バーニー・サンダースの人生とは?政策と一貫した考え方を振り返る

大統領選候補者指名争い撤退したけれど

こんにちは!Jimmyです。

今回は、アメリカの上院議員(無所属)、バーニー・サンダース氏の人生と政策主張を振り返ります。

 

2020年4月、大統領選における、民主党候補者指名争いからの撤退を表明しました。

 

結果、大統領選は共和党ドナルド・トランプ現大統領と、民主党ジョー・バイデン前副大統領の対決が決定的になりました。

”民主社会主義者”の大統領という挑戦は、年齢から考えても次回は難しそうですが、明らかに、バーニー・サンダースを支持する層、そして現行資本主義体制への悲観論が増えています。

今後、バーニー・サンダースの意思を引き継ぐ人が出てくることも十分ありうる話でしょう。

この機会にバーニー・サンダースのこれまでの人生と、考え方の根本となっているものを整理します。

 

資本主義の本丸であるアメリカで、しかも無所属で、地元、若者中心にここまでの支持基盤を作ったことは、どれだけ控えめに見ても驚くべきことです。

 

このような人の人生からは主義主張の内容以前に、多くの人が学ぶべきものがあるのではないかと思います。

 

今回の記事では、バーニー・サンダースの政策の具体的な方針、無所属で大統領候補にまでなった過程、そしてそこから学ぶべきことについて順に紹介していきます。

 

バーニー・サンダースの一貫した政策・主張

バーニーサンダースの公式ページから、今回の公約をピックアップして振り返ります。

なお、主張する政策の内容は、昔から大筋は一貫しており変わっていません。

そして、何よりわかりやすいのが特徴です。

 

基本的なスタンス・問題認識

大企業や富裕者ではなく99%の労働者、中間層、貧困層、高齢者、子供のために闘うこと。

一握りの富裕層に富が集中していること、および格差が拡大していることから、その是正を訴えています。

さらに金権政治が浸透し、選挙の票までもがカネで買収できてしまっている現状、本来機能すべき民主主義が退化しているという現実に警鐘を鳴らしています。

 

掲げる政策

大学の無料化

多くの人が大学への進学を断念し、また入学した人であっても多額の授業料のローン返済に苦しむ人が増え続けている現状を踏まえて、大学の無料化を掲げています。

 

最低賃金の15ドルへの引き上げ

実質賃金が下がり続けている現状を踏まえ、低所得者層の生活が苦しくなっている背景があります。

もはや生活を維持できる水準に満たない給料で働いている人も多く、繰り返し主張されている事項です。

 

国民皆保険

アメリカは医療にかかる費用が高いことは知られています。

十分な医療を受けられない人は数多く存在し、治療すれば救うことができる命が、試算によると6万8千もあるということです。

 

通商政策

国民の低賃金化、雇用悪化を招くような貿易協定には反対の立場を示しています。

海外への事業移転を進める企業の税控除を廃止し、全ての貿易協定に拘束力のある労働、環境、人権の基準を導入するとしており、国内労働者の利益の視点に立つという意思表示と言えます。

NAFTA、TPPには一貫して反対の立場をとってきました。

 

グリーンニューディール

化石燃料からの脱却です。

エネルギーシステムを100%再生可能エネルギーに変換し、気候危機の解決に必要な2000万人の雇用を創出する目的とされています。

 

大企業、富裕層への増税・補助金削減

上記の政策を実現するための大部分は、大企業、富裕層への増税、補助金の削減によります。

大企業への優遇税制や補助金は、国民が認識していないところでも多数あり、それらを削減すれば大きな財源となるとされています。

さらに、一部の超富裕層については、アメリカで最も稼いでいるトップ3人の資産は、典型的なアメリカ人世帯4百万の合計資産を超えているという格差に注目し、資産税などの強化を訴えています。

 

