こんにちは!Jimmyです。
社会人であれば、意識することが多い、「報連相」。
報告・連絡・相談は、組織で動く以上、欠かせません。
仕事におけるコミュニケーションの重要な部分です。
しかし、日本人の性でしょうか。
意義が拡大解釈され、弊害をもたらしている光景が見受けられます。
今回は、報連相を過度に意識した運営は、人のやる気も生産性も削ぐことになるという趣旨の話をします。
前提:報連相の重要性
大前提として、報連相には重要な意味があります。
報告、連絡、相談なくして、コミュニケーションは成り立ちません。
報連相が必要であると、長い間言われている理由を簡単に振り返ります。
必要な人に必要な情報を共有するという大前提
特に、近年の複雑化する社会にあれば、それに対応すべく、組織も分業化、専門化が進んでいます。
つまり、一人で業務を完結することは不可能です。
一つの案件を獲得するのにも、多くの人の知見や協力、事務手続きが必要でしょう。
そうなると、スムーズに、必要な人に必要な情報を共有することが重要になります。
一つの部署に連絡していなかったことで、不可欠なプロセスに気づかなかったということにもなりかねません。
必要な関係人物を認識し、必要なタイミングで情報共有することは、大前提であると言ってよいでしょう。
悪いことこそ共有する
報連相が強く認知されるようになった背景の一つに、悪いことほど発信したがらないという人の特性があります。
怒られたくない、評価を下げたくない、迷惑をかけたくないという意向から、情報共有が遅れるということが発生します。
心理的には、現実から目を背けたくなる、何とかなるかもしれないという希望的観測も入りやすくなります。
運よく、何もトラブルにならなくてよかったと、胸をなでおろす経験をしたことは、誰もが一度はあるのではないでしょうか。
しかし、その希望的観測のせいで、問題が大きくなることもあります。
少しのミス、気になることがあれば、そういう時こそ、早めに共有しておく。
これは、鉄則とも言える行動です。
目的は、顧客への迷惑や損害、組織の損失を最小限に抑えることにあります。
チームで動くという効果
一人で考えるよりも、複数人で考えたほうが、より多角的に物事を見ることができます。
より効果的で、高度なアイデアにたどり着くためには、チームを結成することが有効です。
一人で考えていると、簡単なことでも気づかないということがよくあります。
必要に応じて、チームを作り、都度情報共有することで、組織としての相乗効果が発揮されます。
日本組織では、根回しが大事であると言われますが、効果的なチームを作る上で、役職者の差配が必要な局面はあるでしょう。
その目的において、上司を巻きこむことに意味があるケースも多いでしょう。
報連相を意識しすぎることの3つの弊害
簡単に、報連相が必要である理由を示しました。
一方、それらの枠を超えて、報連相を意識し過ぎると、弊害の方が大きくなります。
以下に、3つの弊害を示します。
保険としての報連相
過度に意識される組織では、報連相の事実が「保険」になります。
報連相を怠ることで、問題があろうとなかろうと、それ自体が問題視されることもあるでしょう。
共有していないことで問題が起きれば、なぜ言わなかったのかと問い詰められ、非難されるはずです。
そのような状況になれば、念の為の報連相が大量発生します。
メールはCCで溢れ、返信する人が増えるごとに、CCに入る人は増えていきます。
一日オフィスを離れただけなのに、帰ってきたらメールボックスに100通以上のメールが来ていることも珍しくありません。
いつの間にか、共有したことが免罪符になるという意識になっている人もいるようです。
直接言わなくても、メールに一言書いてあれば、
「言いましたよね、共有したはずですよね?(あなたの責任ですよ)」
となるわけです。
逆に、関係することであっても、共有された事実が発見されなければ、
「なぜ、共有しなかったんですか?(私は関係ないから知りません)」
となります。
言い方はよろしくないかもしれませんが、いやらしい組織体質の醸成が進行します。
そこにあるのは、前向きな言動はなく、責任回避、足の引っ張り合いです。
そのような環境にいて、やる気が湧くはずも、生産性が上がるはずもありません。
形式としての報連相
報連相を徹底するためには、仕組みが導入されることが多いと思います。
代表的なものは、毎日の報告会、日誌、最近では社内のポータル上に記録を残すことが多いかもしれません。
そして、それらをルール化し、数をカウントし、場合によっては、報連相の数に目標を設定することもあります。
そうなれば、もはや形式しか残りません。
「それっぽい報告を考えなければ・・」
「今週は記録が3件足りない」
「何でもよいから書かなければ」
義務的、機械的な作業となるでしょう。
