こんにちは!Jimmyです。
「上から目線」という言葉がいつの間にか世間に浸透しています。
何かにつけて、「上から目線」であることがやり玉にあげられます。
もちろん注意するべき点もありますが、少し過剰に反応しすぎではないかと思います。
発言する側も受け取る側も気にしすぎなのです。
上から目線かどうかを気にしすぎても、よいことは一つもありません。
最低限のことに注意し、自分に対しても、相手に対しても、上から目線かどうか気にする物差しは、しまっておくべきです。
全否定、押し付け、高圧的はよくないという単純な話
一応意味をWeblio国語辞典で見てみました。
偉そうな態度や言い方などをすること、本来はそうではないのに自分の方が立場が上であるかのような接し方や話し方をすること。
確かに、相手を不快にしそうなため、よくありません。
そういうわけで、上から目線にならないために、あるいは上から目線の人の特徴が紹介されている本や記事も少なくありません。
マナーの専門家が記したアドバイスなどは参考になります。
多く指摘されている特徴は、大体以下の三点ではないかと思います。
- 全否定する、何か否定しなければ気がすまない
- 自分の意見が正しいと思っている、押し付ける
- 態度が威圧的、高圧的
これはよくない。
ほとんどの人がそう思う内容ではないでしょうか。
こうならないように注意することは大事です。
このような振る舞いをする人に対して、注意をするのも必要なことだと思います。
よって、上から目線はよくない! ということで終わりのはずなのですが、、、
しかし、この「上から目線」の意味が拡大解釈されている現状があるため、問題は複雑になっています。
上から目線とは感じる側の視点である
上から目線かどうかは、言われた側の視点で判定されます。
言い換えれば、言った本人にその気がなくても、言葉を受け取った側の判断次第ということです。
このような特徴がある言葉は、言葉自体がひとり歩きし始めます。
今の世の中、何かあるとすぐに「上から目線だ」という言葉が使われるようになりました。
少しでも相手の発言に不快感を感じれば、「上から目線だ」と言う人も少なくありません。
それどころか、相手の発言を深読みして、
「つまりはこういうことが言いたいのでは? 上からではないか!」と連想していくこともあります。
立場が下の人が、上の人にした発言に対して使われることもよくあります。
つまり、上司に対して、お客さんに対しての発言がやり玉にあげられるケースが目立ちます。
使う側としては、相手の非を指摘する非常に便利な言葉です。
しかし、便利な言葉であるがゆえに、ことあるごとに使われ、コミュニケーションを阻害しているように思えてなりません。
上から目線を気にしすぎた弊害
自分が、上から目線になっていないか、相手の発言が上から目線ではないか。
何れの立場にせよ、気にしすぎてもよいことは一つもありません。
最低限の注意事項(全否定、押し付け、高圧的)さえおさえていれば、あまり気にしない方がよいでしょう。
弊害が大きくなります。
中には、細かく他人の発言を気にする人がいるかもしれません。
しかし、その人の言うことを毎回真正面から受け取っていては、プラスになることはありません。
以下に、上から目線を気にしすぎることの弊害を書いていきます。
意見が言いにくい原因はここにあり!
よほど親しい関係でもなければ、言葉を慎重に選ぶ必要があります。
外国人からは、日本語は難しいと言われますが、日本人から見ても難しいのです。
メールなど作ろうものなら、言葉選びに時間を費やすことになります。
意思表示するだけでも、言葉を慎重に選ぶ人がほとんどではないでしょうか。
日本人であれば、多かれ少なかれどのような言葉を選ぶか慎重に考えるはずです。
慣れの問題もありますが、美しい完璧な言葉を作ろうとすれば、慣れた人でも時間はかかります。
枕詞に結びの言葉まで付け加えて、一つの作品を完成させるようなイメージです。
だからこそ、最近では社内連絡は、メールではなくチャットを利用する企業が増えているのだと思います。
忙しい経営者のような方は、メッセージが1行、要件だけで無駄な言葉の一切を排除しているというのも有名な話です。
しかし、立場が下の人の場合、言葉の使い方だけでなく、枕詞の有無などから判断が転じて、偉そうだ、無礼だ、上からだという結論になってしまうものです。
議論の本質を突き詰める前に、このようなことで時間をかける必要があれば、自ずと活発な意見交換やコミュニケーションは少なくなるでしょう。
称賛することさえ難しい
サラリーマン時代、中国勤務をしていてこんなことがありました。
多くの日本人が派遣されていましたが、中国語を使いこなせる人はごくわずかという背景があります。
そのような中、私よりも年配の方が、会議で中国語を駆使してその場を仕切っていました。
毎週末、中国語学校に通っているという噂は聞いたことがありました。
週末の限られた時間で勉強して、そこまでできるようになっていたのですから単純に「すごいな」と思ったわけです。
会議後に、そのまま伝えました。
「〇〇さん、すごいですね!全部中国語で仕切られて!」
と話したのですが、返ってきた答えは、
「お前なんかでもこれくらいの中国語は話せるんですね! ってことかな?」
でした。
「いえいえ、私は4年もいるのに会議を中国語で仕切るなんてできません、お忙しい中で中国語も勉強されていてすごいなと思ったものですから」
「上から目線でお褒めいただいてありがとうございます!」
「いえいえ、そんなつもりでは、私ももっと勉強しないといけないなと思いました・・」
このような会話になりました。
どこまで本気にされているのかという程度の問題はあるにせよ、一種の上から目線と判断されたわけです。
何れにせよ、大変面倒な会話になったことは間違いありません。
人を迂闊に称賛することも気を使うものだと思った経験でした。
正解はマナーの本にあったのだが・・・
そのようなことがあった後、何かの本でこの時の正解(いわゆる模範解答)を発見しました。
マナーに関する本であったと記憶しています。
褒めるときも注意が必要だとするテーマになっていました。
単に、「すごいですね!」と伝えるだけでは、上から目線に思われる可能性があるため、
「勉強になりました!ありがとうございました!」
「私もそのようにできるよう努力します!」
などと、自分のためになったことと、感謝、そして自分がまだその領域に達していたいことを伝えるとよい。
そういった趣旨のことが書いてありました。
よって、そのアドバイスを真摯に聞くとしたら、私の場合の会議後の正解はこうなります。
マナー本的正解
「〇〇さんが中国語で仕切っておられるのを拝見して、中国語での会議の進め方や、言葉の使い方など大変勉強になりました! ありがとうございました! 私はまだまだ勉強中ですが、早くそのようにできるよう努力します」
しかし、、、
「こんなこと、会議が終わって一声かけるだけのシーンで言うかね・・・?」
と卒直に思います。
何か他の意図や魂胆があれば別ですが。
もはや、私が正直に抱いた「すごい!」という小さな感動はこうでもしないと伝わらないものなのか?
