変化を好まない日本人
こんにちは!Jimmyです。
データ、知財の時代、AI時代の到来と言われています。
少し前まで(30年くらい前まで)、携帯電話も普及していなかったのに、次から次へと新しいものが生み出されては世の中が変わっていきます。
変化の激しい時代であることに異論を持つ人はいないでしょう。
よくダーウィンの言葉が引き合いに出されます。
「生き残れるのは変化できる者である!」と。
確かにその通りだと思う反面、正直、しんどい時代だと思う時もあります。
しかし、対応していくためには、世の中の流れに関心を持ち、アンテナを張り、積極的に情報を取ること、そして自分から発信して関わっていくことが大事です。
旧識にとらわれず、自らを変えていくことも必要です。
明治維新は非常に良い教材だと思います。
歴史が教えてくれる通りです。
これは行動指針として、自分にも言い聞かせていることですが、言い聞かせている時点で、変化を好ましくはとらえていないのでしょう。
変化を好まないのは私だけなのか?
少なくとも、変化を嫌うのは人間の本質的な特徴であり、私が今まで知り合ってきた日本人は、その特徴そのまま、変化を好むような人はほとんどいなかったと思います。
変化を好まない本質的な部分を乗り越えて、変化していくのが人間の知性であり、もっとよくなりたいという欲求です。
人にもよるので断定はしませんが、少なくとも今の日本人は他の国に比べて変化を好まないように感じます。
なぜか、
それは変化しなくても大きな苦労をすることなく生きていけるように思ってしまうからではないでしょうか。
わざわざ時代の先端を行かなくても、そこそこ便利に生きていける、困るようなことはない。
これが近年、日本人の心の中、根底に潜んでいる考え方なのではないでしょうか。
私がこのような考えを巡らすようになったのは、会社員の頃、中国で勤務していたことがきっかけです。
意欲旺盛な中国人
中国では、まるで変化を楽しんでいるような人が非常に多く見られました。
話を聞いていると、普通の会社員でも、「明日は今日よりも良くなる」と自信を持って言います。
もっと良くなる明日に希望を持っています。
ある友人は、自分が努力することで、つまり行動することで、未来はもっと楽しくなると力強く話していました。
新しいものに対する貪欲さはここから来ているのかもしれません。
中国は、経済成長はという観点では他の先進国と比べ、長い間遅れをとっていました。
急激な成長はこの20年のことです。
PHSを通り越した携帯電話の急速な普及も、スマホの普及も、電子決済の圧倒的な浸透も、技術、政策だけが要因でありません。
多少の怖さや不明確さはあっても踏み込んでみようとする人が多いからこそ、これだけ急成長することができたのだと思います。
または、動かずに遅れを取れば損をするという感覚もあるのでしょう。
スマホの普及率は中国都市部と日本を比較すると、2013年には、中国は日本より二倍以上も高くなっていました。
今でこそ、ガラケーを見る機会はほとんどと言ってよいほどなくなりましたが、2013年当時には日本ではまだまだ残っていました。
当時日本はスマホの普及率は40%台だったと思いますが、中国都市部では90%ほどになっていた、つまり携帯を持つ人のほとんどはスマホを持っていたということになります。

2013年当時、実際に中国で生活をしていた私にとって違和感のある数字ではありません。
なお、中国の都市部と限定している理由を少し補足します。
以前、中国に関する他の記事にも書きましたが、中国という国で全国平均をとったり、それを基準に考えたりすることはナンセンスです。
都市部と農村では違いが大きすぎて平均をとる意味がありません。
平均値に属している人が大多数を占めるという結果にならないことが多いのです。
そのような理由で、中国都市部と比較することとします。
もし日本人で、80歳を超える高齢者の方がスマホを持ち、アプリを利用していればどう思うでしょうか。
タクシーを呼んだり、買い物をしたり。
すごいと思いませんか?
総務省の統計データによると、2017年の日本人70歳代のスマホの普及率は18.8%、80歳代では6.1%でした。
このデータからも明らかな通り、高齢者ではスマホを持っている人ですら少数派なことがわかります。
一番の利用目的は電話でしょうから、アプリを使っていることは珍しいことだと言えそうです。
私が驚いたのは、妻(中国人)の祖父母です。年齢は80代です。
毎日のようにスマホで買い物をしています。
デリバリーアプリを使って食べ物や日用品を注文します。
決済は電子決済です。
アプリを使って、お友達と無料通信を楽しんでいます。
どうやって使い方を覚えたのかと聞いたら、家族(娘=妻の母)に教えてもらっているとのことでした。
わからないことがあると、よく使い方を聞いてくるそうです。
知識欲というか、やってみようと挑戦することに驚かされます。
日本人だったら、聞くのをためらったり、失敗して面倒なことになることを恐れ、なかなかやる気にならないのではないかと30代の私でも想像できます。
当然、中国人の方がスマホに有利なわけではありません。
日本人であれば文字を打つとき、アルファベットが分からなければ、ひらがな五十音で文字を打つことができます。
中国人は、ひらがな五十音のようなものは無いので、アルファベット(ピンイン)が分からなければ文字を打つことが大変困難になります。
大きなハンディになると思いますが、利用する高齢者が多いのには感心してしまいます。
スマホを例にしましたが、新しいものに積極的な姿勢はこれだけではありません。
理財商品と呼ばれる投資商品は、日本でも話題になることが多いですが、老若男女みんなが購入しています。
「みんな」と言っても問題ないほどみんなやっているので敢えてこう書きます。
IT技術に関しても、あっという間に、深センは中国のシリコンバレーと呼ばれるほどになりました。
中国人の変化への耐性が高い理由
なぜ、こんなに変化に対して前向きになれるのか、と思うことがあります。
