佐久間象山から学ぶ人生、誰よりも早く近代化を主張した男のリーダー象

こんにちは!Jimmyです。

今回は、江戸時代末期の思想家、兵学者である佐久間象山(ぞうざん・しょうざん)の人生をとりあげます。

明治維新期の近代化を思想面で導いた人と言えば、福沢諭吉がまず思い浮かびます。

そんな福沢諭吉も佐久間象山の書から学び、影響を受けたと言えます。

いち早く近代化の必要性を認識した佐久間象山の人生は、才能と信念に溢れた非常に興味深いものです。

佐久間象山自身、類稀なるリーダーシップを発揮したタイプではありませんが、その人生から学ぶことは多いと思います。

後半は、少し変わった角度でリーダー像を考察します。

佐久間象山の人生を簡単に振り返る

松代藩に生まれる

佐久間象山は、1811年、現在の長野県にある松代藩にて生まれます。

幼い頃から四書五経を学び、儒学に触れ、この頃から異彩を放っていたようです。

 

儒学者としての半生

1833年には江戸に遊学し、儒学の第一人者である佐藤一斎から朱子学を学びますが、ここでも高い評価を得ます。

そして1839年、江戸で私塾「象山書院」を開設し、儒学を教えるようになります。

この頃までは、大変熱心な儒学者であり、生活態度にも朱子学の教えが色濃く出ていました。

 

洋学研究に没頭

転機は1842年、松代藩主の真田幸貫が、老中兼海防掛に任じられたことでした。(海防掛とは、海岸の防御や対外処理などを担当する幕府の役職)

象山の才能を高く評価していた真田幸貫は、象山を顧問に抜擢し、海外事情、洋学の研究にあたらせます。

ここでも象山は、瞬く間に洋学を吸収し、次第に没頭(当初は兵学中心)するようになります。

同時に、進んだ西洋の技術を知り、日本がいかに遅れているかを痛感し、近代化の必要性を主張するようになります。

なお、この時は1840年代、ペリー来航より随分と前のことであり、幕府関係者は誰も取り合ってはくれませんでした。

 

兵学の第一人者

その分野、特に砲術科としての名声は高まり、第一人者となった象山のもとには、吉田松陰、坂本龍馬、勝海舟らが入門し、兵学などを学びました。

福沢諭吉も、象山の蘭学の書を読み、近代化への思想の影響を受けたと言われています。

1853年、ペリーの来航をきっかけに、門徒の吉田松陰がアメリカへの密航を計画します。

翌年に決行されましたが、失敗に終わります。

その際、松蔭の持ち物から象山の手紙が発見されたことから、密航の関係者と見られて投獄、のちに国許(松代藩)での謹慎処分とされます。

 

謹慎明けから暗殺まで

1862年、謹慎は解かれ、幕府の要請に従い、京都に赴任します。

長州藩の台頭、尊王攘夷論と外国からの圧力の間で身動きが取れない幕府は、なんとか朝廷を味方につけたいと考えます。

象山に朝廷の意向を開国の方向に動かしてほしい、説得してほしい、これが象山を呼び寄せた理由でした。

象山は快諾し、開国論をわかりやすく、公家や皇族関係者に毎日のように説くようになります。

このような行動を危険視した長州藩士により、1864年に襲撃され、暗殺されます。

 

佐久間象山のここがすごい!ポイント

佐久間象山の人生を時系列で事実だけ簡単に振りましたが、いかに時代の先を行く人であったか、そして特徴的な人であったか、ポイントを以下に示します。

 

東洋の道徳、西洋の芸術

「東洋の道徳、西洋の芸術」これは、佐久間象山の根本的な考え方です。

「道徳」とは、儒教の道徳です。

儒教の考え方では、政治家は最大の道徳者でなければならないとされ、良い政治を導くための儒学という視点に立ちます。

よって、ここで言う道徳とは、道徳的な考え方に加え政治制度も含まれます。

「芸術」は、アートいう意味ではなく、科学技術のことになります。

 

つまり、政治制度や道徳思想は東洋のもの、科学技術は西洋のものが優れているという考え方です。

科学技術は西洋の方が優れているのだから、そこから学ぶべきだという立場に立つわけです。

 