そもそも「勉強させていただきました」など本心でもないため、言ったところで胡散臭い。
そう思ったりしながら、あのシーンを思い返したのでした。
自分の発言が自虐になる
このような会話を繰り返していると、自虐的な発言が癖になります。
とにかく、自分を下にして、相手を上にしないと、人によっては簡単に、上から目線だと受け取られてしまいます。
安全策をとるなら、「自分なんてこんなにダメです」ということを明示した上で、話さなければなりません。
会話も長くなり、疲れます。
マイナスの内容の話をしていても、会話は良い方向には向かいません。
「いえいえ、私なんて、こんなですから、、、」
「何をおっしゃいますか、私などはまだまだで、、、」
聞いていても悲しくなります。
一体どうなりたいのでしょうか?
最近では、上司が部下に対してアドバイスをする際にも気を使うようです。
「みんな最初のうちは同じような失敗をするものだから。。」
「私も昔はこれができなくて、苦しんだ経験があるのだけれど。。」
時には有効だと思いますが、毎回このようなことを最初に置いて話さなければならないのは困ったものです。
何が言いたいのか、受け取る側も違った解釈をしてしまうかもしれません。
屈折した反応に惑わされて萎縮しないこと!
相手のことを思いやることは必要ですが、屈折した反応をする人もいるものです。
何かあれば、冷静に振り返ってみることは必要ですが、
気にしすぎているとコミュニケーションをとることも、言うべき主張もできなくなります。
先ほどの会話の例で考えると、賛否両論はあるかもしれませんが、私はそのことを気にしても仕方ないという結論でいます。
そういう人もいると思って、次回からその人に接するときは気をつければよいだけです。
事実、多くの人は、笑顔で寄って行って、
「すごいっすね!」と言えば、
「おー!ありがとう」
となります。
あれこれ考えているうちに、結局何も発言しない方がよいと思ってしまえば、関係がよくなることもないでしょう。
マナー本のように、どのようなことに対しても、丁寧に安全に対応していては、瞬時の反応などできません。
言い方がまどろっこしい、反応が鈍い人だと思われる可能性もあるでしょう。
これは大袈裟な話ではありません。
本当に、少し気にし始めると、言葉がどんどん出てこなくなります。
失礼にならないように、上から目線と言われないようにと考えていると、非常にぎこちない、言葉が詰まってばかりのなんともリズム感のない発言になります。
部下に対しては、スラスラ流れるように言葉が出てくるのに、お客さんや上司の前になると、言葉が詰まって出てこない人は多いものです。
それは、緊張しているから、苦しい状況を説明しているからという理由だけではなく、言葉を選んでいるからです。
歯切れの悪い、リズム感のない、聞いていてストレスがたまる話し方になるのです。
確かに、細かいことを気にする人もいますが、そういう人と関わらなければならない場合は個別対応です。
そうではない人の方が圧倒的に多いと思います。
まずはあまり気にしすぎることなく、本来の目的に意識を向けるべきでしょう。
最初から萎縮している人が大変多いように思います。
当たり前に日本語を話せるのに、なぜあれほど会社の電話を取るのに緊張するのか(若手の頃など)。
過度に話し方を気にしすぎていることと、無関係ではないはずです。
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まとめ
上から目線になっていないかを深く考えすぎるのも問題です。
言葉を受け取る側が、過剰に反応しているという背景もあります。
最低限、振り返るべきは、議論などになった際に、
- 相手を全否定していないか?
- 自分の意見が正しいと思って押し付けていないか?
- 態度が威圧的、高圧的でないか?
という内容くらいではないでしょうか。
そもそも相手が年配の人、立場が上の人であれば、よほどのことがない限り当てはまることはないはずです。
上から目線という言葉が、どんどん拡大解釈されている結果、些細なことでも上からだと言われることが多くなりました。
本質的に間違ったことをしていなければ、あまり気にする必要はないということがほとんどではないかと思います。
中には、本当に細かいことを言う人もいますが、そちらの基準に合わせていると、萎縮してしまいます。
気にしすぎていると、コミュニケーションも取れなくなり、言うべき主張も言えなくなります。
上から目線という言葉に惑わされることなく、堂々と対応することが一番です。
自分が堂々と対応できていれば、他者に対しても、不寛容にならずにすむはずです。
上から目線を拡大解釈する動きは、まさに、不寛容な人が増えているよくない傾向です。
以上、ここまで読んでいただきありがとうございました!
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