こんにちは!Jimmyです。
資本主義社会が成熟し、かつてないほどの発展を見せている現在です。
その反面、問題も多く存在しています。
その中でも、「生き方がわからない」と途方に暮れている人が多くなっているように思います。
経済が特に優先された結果、その他のことが蔑ろにされ、様々な弊害が出ていることが大きな要因です。
経済的な格差に加えて、精神的に疲弊している人、豊かなはずなのに幸福感を感じることができない人。
個人により状況は様々ですが、正しい指針を持つことが今ほど見直されるべき時はないと思います。
今回は、経済(お金)を重視しながらも、個人が同時に持つべき指針について考えます。
経済、法律、道徳、それぞれの位置付けや関わり方を考えるフレームワークをもとに、生き方の指針を示していければと思います。
主張の大元 経済と道徳を同時に追求すべし!
日本の実業界の父、渋沢栄一が主張したのが、道徳経済合一説です。
道徳(人としての正しさ)と経済(お金を稼ぐこと)は相反するものではない、
どちらもなくてはならないものということです。
逆にいえば、どちらかが欠ければ、発展はないということです。
100年前に書かれた内容が、今の世の中に重要なメッセージを発しています。
道徳と経済どちらが欠けてもダメ
道徳心だけに縛られて、経済を活性化させることができなければ、個人としても国としても衰退します。
お金を稼ぐ、利益を追求して経済を回すことは、人々が豊かになるためには必要不可欠であるとするのが渋沢の主張です。
一方で、利益だけを追求して、道徳がないと、同じく長期的な発展は望めないとされています。
利己的な考えが蔓延し、人間同士の関係も悪くなり、不正や法の穴をかいくぐるようなことになれば、人は疲弊していきます。
今はまさに、そのような状態になっているのではないかと思います。
なぜ今、生き方迷子が増えたのか?
高度経済成長期と呼ばれた、少し前の時代から利己主義が蔓延しました。
一方、凄まじい経済成長により、多くの人に金銭的、物質的な豊かさがもたらされました。
そこに生きがいを見つけ、迷うことなく生きていくことができた時代でもありました。
しかし、現在では経済成長は止まり、お金としての豊かさの成長を実感できない人が増えました。
厳しい経済環境の中で、お金を求める貪欲さもない代わりに、道徳的な精神も養われていない。
そのため、強い指針として機能しなくなり、結果、生き方がわからないと考える人が増えたのではないかと思います。
道徳と利益の均衡をとるべし!
道徳と利益追求が均衡してはじめて、世の中の発展は正常に機能すると言った100年前の渋沢の言葉。
これが今になって納得感と重みを増しています。
今、生き方がわからないという人は、この考えを、生き方の基本に置いてみるとよいでしょう。
しかし、どうにも均衡の取り方がわからない、道徳と経済を一緒に考えにくいという印象も否めません。
そこで、道徳と経済の考え方について、フレームワークを使って整理してみます。
次の項以降で解説します。
あわせて読みたい
渋沢栄一の名著「論語と算盤」についての詳細はこちら。
ポイントと、今の時代に向けた強烈なメッセージをまとめています。
『論語と算盤(渋沢栄一)』が現代に突きつける警告をまとめます
資本主義に徳はあるか
今、私たちが生きている社会は、資本主義社会と呼ばれています。
渋沢栄一が生きていた時代よりも、資本主義がさらに進展し、複雑になっていることも事実です。
そのような中、この資本主義社会に道徳はあるのか?
利益追求と道徳(人格)追求を同時に実現することはできるのか?
私自身、雲を掴むようなふわふわした土台の上で、考えていたことがあります。
参考図書:「資本主義に徳はあるか」
それを考える上で、以下の著書が大変参考になりました。
参考図書として紹介します。
題名もずばり、「資本主義に徳はあるか」です。
アンドレ・コント=スポンヴィル著
ソルボンヌ大学で教鞭をとる哲学者。本書では、資本主義社会に存在し影響を与えている「秩序」を4つに分類し、それぞれの関わり方をわかりやすく説明しています。
経済と道徳は別の秩序である
本書の結論ですが、
資本主義そのものに、道徳はない!