私などは、いつも自分に言い聞かせて奮い立たせているというのに。
私の考える要因は、中国の歴史にあります。
戦後、文化大革命、大躍進政策などで大変な苦労を経験している人たちが今高齢者になっています。
何もしなかったら何も得られなかった時代です。(何も得られないどころか失うこともあったでしょう。)
参考:中国近代史
当時は、小学生がクラスでパンが配られるのをじっと待っていたら、絶対に来ないという話を聞いたことがあります。
全員分のパンがあるかどうかはわからないのだそうです。
不動産売買が解禁されてからは、時流に乗って、財産を築いた人が勝ち組となっています。
何もしなかった人とは天地の差があります。(もちろん失敗してドン底を味わう人もいるのですが)
天地の差、ここが重要です。
日本は近年、1億総中流社会を経験していますので、新しいことをしてもしなくても大体中流だろうと言う意識が今でも残っています。
中国では、動いた人の躍進ぶりが常軌を逸しています。
持つ人と持たざる人の差は、生活だけにとどまらず、教育、医療、食品、全てに影響を及ぼします。
もちろん、ここで良い悪いを判断することはしません。
事実、問題もたくさんあるのですが、それだけの格差があるということです。
このような事実から、他人より遅れてはいけない、自分から動かなければならない、という精神が養われているのだろうと解釈しています。
だから、少々の危険を冒しても挑戦することを選びます。
何もしないこと、動かないことに挑戦する方が怖いのでしょう。
情報を積極的に取りますし、そのための苦労は厭いません。

よく考えれば、日本にだってそのような時代がありました。
明治維新の時代は、国をあげて、欧米に追いつこうと必死になり、学問から生活スタイル、法律、全てが変わりました。
あそこで変われることができたから日本は先進国になることができたのであり、今の日本に大変な影響を与えた時代と言えます。
福沢諭吉が一万円札に君臨し続けているのも納得できます。
(次の一万円である渋沢栄一も、明治維新をリードした人ですね。)
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変化に対応できる自分を作るために
新しいことに挑戦することや、積極的に情報を取りに行くことの価値を、私は勘違いしていたのだと気付きました。
これからも日本にいて、1億総中流時代が続くのであれば、気楽に構えていられるのですが、時代の過渡期にいる以上、そんな悠長なことは言っていられない状況になるでしょう。
私の知り合いの経営者の方は60代になった今でも、若い人と積極的に関わろうとしています。
若い人の感性や、考えていることに触れて、自分も感覚を若く保つようにしていると仰っていました。
60を過ぎても、新しいことに挑戦して変化をチャンスと考えているようです。
IT技術のことばかりを追いかければ良いとは思いません。
当然、新しいことはITだけに限りません。
歴史が繰り返すように、グローバルの開けた時代が、自国に閉じこもる閉じた時代に変わることもあるかもしれません。
どんなことに価値が移るのか、可能性は無限大です。
重要なのは、変化に対応したやり方を考えることですが、まずは変化を受け入れる気持ちを持つことが大事です。
その気持ちがないと「目をそらす」ことをして変化に相対しようとしないからです。
今までの成功体験に縛られないこと、今までの当たり前を疑ってみることです。
旧態依然とした組織にいるのであれば、変わり者に見られるくらいでちょうどいいでしょう。
今考え方を変えないと、将来自分が高齢者になった時どんな人になるか、想像するだけで恐ろしいです。
新しい価値観についていけず、若い世代のやることが理解できない。
批判ばかりして、昔の良き時代を語る偏屈なおじいさんになるのではないかと思い、会社員時代、妻に相談したことがあります。
そんな不安を気にするそぶりもなく、妻は私にこう言いました。
「うんうん、あなたはそうなると思う、すごく想像できる!」
江戸時代にお金まわりの知識が豊富で、そろばんや帳簿をつけることに長けた人でも、明治以降は、複式簿記を知らないと会社の会計は理解できないようになりました。
一例ですが、プログラミングの基礎がわかっていないと、会社で会話ができなくなるかもしれません。
バーチャルの彼女を持つという価値観が市民権を得るようになり、そういう人を職場で無碍に批判すると「バーハラ」などと言われるようになるかもしれません。
考えると、一瞬ぞっとしてしまいますが、考え方によってはそんなに大きな問題ではありません。
プログラミングが必要であれば勉強すればすぐに変われます。
バーチャル彼女を持つことが気持ち悪いと思う前に、自分にも理解できる部分がないか少し考えてみればわかります。
浅倉南(タッチ)が彼女だったらいいのにと思ったことのある人は必ずいるはずです。
仕事に追われていると、限られた社会でのやり取りしかなくなりますので、どうしても視野が狭くなりがちです。
たまには、敢えて全く異なる集まりに「Meet up」などでイベントを探して行ってみるのもいいと思いますし、地域のイベントに顔を出すのも良いと思います。
変化を受け入れる気持ちを作る第一歩は、色々な人と接することからかもしれません。
今回は、変化の時代ということで、変わることの重要性について書いてきました。
旧識にとらわれず、先のことに目を向けることは重要なのですが、過去のことはどうでもよいと言っているわけではありません。
むしろ、過去の歴史を学ぶことは、未来を考えるにあたり重要な示唆をたくさん得ることができます。
温故知新という言葉があるように、過去の出来事や考え方から新しいことが生まれます。歴史を学ぶ意義についてはこちらも是非ご覧ください。
以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。
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