バーニー・サンダースの人生とは?ポイント

バーニー・サンダースの政策が実現すれば、アメリカの株価にはマイナス影響を及ぼし、国際的な競争力を維持することが難しくなると多くの識者が主張しています。

そして何より、権力を持っている層からの反発、大企業、富裕層からの反発は大変大きくなっています。

そんな異端児とも言えるバーニー・サンダースですが、どのような過程を経てこのような考え方を強く持つに至ったのか、そして二大政党(共和党、民主党)に属さず支持を獲得していったのか、

バーニー・サンダースの人生を振り返ります。(参考図書:バーニー・サンダース自伝 バーニー・サンダース著)

 

政治家としての主な経歴

1964年 シカゴ大学卒業

1981年 ヴァーモント州バーリントン市長就任

1991年 アメリカ合衆国下院議員

1997年 アメリカ合衆国上院議員

2016年 大統領選挙民主党候補戦で注目を集めるも、ヒラリー・クリントンに敗れる

2020年 大統領選挙民主党候補戦、ジョー・バイデンとの一騎打ちの末撤退

 

どんな家庭で育ったのか?

バーニー・サンダースは、1941年、ニューヨークに生まれます。

両親はユダヤ系の移民で、特に政治に熱心な家庭ではなかったようです。

生活はなんとかしていける程度の経済状況で、裕福な育ちではなかったと振り返っています。

 

ブルックリン大学、シカゴ大学に通いますが、勉学に熱心ではなく、その代わりに、人種平等会議、学生平和連合、

青年社会主義者同盟の一員となるなど課外活動に力を入れていました。

実兄の影響で、民主党の青年組織に入り、政治に関心を持ったきっかけであると語っています。

 

学生時代は、図書館で、経済や哲学、思想面の本をよく読んでいたようです。

マルクス、リンカーン、フロイト、レーニン、エンゲルスなどが自伝では挙げられています。

中でもユージン・デブスという労働組合運動家に傾倒します。

デブスは、労働者を率いてストライキを指揮し、働く人々が真に国を支配する民主主義を目指していたとされています。

このデブスの影響を強く受けて、労働者のための民主主義という意識が強く芽生えたものと思われます。

何れにしても、育った環境としては、政治家一家のような家庭でも、熱心な家庭でもなかったようです。

 

政治の世界への進出

選挙区であるバーモント州には1968年に移住しました。

きっかけは、1971年、自由連合という小さな政党の集会に出た時のことです。

 

実は、これは、連邦議会の上院、下院の候補者を指名する会でした。

誰も立候補する人がいない中、サンダースはここで、教育、経済、ベトナム戦争について見解を披露します。

そして、あっという間に候補者に選ばれたというのが初めての出馬の出来事でした。

 

一握りの権力者たちが、いかに主要産業に影響を及ぼし、富と決定権の不平等を生み出しているかを訴えます。

政治家のスタート地点から、主張は一貫していることがわかります。

ベトナム戦争反対、経済的民主主義と社会的公正について信条を話していると、風変わりな候補者ということで注目されますが、得票率わずか2%で落選となります。

しかし、二大政党以外の意見が注目されたという意味では、サンダースは満足していたようです。

 

そして、72年には同じく自由連合として、ヴァーモント州知事選に立候補、得票率1%で落選、

74年には上院に出馬、得票率4%、76年知事選、得票率6%と徐々に得票率は上昇しますが、経済的負担も重く、小さな党での活動の限界を感じます。

ここで政治家の道は一旦断念することになります。

自由連合という小さな党では、政策に賛成してくれる人はいても、無駄な一票にしたくないという理由で投票まではしてくれないという現実に何度も直面したと振り返っています。

 

その後、サンダースは、教育用の映写スライドを販売する小さな商売を立ち上げ、尊敬するデブスなどの映像を作り、生計を立てるようになりました。

サンダース自身も、この仕事を気に入っていたようで、商売は順調だったようです。

 

バーリントン市長への挑戦

自身の商売を続ける中、ある友人からバーリントン市長選への立候補を勧められます。

現実的ではない、何よりもう政治はたくさんだと思っていたサンダースですが、友人は過去の知事選のデータを細かく分析してサンダースに示します。

 