洋学を初めて学んだのは30歳を過ぎてからです。

そこから一気に没頭することになったのですが、それまで学や思想がないわけではありません。

それどころか熱心な儒教(朱子学)者であり、形式的、権威的な考え方がかなり濃く、生活態度や人に対する態度などに大いに表れていました。

 

それなのに、実践的な西洋の技術に感心し、素直に認め、実践主義で自らも技術を試した上で、

それを見習う必要があるという考えに至ったある種の柔軟性は、象山の半生を考えると大変意外なのです。

何れにせよ、この考え方は、明治期の大きな思想の一部となったことに間違いありません。

 

兵学に止まらず、農業、鉱業、ガラス製造、薬品、医学など百科全書に掲載されていることを全て試しながら学んでいったようです。

ちなみにオランダ語も独学で学び、原書を読むようになっていたということです。

 

近代化の必要性をいち早く理解した先見性

佐久間象山の先見性は秀逸と言わざるを得ません。

西洋の技術の優位性、それと日本の現状を見比べ、危険性をいち早く認識しました。

 

本ブログの別の記事では、明治維新の時期に、近代化をリードした重要人物には1830年代生まれが多いということに触れました。

1830年代生まれの志士たちは、若い頃に旧式な考え方と、外国の脅威を同時に経験してきた世代であり、変化をもたらすのに適した世代であったという趣旨のことを書いたのですが、

佐久間象山は、一回り年長の1811年生まれです。

若い時は、儒学一筋で、30歳になるまで外国の様子を学ぶ機会もありませんでした。

 

そんな人が、洋学(まずは兵学)を学び、わずか1年ほどで近代化の必要性に気づくのです。

ペリーが来航して大慌てする10年前には、海軍の創設や、大砲の設置の必要性を主張しています。

もちろん1840年代では、本気に聞いてくれる人はいませんでした。

 

象山が注目され、幕府も強く危機感を覚えるのは、1853年のペリー来航があってからです。

そして、この時期に20歳前後であった、福沢諭吉や坂本龍馬、大久保利通などが、後に中心人物となり、日本を変える必要性を認識して、1860年代以降に、近代化を進めていくという流れになります。

1840年代に、兵学に触れ、そこで日本の近代化の必要性に気づいた佐久間象山の先見性が際立ちます。

 

逆境でも折れない自信、信念と情熱

象山は東洋の道徳と西洋の芸術を実践し、日本のために尽くすことに燃えていたようです。

 

ところが、西洋化の必要性を主張しても、当初は誰も聞いてはくれませんでした。

それでも、あの手この手を使って、意見を藩主や幕府に伝えようと働きかけました。

蟄居(謹慎)処分となってからでも、洋学を学ぶことを止めず、さらに幕府に意見を伝えるための上申書を書いたりもしました。

 

また、無下に扱われても、聞き入れられなくても、常に自分の主張に自信を持っていたことが伺えます。

幕府や藩が、実験のための金を出してくれないとなれば、自分で借金してまで実験器具を購入し、

西洋書の発行について協力を得られなければ、自費出版しようと画策したり、

蟄居解禁後に、朝廷の意向を変えるように幕府から頼まれた時でさえ、大変な自信と使命感に燃えていたようです。

 

他人が知らないこと、成し得ないことを自分は知っていて、そしてできる。

特別に天から与えられたことだと自分で言っているのです。

それを自分の使命に結びつけて考えていたのでしょう。

 

目の前の損得には目もくれず、大局的で大きな視野を持っていたことも次の発言からわかります。

たとえ私は今日死すとも、後世に必ず公正な論が起こって私の正しさを証明するだろう。

だから悔やむことも恨むこともない。

 

確かにその通りになったわけですが、逆境の中でも決して折れることのない、大きな使命感と信念の強さは特筆すべき象山の資質と言えます。

 

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時代の先を行くリーダーとしての佐久間象山

佐久間象山の失敗

これほどの才能と先見性、使命感のある佐久間象山ですが、他の明治維新をリードした人物と比べて、活躍が少ない、思うようにいかないことが多かったと言えます。

確かに、抜群の先見性と能力で、兵学において、多くの有望な人材を教えて輩出したのですが、

もう少し活躍できたはずでは?と思う部分もあります。

 

