地方転勤になったら必見!【成功するために持つべきたった1つの考え方】

地方転勤が決まった人へ

こんにちは!Jimmyです。

地方転勤が決まったら落ち込む人が少なくないと思います。

 

私は新人サラリーマンの時の初配属がいきなり地方だったという経験があります。

その時の経験談を紹介していきます。

 

入社後すぐに、新潟に配属されました。

愛知県出身、東京の大学を卒業後都市銀行に就職という経歴です。

 

新潟は縁もゆかりもありませんでした。

知人もゼロです。

旅行ですら行ったことはありませんでした。

 

就職活動を共にした多くの大学の仲間は首都圏勤務が決まりほっとしているようでした。

友人知人、多くの交友関係が東京でしたので、新潟と聞いたときはそれなりにショックを受けました。

 

結局4年強の間、新潟で勤務をしましたが、

そんな私が新潟を第二の故郷と呼べるようになった過程(体験)と、仕事がうまくいくための大切な考え方を紹介したいと思います。

きっと地方での勤務が人生のプラスとなります。

私の地方勤務体験談、全国転勤の宿命と新潟への辞令

入社前の面談でわざわざ都心希望を伝えたのに

入社前、アンケートと面談があったことを覚えています。

勤務地の希望に関するものです。

 

私は、東京の大学に通っていたことから、友人知人は、ほとんどが東京にいました。

当然、東京勤務を希望しました。

面談の際も東京勤務を希望している旨はっきりと伝えました。

 

総合職として銀行に入る以上は全国転勤があるということはわかっていました。

しかし、銀行が拠点を出しているところは首都圏に集中しており、入社後の初配属先は、東京、大阪のいずれかというのが前々年までの実績でした。

 

大学も東京でしたので、高確率で東京に残るものと思っていました。

しかし、実際に蓋を開けてみると、なんと新潟だったのです。

 

辞令を受け取り、席に戻る途中で気になって、歩きながら紙を見たのですが、一瞬「新橋」かなと思いました。

しかし、よく見てみると、、どう見ても「新潟」と書いてあります。

 

目の前が真っ暗になりそうでした。

 

リーマンショックより前の一時的な景気回復局面での採用でした。

採用人数は多くなり始めていましたので、首都圏だけに新人を収めることができなかったのでしょう。

新人の地方配属を始めたようです。

 

すごい確率ですが、私の何が気に入らなかったのか、希望を無視された人事となりました。

 

辞令当日に地方へ移動

私と同じ新潟配属となった同期は2名、いずれも出身、大学ともに首都圏の男性でした。

辞令を渡されたその日に、勤務先に飛ぶことになっていました。

 

荷物は宛先不明のまま会社に出してあります。

新潟に行ったら私の荷物があるのでしょう。

展開が早すぎて、ついていけない気分でした。

 

大手町の会社を出る前に、人事部から新潟までの切符を渡され東京駅に向かいました。

人生初の上越新幹線に乗って、豪雪地帯(と思い込んでいました)へ向かうことになりました。

 

途中、家族や友人、知人に連絡し、これから新潟にいく旨伝えました。

みんなに驚かれると同時に、励まされました。

 

みんな咄嗟に何を言えば良いのかわからなかったのでしょう。

「新潟はさー、ほら、魚美味しいじゃん、お米美味しいじゃん!スノボ近いじゃん!遊びに行くから!」

この慰め方が9割でした。

 

同期2人も同じような感じで見送られたようで、3人で意気消沈する気持ちを抑えるように、励まし合いながら上越新幹線に乗り込みました。

 

地方で結束

トンネルを抜けると雪国だった。

川端康成の小説の一説が頭に浮かんでは消え、ぼーっとしながら外を見ていると、本当にトンネルを抜けると雪がありました。

 

越後湯沢駅につきました。

もう4月です。

東京は晴れていましたが、越後湯沢駅からは雪が見えます。

どんより曇った灰色の空を見て一層気持ちが滅入りました。

 