それによると、76年の知事選では上記の通り6%の得票率で完敗だったのですが、バーリントン市だけで見れば12%の得票率があったこと、そして特定の労働者階級の地区では16%もあったことがわかりました。

特定の層にしっかり届いていたことを確認したサンダースは、再度政治家への道を志し、立候補することになります。

しかも今回(以降も)無所属での立候補でした。

 

選挙運動の特徴は、草の根運動です。

これまで選挙に行かなかったような低所得者層、労働者階級を一件一件訪問し、不満を聞いて回りました。

道路の補修や公園の整備など、低所得者層に不公平なことは山ほどあり、それに耳を傾け代弁することに注力します。

 

さらに、市の職員も味方につけることに成功します。

労働組合との話し合いを拒否していた現職市長に不満を持っていた組合員が、決死の覚悟でサンダース支持を表明し、現職の市長に対抗する動きを起こしてくれました。

 

これに労働者層も反応したのか、大接戦の末(開票結果は14票差、数え直しでは10票差)、当選を果たします。

初の無所属市長ということで注目を集めますが、この時には一着もスーツを持っていなかったそうです。

 

市長時代の試練と成果

市長になったものの、周りは二大政党の息のかかった議員たちに囲まれています。

政策を反対されれば何もできない状況下、重要な役職の人選すらまともにできなかったようです。

 

そこで、まずは市長の権限だけで変えられるものを変えることを全て実行し、現状の二大政党の議員たちがいかに市民のためになっていないか、政治屋に成り下がっている実態などを市民に知らしめるようにしました。

そして、次回の市議会選挙で、自分を支持する議員を増やすべく、無所属連合(後の進歩派連合)という政党ではないものの政治集団を作りあげ、そこから候補者を出します。

 

懸命に、市民への草の根運動を続け、過半数には及ばないまでも、市議会で拒否権を得ることは実現し、パワーバランスを変えることに成功します。

そうなれば、二大政党の議員たちも反対ばかりもしていられなくなり、徐々に市長としての仕事が回るようになりました。

 

労働者層への増税拒否、既得権益とされてきた保険会社と市の保険契約の見直し、女性のための立法、環境対策、高級マンション建設候補地を市民の憩いの場にするなど、次々と弱者のための政策を実施していきます。

 

また、市庁舎のドアを開き、関心を持つすべての人にアイデアを募り、一連の特別委員会を立ち上げました。

ここから数々の評議会が立ち上がり(若者、芸術、女性、高齢者、医療、税制改革の評議会)数年かけて、それらの評議会を市の行政機構の中に組み込んでいくことに成功します。

 

任期中、市の改革への協力が乏しい州政府を変えるために86年にヴァーモント州知事選に立候補、そして下院の席が空いた88年には下院議員に立候補しますが、それらは敗退に終わっています。

ここで、圧倒的な資金不足も経験します。

 

こうして8年間、バーリントン市長として政策を実施し、後任市長も進歩派連合から当選者を出し、市長としての役割を終えます。

 

連邦議員への挑戦とその後

1990年、以前の商売に戻るか、知事選に出るか、連邦議員選に出るか、迷った挙句、下院の連邦議員選に出ることを決めます。

前回、88年に落選したものの、無所属でありながら38%の得票率を得ており、手応えがあったのかもしれません。

主張は一貫して、働く人、弱者への支援、経済的公正を訴え、得票率56%を獲得し、40年ぶりの無所属連邦議員が誕生します。

 

これがいかに驚くべきことかを考えるのに、お金のことなしには語れません。

まず無所属のため、政党からの選挙活動に対する資金援助もなく、さらに富裕層からの支援は拒否し、企業からの献金も原則受け取らなかったサンダースです。

 

対抗候補者は存分にお金を使い、さらに大企業や富裕層からの献金もあり、メディア戦略なども有利と言えます。

サンダースへの献金者の多くは労働者層、低所得者層です。

平均すると一件35ドル以下であったようです。

ちなみに共和党候補者への献金は大企業からの支援に加え、富裕層から1000ドルクラスの献金もよくあったそうです。

 