佐久間象山に足りなかったもの、それは対人関係の能力、「人心を掴むこと」だったのかもしれません。

 

性格は今風に言えば、暗い性格で、人付き合いはできない、形式主義で権威的で高飛車、傲慢。

勝海舟なども、象山の性格には難ありと指摘しています。

真田幸貫の後の藩主との関係もよくはなかったようです。

 

西洋技術を取り入れるための実験についても、多くの藩士から反感を買い、動員された農民からも不満が出ていました。

国のために、大義のためにという思いは強かった反面、権威主義的に大義を振りかざし、農民や女性に対しては人として扱っていないとされる評価もあるほどです。

当然、敵も多かったと思われます。

 

儒学を学びながらなぜこうなるのだろうと、不思議に思うところもありますが、これも佐久間象山ならではの感覚なのでしょう。

人の心を理解し尊重するよりも、権威的に片付けてしまっていたのかもしれません。

 

この対人関係が原因で、肝心なところで支援が得られず、活躍の場は少なくなったという側面は無視できないでしょう。

 

もっといい人間関係に恵まれていたなら、と思う

もし、佐久間象山の意見や主張が取り入れられる場面があったら、随分歴史も変わっていたかもしれません。

 

1840年代に、近代化、海軍や大砲の導入は難しかったかもしれません。

しかし、ペリー来航以降も、象山の意見や主張が藩内で潰されたり、届かなかったりしたことは幾度となくあります。

藩主、藩士たちとの関係が良好であれば、もう少し意見が通って、幕府の耳に入っていたかもしれません。

 

吉田松陰の密航事件で入獄された際も、藩主などの支援者がいれば、謹慎期間ももっと短いものになっていたかもしれません。

日米修好通商条約を結ぶ際の幕府のドタバタに対して、象山は意見具申しようとしましたが、謹慎中の者の意見など聞かれるはずがありません。

もし、ハリスとの交渉に、象山が入っていれば、違う内容になっていたように思います。

 

謹慎が解けたのは1862年と、8年間も謹慎(蟄居)生活を送っていたのでした。

もっと早く京都に呼ばれて、開国論を公家や皇族関係者に説明できていたら、公武合体という体制での開国、そして近代化の道という選択肢もあったかもしれません。

事実、象山から西洋の技術や兵術の実態、そして開国を進めるべき理由を直接聞いた、中川宮、山階宮は、

「もっと早く聞いていれば、公家などにも聞かせて、今のような攘夷論にはなっていなかっただろう」

と象山の主張に感心したとされています。

 

その直後に、長州藩士に暗殺された(門徒である吉田松陰の教え子たちが仕組んだとされる)のはなんとも皮肉なことですが、

敵である長州藩の桂小五郎からも、これだけの大人物が殺されるのは惜しいということで、ひそかに、象山に暗殺計画に注意を促すよう仕向けたという話もあります。

 

人との巡り合わせ次第では、歴史的にも大変インパクトのあるリーダーになっていた可能性があるように思います。

 

まとめ

佐久間象山のたぐいまれな才能と信念、先見性は疑いようもありません。

ペリー来航の10年も前に、西洋技術の脅威と近代化の必要性を認識し、独学で(当然留学もせず)オランダ語を学び、洋学を研究した事実を考えると、なおさらこの人物のすごさが際立ちます。

 

一方で、対人関係はうまくいかないことが多く、それによって、通るべき意見が聞かれなかったり、活躍するべき時に謹慎になっていたりと、ちぐはぐな巡り合わせであったこともわかります。

当時のような近代化前の日本にあっても、一人の能力では、限界があるということを再認識させられます。

才能や能力を活かすために、いかに周りの人間関係が大切か、弱点を補完してくれるようなパートナー、支援者の存在が必要か、今の時代であればより一層重要な問題になるでしょう。

 

「東洋の道徳」について、現代の視点で考えるならば、いかに優れた人格をもって人を動かすことができるか、チームとして能力を発揮できるようにするかといった、リーダーシップの視点も必要になることでしょう。

 

佐久間象山の生き方から学び、考えさせられる要素は多くあるのではないかと思います。

以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

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