ということになっています。
あっさり否定されましたが、その理由は次の通りです。
✔️経済というのは反道徳的ではなく非道徳的。
✔️つまり、道徳と経済というのはそれぞれ独立した秩序であり交わらない。
✔️価格を決めるのは道徳ではなく需要と供給、価値を決めるのは労働、経済を支配するのは市場。
どれも道徳の影響を受けない。
→だから資本主義に道徳はない。市場に道徳を求めてもダメ。資本主義に道徳があることを望むならその道徳は、経済とは別のところからしか出てこない。
資本主義という経済システムは、道徳による影響を受けるものではないという考えです。
そして、資本主義に道徳があることを望むのなら、それは経済とは別の秩序から得るべきとされています。
そういうわけで、次にこの「秩序」について、本書を参考に考えてみます。
渋沢と全然違うことを言っているように感じるかもしれませんが、最終的には、この考え方を用いて、道徳を目指す指針としますので、今しばらくお付き合いください。
4つの秩序と、秩序が混同される現状
生き方の指針を考えるために、経済、お金、法律などの要素がどのように社会に影響を与えているのかを整理します。
引き続き、「資本主義に道徳はあるか」を参考にします。
資本主義社会に生きる私たちにとって、物事をどう整理して考えればよいのか、わかりやすい考え方が示されています。
それが私たちの言動に影響する秩序を4つに分ける考え方です。
資本主義社会の4つの秩序
これら4つの秩序は、お互いに独立していて交わることがありませんが、それぞれ制限したり補完し合う関係になっています。
このように考えることで、資本主義社会、現代社会という、大きな一つの枠組みの中で考えていた、経済、道徳、法律について整理して考えやすくなると思います。
第一の秩序:経済・技術・科学の秩序
資本主義社会における、市場原理に基づく秩序です。
この秩序においては善悪の判断、何をすべきかという概念はありません。
科学や技術においては、何が可能なのか。
経済では、需要と供給がどのように均衡しているか、
今後の予測はあるにしても、そこに節度や善悪は存在しません。
つまり、原爆は善か悪かの判断はなく、技術的に可能かどうかの判断があるのみ。
あるモノの価格はどうするべきかという判断はなく、需要と供給の均衡がこうなったという結果にすぎません。
しかし、この秩序だけに従って、利益のために可能なものを全て実行しようとしたら大変なことになります。
そこで、政府が介入したり、法律を設けたりして制限を加える必要があります。
それが第二の秩序です。
第二の秩序:法と政治の秩序
第一の秩序を制限する役割にあるのが、法と政治の秩序です。
技術的に可能なもの、市場の成り行きを制限します。
行き過ぎた独占を禁止したり、人体に危険な遺伝子操作などを禁止したりします。
この秩序によって、科学や経済が暴走することをある程度抑制しています。
しかし、法と政治だけでは、合法的によからぬことをする人、
法さえ守っていればあとは何をしてもよいと考える人が出てきます。
卑劣や利己主義を制限する法はありません。
だから、法を守る人の中にも、悪人はいます。
そのため、この秩序を制限するための秩序が必要になります。
それが第三の秩序です。
第三の秩序:道徳の秩序
ここで道徳の秩序が登場します。
法にはなくても、当たり前にしてはいけないこと、するべきことは道徳の範囲になります。
正義、利他といったものは道徳心から来るものです。
人を貶めるようなことをしない、社会貢献をするといった内容は法律では定められていません。
はじめてここで、善悪の判断が登場します。
一方、この秩序においては、独善家という人が存在する可能性があります。
道徳は自分へ課すべき義務なのですが、それを他人に強要しようとする人が独善家です。
そのため、道徳の秩序を補完する形で、第四の秩序が必要になります。
第四の秩序:倫理・愛の秩序
