こんにちは!Jimmyです。
「謙虚であれ!」
と昔からよく言われます。
謙虚を美徳とするのは、日本だけではありません。
欧米でも、謙虚な姿勢は賞賛されることが多いようです。
しかし、気をつけなければならないのは、謙虚さを意識し過ぎて拡大解釈されてしまうことです。
今回は、そんな「謙虚」という言葉を美辞麗句として使うことで陥りやすい、間違った考え方について書いていきます。
謙虚の意味(大辞林より)
ひかえめでつつましやかなさま。
自分の能力・地位などにおごることなく、素直な態度で人に接するさま。
謙虚な人と自分に自信の無い人は違う
大辞林には、「ひかえめでつつましやか」とありますが、同時に、「能力や地位におごることなく素直な態度」という表記もあります。
ここで言いたいのは、自信の無い人を謙虚とすることは違う、ということです。
自分に自信が持てず、いたずらに自分を卑下するような人は、賞賛されるどころか、魅力的には見えません。
聞いている方も、気分がよいものではありません。
不幸自慢などもやめた方がよいでしょう。
自信が無い状態では、過剰に卑下したり、逆にアピールしたり、もしくは他人のせいにしたり、美徳とは程遠い状況になりがちです。
能力があり、自信を持っているからこそ、周りにひけらかす必要がありません。
それが「謙虚」となります。
謙虚な人と自分の意見を言わない人は違う
勘違いされやすいことですが、黙っていれば謙虚になるわけではありません。
自分の意見をあまり言わない人が謙虚と評されることがありますが、軸のない人、Yesマンであることも多くあります。
そのような人は、いわゆる「空気が読める人」であることが多いのですが、
自分の意見を言わないということは、社会では存在意義が疑問視されることもあり、注意が必要です。
自分の意見を持ち、はっきりと主張できることが前提です。
その上で、相手の話や主張にも耳を傾けることができて初めて、謙虚と評されることになります。
時には反対意見をズバッと言うことも必要です。
謙虚さが美徳となるのは実績と能力があってこそ
実績が無いうちこそ、謙虚であれとよく言われますが、よく考えればある意味当たり前の状態です。
当たり前の状態であれば、賞賛されることもなくて当たり前です。
謙虚であることで賞賛されるのは皆、第一線で活躍している一流の人であることを思い出してください。
職場で謙虚だと賞賛される人は、仕事もよくできる人ではないでしょうか。
誰もが知っている人で例えると、野球の大谷翔平選手やテニスの大坂なおみ選手だからこそ、「謙虚」だと賞賛されるのです。
実績や能力がないうちは、謙虚な状態が当然のこととしてみなされます。
謙虚だということで、真に賞賛されることはありません。
「謙虚であれ」の真実
実績や能力の無い人、会社員で言えば、新人時代などは、謙虚な気持ちを持つことは、備えていなければならない条件のようなものです。
実際に多くの新入社員は謙虚かと聞かれれば、謙虚であると思います。(控えめでつつましやかという意味で)
私も会社員時代、後輩と接する機会や教える機会はたくさんありましたが、総じて皆謙虚でした。
それは、知らないことを教わるため、ほとんどの人が素直に聞くからです。
私は出会ったことはありませんが、中には新人であっても謙虚さの無い人もいるようです。
しかし、それはごく一部の人であって、日本人であれば、意外と多くの人が身につけている姿勢ではないかと思います。
どんな世界でも、謙虚でない人は、実績や能力を身につけた人、成功した人に多く見受けられます。
一旦成功を収めた人が、傲慢になり身を滅ぼしていくというストーリーはよく聞きます。
大きな成功者でなくても、仕事の能力、実績ともに、ある程度身につけた人に、謙虚さを失った言動が目立つように思います。
つまり、はじめはほとんどの人が身につけていた謙虚な姿勢が、経験とともに失われていくことが多いということです。
実るほど頭を垂れる稲穂かな
誤解を恐れずに言うと、若い頃は、「謙虚であれ」と言う言葉に縛られすぎないほうが良いのではないかと思っています。
日本人は、元々謙虚さを持っている人がほとんどです。
知らないことや、初めてのことは、ある程度聞く耳を持っていますし、学ぶ姿勢を持っています。
逆に、過度に自分の能力を卑下したり、卑屈になったりして、自分の考えもはっきりと言えなくなる人の方が多いように感じます。
「謙虚であれ」は、特に成功者、実績のある人、その道のスペシャリストになった時に、最も注意するべき教訓です。
上の例のように成功と実績のある人は、注意をしてくれたり、アドバイスをくれたりする人は圧倒的に少なくなります。
実績や能力の無い人は、周りの多くの人が注意をしてくれます。
時には叱ってくれます。
方向修正できるチャンスは非常に多いのです。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
とは作者も不明な俳句ですが、実りのある人(実力、実績のある人)ほど謙虚であれという戒めになります。
実るまでは、日光(チャンスや人の助け)を求め、背伸びして行くことも悪いことではありません。
むしろ必要なことです。
実った稲穂となって初めて、日光に頼る必要はなくなります。
栄養を与えられる存在から、与える存在になっているのです。
これは何の分析結果もない、私個人の考え方ですが、若いうちに、謙虚、謙虚、ずっと謙虚を意識していると、成功した時に反動が来るように感じます。
それよりは、若いうちに、小さい失敗や痛い目に遭う経験をしていたほうが、実った時に素直に頭を垂れる稲穂になることができるのではないかと考えています。
「謙虚でないことの失敗」を、まだ傷が浅くて済む若いうちにしておいたほうがよいという考えです。
人間、頭で理解するよりも、失敗をして体験から学びを得たほうがはるかに身に付きます。
もちろん、ずっと謙虚を貫けるような本当に素晴らしい人格者もいますが、多くの人は失敗から学びます。
そういう意味でも、若いうちは、根拠の無い自信や、強引さを持って、少しばかり突っ走ってみるのも悪くはありません。
特に日本人は、何も意見を言わない人、言われたことを文句も言わずにひたすらできる人、自分を卑下する人を謙虚としてとらえる傾向にありますが、
これを正解として、美徳とすることは絶対に避けるべきです。
以上、ここまで読んでいただいてありがとうございました。
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