指摘・注意してもらうことのメリットとありがたさ

指摘・注意してもらうことはありがたい!

こんにちは!Jimmyです。

普段、自分の改善すべきところや、よくないところについて、指摘、注意をしてもらっているでしょうか。

注意されると、瞬間的には良い気分はしないでしょう。

相手に対して反感を覚えたり、言い返したくなることも多々あると思います。

「この人に言われたくないよ」と思うこともあれば、中には、ほとんど理不尽な指摘ということもあります。

 

それでも、今回は、そのような指摘、注意をもらえることが大変ありがたいことであるという趣旨になります。

每日、指摘、注意されてばかりだという人は、今の環境を少し前向きに、

最近は、あまり注意されることもなくなっているという人は、改めて注意してくれる人の大切さを考え直す機会となれば幸いです。

他者からの指摘はなぜ金言なのか

他者から指摘、注意してもらえることが、なぜ重要なのか。

それは、端的に言って、誰もが少なからず、偏ったものの見方をしているからです。

 

そもそも自分では気づきにくい

完全に客観的、中立的に自分を見て判断できる人はいないでしょう。

自分を通してしか世界を見ることができないため、完全に自分の言動を客観視するというのは不可能です。

一方で、他者からすれば、自分のことを客観的に見ることが可能です(当たり前ですが)。

 

何かしらの偏りは生まれる前提で考えれば、他者からの指摘は、自分の偏りに気づく重要な機会です。

指摘してもらえる機会が多いほど、無意識のうちに進行している偏りを知り、方向修正できる機会も増えます。

 

コミュニケーションは一方向では完結しません。

必ずお互いがいて成立します。

つまり、そこでもたらされた感情、結果は、少なからずお互い様です。

原因は必ず、双方にあります。

しかし、先程述べた通り、自分を客観的に見ることは難しいことです。

相手に原因を押し付け、自分を顧みないということはよく起こります。

自分では、自分の言動の偏りや誤りに気づきにくいという性質は忘れるべきではありません。

 

まず、振り返ってみるべきは、普段からよく言われていること、もしくは昔からよく言われてきたことです。

それらについて、改めて意識を向けてみることが効果的です。

少なくとも自分で思うよりは、的を得た指摘のはずです。

自分では、周りを明るくする存在であると認識していても、他者から、自分よがりで空回りしていると言われてしまった場合。

残念ながら、他者の感覚が正しいことがほとんどのはずです。

ここは、しっかり受け止める必要があります。

そこに修正の機会があります。

空回りも、周りを明るくするも、意外とほんの少しの差であり、修正次第で変わるものかと思います。

 

特に自分を強く持って進んでいるとき

自身の偏った見方について、特に注意すべきは自分自身の軸を強く持って進んでいるときでしょう。

これは、私自身の反省でもありますが、信念を持って突き進むほど、見方も偏りが増す危険性があります。

強い信念を持って進んでいると、断言すること、否定すること、揺るがない立ち位置も増えていきます。

これは、ある程度致し方ありません。

相手にしてみれば、極端な意見だと捉えられることもあるでしょう。

 

私自身、自分の事業に関する経緯や目的意識などを語っている時に、

考え方が少し極端ではないか、決めつけたうえで判断していないかと指摘されたことがありました。

 

一方、思い入れがないことを話すのであれば、一般的に言われている正解や場の空気を考えつつ、極端な意見にならないように気をつけることは、より容易にできるでしょう。

そもそも、極端な意見を発する勇気を持てないと言ってもよいかもしれません。

偏っていない意見は、ある意味、どっちつかずの意見であるとも言えるのです。

 

ここは、表裏一体なのですが、自分の信念を強くしつつも、あまりにも偏った極端な考え方が進行しないよう、反省することも必要です。

そうでなければ、世のため人のために動いていたはずが、自分よがりの考え方になりかねません。

指摘された瞬間は、私もあまり気分はよくありませんが、後で振り返ってみると、修正するべき点は必ずあります。

多様な見方に気づかせてくれる機会は、本当に貴重であり、はっとさせられます。

信念を貫く際には、自分よがりになっていないか注意する必要があり、それには直接指摘をしてもらうことが一番です。

反省と修正を繰り返すことで、周りの人からも必要とされる、信念のある人格に近づいていきます。

 

上司がいるのはありがたい

起業してから、ようやくわかったことの一つが、上司の存在のありがたさです。

上司でなくても、嫌われ役の存在という場合でもよいかもしれません。

あまりピンとこないと感じたことも多かったのですが、

每日見ていて指摘してくれる人がいなくなると、誰かに聞いてみたくなる、指摘を受けたくなることも出てくるものです。

 

上司の言うことがすべて正しいわけでも、鵜呑みにするべきというわけでもありません。

それでも、指摘、注意されたという時点で、そのことについて立ち止まって考える機会ができます。

これが重要であったと思います。

そう考えると、上司も、嫌われ役の人もまた、ありがたい存在であると考えることができます。

 

サラリーマンであっても、自営業であっても、年齢が上がっていくごとに、指摘、注意をしてくれる人は少なくなっていきます。

だからといって、人間である以上、偏った見方が自然となくなっていくことはありません。

今、周りに指摘、注意してくれる人がいる環境であれば、多少気分が悪くても、時には感謝することも必要かもしれません。

それもまた、偏った見方の修正の一つではないでしょうか。

 

以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

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