そのような中で、草の根運動で支持を獲得し、一件あたりの献金はわずかながら、圧倒的件数を獲得し選挙戦を戦いました。

無所属であっても、最低賃金の引き上げを主導し、労働者のための住宅取得支援の法案を通過させ、企業優遇を止めるような法案も通すことに成功します。

 

そして、連邦議員としての立場と支持基盤をより強固にし、再選を重ねていきますが、繰り返し書いているように、主張するところは一貫して変わっていません。

バーニー・サンダースの生き方から学べること

小が大を動かすこと

バーニー・サンダースのような、無所属で二大政党に属していない人がどのように影響力を発揮できたのか、これは非常に参考になるポイントであると思います。

先ほども触れましたが、最低賃金の引き上げや企業優遇の廃止などの法案を通してきたという実績があります。

一つ事例を示します。

 

ロッキード・マーティン社への企業助成禁止の法案です。

1995年に、ロッキード社とマーティン・マリエッタ社が合併した時のことです。

同社は、宇宙船や航空機の製造会社ですがステルス機なども開発しています。

 

合併によって、従業員の大量解雇が行われました。

一方、トップ数人は多額の報酬を受け取り、その3分の1はペンタゴン(国防総省)から出されていました。

これは、言ってみれば、首を切られた人を含めた国民の税金で、トップの報酬を支払うようなものです。

 

軍需産業で合併を行う企業に対して、ペンタゴンから組織再編費用を提供するという政策によるものですが、このような事実は、メディアで取り上げられることもなく、国民の間で認知されてはいませんでした。

 

そこで、サンダースは動きます。

ロッキード・マーティン社が工場を閉鎖した地区の議員(当然二大政党に属している)の協力を得て、明るみに出して議論したのです。

この解雇促進プログラムのような政策を廃止する法案は、両者の名前を取って、スミス・サンダース案と呼ばれました。

 

公の目にさらされた場では、議員たちもこの法案に賛成せざるを得なかったようです。

何しろ、従業員が解雇された挙句、税金でトップに報酬が支払われているとなれば、二大政党としても、選挙を意識する以上国民の目を無視できません。

スミス・サンダース案はたちまち話題となり、軍需産業の大敗北として扱われたということです。

このように、他の議員が、訳あって取り扱えないことを取り扱い明るみに出すこと。

二大政党で扱われないことを、議論の俎上に載せること。

これこそが無所属の仕事だとサンダースは認識していました。

 

その他にも、民主党議員の中でも進歩派に位置する人たちを巻き込んで、議論を活発化させるというやり方で、無所属ながら存在感を示し、その知名度はどんどん大きくなっていったのでした。

その頃には、選挙区での地盤を揺るぎないものとしていました。

 

政治の分断という危険を意識すること

自伝には、分断の政治について、書かれている箇所がありました。

これも重要なポイントであり、私たちもよく認識しておくべき事項であると思います。

 

分断政治とは、意見の違うもの同士、立場の違うもの同士を分断させるという手法です。

そして、重要なのは、大多数に影響を与えるもっと重要な問題、本当は団結できる問題から意識をそらすために使われるということです。

 

常套手段として、黒人と白人、異性愛と同性愛、本国出生者と移民、中間層と貧困層などの分断です。

それが勝つための政治として当然のように利用されています。

 

実際に、よく起こりうる、想像できることだと思います。こんなケースです。

✔️医療保険には入れない労働者が、福祉受給者が医療を受けられることに腹を立てて、その権利を奪おうとする。

✔️フードスタンプ(低所得者層など一定基準の人を対象に無料で支給される食料クーポン)を持った人が、自分が買うものより高価な肉を買っていて気に入らない、もっと削減するべきという意見になる。

 

最も分断に力を注がれたのが、福祉改革であったとサンダースは振り返っています。

貧困層、女性や子供、移民への攻撃をひとまとめにした法案であったようです。

 