道徳単体では、独善家を生み出す可能性があります。
独善家に足りないものは「愛」だとされています。
真理への愛、自由への愛、人間性への愛。
それらが道徳を補完する役割をするということです。
ちなみに、本書では、この上の秩序として一部の人に存在する「宗教の秩序」にも少し触れられていましたが、今回は割愛しています。
秩序の混乱が世の中の混乱
わかりやすく、現代社会における独立した4つの秩序が示されました。
ここで注意するべきことは、秩序の混乱です。
上の秩序が下の秩序を制限する役割であるはずなのに、その役割から外れて考えることです。
本書では、それを、「野蛮」、「純粋主義」という難し目の呼び方をしていますが、要は秩序の役割を混同することです。
下位の秩序による野蛮
例えば、第一の秩序(経済・科学)に、第二の秩序(法と政治)を従わせるケース。
下位の秩序が上位の秩序を従えようとすることを「野蛮」と表現しています。
本来、制限する立場にあるはずの法と政治ですが、その役割を縮小してしまう考えを持つことです。
国民主権であることから、本来法を決めるのも政治も、国民の意思です。
しかし、国民は政治などわかっておらず、まともな判断などできないと考えるとすればどうでしょうか。
それが進むと、知識のある一部の専門家だけで決めればよいということになり、民主主義などは機能しなくなります。
経済についても同様で、市場の原理に全て任せるべきで、政治など入り込む必要はないと考えれば、自由至上主義へと向かい、政府の機能は縮小するでしょう。
そして、市場競争に勝利した一部の人だけが富を独占していく社会が進むことになります。
第二の秩序を制限するのが第三の秩序(道徳)です。
しかし、道徳を政治や法律に従わせるような考えになれば、政治の状況に応じて道徳観が変わってしまいます。
合法性が道徳の代わりを務めるようになれば、権利を主張し合う人で溢れ、利己主義が蔓延して息苦しい社会が加速するでしょう。
上位の秩序による純粋主義
反対に、上位の秩序が下位の秩序を完全に消滅させようとすることを「純粋主義」と表現されていますが、
例えば、第二の秩序(法と政治)が第一の秩序(経済・科学)を消滅させようとするケース。
本来、市場原理、経済の観点からも考えなければならない問題として、失業者問題があります。
それを、完全に政治マターだ、政治で解決できる問題だとすれば、経済的な豊かさなどはまず達成できないでしょう。
また、第三の秩序(道徳)によって、第二の秩序を消滅させるような考え方も危険です。
例えば、貧困社会に対して、道徳心だけで解決できるとして、NGO、寄付、ボランティアなどによる活動だけに頼れば、十分な支援は実現できないでしょう。
法律のもとで、社会保障が機能しなければなりません。
4つの秩序はどれも必要
そういうわけで、これらの秩序はどれも必要であり、
本来の役割を外れることがあると、混乱が生じるということになります。
その上で、今起きていることを考えると、わかりやすいと思います。
地域、集団、個人、立場によって様々な混乱が起きていることに気づくでしょう。
行き過ぎた市場競争によって格差が広がっているという問題を考えることもできます。(第一の秩序の野蛮)
自分を縛るルールは法律のみであると考え、とにかく権利を主張し、寛容さがなくなった社会、
そして法律の穴をかいくぐり、利己的に振る舞う個人、集団を問題と考えることもできます。(第二の秩序の野蛮)
こうしてみると、なんとなく感じていた社会の違和感、混乱をよく整理できるのではないでしょうか。
下位の秩序による上位秩序を従える動き(野蛮)が今の社会には特に蔓延していることに気づきます。
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秩序の混乱の中、蔓延している大企業病の実態についてはこちら。
個人として持つべき指針とは?
