当たり前のことを当たり前にやるのが一番難しいという話

当たり前のことだからこそ過信する

こんにちは!Jimmyです。

当たり前のことを当たり前にやることが難しいと言われます。

確かにその通りだという認識はありつつ、どこかで、概ねできていると思っている自分がいたように思います。

 

今回扱う「当たり前」は、感謝と誠実です。

学生のときの自分に、「できているか?」とたずねたら、「概ねできています」と答えていたように想像します。

何かをしてもらったら、ありがとうと言っている。

悪いことはしていない、相手のことを考えることもしている。

一応、それぞれの言葉の意味するところはクリアしています。

 

一方、最近になって、年々当たり前のことをする難しさを再認識しています。

当たり前のことだからこそ、対象も広く、解釈の仕方や、意味の深さも様々です。

あまりにも簡単に考えていた節があったことを認めざるを得ません。

 

できている、これくらいで問題ないと思えば、それ以上反省したり考えたりすることはなくなります。

自分自身、そのような危険性を認識したところから、日々発見が始まったように思います。

今回は、私自身の反省を紹介しながら、当たり前のことを当たり前にやることの難しさを考えます。

年々解釈できることが変わる

表面的に意味するところが簡単であるからこそ、深さを考えることがなかったのかもしれません。

しかし、一旦焦点を当てれば、年々新しい発見や反省がありました。

そう考えると、これから40代、50代、60代と、更に新たな視点が待っているようにも思います。

古今東西、多くの先人達が、熱心に、当たり前のことを当たり前にやることの意義を説いています。

おそらく、考え実践するほどに、新たな発見や境地が待っているのでしょう。

それを楽しみに、同時にゴールはないという戒めにしながら、当たり前のことと向き合うのがよいかと考えています。

感謝・おかげさま

一言で言えば「ありがとう」です。

それこそ、最も当たり前のこととして每日のように使う言葉です。

 

友達がいるおかげで楽しい、ときに助け合う関係になれば「友達っていいな」と思う。

上司や先輩から、仕事を教えられれば感謝する(理不尽に言われれば嫌になる)。

成果が出れば、周りの人のおかげさまであるとコメントできる。

ふとしたときに、健康に働くことができている現状に感謝する。

誕生日になると、親に感謝する。

 

このようなことを思ったり思わなかったり、私自身はそんな20代だったように記憶しています。

これをもって、「感謝」という当たり前のことを当たり前にやっているかというと、まだまだ本質的には程遠いと言えます。

それでも、以前はそれ以上のことは考えませんでした。

 

日々、家族、両親、先祖、友人、今日関わった人に感謝をする習慣。

このような意識を30代から持つようになりましたが、このあたりから大きく変わっていったように思います。

 

起業をしたことも大きく影響しています。

収入もなくなり、家族を不安にさせました。

それでも、家族は私を支え、前向きにできる環境を作ってくれました。

何より、一日無事でいてくれるからこそ、仕事に集中することができるということにも気付かされました。

他にも、困っているときに手を差し伸べてくれた方々のことを強く意識できるようになりました。

日常の、それまで気を止めなかったようなことこそ、当然ではない、「有り難い」ことなのだと思える感覚も強くなりました。

 

多くの人のおかげさまと支えの中で、今日の自分がいる。

これを每日思い出し、感謝をするというのが日課になりました。

全てが繋がっているという発想も自然と出てきます。

 

そうなると、周りとの関わりの中で、「生かされている」という言葉にも実感が湧いてきます。

順調に物事が進んでいれば、気づくことはなかったと思います。

今後も、人生の出来事や各ステージで、不足していた考え方や行動原則に気づくことになるでしょう。

一番難しい「当たり前」だからこそ、ゴールもなければ完璧もない、このことは忘れないようにしています。

誠実・公明正大

「自分は悪人だ」と思う人はまずいません。

周りが、よくないことだと思っていても、自分自身はそれを正当であると思ってやっているはずです。

誠実であれとよく言われますが、「そこそこ誠実」だと自己認識する人が多いのではないでしょうか。

私も、まさにそう思っていました。

 

しかし、「そこそこ誠実」は、都合の良い解釈でしかありません。

誠実にしているつもりでも、状況次第では、簡単に不誠実になりかねません。

命令や指示、圧力のもとでは、不誠実もある程度許されるという感覚はないでしょうか。

「仕方がない」と言う言葉で片付けてしまうことが、自分自身振り返って多かったように思います。

 

自分は誠実な人間であるが、仕方ないときもあるという発想です。

仕事において、過度な利益目線に走るときは、まさにこのような心持ちでした。

何とも都合の良い解釈であったと反省します。

誠実さではなく、損得勘定によって動いていると言ってよいでしょう。

 

やはり、誠実であることは、当たり前のようで、難しいことです。

 

複雑な利害関係があれば、どうすることが正しいのか、判断はさらに難しくなります。

関係者と調整が必要であったり、どちらも大事であったり、恩義があったり。

こうなれば善悪がわからなくなることもあるでしょう。

国民の目からは、誠実さの欠片もないように映っている政治家であっても、本人は誠実であると心から思っているはずです。

 

困難な状況や複雑な状況において、損得勘定だけにとらわれずに、誠実さを貫けるかどうか。

難しい状況、本当に誠実であるか試される場面は、これからさらに増えていくように思います。

一層強い、自分の軸が必要になるのは言うまでもありません。

簡単に、「自分は誠実な人間です」と言えるものではなさそうです。

最後に

感謝をすること、誠実であること。

当たり前に大切にされていることですが、実践すると、それほど浅いものでも簡単なものではないことに気づきます。

実践を繰り返している、経験豊富な方から、感謝や誠実について聞かされると、都度新たな発見があるものです。

 

当たり前のことを当たり前にやることこそ難しい。

この視点を忘れてしまえば、意識することもなくなり、成長もありません。

長い年月をかけて、洗練され、本質に近づいていくものなのかなと、今おぼろげながら感じています。

每日の習慣が大切です。

当たり前に目を向け、注力する習慣を見直してみてはいかがでしょうか。

 

以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

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