目的地新潟駅につきました。

これから寮の手配ができるまで、指定されたビジネスホテルで過ごすことになります。

悲運の同期3人で、新潟駅前の焼肉屋で乾杯して結束を誓いました。

今でも昨日のことのように覚えています。

地方転勤になった多くの先輩の暮らし方

配属された新潟の拠点は新潟駅の前にあり、県内唯一の拠点でした。

勤務している先輩社員も新潟とは縁もゆかりもない方が多くいらっしゃいました。

 

ご家族は小学生のお子さんがいるご家庭以外はほぼ東京に残して単身で勤務されていました。

そのため、金曜日の終電で東京に帰り、日曜日にまた新潟に戻ってくるという生活をされている方も少なからずいらっしゃったと思います。

 

みんな近くに知人や家族がいません。

そうなると、必然的に夜は会社のメンバーで飲みに行くことになります。

休みの日は東京に戻るか、家で残業をするか、という人が多かったと思います。

 

しかし、これは本当にもったいないことです。

家庭の事情もあるとは思いますが、毎週末東京に帰り、新潟では仕事だけをするのでは、仕事でうまくいく可能性を自ら下げてしまっているようなものです。

地方営業での成功体験で気づいたこと

新人で配属されて以来、早く業務を覚えようと悪戦苦闘の毎日が始まりました。

先輩から仕事をもらいながら、少しづつルールや、業務のやり方を覚えていきました。

 

2年目に入ったところで私は営業担当者として、顧客を持ち、外回りに出されることになりました。

担当先は地元の中小企業です。

 

営業車は軽自動車で、当時はカーナビも設置されておらず、引き継いだ先を地図を見ながら訪問し、営業をする日々になりました。

研修の時や、上司から教えらることといえば、よくお客さんのことを理解すること!訪問回数を増やすこと!お客さんの立場で考えること!です。

 

まだ右も左もわからなかった私は、とりあえず一生懸命やってみることにしました。

 

程なくして起こったリーマンショックの煽りを受け、新潟の経済は低迷していました。(都心もそうですが)

特に、田中角栄さんのお膝元新潟では、建築関係の会社が多く、景気悪化の影響をもろに受けていました。

 

回っても回ってもいい話はありませんでしたが、お客さんのところに訪問することは毎日愚直に繰り返しました。

入社2年目の若手ということで、失うものは何もありません、それが武器だったのだと思います。

 

とりあえず行ってみよう、どうせ何も無いんだから上手い提案なんてできなくてもいいや!と開き直っていました。

たくさんお客さんを訪問する中で、重要なことに気づきました。

 

当たり前ですが、人と人との人間関係です。

 

銀行業務といえば、「お金」です。

お金を借りたり預けたりする重要事項ですから、中小企業の場合、決定権は基本的に社長にあります。

 

つまり社長がうんと言わなければどうにもなりません。

ですから社長にばかりに目が行ってしまうのです。

上司からも実権者に提案しなければ意味がないと言われていました。

「誰に会ってきたんだ?」と聞かれ、「経理課長です」というと怒られました。

 

ということで、大事な提案は社長に直接持っていくのですが、多くの場合、あまり取り合ってくれません。

新規先であれば、トップは、ほぼ会ってくれません。

 

そもそも新潟には当時代表的な地元地銀が3つあり、都市銀行がメインとして入っている会社は非常に少なかったのです。

 

普段、集金事務などでお会いする機会が多いのは、経理部長さん、課長さんです。

当時私が担当していた会社では、社長の奥様だったり、長年勤務する女性の方だったりすることが多く、私の集金業務の窓口をしていただいていました。

 

この方たちは大企業(もしくは都会風の組織)のサラリーマンとは少し違った人情があります。

ここがポイントでした。

 

「そういう大事な内容はわからないから、社長に直接言って欲しい」

と杓子定規に言われていたのが、関係がよくなると、しっかり聞いてくれるようになりました。

 

まずはその方にとって役に立つようなことをしたり、一生懸命通ったり、なんでも良いのですが、接点を増やして役に立つようにしたのです。

すると、経理部長さんから「社長に言ってあげる!」となったのです。

 

大企業ではこうはいきません、サラリーマンは任されている業務以外のことはしません。

会社のためになっても、自分の成果にならないような余計な仕事は増やしたくないのです。

上に伝えておきますと言われて、返事があった試しがありません。

 