「働かない怠け者のためにお金を使うのは嫌ではないですか?あなたが必死で働いている中、10代の黒人が家で赤ん坊といられるようになるために、あなたがお金を負担するのは嫌ではないですか?福祉改革はあなたのためです」

と言って、最弱層への保護を撤去する方向へ駆り立てる目的で、分断を促したとされています。

 

そうして支持を取り込み、様々な福祉関連費用、移民へのメディケイドや扶助などが堂々と削除されていったという事例です。

本来、同じ労働者層として同じベクトルを持つこともできたであろう人たちを、このように分断させて、福祉法案を可決してしまったということです。

 

このような手法によって、大きな目的を忘れて、小さなことで分断してしまうことは、大小問わず組織としては利用される手段であると言えるでしょう。

 

目先の視点をそらす、大きな問題に焦点が当てられないようにする。

上記の例のように、(貧困環境など)致し方ない部分も多分にありますが、分断される側の無知につけこんだ手法であると言えます。

 

私たちも、日常で政治や、組織の一員として生きる中で、このような危険性をよく意識し、分断の危機に陥っていないか、より本質的な目的は何かを認識すること、

そのためにも、自分から情報を取り考えること、意見を持つこと、知識を得ることが大変重要であるという示唆を得ることができます。

 

バーニー・サンダースの信念の強さ

最後に、サンダースの一貫した行動に裏付けされた信念の強さは、誰にでも真似できるものではありません。

草の根運動などと一言で書いたりしましたが、自伝の中では、市長選の時から誰よりも動き、誰よりも働いた上での最高のチームであり、成果であったと振り返っています。

 

そんなサンダースは、議員としての目的を3つにまとめています。

  1. 州の代表として、地元の人の意見、ニーズを聞いて政治に反映すること。
  2. 働く人々、労働者、中間層、貧困層、高齢者、子供のために闘うこと
  3. 大企業や二大政党が議論したがらないことの論争に挑むこと。

 

難しい問題ですが、今は民主主義の崩壊の危機にあり、何百万人もの国民が議論に加わった時に初めて解決される問題であり、国民の政治に対する興味関心、投票する人の知識の改善、そして投票する人の増加が不可欠であるとしています。

人々の政治への無知も利用した、福祉の削減や軍事費の増強を食い止めるには、自身の努力とともに国民の意識改善が必要であるということです。

 

財政赤字は、貧困層のせいで大企業減税のせいではないという論法に対抗するには、有権者を教育する必要があり、サンダースはその意味からも、戸別訪問や、草の根運動をしていることがわかります。

貧困層を攻撃しても、政治的に無関心で投票も献金もない、関与しない人たちだから標的となるという現実も認識しています。

 

投票に意味があると思えば低所得者層も投票するということを信じ、実際にバーリントン市長の時には投票率を2倍にすることに成功しています。

80歳を目前とした年齢になっても、一貫した主張を貫き、仲間を増やし、そして気力を持ち続けて大統領選に参戦しようとする意気込みは、にわかに信じられないほどの力を感じます。

これだけ長い間、情熱を持って活動できるのも、サンダースの信念あってのことであり、信念、使命感の大切さを思い知らされます。

まとめ

2020年の大統領選候補者争いでは撤退が決まりましたので、大統領バーニー・サンダースの実現はなくなりました。

もし、サンダースが主張する政策を実現できたところで、結果はどうなるのか、国全体、そして世界経済が向かう先を予測することは難しいでしょう。

多くの識者が指摘する通り、アメリカに大きな損害をもたらすことになるかもしれません。

しかし、サンダースの主張の背景にある目的意識と、一貫した姿勢には、一人の人間として素直に畏敬の念を覚えます。

考え方や生き方、行動指針には見習うべきところ、学ぶべきところが多く、何より考えさせられる内容を多く含んでいると言えます。

自伝から一部事例を抜粋するなど参考にしましたが、大いに読む価値のある本であったと思います。

関心のある方は是非読んでみてください。

 

以下には、資本主義の限界や、時代の変化に合わせて持つべき自分や考え方などの記事があります。興味のある方は是非こちらもご覧ください。

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