以上を踏まえて、生き方の指針を4つの秩序をもとに示します。
個人と集団の方向性の矛盾を認識しよう
まず、重要な矛盾を認識するところから始めます。
4つの秩序として示しましたが、向かう方向性が、個人と集団では真逆になることが一般的であるとされています。
集団は、下位の秩序に優位性があり、そちらに向かう傾向があり、
個人は上位の秩序に向かう傾向があるということです。
考えてみればわかりやすいのですが、企業のような集団であれば、根本に経済合理性がなければ成り立ちません。
しかし、個人であれば、実行できているかは別として、道徳や倫理、愛を目指す方向にあることが多いはずです。
ここにははっきりと矛盾が存在するのです。
だから、集団にいると、会社の利益第一主義、利己主義、卑劣な合法主義者になっていく傾向にあるのです。
この構造を認識することがまずは必要です。
経済と道徳の両立は秩序を上昇させる意欲と行動
先ほど、今蔓延している問題は、下位の秩序による上位秩序への侵食(野蛮)であることが多いと述べました。
それは、集団としてみれば、下位秩序が優位になるからであるという説明を今ほどしました。
それを踏まえて、一人の個人として、今ある問題を是正し、経済と道徳の両立を目指していくためには、
集団にいても、第三(あるいは第四)の秩序を個人として守ろうとする動き、
そして、周りに働きかける動きが必要です。
意図的に、勇気と信念をもって取り組まなければなりません。
それができる人が、類まれなリーダーとなり、組織をよい方向へと向かわせる存在となることでしょう。
また、個人としても、物心両面での成功に近づくため、幸福感を持つことができるはずです。
そうすることで、経済と道徳を両立させることができるということです。
参考記事:それを実現するためには強い自己を持つことが大事です。こちらの記事も参考になると思います。
つまらない人間にならないために強烈な自己を持って挑むべき理由
状況に応じて判断・反省する力
理屈としては、上記の通りなのですが、実際に判断、行動するとなると簡単ではありません。
迷うこと、間違えることもあれば後悔もあるでしょう。
しかし、秩序の構造と特性を理解し、自分が持つべき指針を認識していれば、分析し、反省し、前を向くことができます。
(実際参考図書の著者も、本書自体が解決策にはならないが、考えるための道具となると言っています。)
全ての行動を、愛と道徳で行えたとしたら、それはもう「生き仏」と呼ばれる領域ではないかと思います。
大事なのは、指針をもっていること、それに基づき反省することです。
経済活動のなかで、自分の中の道徳規範に反するような行いはしていないか、振り返ることです。
もちろん、(あまり多くはないと思いますが)道徳が空論になって、経済活動を全く重視しない場合も修正が必要です。
社会で判断する出来事の中には、いつもそれぞれの秩序の向く方向が違うわけでも同じわけでもありません。
会社の利益にもなって、法律もクリア、そして道徳的にも正しいとなれば迷う必要はありません。
ただ、そのような時でも、自分は何に基づいて判断したのかと振り返ることは必要です。
利己的な思いで動いたのか、道徳的視点で考えたのか、結果は同じでも思考は完全に異なります。
日々、第三の秩序(道徳的な判断軸)が機能しているかを反省します。
それに基づき動くことができる経験を増やしていくことが重要です。
いきなりは難しいかもしれませんが、だからこその指針であると考えて、長期的に取り組むべきでしょう。
そして、他者にもその影響を与える存在になることができれば尚良いと言えるでしょう。
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強い自己、人格を持つためには、教養が必要です。詳しくはこちら。
まとめ
生きづらさを感じる世の中、私たちがまず考えなければならないのは、経済と道徳を両立させることです。
ただ、経済と道徳を両立させると言っても、なかなか一括りに考えにくい問題だなという思いは私自身の中にもありました。
今の社会を是正しなければと考えると、道徳一辺倒にもなりかねません。
それでは、生きていく上で支障も出ますし、道徳が空論になる可能性もあります。
そこで、私たちが生きている社会には、独立した秩序が複数存在し、それぞれ役割を担っていると考えると整理がしやすくなるのではないでしょうか。
資本主義に道徳がないのは当たり前で、経済システムとは善悪を判断するものではないという前提に立ちます。
道徳心と組織の利益の間で揺れ動いたり、仕事で判断に迷うような局面があると思いますが、
秩序間の特性、そして集団と個人の特性を理解できれば、当たり前のこととして認識でき、前を向きやすくなるでしょう。
集団にいると、どうしても下位の秩序に向きやすいという傾向があります。
だからこそ、自分を戒め、道徳的判断軸を持つことが求められます。
生き方の指針として、経済と道徳を両立させることは十分に可能なことです。
それぞれの秩序の役割をしっかり認識し、それに合った行動を取ることが一つの目安になるのではないでしょうか。
以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。
今回長くなってしまいましたが、関連する記事、補足記事も含めて以下に記載します。
興味のある方は是非こちらもご覧ください。
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