しかし、この方たちは違いました。

しっかりと社長に意見具申し、伝えてくれます。

また、社長に対して、「あそこの銀行の若い子、あんなに来ているんだから話くらい会って聞いてくれ!」とお願いしてくれる奥様兼経理部長様もいました。

 

人情がまだ残っている社会なのです。

「社長が会ってくれるみたいだから、例のあれ提案してみたら?」と言ってくれる奥様(経理部長)には本当に救われました。

 

以前、他社と競合した時、当時の担当者が出した条件が圧倒的に悪く、社長がひどくお怒りになり、それ以降提案すら受け付けないことになっていました。

後からわかったのですが、当時の担当者の勘違いで、前提条件が全く違っていたため、他社と提示するものと大きく開きがあったのです。

 

それは社長と面談して、話していて気づきました。

再度社長のご要望を聞き、提案し成約に結びつけることができました。

 

経理部長が取り計らってくださったきっかけは、意外な話題からでした。

お子様が海外に留学予定ということで大変心配されており、どうやって外国にお金を送ればいいのか、どこで子供はお金を引き出したら良いのか?どうやって引き出すのか?現地で口座を作った方が良いのか?等ご自身で調べているようでした。

 

お子様一人での海外生活ということで、大変心配されていたので、

海外の口座事情を全部調べることにしました。(と言ってもそれほど時間のかかる話ではありません)

 

いくつか選択肢をお持ちした上で、「一番便利なのはこれだと思います」と案内し、銀行としてできることを伝えたところ、大変感謝されました。

 

奥様(経理部長)のお子様の留学の話を聞けなかったら、社長とは会えなかったでしょう。

社長からは「経理部長(奥様)は若い男が好きなんさねー(新潟弁)、おたくの提案聞いてくれってわざわざ言ってきたよ、経理部長に感謝してね」と言われました。

私は贔屓目に見てもイケメンではありません、留学の件でいい関係を作れたおかげです。

地方転勤で成功するためのたった1つの条件 地元に関心を持つこと

関係性作りには、やはり話題が必要です。

先ほどの例で成功した私は、お客さんとの関係構築を一層重視するようになりました。

 

当時(今もですが)銀行で扱っている商品や条件は、それほど差別化できるものがなく、商品本位の営業ではなかなか地元の銀行にかなわなかったという背景もあります。

 

色々試す中でわかったことは、「外様の人間だからこそ、地元のことは話題になる」です。

 

地元の話題はよく出すようにしました。

これをきっかけに、信頼関係を築くようにしました。

業務だけしていてもなかなかそれ以外の話は降ってきません。

 

この話題はとても重要であり、効果があります。

遠いところから来た人が地元のことを知っていると嬉しいものです。

興味を持っているだけでも喜ばれます。

 

これは相手が社長でも同様です。

経営者の方は想像以上に地元のことを考えておられますし、愛着を持っていらっしゃいました。

中には携帯の待ち受け画面が田中角栄という人もいらっしゃいました。

 

そこで新たな発見や学べることもあります。

私は新潟で出会ったある経営者の方から、山本五十六(新潟県長岡市出身)の話を聞き、有名な名言と出会いました。

新潟を離れた後も、座右の銘としてパソコン上に書き出し、いつでも見えるようにしています。

 

あわせて読みたい 

山本五十六から考える真のリーダー像

やってみせ 言って聞かせて させてみせ ほめてやらねば 人は動かじ
話し合い 耳を傾け 承認し 任せてやらねば 人は育たず
やっている 姿を感謝で見守って 信頼せねば 人は実らず

 

これがまた、違うところで話題となります。

山本五十六の言葉に感銘を受けた私は、帰って自分でも色々調べて勉強してみたのです。

 

ある取引先で、山本五十六の話を社長に熱弁したところ、大変気に入ってもらえました。(気に入ってもらおうとしたのではなく、本心で言ったからだと思いますが)

そこから始まるご縁があります。

 

その社長さんから紹介を受けて、他のお客さんを訪問できたり、友達の輪に入れてもらったり、女性を紹介されたりもしました。

 

そんなわけで、予想をしないところから、新潟で人間関係がどんどん広がっていきました。

 

紹介された居酒屋で店長さんや常連さんと知り合いました。

地元の野球チームや、英会話仲間もできました。

 

