめられてもしかたがない状況であると、自分でもどこかで気づいているはずです。

それをごまかすために、強権的に出たり、敢えて威圧感をもって接するという、優れたリーダーたちと逆のことをするようになるという結果です。

 

本来、役職や年齢が上の人(知見も能力も高い人)が気にするべきは、意見が言いやすいように振る舞っているか?ということのはずです。

 

あわせて読みたい

貞観政要に学ぶリーダーの要諦、1400年を経ても変わらない大切なこと

 

優れた人ほど目的に集中する

なめられたくない、という思いが強いと、完全に目的をはきちがえます。

優れた人ほど、本来達成するべき目的に集中するため、エゴの出番がありません。

時には自分や自分の所属する部門にとってはあまりプラスにならないような提言まで実施できる人もいます。

自分のやるべきこと、目的が明確だからです。

視野も広くなります。

 

自分の存在意義にも自信を持っています。

だれかになめられたらどうしよう、という発想もおそらくないでしょう。

 

もし、目的に集中しようとしていても、相手になめられたくないというエゴが出てしまったら、都度思い直す必要があります。

”目的はそこではないはず!”と。

 

認識すべきは、相手は変えられないということです。

それに対して怒ったり、屈服させようとしたり、不幸を望んだり、マイナスのことを考えていると自分によいことはありません。

自分自身が疲れます。

そして、余計に対立構造を生み、苦しくなります。

 

人として、行動や選択が明らかに間違っているということでもない限り、むやみな対立構造は作ってよいことはありません。

 

自分のやるべきことは何か、目的意識をいつも持っておくこと、考えること。

これを意識していれば、普段からの目の付け所も変わってくるはずです。

まとめ

他人からなめられたくないという思い。

気づくべきは、その思いによってプラスになることは何もないということです。

対立を生み、攻撃的になり、不安を生み、本来の目的や自分を見失うことになります。

 

こんな状態では精神的にも安定しません。

仕事で成果を出したり、幸福感を感じたりすることも難しいでしょう。

 

なめられたくないという思いが湧いてきた時点で、自分には不安があって、未熟なところがあるのだと受け入れてしまったほうが前向きになれます。

相手ではなく、変えるべきは自分です。

変えられない他人の感情のことをあれこれ考えるよりも、自分の目的意識を見据えて、それに向けてできることを考えるべきです。

 

目的意識を持ち、前に進み続けてきた人が、「成功者」と呼ばれる人たちとなるわけですが、

そのような人たちが考えることは、なめられてはダメだということではなく、むしろ逆です。

いかに、安心して意見を言ってもらえるか、言いやすい環境を作るかを考えています。

 

その段階になれば、自他ともに、なめられるかどうかの心配や発想自体がなくなっているはずです。

目指すべき姿は、なめられないようにかまえることではなく、そのような発想自体がなくなることです。

 

以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

人間関係や仕事をする上で大切な考え方について、以下の関連記事も参考にしてみてください。

 

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