報連相のための報連相が発生することになります。
多くの場合、非効率極まりない結果となります。
意味のない日誌や記録を、書く方も大変ですが、見る方も負担です。
ある組織では、際どい内容は、「記録に残ると厄介になる可能性があるため残すな」という方針ということでした。
(媒体に残さず、直接言えということ)
一方、情報共有のための、記録の件数は目標が課されており、無難な内容を大量に残すという作業が常態化していました。
作業時間だけが増える、形式的な報連相の典型と言えます。
上司のための報連相
今年働き始めた新人さんでもない限り、本来、そこまで細かい確認は不要ではないかと思えることが多いものです。
では、なぜ、細かな報連相が浸透するかと言えば、上司が不安だからということになります。
報連相の目的、意義は、先程示した通りです。
その目的から離れ、上司のための報連相も多いのではないかと思います。
普段、あまり部下のことを見ていない、現場のことをよく知らないという人ほど、不安になり細かい報連相を求めます。
さらに、上司自身が、上に報告する際にも、様々なことを盛り込むように考えるでしょう。
結果、非効率な上に、作業も増えるという事態が発生します。
報連相のための会議、資料作り、報告内容の打ち合わせなどです。
これは、どれだけ控えめに考えても、人を疲弊させます。
報連相する側の立場に立てば、よく内容をわかっていない、言っても意味のない人に対して時間を割くことになります。
意味がある、頼りになる、助けてくれると思えば、部下は自発的に、上司に報連相をすることでしょう。
上司もそれを認識しているはずです。
だからこそ、報告せずに、何かトラブルがあれば、鬼の首を取ったかのように、報連相の不足を指摘します。
そして、仕事のマナーのようなものにかこつけて、正当化することになります。
会議を開いて、話し合う時間を設けているのに、わざわざ先に根回し、説明をされていないとへそを曲げる人もいます。
これも、その場で判断できる自信がないことが関係しています。
中には、「扱われ方」に対する不満の意を表明をする人もいます。
このような状況では、間違いなく、やる気も生産性も上がるはずはありません。
自分の判断基準で主体的に動けるかが鍵
意味のない報連相であると認識しながらも、それを利用して、上司に評価されることを目指す人は多いのが現実です。
大きな組織ほど、慣習を変えることは難しいことは確かですが、長期的に見て、プラスにはなりません。
本当のやる気にはつながらず、疲弊する可能性が高いでしょう。
この先、リーダーとなっていく人も多いと思います。
自分はどうするべきか、どういうリーダーになるべきか、今のうちに考えておくことをお勧めします。
報連相を義務的にしている人へ
主体的にならなければ、報連相を強要される動きは止められないでしょう。
先程も示した通り、上司自身が不安であることも関係しています。
安心してもらうためには、放っておいても、やってくれる、言ってくれるという印象を与えることです。
普段から自分で決めて、指示を待たずに動く。
そのためには、自分のやるべきことと、その意義を明確に持っておくことが必要です。
それができれば、自然と、義務的な報連相からも離れ、本来の必要性に基づく報連相を実施することができるでしょう。
自分で考え、発信する報連相は、疲弊を招きません。
簡単ではありませんが、意味のない疲弊の連鎖から抜け出すためには、自分の判断基準を持ち、主体的になるしかありません。
最後に これからリーダーになっていく人へ
報連相の本来の意味を認識し、それに基づく運営を心がけるべきです。
今一度振り返ると、以下3つです。
- 必要な人に必要な情報を共有する
- 悪いことこそ早く共有する
- チームで動き効果を高める
弊害として紹介した、保険としての報連相、形式的な報連相、上司のためだけの報連相は極力減らしていくことで、チームは活性化するはずです。
そこで必要になるのが、やはり自分自身の判断軸であり、中間管理職であれば、現場感覚を失わないことです。
それでこそ、どっしりと構えることができます。
つまり、リーダーになる前から、仕事をする意義、自分の価値観について、確固たるものを育てることが肝要ということです。
そして、聞く姿勢は欠かせません。
普段から、1on1などで、個人個人の状況を把握しておくことが大切です。
報連相で縛るのではなく、信頼関係の上に報連相があるべきです。
信頼関係を築いてこそ、目の届かない、見えにくい部分について、本来必要な報連相が入ってきやすくなります。
以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。
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