日本酒はやっぱり新潟だと言っていたら酒蔵見学に連れて行ってくれました。

 

そのおかげで日本酒の有名な会社でも話が盛り上がりました。

いいお取引もできました。

新潟で繋がった人たちと新潟の四季を満喫しました。

春は上越高田の桜
夏は岩牡蠣
秋は村上の鮭
冬は日本酒

 

あと、アルビレックス新潟の応援でしょうか。

サッカー、野球、バスケと試合観戦に行きました。

 

※なぜか地元の人たちはスキー、スノーボードをやる人が少なかったように記憶しています。ある人が仰るに、雪は遊ぶものではないそうです。

 

好循環が生まれたら本当に地方での生活は楽しくなります。

「人がいい!」は本当でした。

東京では味わえない生活です。

 

仕事もプライベートも充実させるたった一つの条件、

地元に関心を持つことの効果は絶対です。

 

(余談ですが、ゴルフは絶対地方の方が便利です!)


地方転勤

 

地方転勤

何もないなんてウソ

よく、地方へ転勤した方が、途中で嫌になって会社を辞めた話や、やることが何もなくなる、知り合いもいない、つまらない、といったことを見聞します。

最初は、気持ちが滅入るのはよく理解できます。

 

私も新潟で過ごした最初の土日に、商店街を見て回ったのですが、最初の印象は、「さびれている、何もない、、、」でした。

悲しい気持ちになったのは事実です。

 

しかし、求めれば必ずあります。

都心にあって地方にないものを探すから何もないと感じてしまいます。

地方にあって都心にないものもたくさんあります。

 

東京の仲間とは毎週会わなくても、時々会えれば十分ではないでしょうか。

地元のことを理解しようとすれば必ず、それに応えてくれる人がいます。

 

私の場合は仕事の関係から派生していきましたが、地域の活動に参加したり、行きつけの居酒屋を作ったりすることから始めれば、関係は広がっていきます。

 

そして、最初は気づかなかった、見えなかった発見が必ずあります。

 

例えば、こんなにいい場所があるんだという発見です。

それがお店なのかショッピングセンターなのか、公園なのかは人それぞれですが必ずあります。

 

その一歩を踏み出せば加速度的に地元を好きになり、好循環が生まれていきます。

少しの間辛抱して、地元に関心を持ち、地元の話題を探し、地元にどんどん入ってみてください。

地方転勤は出世が望めない?

地方に転勤することは出世できないと思う人もいるようですが、これは会社それぞれだと思います。

また、時期や背景がみんな違うので人それぞれとも言えるでしょう。

 

実際に、地方を経験してから本部の重役に就くというルートは割と一般的に見られます。

役員になる人もいます。

 

地方によっては、その会社の重要拠点ということもありますので、出世コースから外れているという感覚は持たなくてよいのではないかと思います。

地方転勤は自分次第で全てが変わる

私が新潟3年目の時でした。

新しく着任された部長が仰っていたことです。

 

  •  地元の神様を大切にすること
  •  旬を大切にすること
  •  地元を好きになること

 

この部長は、奥様もお連れになって、休みの日は新潟県下の各地に行かれ、旬のものを体験し、新潟の神社にもよく行かれていました。

新潟を好きになることを徹底的に実践しておられました。

 

結果ですが、在任中、景気がいいとは言えない時期でしたが業績は評価され、次の転勤は東京の大型店舗へ帰っていかれました。

 

自分が考えてやってきたことは間違えではなかったと思いましたし、新潟から離れた後、他の地域に行くことがあれば、地元に関心を持つことから始めようと決めました。

 

まさか、新潟のあとは、中国(China)に行くことになるとは当時は想像もしていませんでしたが。

 

これから地方に勤務される方、不安はたくさんあるかもしれませんが、地方は好きになると、都心よりも好きになれます。

 

私だけでなく、地方経験者の多くの方が、その地方を好きになり、離れる時は帰りたくないという感想を聞きます。

新たな発見、学び、素晴らしい人との出会いがあることを願っています。

 

以上、ここまで読んでいただいてありがとうございました。

地方転勤同様、海外勤務も人生に大きなプラスになります。以下の記事も是非ご覧ください。

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